著者の本領を発揮した力作で書き下ろし。じっくり読んだ。じっくり読みすぎて、終わりのほうになったら最初のほうを忘れるくらいであったのだが……(『ライラの冒険』と平行して読んだし)
『伊勢神宮 魅惑の日本建築』というタイトルはウソである。井上章一さんが「魅惑の日本建築」などを語るわけがない。いつもどおりの学会の馴れ合いあばきであり、学説の虚構が生まれる過程を追及したもの。
こまかい話は省いて、最後の部分、考古学と建築学の共犯的な遺跡復元について。
本書を読む以前から、わたしは、ちゃーんと疑問を持っていたことがある。信じてくれ。
疑問を感じていたものの、きっと、なにか確固とした史料か専門的な裏づけがあって、学会や学術誌で発表されているんだろう……と思っていた。調べるのがめんどくさいし、日本の考古学の本はあんまり読む気もないし……。
わたしの疑問はなにかというと、弥生時代の遺跡で発掘された建造物遺構をもとに、その時代の建物が復元される事業、というかイヴェントがたくさんあるでしょう。その復元であるが、なぜ、壁や床や屋根があることがわかるのか?
柱のようなものが立っていたことは、その掘立の跡から推測できるかもしれない。しかし、屋根や床や壁のある建物であることや、ましてやその形や構造がどうしてわかるのか?
結論からいうと……(p471)
根拠なし!
なんだ、そうだったのか。はやく言ってくれよ。
本書はそれをはやく言わずに、18世紀から江戸時代末期、明治、20世紀前半、中期、後半と時代を追って、じっくりじっくり、しつこく検証していく。
著者独特のしつこい繰り返しを嫌う読者もいるだろうが、わたしはファンなのでこの文体が好きである。
本書の最後は、大阪府の和泉市・泉大津市にまたがる池上曾根遺跡(いけがみそねいせき)の復元について。
建築史の宮本長二郎(みやもと・ながじろう)、浅川滋男(あさかわ・しげお)が異なった復元案を立てる。
宮本長二郎は、伊勢神宮の社殿をおもわせる神明造(しんめいづくり)をヒントにした復元案。
一方、宮本案が工法上の難点があること、宮本が奈良文化財研究所から移転したことにより、後輩格の浅川が新しい案を出す。
浅川案は、インドネシアやオセアニアの住居建築をヒントに南方的な復元プランとした。
それに対し、奈良文化財研究所の金関恕(かなせき・ひろし)がイチャモンともいえるような異論を出したことなど、細かい経緯も述べられている。(ちっとも雲南風じゃないのに、浅川案を雲南の民家風などと言って……。オセアニアも雲南も南方とひとくくりするのかいな!?)
さらに、どんでん返しの話もあるのだが(笑った!)未読の方のために書かない。
ようするに、考古学者は遺跡復元を建築家の領分として責任のがれをする。そうしておきながら、建築家の自由な創作をいつのまにか、既成の事実にすりかえてしまう。
一方で、建築家は考古学や民族学の成果を参考にするものの、つまみぐい的な応用であって、学問的に根拠があるものではない。
本書は、伊勢神宮の神明造がどう捉えられてきたか、建築史学や民族学がどう論じてきたかを通観したものである。その中で、著者がかなり強い筆致で非難するのが建築学会のなれあいである。
しかし、わたしはむしろ考古学の方面のなれあいというか、事実無視というか、そっちのほうが気になる。
*********
どこの学問世界にも派閥や閉鎖的な要素がある。それはある程度しょうがない。しかし、日本国内の考古学はちょっとおかしいと思わざるをえないことが多すぎるのではないか。
この日本考古学トンデモの理由は、本書では論じられていないが、容易に見当がつく。ようするに、国や地方自治体のカネが大きく動くからだ。
地味に文献を跋渉したりフィールドを歩くよりも、穴を掘ってなんか宝物に当たれば、メディアも騒ぐし予算もつくのだ。さらに、テーマパークや学習館を建てるプランは、関連企業が大喜びするだろう。
こうした考古学学界・業界の暴走に対し、まじめな学者は、君子危うきに近よらず、のスタンスだと思う。
それゆえ、本書の著者・井上章一さんの蛮勇(?)には敬意を表すものである。
建築史家のなかでは例外的に、岡田精司(おかだ・せいじ)という方が、弥生の神殿説に異議をとなえているそうだ。
「神殿」論者たちは、これだけ大きなものは、「神殿」以外に考えられないと公言し、また若い研究者のうちからも同様の声があがっている。しかし、万葉にも記紀にも、明確に社殿(本殿)と思われる記述はない。だから、律令国家の神祇制がととのう以前に神社の社殿はありえない。
このように冷静に論じている。
**********
なお、本書全体の構成では、最終部分の遺跡復元の前に、第4章第5章で、戦前・戦後の海外調査と日本古代建築論の関係が論じられる。
つまり、本書の三分の一ほどは、東南アジアやオセアニアの民族調査と神社建築論の関係である。なので、鳥居龍蔵など海外、おっと「海外」ではあるが必ずしも「外国」ではないな、その海外調査などに興味がある方にはおすすめ。
あと、本書の中で論じられる人物のなかで鳥越憲三郎という人物がいるが、この人、まじめな学会からは完全に無視されているようですが、やはりトンデモ系なんでしょうか。あるいは、沖縄や「おもろそうし」関係の研究に、なにかヤバイところがあったのだろうか?自分で調べればよいのだが、どうも、よくわからん。
『伊勢神宮 魅惑の日本建築』というタイトルはウソである。井上章一さんが「魅惑の日本建築」などを語るわけがない。いつもどおりの学会の馴れ合いあばきであり、学説の虚構が生まれる過程を追及したもの。
こまかい話は省いて、最後の部分、考古学と建築学の共犯的な遺跡復元について。
本書を読む以前から、わたしは、ちゃーんと疑問を持っていたことがある。信じてくれ。
疑問を感じていたものの、きっと、なにか確固とした史料か専門的な裏づけがあって、学会や学術誌で発表されているんだろう……と思っていた。調べるのがめんどくさいし、日本の考古学の本はあんまり読む気もないし……。
わたしの疑問はなにかというと、弥生時代の遺跡で発掘された建造物遺構をもとに、その時代の建物が復元される事業、というかイヴェントがたくさんあるでしょう。その復元であるが、なぜ、壁や床や屋根があることがわかるのか?
