東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

『事典東南アジア――風土・生態・環境』,弘文堂,1997

2008-06-29 20:11:59 | 実用ガイド・虚用ガイド
京都大学東南アジア研究センター編。編集代表は、古川久雄・海田能宏・山田勇・高谷好一。

最高の旅行ガイドブックである。この事典を旅行ガイドというのは奇を衒った言い方ではない。旅行ガイドとして読む以外ない本である。最初に古川久雄による「旅立ちを前に」という序文があるではないか。

本事典は、たいていの大学図書館、公共図書館にあるはずだ。旅行ガイドや地理の棚にはなく、おそらくレファレンス・ブックとして参考図書扱いになっている所が多いだろう。そして館外貸出禁止扱いになっている場合が多いはずだ。
こういう場所にある重厚な事典類は、その分野の基礎知識があればピン・ポイントの情報が得られるが、そうでなければとりつく嶋もない代物である。それに、いかにも権威がありそうで、結局なんの役にもたたないものもあるんですよね。

そんな重厚な事典類の中にあって、本書は見開き2ページが一つの項目になった読む事典である。もちろん、必要な部分だけ読んで、レポートや宿題の参考にすることも可能だろう。
しかし、ほんとに本書をレファレンスとして使っている人いるの?
この事典を使っている人の大部分はおそらく通読しているでしょう。もちろん、最初から最後まで順序正しく読む必要はないし、そんなことをしても頭にはいらないが、ともかく、おおきな分類ごとに10項目ぐらいは通読しているはずだ。

内容は、地殻構造から気象・海流までを概観したあと、海・山・野・川の産物、衣食住、人の身体まで生活環境を解説する。(以上ⅠとⅡ)
次に、外文明の影響、交易を概観(Ⅲ)。
そして、東南アジアの風土を八つに分類し、それぞれ詳細を述べる(Ⅳ)。
最後に開発と都市文明、世界システムについて少々(Ⅴ)。

えー、そんなの読みたくない、ややこしい、と思う方は旅行プランを自分で立てられない人である。海外旅行は計画を立てるのが一番楽しいのだから、それをやりたくないということは、旅行をしたくない、ということである。

しかし、たかが旅行に行くくらいで、こんな事典を読む必要ある?と疑問を持つ人もいるだろう。
必要あります。
第一、どこに何があるのか、いや、そもそも、どれくらい広くて山や川や海や島がどんな具合に配置されているか知らなくては、行きたい所がわからないでしょう。
地図を眺めるのが第一だが、地図だけでは、地上のイメージ、海上のイメージがわかない。気候・農耕・交通網の密度・都市の大きさがわからないと、具体的なイメージはつかめない。それでもやはり、紀行文を読むとか、ガイドブックやインターネットを使うとか、写真集を見るとか、他に方法がたくさんあるという反論が出てくるだろう。
もちろん、インターネットも旅行記も歴史の本もおもしろい。

しかし、この事典の最大の特徴は、文学・政治・外交問題・ポップカルチャーをほとんど扱っていないことなのだ。(この点が平凡社の『東南アジアを知る事典』との最大の違いである。)
ええ?じゃあますます役に立たないんじゃないかって?いやいや、だからこそ、政治・外交やポップカルチャーなど、インターネットやマス・メディアではわからない知識がいっぱいつまっているのだ。

こういうと、わたしのブログで常々書いていることと矛盾するのではないか?東南アジアに限らず、外の世界を知るには文字情報、宗教や文学・歴史、それに都市の生活、工業製品、ポップカルチャーのほうがずっと有益であり膨大な知識の蓄積があるのではないか。
そのとおり。実際に旅行してみると、言葉や文字がわからずには、まったくおもしろくない場面が多々ある。結局、空港とバス停だけしか見てこなかった、ということもある。それでも楽しいことは楽しい。シロウトの旅なんて、茶店やカフェでぼけーっと通行人を眺めるために行くんだから。

それで、ぼけーっとする場所を選ぶために本書がある。
デルタと山地は違う。熱帯雨林とサバンナは違う。海辺の町と河沿いの町は違う。乾季と雨季は違う。珊瑚礁の島と火山の島は違う。

そして、なによりも、人間、予備知識のないモノは見えないのである。これはもう、完璧に見えない。だから、東南アジアはどこに行ってもうるさいバイクと人の群れ、あるいは高層ビルと交通渋滞しか見えない。

