東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

遠藤秀紀,『ニワトリ 愛を独り占めにした鳥』,光文社新書,2010

2012-06-12 22:42:00 | 自然・生態・風土

読みやすく、たいへん参考になった。ただし、書名が意味不明で、ニワトリの進化の性選択の話かと思っていた。家禽としてのニワトリの話です。

興味をもったのは以下の三点。

1.ニワトリの先祖であるセキショクヤケイの分布

2.セキショクヤケイを家畜化(家禽化)するにあたって、人類の意志、興味をあつかったところ。「こころのエネルギー」と著者が名付けた家畜化への動機。

3.東南アジアから世界各地への伝播。さらにヨーロッパ品種のアジアへの伝播について。

1.について。セキショクヤケイは地質学的にみてスンダ陸棚海の周辺に分布する。(ただしボルネオにはいない。)家畜化の中心域もこのへんであると推定される。バナナやサトウキビとともに、大陸部東南アジアで栽培化された生物なのである。タイ・ラオス・ベトナムあたりが核心域とみられる。(遺伝学・考古学の詳しい解説あり。)

2.そして本書でセキショクヤケイがいかに家畜化に適さない鳥であるのかが論じられる。食用の家禽として数々の難点があるのに、なぜ、人間はこんなめんどくさい鳥を飼いだしたのか?

この論点について、著者は、食肉としての効率やタマゴの数ではなく、闘鶏用が起源だという推測を述べる。そして、さらに、家畜化の初期には、実用性や効率性よりも、おもしろさ、楽しさ、飼う苦労がモチベーションになるのではにかと推測している。(大雑把なまとめなので、直接本にあたってくれ。)

もちろん、占いや生贄としての起源もあったと推測される。家畜の起源はすべて宗教的な要素があって、宗教的な動機が起源である推定するのは、なにも説明したことにならない、という批判もあるそうだ。

東南アジアでは、よい声で鳴く鳥を飼う文化と姿かたちの珍しい鳥を飼う文化の両方があるが、闘鶏というのは気がつかなかった。ちなみに、闘鶏は世界中にあるらしいが、フィリピンの闘鶏はラテンアメリカ経由のヨーロッパ的な闘鶏であるそうだ。

それから東南アジアのいなかに行くと、いろんな種類のニワトリのほか、ウズラや七面鳥などが飼われている。あんなにいろんな種類のトリを飼うのは実用というより趣味ではないかと思ったことがある。タマゴなどもウコッケイのような青みを帯びた殻のタマゴなどいろんな色がある。(青みを帯びているから値段が高いわけではないようだ。)

やはり、実用性や効率性よりも、ネコやペットを飼うような趣味性があるのではないか、と思っていたのだ。本書によれば、ニワトリ愛好家には、声のよさを愛でるもの、姿かたちのヘンテコな品種を交配する楽しみもあるのだそうだ。

3.全世界への伝播について。

ニワトリ文化について多方面の民俗学的・食品化学的・解剖学的・考古学的なトピックが満載だが、航海用の食料として世界中の品種が伝播したのではないかという可能性は述べられていない。

p220に日本の長尾鶏が西洋でyokohama,と呼ばれるのは白人のきまぐれ、と述べられているが、本書に登場するニワトリの品種名はほとんど港の名前ではないのでしょうか?ロードアイランドやミノルカ、プリマスロックなど。コーチンもマレーも当然、地域の名というより港や海域の名前だろう。このへん、もっとつっこんでほしかった。

ともかく、バードウォッチングやバードイーティングの手引きとしてひじょうに参考になる本であった。


篠田謙一,『日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造』,NHKブックス,2007

2010-01-24 19:11:54 | 自然・生態・風土
ひじょうに明晰で親切な一冊。DNAと日本人という怪しげな言葉を組み合わせた書名が最大の欠点であるが、一般読者向けに書かれたこの種のテーマとしておすすめ。

