東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

吉川公雄,『サバ紀行』,中公新書,1979

2012-07-07 18:59:26 | 旅行記100冊レヴュー(予定)

大阪市立大学東南アジア学術調査隊の第一次で梅棹忠夫・石井米雄といっしょにカンボジア・ベトナム・ラオスを調査した人である。専門は昆虫学、医学博士でもある。

その大阪市立大学東南アジア学術調査隊の第三次、第四次の記録が本書。発行は1979年であるが、調査は

第三次が1964~65

第四次が1966~67

書名が誤解をまねくが、マレーシア半島部、サバ、サラワク、ブルネイも含めた記録である。

第三次調査隊はカンボジアをめざしたが、南ベトナムとカンボジアの国境紛争で調査は許可がおりず、マレーシアへ転進することになる。その過程とマレーシアでの予備調査が本書の前半である。

1964年、65年というのはすごい時代であった。64年トンキン湾事件、65年アメリカ直接介入となるのだが、カンボジア(シハヌーク王の王国である)は北ベトナムを支持、それが南ベトナムとの紛争となる。一方、インドネシアとマレーシアの関係が悪化、一時国交断絶となる。その後、65年にはインドネシア九月三十日事件、シンガポール分離独立、という時代である。

そういう時代のマレーシアであるから、数名の商社マン以外日本人はおらず、ほとんどまったく情報がない時代である。著者を含めた研究者は英語の学術書が頼りであるが、その入手もむずかしい時代なのである。写真もなし地図もなし、もちろん映像やカラー写真などない。旅行記は戦中の堺誠一郎、里村欣三のものぐらい。もちろんまだ文庫化されていない。五里霧中の状態で、たまたま入国可能になったマレーシアで予備調査するのが第三次の記録である。

とっても親切(おせっかいな?)マレーシア人に案内されて動きまわり、人脈が不思議なほどつながる。ちなみに、ブミプトラ政策などまだない時代であって、インド系もマレー系も華人もみんな親切で日本人を歓迎する。みんな西洋化されている。西洋化されていない著者たちは四苦八苦。

後半は書名どおり第四次のサバ調査で、キナバル山登山、ラナウ高原地区、セピロック保護地区、サンダカン、内陸行政区(ケニンガウを中心とする)。キナバタンガン川流域調査は涙をのんで断念。

書かれている内容自体は、今現在読むと、あまりにもあたりまえのことが多いように感じるが、当時はまったく情報がない地域なのである。当時の調査研究を知るため、マレーシアの状況を知るために一読の価値あり。