これほど多様で広大な領域なのに、暑い・汚い・うるさい(そして値段が安いとかボラレタとか)という感想しかもたずに帰るのは、惜しいではないか。
別にカオサンやリゾートに行くのが悪いというのではないし、わたし自身も安宿密集地やリゾートや観光客向スポットにも行きます。
でも、歳をとってくると、これでは人生もったいない、と思ってしまう。ブランド買いや人買いが目的の人は、そもそも本なんか読まないだろうし、ぼけーっとする時間もないだろうからどうでもいいが、そうでない人は、是非ともぼけーっとするために本書を開いてみてほしい。開けば、あなたにとって最適のぼけーっ地点が見つかるはずだ。

あと、もうひとつ。
インターネットは間違いが多い。
自分で無責任なブログを書いていて、目糞鼻糞を笑うと言われそうだが。
掲示板や質問・回答サイトはお笑い目的なので、それをとやかく言うのは大人気ないので無視するが、一見まじめそうなサイトでも間違いは多い。

個々の細かい事実の間違い(植物名とか地名の混乱)も問題だが、根本的な見方がおかしい記述がもっと問題。
東南アジアの情報は、英語のサイトでもたくさん情報が得られるが、基本的な点でヘンなところがある。
とくに、環境問題、ボランティア活動、資源保全、宗教など絡むと、とんでもない偏見がとびかっている。
そういう偏見に染まらないためにも本事典で確認すべし。
というより、宗教対立とか民主化とか環境保護を口にするなら、もっと基本的な知識を持てよ。
メコン・デルタにジャングルはない、熱帯雨林でイモは育たない、高床住居は掘立小屋ではない、モチゴメはインディカ米ではない、アブラヤシは東南アジアの自然ではないってのにー!!もうー

『事典東南アジア――風土・生態・環境』,弘文堂,1997,その2

2008-06-28 19:36:58 | 実用ガイド・虚用ガイド
巻末に編集代表4人古川久雄・海田能宏・山田勇・高谷好一と阿部健一・応地利明・原洋之介を加えた座談会が収録されている。(「座談会・近代文明と風土――東南アジアの原像と現在そして未来――」)

ここで論議されている話題が東南アジアを旅行して感じることなんだよな。
つまり、
海域東南アジア・ASEAN的な世界と、人口密集地である野の世界の対比だ。

「野の世界」というのは、つまり、北部ベトナム・ビルマ平原・ジャワの三つ。人口が多く、耕地が密集していて、せこせこと働き、狭い地域で人間関係をやりくりし、なんとか生きていく世界。

それに対し、「海の世界」は、荒っぽい、一旗あげてオサラバ、利に敏く、儲け話に食らいついて、どんどん移動する者たちの世界。
環境保全がどうのこうのなぞ無頓着で、自由に生き、かっこよく金を使うのが海の世界。この連中が、デルタに高層ビルを立て、養殖エビやアブラヤシのプランテーションを開発し、自然を破壊し、環境を汚染し、貧富の差を拡大している。
しかし、この世界の住民、実にあっぱれな連中で進取の気性があり、愉快で太っ腹な人たちである。
もっとも旅行者を騙すのもこの連中だし、コワイお兄さんや親分風のやつも多い。

一方「野の世界」の連中は、苦労して田圃や畑で働き、狭い共同体で我慢して暮らしている。世界中から感謝されてもいい環境保全ライフスタイルである。なのに、民主的じゃない独裁だ閉鎖的だ田舎者だとさんざんバカにされている。
この点では同情するが、旅行者にたかる役人とか融通のきかない政治家というのは、この世界の住人なのである。

熱帯雨林やマングローブなどヒトの力では征服できない環境に生きてきた時代には、海域世界の荒っぽさも自然を怖れる心で歯止めが利いていた。
一方の野の世界も、マジメに働けばなんとか結婚できて孫もできる時代には、有効な生き方であった。

しかし、自然環境が開発しつくされ、人口が土地の生産力をうわまわる時代、どちらの世界も困難をかかえている。
北の世界の学者にも、てろてろ旅行している者にも、なんとも解決策がない問題である。

このまま、熱帯林も珊瑚礁もマングローブもモンスーン林も失われ、住宅街と荒地の世界になってしまうのか?プランテーション作物が商品価値を失ったあと、失業者と借金だけが残るのか?