p-101

 ですから、日本人の由来を考えるとき、今日本に存在するすべてのハプログループの系統を個別に調べていけば、その総体が日本人の起源、ということになります。こう書くと、それぞれのハプログループの歴史がわかっても、そもそも自分自身の持っているハプログループがわからないと、自分の由来はハッキリしないのではないか、と感じられる方もおられるかもしれません。しかし、それは誤解なのです。最初に説明したように母から子供にわたされるミトコンドリアDNAと、父から息子に受け継がれるY染色体の遺伝子を除く大部分のDNAは両親から受け継いでいます。たとえば私の父のミトコンドリアDNAのハプログループはAですが、(これもかつて調べてみました)、これは私に伝わっていません。しかしハプログループAのたどった道も私の由来の一部のはずです。ミトコンドリアDNAのハプログループを婚姻の条件にする人はいないでしょうから、基本的に祖先における婚姻は、ハプログループに関してはランダムに行われていると考えられます。ですから、実際には不可能ですが、仮に自分の祖先を数百人選び出して、それぞれのハプログループを調べて頻度を計算すれば、今の日本人集団が持つハプログループの割合に近いものになると思います。自分自身を構成するDNAは他の日本人とおなじような経路をたどって、自分のなかに結実しているのです。

わかりましたね。
頻度の問題なんですよ。

そして、ミトコンドリアDNAのタイプ、上の引用文中のハプログループは、頻度を比較する指標にすぎないから、たまたま同じハプログループを持っている2人の人間がいたとして、他の人間より血縁や祖先が近いということにはならないのですよ。

同じことはY染色体のタイプでもいえることであって、父親が同じなら同じタイプであるが、あかの他人とたまたま同じタイプであっても、とりわけ血縁が近いということにはならない。

しかし、ミトコンドリアDNAのタイプの違いが、婚姻と無関係というのはほんとうか?いいかえると、性淘汰と無関係なのか?あるいは、自然淘汰と無関係なのか?

ミトコンドリアDNAのハプログループによって系統を調べる方法は、ハプログループが異なっていても自然淘汰、性淘汰のどちらにも無関係であるという前提をもっている。
もし、特定のタイプが生存や生殖に有利なら、そのタイプが広まってしまい、系統を反映する指標にはならないからだ。
しかし、無関係ともいえないことがあるようだ。

p-119

ミトコンドリアは細胞のなかのエネルギー産生装置で、体内で使われるエネルギーのもとになるATP(アデノシン三リン酸)という物質を作っています。ところが、私たちが摂取した食物の持っているエネルギーのうちATPに変換されるのはおおよそ四十%程度で、残りはミトコンドリアのなかで熱に換えられます。つまりミトコンドリアはエネルギーを作るとともに熱も作っているのです。そしてどうもこの変換の比率がハプログループによって異なっているようなのです。北方に進出したハプログループは、熱に変換する割合が大きく、一方南のグループは熱を作る能力が低いので、結果的にこらが両者の分布域の違いになって表われていると考えているのです。

ということもあるのだ。

わたしは、DNAによる系統研究は、まったく生存や生殖に無関係、つまりタンパク質生成に関与しない無意味な鎖の部分で調べるのだと思っていた。しかしミトコンドリアDNA解析の場合、DNA全体を使うのだそうだ。(という基本的なことも、しっかりわかりやすく説明されています)
ミトコンドリアDNAの場合、D-ループと名づけられた無意味部分はひじょうに短く、ほとんどが意味ある遺伝情報を持つ部分=エクソンである。(核のDNAではエクソン部分はわずか1.5%である)

**********

かんじんの中身であるが、日本列島の部分はあんまりおもしろくなかった。
そうか!とひざを打ったのは、

1、アメリカ大陸での移動・拡散の系統は、現在、各説が混戦中。
  とくに、海洋移動説が真剣に論議されている。

2.インド亜大陸は、ユーラシア西タイプの東限であり、東タイプの西限。つまり、東西の分かれ目。わたしには、気候の分かれ目と対応するように見える。

3.サヘル人(オーストラリア先住民とニューギニア高地人)に関しては、アフリカからユーラシア南岸を通って、インドネシアの島伝いに移動したという経路がほぼ確実である。ただし、彼らの移動の道筋は現在海の底なので、考古学・人類学的証拠を見つけるのは困難である。

倉谷うらら,『フジツボ 魅惑の足まねき』,岩波書店,2009

2009-10-18 20:17:24 | 自然・生態・風土
『ハダカデバネズミ』などのヒットがある「岩波科学ライブラリー」生きものシリーズの一冊。編集者も『ハダカデバネズミ』と同じ方。

