東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

石井米雄 ほか編,『岩波講座 東南アジア史 3』,2001

2009-07-31 20:11:46 | 通史はむずかしい
15世紀末から17世紀まで、交易の時代の東南アジア。
〈交易の時代〉というのは、アンソニー・リードが提唱したもので、この時代の東南アジアを港市国家が興隆し東西南北の交易が東南アジアを中心に展開した時代と捉える画期的な史観である。

本巻は、リードの〈交易の時代〉論を踏襲するとともに、リードが見落としたインド洋交易圏と明朝のインパクトを押さえる。
さらにリードが〈東南アジアの貧困の起源〉として描いた17世紀後半以降についても、交易の時代と連続した時代として考察し、ベトナム・ビルマなど大陸部国家の動きも視野に入れる。
つまり、交易の時代を17世紀前半で終わったしまったと捉えず、連続した歴史の中に位置づける。

わたしのブログのリード,『交易の時代』のエントリーは
blog.goo.ne.jp/y-akita-japan/.../19c00ff4151e9e66c7476162ae7ac662

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交易の時代については五つの論文、論文というより概説という体裁である。

家島彦一 イスラーム・ネットワーク
小川博  鄭和の遠征
生田滋  大航海時代(ポルトガルを中心に)
鈴木恒之 オランダ東インド会社
菅谷成子 スペイン領フィリピンの成立

以上、わたし自身はすらすら読めたので、とくにサマリーはしない。(と、思ったが、何個か書いた。)

以上の「交易の時代」に、東南アジアの各領域が固まったことについて、六つの論文。

西尾寛治 「17世紀のムラユ諸国」
石井米雄 「後期アユタヤ」
八尾隆生の論文は2編。
       15世紀のベトナムについて「山の民の平野の民の形成史」
       16-18世紀について「収縮と拡大の交互する時代」
奥平龍二 「ペグーおよびインワ朝からコンバウン朝へ」
加藤久美子 「山地タイ人国家」

ベトナムは前の巻もそうだったがややこしい。
ジャワについては鈴木恒之論文が扱っているが、この巻になってカンボジア平原が消えている。もっとも、カンボジア平原ばかりでなく、メコン・デルタもまだ見えないのであるが。
一方で、従来見過ごされてきた「山地タイ人国家」(シプソンパンナー、ランナー、ランサーン)も射程におさめる。

『[新版]東南アジアを知る事典』,平凡社,2008

2009-07-14 20:19:04 | 実用ガイド・虚用ガイド
昨年の6月に刊行されたものだが、つい最近まで気がつかなかった。
[新版]と謳っているが、どの程度の改訂かわからず、どうせ最近の事情を追加しただけではないかと高をくくっていた。

〈新版ではとくに、マレーシアとシンガポール、ジェンダーや大衆文化に関する記述の充実を図った。各国便覧や貿易の統計なども一新され、複雑・多様な東南アジアの理解に必須の総合事典。〉~本よみうり堂のサイトより

各国便覧や統計なんかネットで調べればいいよなあ、ジェンダーや大衆文化なんて、この種の事典で調べてもしょうがないだろう……。と、思った。

しかし、これは平凡社のブログにあるように、〈ほとんどゼロから作った事典です〉。いや、ほんと、知らなかった。平凡社ももっと強烈に宣伝すればいいのに。
編集委員のひとり見市建さんのブログやトヨタ財団のサイトの見て、やっと、これはひょっとして……と思い、図書館で実物を確認して、買うことにした。

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旧版監修者が執筆した部分を含め、旧版の記事はばっさばっさと気持ちよく削られている。旧監修者の方々の業績を尊重して名前を残したのであろうが、読者・購買者としては、どうせ偉い先生方が担当した部分は同じだろうと思ってしまうではないか。「ワシの名を消すとはけしからん」と言うような狭い了見の方々ではないのだから、思い切って名前を消してもよかったのでは?
編集委員代表の桃木至朗の活躍がしのばれる、斬新な内容です。

国別の記述は、ほぼ100%書き改められている。「ほぼ」というのは、石井米雄執筆「〈東南アジア〉という概念の成立」の部分などが残っているが、位置も分量も変わっていて、新しい文脈の中におさまっている。

項目別の部分で旧版の記載内容が残っているのは、まだ全体を読んでいないが、1~2割程度という印象。残っているのは、人名や史料名の短い項目。大項目はすべてといってよいほど新しい執筆者によって書き換えられているようだ。
さらに、同じ執筆者・同じ項目名であっても、内容が完全に書きかえられたり、追加されている項目がたくさんある。

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先に「ジェンダーや大衆文化なんて、この種の事典で調べてもしょうがない」などと書いたが、小泉順子+中谷文美執筆〈ジェンダー〉の項目を読むと、おお!と蒙を啓かれる鋭い内容であった。すみません。反省します。
こうした背景があって、石井米雄執筆〈レオノーウェンス〉Anna Harriet Leonowens の内容も微修正が加えられているんですね。
大衆文化にしても、ネットで見ればいいじゃんという気がするが、旧版の内容ではあまりに乏しいわけで、これもひとつの戦略というか主張なのでしょう。