われわれ日本列島の住民は、住宅と工事現場と商品価値のないプランテーションに囲まれた世界に住んでいる。そんな自分の住む土地を破壊した北の世界の連中が東南アジアに対し、非民主的だの環境破壊だの非衛生だの非能率と言うのは、向こうにとっては不愉快だよな。

海の世界の荒っぽい連中を見ると、ああ、こんなやつらがおれがこどものころにもいたっけなあ、と思う。(刺青をした人が銭湯にいた時代だよ)
野の世界の狭い世間で一生懸命働いている人を見ると、ああ、こんなやつらがおれのこどものころにもいたっけなあ、と思う。(観光向けの市場じゃない、野菜かついだ百姓のばあさんなんかいたんだ)

排気ガスと騒音の中、屋台の片隅ですやすや眠っている幼児。朝のバスに乗った時、隣にすわったナマイキそうな通学途中の女子中学生(洗い髪が色っぽい)。10円程度の値段を割り増しするのに一瞬躊躇する茶店の兄ちゃん。とってもわかりやすい英語でバス停までの道を案内してくれるキャリア・ガール風(でも、いもっぽい)お姉さん。みんな親切でフレンドリーで、彼らが生きていけるのなら、熱帯雨林もマングローブもなくなってもいい、と思う時もあるのだが……。

阿良田 麻里子,『世界の食文化 6 インドネシア』,農文協,2008

2008-06-14 21:54:02 | フィールド・ワーカーたちの物語
もう出ないんじゃないかと思っていた第6巻インドネシアがひっそりと発行されていた。当初予告されていた白石隆・さやカップルではなく、わたしが初めて目にする阿良田麻里子(あらた・まりこ)という研究者による著作である。
「あとがき」によれば、東京外語大を出ていて、〈かつカツ研〉に所属していて、現在民博の外来研究員であるそうだ。東南アジア研究のトライアングルを巡ってきたような方であるようだ。

で、内容はというと、これはいい!
このシリーズを全巻読んでいるわけではなく、ちょこちょこと目次を見ただけの巻が多いので説得力がないが、わたしの評価では屈指の巻。コトバができる人は強い。一気にずらーと読んだだけだが、10ぐらいの謎が解けた。

えーと、まずこの「世界の食文化」シリーズ全体の傾向であるが、広大な地域を一冊にまとめているため、どうもとっちらかった巻がある。アラブやインドや中国を一冊にまとめるなんて無理ではなかろうか。
本書「インドネシア」も、広大な地域を一冊に押し込めているのだが、スンダ地方に的を絞ったのが正解。著者は、北スマトラやジャワ地方での滞在経験もある方だが、農村での滞在はスンダ地方に絞ってある。

特に、食事の内容や調理法ではなく、食事時間の概念と食事場所を実地調査から考察した部分がいい。タイなんかと共通する部分もあるが、かなり異なる意識があるようだ。日本と共通する部分もあるが、根本の部分で全然ちがうような気もする。

こうした学術的な部分も参考になるが、こまかい部分で読んでいて楽しい。
たとえば、
〈普通のパン屋のスライサーは、長い食パンを一度に約七ミリ厚に切る方式のもので、厚さが調節できない。〉
ほんとですかー!
〈家庭でもしばしば十九リットル入りのプラスチックボトルを給水器に設置している。〉
19リットルだったのか!!

という具合。気候・生態や宗教についての基本的な知識があるうえで、こういう細部の観察もある。
農村の生活を文化人類学的に調査した記録も、都市の生活を描写した部分も、常識的な伝統にとらわれない態度で、読んでいておもしろい。

よけいな心配だが、一般的な評価はどうなんでしょうか。
たとえば
〈父はアンボン生まれのアンボン人、母はマカッサル生まれのブギス人だった。妻は、父が華人で、母がスンダ人である。〉
〈上手にあおると、きれいな米粒は蓑の手前のほうに集まり、砕けた屑米だけが向こう側のほうに分かれる。〉
〈しかし、都市部の富裕層の間では、日本製や韓国製の自動炊飯器が使われている。これは炊き干し法で炊飯するので、当然、炊飯法から判断すれば、この炊飯器で炊飯することはには、ンガリウットという言葉を使うはずだ。〉
こういう文、わたしはすんなり頭にはいるけれども、読みにくいと思う読者もいるかも。まあ、ある程度の基礎知識を持った読者を想定している著作であろうけれど……。基礎的なことばかり詳しいとうんざりするし、説明不足だと、こうしたシリーズ物として不適切だし、むずかしいとこでしょう。

ともかく、わたしにとって初めての著者であり、次回作を期待する。

前川健一,『東南アジアの日常茶飯』,コメント2

2008-06-11 20:02:39 | フィールド・ワーカーたちの物語
化学調味料についての部分。
現在の若い読者が理解できるかどうかわからんので、よけいなお節介。