柱のようなものが立っていたことは、その掘立の跡から推測できるかもしれない。しかし、屋根や床や壁のある建物であることや、ましてやその形や構造がどうしてわかるのか?
結論からいうと……(p471)
根拠なし!
なんだ、そうだったのか。はやく言ってくれよ。
本書はそれをはやく言わずに、18世紀から江戸時代末期、明治、20世紀前半、中期、後半と時代を追って、じっくりじっくり、しつこく検証していく。
著者独特のしつこい繰り返しを嫌う読者もいるだろうが、わたしはファンなのでこの文体が好きである。
本書の最後は、大阪府の和泉市・泉大津市にまたがる池上曾根遺跡(いけがみそねいせき)の復元について。
建築史の宮本長二郎(みやもと・ながじろう)、浅川滋男(あさかわ・しげお)が異なった復元案を立てる。
宮本長二郎は、伊勢神宮の社殿をおもわせる神明造(しんめいづくり)をヒントにした復元案。
一方、宮本案が工法上の難点があること、宮本が奈良文化財研究所から移転したことにより、後輩格の浅川が新しい案を出す。
浅川案は、インドネシアやオセアニアの住居建築をヒントに南方的な復元プランとした。
それに対し、奈良文化財研究所の金関恕(かなせき・ひろし)がイチャモンともいえるような異論を出したことなど、細かい経緯も述べられている。(ちっとも雲南風じゃないのに、浅川案を雲南の民家風などと言って……。オセアニアも雲南も南方とひとくくりするのかいな!?)
さらに、どんでん返しの話もあるのだが(笑った!)未読の方のために書かない。
ようするに、考古学者は遺跡復元を建築家の領分として責任のがれをする。そうしておきながら、建築家の自由な創作をいつのまにか、既成の事実にすりかえてしまう。
一方で、建築家は考古学や民族学の成果を参考にするものの、つまみぐい的な応用であって、学問的に根拠があるものではない。
本書は、伊勢神宮の神明造がどう捉えられてきたか、建築史学や民族学がどう論じてきたかを通観したものである。その中で、著者がかなり強い筆致で非難するのが建築学会のなれあいである。
しかし、わたしはむしろ考古学の方面のなれあいというか、事実無視というか、そっちのほうが気になる。
*********
どこの学問世界にも派閥や閉鎖的な要素がある。それはある程度しょうがない。しかし、日本国内の考古学はちょっとおかしいと思わざるをえないことが多すぎるのではないか。
この日本考古学トンデモの理由は、本書では論じられていないが、容易に見当がつく。ようするに、国や地方自治体のカネが大きく動くからだ。
地味に文献を跋渉したりフィールドを歩くよりも、穴を掘ってなんか宝物に当たれば、メディアも騒ぐし予算もつくのだ。さらに、テーマパークや学習館を建てるプランは、関連企業が大喜びするだろう。
こうした考古学学界・業界の暴走に対し、まじめな学者は、君子危うきに近よらず、のスタンスだと思う。
それゆえ、本書の著者・井上章一さんの蛮勇(?)には敬意を表すものである。
建築史家のなかでは例外的に、岡田精司(おかだ・せいじ)という方が、弥生の神殿説に異議をとなえているそうだ。
「神殿」論者たちは、これだけ大きなものは、「神殿」以外に考えられないと公言し、また若い研究者のうちからも同様の声があがっている。しかし、万葉にも記紀にも、明確に社殿(本殿)と思われる記述はない。だから、律令国家の神祇制がととのう以前に神社の社殿はありえない。
このように冷静に論じている。
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なお、本書全体の構成では、最終部分の遺跡復元の前に、第4章第5章で、戦前・戦後の海外調査と日本古代建築論の関係が論じられる。
つまり、本書の三分の一ほどは、東南アジアやオセアニアの民族調査と神社建築論の関係である。なので、鳥居龍蔵など海外、おっと「海外」ではあるが必ずしも「外国」ではないな、その海外調査などに興味がある方にはおすすめ。
あと、本書の中で論じられる人物のなかで鳥越憲三郎という人物がいるが、この人、まじめな学会からは完全に無視されているようですが、やはりトンデモ系なんでしょうか。あるいは、沖縄や「おもろそうし」関係の研究に、なにかヤバイところがあったのだろうか?自分で調べればよいのだが、どうも、よくわからん。