これはすごい、と読了してウェブをみたら、一般紙・書評系・学術系で大絶賛ではないか。

これはまず、装丁・イラスト・写真、それにパラパラまんがやペーパークラフトという付録の強烈さに、読者が驚いたためだと思われる。わたしも驚いた。自然科学系の本は、ユーモアがあって読者サービス豊富なものが多いが、ここまでグラフィックと文体がくだけているのは珍しい。
でもわたしが一番最初に驚いたのが、著者「倉谷うらら」という著者名である。本名である。
最後に驚いたのが、著者近影。岩波書店のサイトでも見られる。これほど「美人」という形容がふさわしい人はめったにいません。自然科学系にしては美人とか、著述業にしては美人というのではなく、ほんとにモデル以上の美人である。みんな、この著者近影を見て絶賛しているのでは?と考えるのはうがち過ぎか。

えーと、内容に関しては、読めばいいので簡単に。

進化論、環境問題、グルメ料理、本草画、博物学など話題がぎっしり。
フジツボが岩や生物体、船底に付着するセメント物質が最先端技術として研究されているとのこと。これまでは、いかにフジツボを取り除くか、付着を防ぐかという方面の研究だったが、最近は、生体内(人体)で、免疫反応が起きない強力な接着剤として実用化できないか開発中であるそうだ。あと、筋肉組織が大きいので、筋肉機能研究の試料としても注目されているんだそうだ。

吉田よし子,『マメな豆の話』,平凡社新書,2000

2008-12-29 20:04:35 | 自然・生態・風土
香辛料や野菜、くだものの本もあり、知っている人は知っているでしょうが、前項に関連してとりあげる。(ニューギニアは、タンパク源としての豆を欠落した地域なんですね。)
人類の大部分は、少なくとも50年前までは、必要なタンパク質を豆類から摂取している。その豆食の多様性を知る本。
内容が濃く、多肢にわたるので、こまかい内容にはふれないが、本書は東南アジアを見るための重要なヒントとスキルを与えてくれる。

まず、第一に、日本は圧倒的に東アジアのシナ文化圏の影響力にある。だから、豆食もダイズが圧倒的に多い。ダイズ一種に偏りすぎともいえる。本書で世界の多様性を知るべし。

それから、いまどき納豆を日本固有のものだと思っている人はいないだろうが、ダイズ加工品についても日本にないものがいっぱいある。日本はダイズ加工食品に特化しているため、ついつい日本こそ一番のダイズ食文化圏と思いがちだが、それは狭い見方である。日本は油脂を使わない調理に特化したため、特有の発達もあるが、それ以上に多様な豆食文化が世界にある。

統計資料と現実の差の見方。
ダイズの統計は、豆類としてではなく、油脂作物として扱われている、という例が示すように、統計資料と現実の食生活を比べて判断する必要がる、ということ。
栄養調査、栄養成分表などもおもしろい読み物であるが、現実の食生活とどう関連しているか、読み込みのスキルが必要である。(厚生省発表の栄養成分表に関しては、わたしも言いたいことがいっぱいあるが、今、くわしく論じる暇がない。)

さらに、中尾佐助の〈納豆の大三角形(トライアングル)〉説のように、間違った理論もあるということ。くわしい説明は本書を読んでくれ。別に中尾佐助にケチをつけるわけではないが、何十年も前の理論を後生大事に抱え込まないように。
それから、中尾説と同列に扱うのはちょっとおかしいが、有名な朝日百科『世界の食べもの』全140冊のフランス関係項目にエンドウマメ料理がまったく記述されていない、という指摘がある。FAOの統計では、フランスは世界一のエンドウ産国であるにもかかわらず、である。こういう具合に料理や食物の本には、無意識の欠落があるってこと。

と硬い文句を並べたが、内容は著者自身の見聞と研究をもとに、おもしろい話がいっぱい。

東アジア・東南アジアのダイズ圏
南アジアの豆食
新大陸産の豆
野菜と果実としての豆

という章分けになっている。
東南アジアを旅行しようとする人におすすめ。トロピカル・フルーツやシー・フードに比べ耳目をひきにくいが、本書で紹介されたマメと豆料理には必ずいくつか遭遇するはずだ。
遭遇しても、まったく気づかずに通りすぎてしまったり、知らずに食べてしまっちゃ惜しいじゃないか。