化学調味料、現在は「うまみ調味料」「アミノ酸類」と表記される調味料グルタミン酸ナトリウム、つまり商標名をいえば「味の素」、東南アジアで「アジノモト」と呼ばれる調味料のこと。

本書で述べられていることが、現在も続いているのか判断不能だが、日本の企業である味の素(株)の製品が、日本の東南アジアへの経済進出の代名詞として用いられていたのである。(味の素KKのサイトによれば、1960年にタイ、1961年にマラヤに現地法人設立。まったく話がそれるけど、カルピスも味の素が総発売元になったんですね。)つまり、日本の企業による、東南アジア市場進出、現地の文化への干渉、現地の文化の破壊の象徴として、「アジノモト」というものがあったわけだ。(何十、何百もの旅行記に、路上で「アジノモト!」と叫ばれたという経験が載っている。)
本書で解説されているように、「アジノモト」は必ずしも日本製ではなく、むしろ現地産のグルタミン酸ナトリウムであることが多い。(『ナツコ 沖縄密貿易の女王』では、沖縄ではアメリカ製化学調味料があったという話が載っていたが、日本での特許権の範囲外にあった事情によるのだろうか?)アジノモトが東南アジアに広く普及したのは、日本企業の暴力的な市場支配によるものではなく、受け容れる側の味覚・嗜好によるものが大きい。と、いうのが、まあ、現在の順当な見方であろう。
つまり、日本企業が東南アジアの文化を蹂躙したわけではない、ということ。これは確かであって日本企業ごときに破壊される伝統文化なら、破壊されて当然である。彼らはそれほどヤワではないし、一方的に蹂躙されるわけがない。

さて、これからがわたしの意見。

まず、アジノモトを日本企業独特の市場支配とみる考えはおかしい。グルタミン酸ナトリウムはむしろアメリカ風レストラン、ハンバーガーやフライドチキンに用いられ、しかも日本製ではない。(白人旅行者向けの情報として、MSGつまりグルタミン酸ナトリウムが含まれている料理が多いのでアレルギーに注意なんてのが、ロンプラに載っているが、それじゃアメリカなんかではどうなるのだ?)

しかし、しかし、グルタミン酸ナトリウムが東南アジアの嗜好を踏襲しているとはいえ、やはり味覚を破壊しているのは確かではないか?

著者の前川健一さんが最新号の『旅行人』2008年下季号(№158)にラオス旅行記を載せている。
そこで、ビエンチャンとルアンパパンの食堂で、卓上に化学調味料が置かれている、という事実を報告している。(p109)
異常な光景であるが、実は、日本でも1960年代ごろには普通にみられた光景なのである。

今でこそ日本では、化学調味料を大量に使うことは、ダサい・間違っている・貧乏臭い・健康的でない・安っぽい、という認識が広まっているが、むかしは一般の食堂で卓上にコショウや醤油といっしょに化学調味料の結晶を入れたビンが置かれていたのである。
実は、統計上は日本でのグルタミン酸ナトリウムの消費は減っているわけでなく、加工食品や調理済み食品にはアフリカゾウも痺れるくらいのグルタミン酸ナトリウムが含まれているのだが、みんな平気で食っている。ヘルシーだの自然の味だのと銘うった食品や食物屋でも、グルタミン酸ナトリウムは大量に使っているのである。でなきゃ売れない。お一人様ウン十万円の料亭でもアリゲーターが痺れるくらいのグルタミン酸ナトリウムをぶち込んでいるのだ。

と、悪態をついたが、実はグルタミン酸ナトリウムに神経質になるのは、わたしが歳をとったせいかもしれない。(情けない話だが、できあいの惣菜のグルタミン酸ナトリウムが濃すぎて、食ったあとぐったりする。)
食物についてうまいだのまずいだの神経質になるのは老衰した証拠。むかしは、日本人みんな食物にグルタミン酸ナトリウムの結晶を振りかけてジャリジャリ食っていたのである。
ラオスのビエンチャンやルアンパパンで、食堂にグルタミン酸ナトリウムの容器が陽気に自己主張しているのも、ある意味で健康な状態かもしれない。

コカコーラなんかも同様だが、昔の日本でかっこいい、文化的!と見られていたものに東南アジアで出会って、懐かしいなあ、タイムスリップしたみたいと思うことがある……。こんな風に感じるのもある種の偏見であるのだが。