一方、やはり、事典としての本来の使命は退屈で平凡な事実をきっちりと書いてくれることだろう。
この点について、はたしてどれほどわたしにとって有用かは、ある程度長い期間使ってみないとわからない。
ただ、ここ20数年の学問の進歩はめまぐるしく、退屈で平凡な事実もどんどん書き換えが進んでいる。
ともかく、現時点での最高の到達地点であり、信頼できるソースであることは疑いない。

事件の年号、王朝や国家の成立、地域や都市の基本的な事実、人名など固有名詞の表記、この『[新版]東南アジアを知る事典』に準拠して間違いないだろう。
というか、これ以外にない。

同時に、小項目については削除されたり他の項目に吸収されたものが多いので、旧版をお持ちの方は捨てることはないと思います。(わたしは持っていない。)

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あと、よけいなことをひとつ。

これだけ高水準・先端的なものが提供されたわけであるが、やはりまったく知らないことを調べたり、誤解されたことを修正するのは難しいという気がする。
この事典の内容をもう少し易しく説いた、中学生高校生でも読めるようなツールがあればいいと思うんですが。

(この項つづく)

『東南アジアを知る事典』,平凡社,1986 その2

2009-07-12 18:23:43 | 実用ガイド・虚用ガイド
これは旧版についてのコメントです。内容を一新した新版が2008年に出ています。誤解なきように!
敬称は省く。

読んでいくと、執筆者の数が少ないなあと感じる。計148名の執筆者であるが、一個ないし数個の項目執筆者が大半で、大量の項目を担当している少数の執筆者で全体の7~8割を占めている。

多い方は

大野徹  ビルマ、古代から現代政治まで
石井米雄 タイ全般、仏教
石沢良昭 カンボジア、古代から現代まで
桜井由躬雄 ベトナム、古代から現代まで
池端雪浦 フィリピン、なんでも
生田滋  ヨーロッパ関係広く
永積昭  インドネシア全般、オランダ関係
土屋健治 インドネシア思想・文化
前田成文 社会、民俗
高谷好一 生態・風土・生業
別枝篤彦 自然地理、人文地理

川本邦衛 ベトナム文学・思想
田辺繁治 タイ
滝川勉   フィリピン現代
関本照夫 イスラム、ジャワ文化
伊東照司 宗教建築・美術
田村史子 音楽、古典芸能
渡辺弘之 森林物産
冨田竹二郎 タイ古典文学
重松和男 先史時代・考古学
吉田集而 食文化

取りこぼしがあると思うが、以上の方で7~8割ぐらいカバーしている。
つまり、現在(2009)活躍している若い方々は、まだ執筆依頼がくるほど偉くなかったということですね。

全体として、東南アジアらしさを強調したためか、それとも他の分野との重複を避けたためか、単なるページ数の関係か、外来文化・外来勢力・移民の記述が少ないように感じる。

中村光男 〈イスラム〉
重松伸司 〈印僑〉
蔡史君   〈華僑〉

といった個性的な記述もあるが、ポルトガル人・イエズス会・アメリカ合衆国・福建人など索引項目にもない。
濱下武志・斯波義信など中国史方面の研究者とのつながりがないし、秋田茂・水島司など、南アジア~ブリティッシュ方面の研究者ともつながりが欠けている。

いや、非難しているわけではない。
あまりにも中国の付録、ブリティッシュ帝国の一部、オランダの侵略、冷戦下の低開発国といった方面からの見方が大きかったので、ネガティヴではない東南アジア固有の世界をしらせようという使命感に燃えた結果だと思う。
これはこれで、1980年代という時代を代表する成果として記念すべきだろう。

吉田集而 〈方位〉
松本亮  〈ワヤン〉
坪内良博 〈村〉

など魅力的な項目もあるし、故・冨田竹二郎のタイ古典文学の項目など楽しい。

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なお、この旧版『東南アジアを知る事典』項目と『大百科事典』項目はほぼ同一内容だが、その後全三十数巻の『世界大百科事典』にも流用されている。
それから、ここだけのないしょの話だが、2007年に刊行された『改訂新版世界大百科事典』も東南アジア関係については、最近の事情は加えられているものの、過去の記載への加筆も訂正もほとんどない。図書館に行って、ざっと見ただけなので、どっかに大幅な改訂があるのかもしれないが。

また、現在(2009年)日立システムアンドサービスのサイト「ネットで百科」で検索できる内容も、有料サイトなので詳しくチェックしたわけではないが、東南アジア関係は旧版とほぼ同じ記事が数多く受け継がれていると思われる。