著者は1966年からフィリピンの国際稲作研究所(IRRI)に勤務し、その後、全世界を歩いている。
全世界を扱った書物というのは、しばしば東南アジアが抜けているが(と、他の記事でも書いたっけ)、本書は東南アジアの事例が豊富で、東アジア・南アジア・新大陸の産物と文化が混合しているってことがよーくわかる。
栄養学、植物学、作物栽培の観点からの記述も豊富である。

佐藤洋一郎,『イネの歴史』,京都大学学術出版会,2008

2008-12-03 18:37:04 | 自然・生態・風土
このテーマの本は次から次へとでてきて、もう止めようと思うのだが、もう一冊。
これは、簡潔でわかりやすいし、いちおう最前線の成果を収めていると思っていいだろう。
学術選書というシリーズだが中学生でも読める内容。

ポイントは、
長江中流域がイネの原産地であるということ。これはもう、動かないだろう。
それからジャポニカのずっと後にインディカが進化した(インディカが分岐した)ということ。
それから、野生イネは多年草であり、栽培種でも多年草という遺伝的形質を保持しているという話。
詳しいことは各自読んでくれ。

p180に(わたしが知らなかった)重要な指摘がある。

日本列島における稲作の画期は二つあったと私は考える。ひとつは先にもちょっと書いた中世から近世への転換点でおきたこと、もう一つは縄文時代の最晩期か弥生時代に渡来したであろう水田稲作という技術の渡来である。このうちどちらが大きいかといわれれば、前者(中世から近世への転換)のほうが大きいように思う。というよりも、水田稲作の渡来という歴史上の大事件の意味について、今までそれはあまりに過大に解釈されてきたのではないかと思われる。

あー、そうだったのか。
現在のような、苗代で育て、畦を修繕した田に、田植えをして、秋になったら稲刈りをする、というタイプの稲作は、日本列島と朝鮮半島、中国のごくごく一部だけである。
それ以外の焼畑、天水田、浮稲、散播、冬作、などなど、ユーラシア各地にはさまざまなイネ栽培がある。
縄文晩期か弥生時代に渡来したイネ栽培も、江戸時代の開発とはまったく異なるものであり、弥生時代以後も、稲作に特化するのではなく、狩猟・採取、雑穀栽培、休耕、などを組み合わせた生業が営まれてきたのである。

具体的な例は、本書で著者が語っている。
ノンタブリ、タ・プローム、マハカム川、メコンデルタのオモン、バンコク近郊、サラブリ、パレンバン、ルアンプラバン、シッキム、ブータン、あらゆるところに行っている人だ。(バングラデシュでは調査してないそうだ。)

高谷好一や桜井由躬雄の本を読んでいれば、たいがい親しみやすい地域、わかりきった内容であるが、入門的な本としておすすめ。
米作りが日本の伝統だとか、タイ米が不味いとか、集約的灌漑農耕のほうが天水農耕より単位面積あたりの収穫量が大きいとか、焼畑が環境破壊の原因だとか、そんな無知な固定観念を打ち破る内容である。まあ、そんな固定観念に染まっている人が読むとはおもえないが。

本川達雄,『サンゴとサンゴ礁のはなし』,中公新書,2008

2008-07-27 20:30:30 | 自然・生態・風土
『ゾウの時間ネズミの時間』の著者による、とってもわかりやすいサンゴとサンゴ礁の入門書。
実にわかりやすく書いてくれる人ですね。
メインとなるサンゴ(刺胞動物門・花虫綱・六放サンゴ亜綱・イシサンゴ目)と褐虫藻(渦鞭毛藻の仲間)の共生については本文をよくよんで勉強するように。

以下、蛇足。

世界の海域で、サンゴの種の多様性が最大なのは、北のフィリピンを頂点として、スマトラ南東端とソロモン諸島の南東端あたりを底辺とする三角形である。
つまり、ウォーレシアからニューギニアの海域。(p96)

熱帯林と同じく、サンゴ礁もこの地域が世界最高の種の多様性を誇る。
なぜかというと、地形の要因のほかに、氷河期で種の減少がおきず、多様性が保たれたとわけだそうだ。つまり、熱帯雨林の多様性と同じ要因である。

しかも、熱帯林の土壌が貧栄養であるのと同じく(原因は異なるよ!)、熱帯の海も貧栄養であって、あやういバランスの上に保たれている(いた)のがサンゴ礁という環境であった、というわけだ。
貧栄養の環境が過剰栄養になると、オニヒトデの発生など、バランスがくずれるというわけである。