前川健一,『東南アジアの日常茶飯』,弘文堂,1988

2008-06-11 19:59:51 | フィールド・ワーカーたちの物語
東南アジアについて、日本側からの見方を決定した書物だ。
わたしにとって、ずっと座右の書。日常生活がいやになって、どっか遠くに行きたいと思うときひもとく本である。

路上観察と書物による知識で東南アジアを知ること、うわっつらのインチキ伝統ではなく変化していく都市の生態として文化を捉えること、情報源をきちんと明示すること、しかも、自分の見た事実にこだわること、すべてこの後の東南アジア本の方向を先取りした書物である。

著者は、この後、『バンコクの好奇心』『バンコクの匂い』『まとわりつくタイの音楽』など、タイを焦点にした著作をたくさん出して、タイ・ブームの先頭を切ったが、(ああ、こういう言い方は、著者には不愉快でしょうね)、この『東南アジアの日常茶飯』は、東南アジア全般に目を配り、路上観察の楽しさを伝えた書物であった。と、今現在思う。

1988年の段階で、本書を手にした日本の読者は本当にラッキーだった。
たとえば韓国と比べてみる。韓国の食い物に関する本は、純学術的なものから、トリビア雑学満載のものまで、東南アジアよりもずっと幅広く深いと思う。しかしまた、あまりにも出版点数が多いため、玉とクズをよりわけるのが大変で、結果的に、誤解に誤解を重ねたもの、偏見に偏見を重ねたものがはびこることになっていった。(やっと最近、プルコギなんて甘ったるくてマズーイなんていう声も届いてきたが、ちょっと前までは、「韓国料理は辛くてもおいしい」なんて偏見がいっぱいあった。今では、「辛いからおいしい」、さらに「韓国料理は別に辛いものばかりではない、辛い辛いと言うな!」という位置になっているようだ。)

さらに、本書で特筆すべきことは、東南アジアの都市の文化に目を向けたことである。プロの学者が農村漁村フロンティアを研究することは、貴重な情報であり、学問の領域としてはまったく正しい。しかし、東南アジアは同時に都市が発達した地域であり、イナカや自治都市の伝統がある地域とはまったく異なった都市が存在する地域である。ということは後に知った知識であるが、本書は、そのことを具体的に示してくれたものだ。
交通渋滞・無秩序な都市開発・西洋の模倣といった一見否定的に捉えられがちな都市の魅力を描いた本であった。
学者にしろ企業の駐在員にしろ観光客にしろ、大部分が都市に滞在しているにもかかわらず、自分が見た都市をなぜか例外的で本質的ではないように感じていた偏見を破壊した見方である。

という意味で、東南アジア本のマイルストーン。

松岡環,『アジア・映画の都』,めこん,1997

2008-06-10 20:33:55 | コスモポリス
同姓同名の方がネット上を賑わしているようだが、インドの大衆映画・インドポップの研究者、紹介者の(まつおか・たまき)さんです。インド亜大陸の言語はひとつだけでもマスターするのは大変なのに、複数の言語に堪能で、さらに広東語方面にも手をのばす異常な才媛です。女性です。
失礼な話だが、映画評やCD解説でしかお名前を知らなかった頃、てっきり男性だと思っていた。まあ、「たまき」なんて名は、当然女性と考えるべきだが、むさくるしい男しかファンがいないようなインドのポップ・カルチャーを紹介しているのだから、なんとなく男性だと思っていた。

ファンとして、ボランティアとしてインド映画を紹介していた松岡さんであるが、本業は大学の事務で、研究者のため助成金を申請するのが本業であったらしい。
その助成金申請を、自分のために申請するぞ、と決心し、書き上げたのが本書。

インド、香港、そして西と東が交差するマレー半島の映画を紹介したもの。
こんな本でさえ、こんな本という意味は、地味でもなく結構ファンがいるような分野でさえ、出版を引き受けるのは、めこんか……。おかげで、レイアウトも造本もしゃれたすっきりしたものになってありがたいが。

ありがたいが、しかし、本書を買った当時は、わたしにとって宝の持ち腐れだった。
カセットやCDぐらいなら入手できるとして、映画本体は、なかなか実物が見られない。
本書も長らく単なる歴史の本、単なる歴史の本というには、力作すぎるが、そんな位置にある本だった。