さらに蛇足だが、「ネットで百科」の項目をそのまま wiki にコピペしているやつがいるぞ。うるさいことを言うわけではないが、ちゃんと典拠を書けよ。

2009年8月30日追記
上記の指摘がウィキペディア内で問題になったようだ。
ここ数日、新しい記事を書いてないのにアクセス数が上がったのは、このためだろうか??
それにしても、ウィキのボランティアの方は、わたしのブログのようなものさえチェックしているんですね。

『東南アジアを知る事典』,平凡社,1986

2009-07-09 19:43:46 | 実用ガイド・虚用ガイド
これは旧版についてのコメントです。内容を一新した新版が2008年に出ています。誤解なきように!
平凡社のサイトのブログを見ていたら、思わず、とほほ……とつぶやきたくなる記事があった。エイプリル・フールの頃の話で、すでに古い話題だが、ネット上ではほとんど話題になっていないようだ。

MSNエンカルタが終了する。
有償版も無償のサイトもサービスを終了(停止というのか廃止というのか)するのだそうだ。
いろいろ物議をかもしたエンカルタも、ひっそりと幕を閉じるわけである。

最初から志が低すぎる代物であった、エンカルトというものは。あれでは、インターネットを使っている連中など程度の低いやつらだ、と思われてもしょうがない。
〈southeast asia〉の項目など、50年前で思考が停止しているんじゃないかってな内容である。日本語版〈東南アジア〉の項目は、英語版よりずっとまともであるが、やはり役にたたないのだ。
どういう方が執筆したのかわからないが、百科事典で署名のない記事は役にたたないのである。この点をエンカルタ編集(というグループや組織があるのかどうか、それさえ不明だが)の方々はわかっていないようだ。

さて、平凡社の話だ。

あの、全三十数巻の『世界大百科事典』とは別に、1980年代に加藤周一を編集長に向かえ『大百科事典』(発行は1984-85)が企画された。
大項目中心の百科事典で図版はモノクロのみ、斬新な編集で、執筆者の個性を生かした事典である。
この『大百科事典』の編集のため、各地域ごとの委員会が構成されたそうだ。そのうち東南アジア委員会のメンバーが、この『東南アジアを知る事典』の監修者である。
石井米雄・高谷好一・前田成文・土屋健治・池端雪浦、それに桜井由躬雄が委員会メンバーであった。京都大学東南アジア研究センターが中心であり、センターの方向性が前面に出ている。

しかし今見ると、たった二十数年前とはいえ、時代が違うなあと思う。
〈メナム川〉なんて項目があるのだ。〈チャオプラヤー川〉は追い込み項目になっている。
カバーそでの部分に各国国旗があるのだが、カンボジアが二種類ある。

という時代である。
なんとかして我々が見て感じて歩いた東南アジアを伝えたい、知らせたいという熱気が伝わってくる。
しかし、よくも悪くも百科事典である。他の分野他の地域の記述と整合させることも必要であったろう。

自然環境・生業・民族・言語・物質文化・宗教・歴史・独立運動・古典藝術・政治・経済・外交、そして日本との関係、という記述になる。
また、前半の項目別(約900項)と後半の地域・国名編に分かれているが、現代の政治・経済は国別がいいとしても、歴史や生業を国別に記述すると、重複や齟齬が生じる。

といっても、全体の見取り図と項目を設定しただけでも里程標といえるだろう。
ほとんど基準になるソースや入門書がなかった時代なのだ。

巻末の文献案内(渡辺佳成 作成)を見ると、こんなもんしか無かったのかと驚く。
弘文堂の「講座東南アジア学」、河出書房新社の「暮らしがわかるアジア読本」、明石書店のエリア・スタディーズなどのシリーズはまだ出ていないのだ。「もっと知りたい東南アジア」シリーズ6冊が出ている程度。
一般向歴史関係も講談社現代新書の『東南アジアの歴史』、ビジュアル版世界の歴史12『東南アジア世界の形成』ぐらい。山川の各国史は1970年代の現代史のシリーズだけである。
まあ、学術書は刊行されていたが、まずこれを読め!とか、ここがスタート地点といえるような書籍はほんとに少ない。
入門書として読めるのは、渡部忠世・高谷好一・鶴見良行・岩田慶治・青木保……ぐらい。とすると、梅棹忠夫の『東南アジア紀行』はやっぱりすごいな。

各国別の一般書は、こう言っちゃ悪いが、戦争と政変と貧困ばかり書いているような感じである。観光案内や遺跡に関する本は、(出版されていたとしてもこの文献案内には載らないだろうが)まだ少ない。

翻訳文学はかなりの数が出版されていたはずだが、この文献案内では省略されている。

そんな時代である。重要な著作、基本的な入門書、おもしろい読み物は、80年代から90年代に出版され、現在も毎年良いものが出ている。昔は良心的な出版物が多かったなんてのはまちがっています。現在が一番、充実した書籍が出ている。

(この項つづく)