まったく東南アジアというのは、なんでこう生物の多様性が大きいのか!
それは、(本書の内容とはちょっと離れるが)地殻プレートの動きが要因である。
つまりだ、南側からインド・オーストラリア・プレートが押し寄せているわけだが、
1.大陸プレートと大陸プレートの衝突。これがチベット。
2.海洋プレートが大陸プレートに潜りこむ。これがインド洋側のスマトラやジャワ、小スンダ列島である。東側から太平洋プレートが潜りこむフィリピンや日本列島も同じ。
3.海洋プレートを大陸プレートが掻き分けて押し寄せる。これがニューギニア。

以上三つのタイプのプレートの衝突により、多様な地形が生じる。しかも熱帯の地域であり、旧大陸とオーストラリアという動物相・植物相が異なるプレートが衝突しようとしている。
そのため、山地でも低地でも海域でも種の多様性が最大になった、というわけだ。

*****

それで、この地で進化学を考えたのがダーウィンである。
え?ウォーレスじゃないかって?いや、種の分化や自然淘汰を思いついたのはウォーレスだが、その基盤となる地質学的な長い時間と生物の関係を考えたのがダーウィンだ。

本書に紹介されているサンゴ礁の形成に関する推論は、ダーウィンの最初の業績であり、現在も通用する理論である。
ただし、ダーウィン自身の文章はひじょうにわかりにくいので、本書のような簡潔な解説で理解しましょう。(ダーウィンって人は、理論的な文章になると、頭が痛くなるほど難渋なんだよな。)

で、さらに蛇足だが、
ガラパゴス諸島の〈進化論の島〉というキャッチフレーズについては、わたしは常々苦々しく思っている。
本書で述べられているように、進化学の土台は、サンゴ礁の形成論なのである。そして、それはキーリング諸島(ココス島)のサンゴ礁観察から得られたものである。
さらにこのダーウィンの方法論から出発し、ウォーレスが進化理論を考えたのはサラワクやテルナテである。
〈進化論の島〉というなら、ココス島とテルナテ島がふさわしいではないか。

*****

都城秋穂の訃報あり。
ウェーゲナーの翻訳しか知らないが。散歩中に死亡(?)とは元気な人だったんですね。

山本紀夫 文・写真,「じゃがいものふるさと」,2008

2008-04-28 18:38:46 | 自然・生態・風土
『たくさんのふしぎ』2008年2月号(第275号)所収,福音館書店。

すべて著者自身の写真で、アンデス高原のジャガイモ栽培とチューニョ作りを紹介したもの。
いつもながら、『たくさんのふしぎ』の写真はすばらしい!
日本・ヨーロッパ・エチオピア高原・ヒマラヤ山麓の写真も2ページづつ載っているので、次回作ではこれらの地域の歴史も語ってくれるだろう。

塚谷裕一,『秘境ガネッシュヒマールの植物』,研成社,1996

2008-02-03 21:28:18 | 自然・生態・風土
自然科学系の野外調査のようすを描いた見本のような本。
著者は最近まるごと一冊ドリアンの本を書いたように一般向けの著作も多い方であるが、専門の植物の発生遺伝学の分野では重鎮であるようだ。

本書は、日記風に綴られた研究旅行の記録。
平成六年度文部省国際学術研究学術調査「ヒマラヤ高山帯植物相の起源と形成過程についての比較研究」の一環。
1994年7月から8月、カトマンズの北西、ドウンチェ出発ガネッシュヒマール峰のふもとをめぐってベトラワティまで反時計回りのトレッキング・コース。

あっと、雨季、モンスーン季の調査だ。ここが普通の登山やトレッキングと異なる点で、オフ・シーズンなのだ。

トレッキング・コースというのは頂上制覇をめざさず、山のふもとをまわるコースだが、そこはヒマラヤ山系、最高度4400m以上まで登る。
ポーターを50人以上やとい、隊員五名にそれぞれ選任のシェルパが補佐する。
つまり、ポーターの管理、テント設営、食事などすべてまかせ、隊員は植物採集と標本作成に専念できる体制である。

ここが遊びやサミット・アタックと異なる点である。
ネパールとなると、登山隊や研究調査隊へのポーターやシェルパの仕事は一大産業であり、伝統職人技であるので、あらゆる点でサポートがいきどどく。ここいらへんは、インドネシアやミャンマーとは大違いだし、中華人民共和国となるとさらに別種のトラブルがあるし、インドはもっとやっかい、であるようだ。

