ウォーレスの旅行記には、人種にかんする考えが頻繁に登場する。
マレー人やメラネシア人(ウォーレスはパプア人といっているが、この「パプア人」という語は現在では、ニューギニア高地にすむ人々をすめす)の生活を偏見なく観察し、オランダ人・ブギス人・チャイニーズ・ポルトガル系の子孫・ジャワやバリの人々の活動も偏見なくみていたウォーレスであるが、一方、人種という概念を固く信じ、各人種の間に明瞭な差があることを実証しようとする。
遺伝学が成立していない時代であり、考古学による人類の移動もまだわかっていない時代であったから、白人と白人以外の差は当然であり、さらに白人以外の人種にも明確な差があると考えられていた。
悪名高い人種差別が「科学的」に実証されようとしていたのが、この時代なのだ。
ここでちょっと本書の記述からはなれ、人種について軽くレクチャーする。
最初に新大陸やインド、東アジアを見たヨーロッパ人たちには、まだ、人種差別の概念はない。
彼らにとって重要なのは、キリスト教徒であるかイスラム教徒であるか、それともどっとでもない野蛮人であるかだった。
それが時代を経るにしたがって、まず、インディオの差別、アフリカ人の差別が生じてくる。
この場合のインディオというのは、新大陸に住む人々のことであるが、さらに、東アジアやインドに住む(もともとのインディアンだ)人々にも適用される。フィリピン諸島の人々や日本列島の人々もインディオである。
最初、キリスト教徒かイスラム教徒か野蛮人かでわけられていたのが、肌の色や容姿で分けられるようになる。
さらに南北アメリカ・アフリカ・アジアへと見聞を広めるにしたがい、どんどん「人種」の数がふえていった。
19世紀になると、ただ単に野蛮人だ未開人だと差別するのではなく、それぞれの人種において能力や感情が先天的に異なるものと考えられ、それを科学的に実証しようという試みがはじまったわけだ。
悪名高い頭蓋骨の寸法を測ってアタマの大きさを比べ、アタマが大きいのが進歩した人種だというのが、ウォーレスの時代の流行である。
『マレー諸島』巻末にも、マレー人の頭蓋骨計測データがおおまじめで記載されている。
どうして、ウォーレスのように、偏見なくいろんな地域の人々とつきあえる人が、こんなとんでもないことに興味をもつのかと、ふしぎに思う読者もいるだろう。
しかし、こうした矛盾こそ、この『マレー諸島』を読むおもしろさだ。
ウォーレスは昆虫採集人といて、チョウや甲虫の美しさに感動し、それぞれの種の形態を見る目をもっている。
その一方で、昆虫や鳥、そして動物の分布に、なにか法則があるのではないかと、考える。
その結果かんがえだされたのが、ウォーレス線であるが、世界を区分したい、法則をみつけたい、というのは、当時の博物学者の共通の願望だったのだろう。
その結果、「博物学」という古い形態はなくなり、「科学」になるわけであるが、ウォーレスとダーウィンはちょうどその境目の人たちであったわけだ。
ウォーレスは、太平洋に沈んだ大陸(ムー大陸説の元祖)や南アメリカ・オーストラリア・アフリカをむすぶ陸橋(レムリア大陸説の元祖)にも興味を示していた。
今から考えるとばかみたいだが、大陸移動説も同様にばかみたいと思われていたのだ。
さらに、進化論もダーウィンやウォーレス以前にいろんな説がでていたのだが、それらも今日の目からみるとトンデモ理論が多い。
そうした中で、なぜか人種理論は執拗に提唱され、支持されてきた。
これは、つまり、科学をリードしたイングランドや北米、西ヨーロッパにおいて、人種を区別したいという執拗な要求があったためだろう。
現在では、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人)、ネグロイド(黒人)という区別さえ形質的に(DNAからみて)意味ないもの、有意な差がないものとされている。
ちょっと前まで、遠くはなれた遺伝形質だと思われていたニューギニア高地の人々(パプア人)とマレーや東アジアの人々も、それほど遠く離れていないようだ。
また、アフリカ人といっしょくたにされていた黒人も、かなり遺伝的にばらつきがあることが知られている。
とはいうものの、文化的、歴史的な文脈では、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドという言い方は便利だし、わたしも使います。
チャイニーズ、インド人、ヨーロッパ人、アラブ人という言い方も便利だから使います。
やっぱり、ある程度大雑把ないいかたが必要なんだなあ。
なお、アメリカ合衆国の人口調査における、ヨーロッパ系・アフリカ系・アジア系・アメリカンネイティヴ・パシフィック アイランダーズという区分は独特なものである。
American Census Bureau のサイトに膨大だデータがあって探しにくいが、
www.census.gov/Press-Release/www/2001/raceqandas.html
が簡単な(それでも長い)アンサー集。