さて、現在、本書は実用書となりつつあります。
例のtoutube で、検索すると、ざくざく出てきますから。本書の索引(ローマ字スペル付き)を利用して飛び回っていると、時間がいくらあっても足りない。
もちろん、一本の映画として見ないのは邪道でありますが。まあ、そのうち、いくらでも長い映像が見られるようになる気がする。
そのときこそ、本書の内容の凄さが身にしみてわかるだろう。

『旅行人ノート3 メコンの国』,旅行人,1996(初版)

2008-06-09 22:28:01 | 実用ガイド・虚用ガイド
今から考えると、チベットだのアフリカだの恐ろしげな所のガイドブックを出している旅行人が、なんでまあ、この安全で快適な地域のガイドブックなど出版したのか、と思ってしまうのだが。
当時、やっと個人旅行が容易になった、ベトナム・ラオス・カンボジア・ミャンマー・中国雲南省、それにタイからのアクセス情報を載せたもの。
まだ秘境、もしくは戦乱の地、もしくは恐ろしい独裁国家(?)というイメージがあった地域への総合旅行案内である。

このガイドブックを手にした時は、うーん、すごいものが出たなあ、と思った。
その後の変化により、誰でも行けるところ、のんびりしたイナカ、というイメージが広がり、さらに、経済の自由化、道路開発で、ひょっとしたらこの地域も中国のようになってしまう、あるいは白人バックパッカーの溜まり場になるのか、という予感もした。

で、わたし自身はといえば、このガイドブックで紹介されているところには、超短期旅行をしたことがあるのだけれど、十分な時間をとって歩き回る、というのはまだ実現していない。いまだ憧れの地。
その間に、物価は上がる、道路ができる、という若干の変化があり、ラオスとベトナムの短期観光ビザが無料になる!!という変化もあった。(それ以前に中国も短期なら無料になったな。)
このままでは、中国にみたいに団体観光客が押し寄せ(もちろん国内の観光客も押し寄せ)るという状態になるんじゃないか、って気がしたが。

戦乱や自然災害で再びアクセスが難しい地域になりませんように!

なお、第3版からはミャンマーが除かれました。インドシナ三国と雲南省、北タイはほぼ自由に移動できるようになったのに対し、ミャンマーだけは陸路入境が制限されている。

村井吉敬・藤林泰 編,『ヌサンタラ航海記』,リブロポート,1994

2008-06-08 11:16:20 | フィールド・ワーカーたちの物語
すでに消滅した出版社リブロポートから。
1988年、日本からの研究者たちが船をチャーターしてインドネシア海域を見てまわった記録。ウジュン・パンダンから出航し、マルク海・セラム海・バンダ海・アラフラ海をめぐる旅である。

参加者のうち10人が寄稿して、村井・藤林が編集。編集者も執筆者も、東南アジアの研究者として体力的にも情報力からみても、最高の時期であったなあ。読者の側からみても、サゴヤシ・交易・漁村、あるいはウォーレス線やバジャウ人・ブトン人など、この頃関心を呼びはじめた話題がもりだくさんである。
いい写真がいっぱいある。

とはいうものの……
個々の研究者はそれぞれ単独著作を出しているし、四十日間ほどの航海の記録はいかにも中途半端である。
それに、一番の苦労は現地のオーソリティーとの交渉であったようで、結局、渉外係の村井吉敬さんあたりが苦労しただけ、というように読める。

やはり一般向けの著作としては、個人の旅で個人の著作が一番。
当時の雰囲気、つまりインドネシア海域と日本側の研究者の関心の両方がよくわかって、その意味ではいい本であるけれど。

『水木しげるのラバウル戦記』,ちくま文庫,1997

2008-06-08 11:15:17 | 20世紀;日本からの人々
1994年単行本。

ラバウル滞在中に描いた絵に1949年から51年ごろに文章とつけたものが最初。次に1985年発表の『娘に語るお父さんの戦記・絵本版』(河出書房新社)の絵。さらにトーマ滞在中に描いた絵に解説。という三部構成。

つまり、日本に帰って復員してからの絵ではなく、現地で描いた絵と回想である。

うーん、すごい人。今さらわたしなどが言うもでもないが。とんでもなくズレた人である。
しかし!若い諸君よ、この水木先生のような、精霊や妖怪と交際できるような人でも、やはりその代償に腕一本差し出さなくてはならなかったのである。
凡人が水木先生のような体験ができるなどと、浅はかな考えを抱くべきではない。軍隊生活に適応しようとして、たちまちマラリアか赤痢かリンチで死んでしまうよ。
ともかく稀有の記録。読むべし。