逆にいえば、こうした職人技や組織体制がないと、外国からの研究調査がはいっても短期間で成果をあげるのは不可能である。

とうぜんながら植物の話題が多い。
アラビドプシス・ヒマライカという植物の採集が第一の目標。
セーター植物と呼ばれる、花のまわりを毛でくるむ形に進化した植物があるのだが、(実際本書の中にも写真あり)、その遺伝機構が目下のところまったくわからない。「寒さに耐えて子孫を残すべく」花を毛でおおうように進化した、というのも仮説にすぎない。
その研究の基礎のための標本採集である。

調査地域は人口が増え、放牧地がひろがっていく地域である。上記アラビドプシスも家畜の食害により繁殖地が減少しつつある。
そのほかメコノプシス・パニクラータというおもしろい名(といっちゃだめか)のケシ科植物など、マニア垂涎の花々がいっぱい紹介されている。

上赤博文,『ちょっと待ってケナフ!これでいいのかビオトープ?』,地人書館,

2008-01-21 21:53:03 | 自然・生態・風土

センター試験(2008年1月19日)地理Bの問題といてみる。
なかに、不愉快な問題(第3問の問6)があったので、過去の下書きをアップする。
ちなみに、わたしの結果は自己採点では、89点だった。(なんとマダガスカルの季節風をまちがえた、とほほ)

同じく世界史Bもやってみたが、こっちは、64点。さっぱりわからん問題が多い。あてずっぽうで解いた問題もあるので、実力は50点くらいってことか。13世紀以前に関した設問は皆目わからない。

こんな問題がわかるなんて、学力低下といわれながら、今の高校生はしっかりしているもんだ。われわれの世代とは段違いにむずかしいことを勉強しているのだな。

英語は192点。すなおな問題が多い。

*****
ケナフなんて東北タイの輸出用農産物に興味がある人しかしらない、と思っていたのだが、日本全国でしられているのだ。それも学校教育を通じて。

地道な研究を続けている著者がていねいに書いた本である。
正直いって、こんな本が、一般の本好きな読者の目にふれる機会はほとんどないのでは?わたし自身も偶然発見。

一方、本書の参考文献にあげられているように、インチキ・ジャーナリストや御用学者のかいた本が、三流出版社からごろごろ出されている。
それらのクズ本や教師用指導手引きにあふれているのが、「環境にやさしい」「自然にしたしむ」といううたい文句である。

ああ、無力感に脱力する。(脱力しててはいかんのだが。)
念のために書いておきますが、すでにわたしのブログのほかの記事を読んでいるかたには、よけいなお世話でしょうが、ケナフやビオトープが環境にやさしい、とか、こどもたちに生態の多様性を理解させるのにやくだつ、ということは、まったくウソで、逆に生態を破壊し、生物多様性を減少させているのである。

著者は生物学的基礎や観察のしかたを説明し、まちがった指導法とやさしい報道の欠陥を、ていねいに説いている。頭がさがる。感情的に反対したり、罵倒していてもしょうがない。
しかし、やはり、本書の主張する内容は、とどくべき人たちには、とどかない、という無力感も残る。ウェブをみると、ひとの話をきかないひとたちが、ケナフ普及に猛進・妄信しているようだ。

横塚眞己人 文・写真,「西表島のマングローブ」,2007

2007-12-29 20:08:13 | 自然・生態・風土

『月刊たくさんのふしぎ』2007年7月号(第268号)

これはいい!
マングローブについては、学術的専門的書籍から〈地球にやさしい〉とかなんだらかんだらほざいた気色悪いインチキ本までいっぱいあるが、まず、これを見よ!

西表島はマングローブ帯として北限に近く、つまり東南アジアのような核心域ではないわけだが、著者のカメラと文章でマングローブ世界の入口となっている。

ほんとにいい写真だ。水中写真からマングローブ帯の動物、胎生種子がぷかぷか流れるところなど、うっとりする。

著者(よこづか・まこと)は西表島に10年間住んでいたいた方、タイやマレーシアも歩いているようです。
環境保護がどうのこうのという言明を避けて、まずセンス・オブ・ワンダーという姿勢の「月刊たくさんのふしぎ」福音館書店、定価700円、40ページ。