調査質問票の原文もadobeファイルで読めるはずだ。
ありゃりゃ、『マレー諸島』の話がおもいっきり脱線してしまった。
マレー人やメラネシア人(ウォーレスはパプア人といっているが、この「パプア人」という語は現在では、ニューギニア高地にすむ人々をすめす)の生活を偏見なく観察し、オランダ人・ブギス人・チャイニーズ・ポルトガル系の子孫・ジャワやバリの人々の活動も偏見なくみていたウォーレスであるが、一方、人種という概念を固く信じ、各人種の間に明瞭な差があることを実証しようとする。
遺伝学が成立していない時代であり、考古学による人類の移動もまだわかっていない時代であったから、白人と白人以外の差は当然であり、さらに白人以外の人種にも明確な差があると考えられていた。
悪名高い人種差別が「科学的」に実証されようとしていたのが、この時代なのだ。
ここでちょっと本書の記述からはなれ、人種について軽くレクチャーする。
最初に新大陸やインド、東アジアを見たヨーロッパ人たちには、まだ、人種差別の概念はない。
彼らにとって重要なのは、キリスト教徒であるかイスラム教徒であるか、それともどっとでもない野蛮人であるかだった。
それが時代を経るにしたがって、まず、インディオの差別、アフリカ人の差別が生じてくる。
この場合のインディオというのは、新大陸に住む人々のことであるが、さらに、東アジアやインドに住む(もともとのインディアンだ)人々にも適用される。フィリピン諸島の人々や日本列島の人々もインディオである。
最初、キリスト教徒かイスラム教徒か野蛮人かでわけられていたのが、肌の色や容姿で分けられるようになる。
さらに南北アメリカ・アフリカ・アジアへと見聞を広めるにしたがい、どんどん「人種」の数がふえていった。
19世紀になると、ただ単に野蛮人だ未開人だと差別するのではなく、それぞれの人種において能力や感情が先天的に異なるものと考えられ、それを科学的に実証しようという試みがはじまったわけだ。
悪名高い頭蓋骨の寸法を測ってアタマの大きさを比べ、アタマが大きいのが進歩した人種だというのが、ウォーレスの時代の流行である。
『マレー諸島』巻末にも、マレー人の頭蓋骨計測データがおおまじめで記載されている。
どうして、ウォーレスのように、偏見なくいろんな地域の人々とつきあえる人が、こんなとんでもないことに興味をもつのかと、ふしぎに思う読者もいるだろう。
しかし、こうした矛盾こそ、この『マレー諸島』を読むおもしろさだ。
ウォーレスは昆虫採集人といて、チョウや甲虫の美しさに感動し、それぞれの種の形態を見る目をもっている。
その一方で、昆虫や鳥、そして動物の分布に、なにか法則があるのではないかと、考える。
その結果かんがえだされたのが、ウォーレス線であるが、世界を区分したい、法則をみつけたい、というのは、当時の博物学者の共通の願望だったのだろう。
その結果、「博物学」という古い形態はなくなり、「科学」になるわけであるが、ウォーレスとダーウィンはちょうどその境目の人たちであったわけだ。
ウォーレスは、太平洋に沈んだ大陸(ムー大陸説の元祖)や南アメリカ・オーストラリア・アフリカをむすぶ陸橋(レムリア大陸説の元祖)にも興味を示していた。
今から考えるとばかみたいだが、大陸移動説も同様にばかみたいと思われていたのだ。
さらに、進化論もダーウィンやウォーレス以前にいろんな説がでていたのだが、それらも今日の目からみるとトンデモ理論が多い。
そうした中で、なぜか人種理論は執拗に提唱され、支持されてきた。
これは、つまり、科学をリードしたイングランドや北米、西ヨーロッパにおいて、人種を区別したいという執拗な要求があったためだろう。
現在では、コーカソイド(白人)、モンゴロイド(黄色人)、ネグロイド(黒人)という区別さえ形質的に(DNAからみて)意味ないもの、有意な差がないものとされている。
ちょっと前まで、遠くはなれた遺伝形質だと思われていたニューギニア高地の人々(パプア人)とマレーや東アジアの人々も、それほど遠く離れていないようだ。
また、アフリカ人といっしょくたにされていた黒人も、かなり遺伝的にばらつきがあることが知られている。
とはいうものの、文化的、歴史的な文脈では、コーカソイド、モンゴロイド、ネグロイドという言い方は便利だし、わたしも使います。
チャイニーズ、インド人、ヨーロッパ人、アラブ人という言い方も便利だから使います。
やっぱり、ある程度大雑把ないいかたが必要なんだなあ。
なお、アメリカ合衆国の人口調査における、ヨーロッパ系・アフリカ系・アジア系・アメリカンネイティヴ・パシフィック アイランダーズという区分は独特なものである。
American Census Bureau のサイトに膨大だデータがあって探しにくいが、
www.census.gov/Press-Release/www/2001/raceqandas.html
が簡単な(それでも長い)アンサー集。
調査質問票の原文もadobeファイルで読めるはずだ。
ありゃりゃ、『マレー諸島』の話がおもいっきり脱線してしまった。