東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

『大図解 九龍城』,岩波書店,1997

2008-07-30 22:47:29 | コスモポリス
写真・文 九龍城探検隊、という建築学研究者を中心とするグループである。が、本書の最大の目玉は絵を描いた寺澤一美(てらさわ・ひとみ)という方。

生活復元パノラマという細密イラストが圧巻。

などと、わたしが紹介するまでもなく、刊行当時話題になった傑作。
香港回収を前に、1993~1994に解体された九龍城を実測し、生活空間を再現したものである。
〈九龍城探検隊〉と自称する研究者たちが、実際にこの建造物を調査・測定できたのは、住民が撤去した後、解体の直前である。
であるから、本書の再現も幾分フィクションを含むものであり、実際の住民の生活がどうであったかは、もはや歴史の闇の中に溶けこもうとしている。
だから、本書は消滅した歴史の証言、あるいは再現として価値がある。

詳細は、本書を見て驚いていただくしかないが、特記すべきことをいくつか。

まず、この建造物に住む住民は、香港政庁の管理を拒絶した違法な占拠者であったこと。しかしながら、実際の生活は、どこにでもあるような都市の生活であったようだ。

魔窟とか不法建築、あるいはスラム街のような外観に反し、中は製造業・医療・サービス業の生産地であること。つまり単なる住居ではないってことだ。
食品加工業が多いのにびっくり。
大陸からの医療技術者が香港で正規の資格を得られないため、医院・歯科医が多いことも有名だったらしい。
ストリップ劇場や売春施設もあった。それにしても、こんな狭いところでよくやる。
水道、下水、電気、ゴミ処理などのインフラも、半分違法で増殖させ、しかもある程度の自主管理が成立していたのがすごい。ここいらへんは、住民が住んでいた時点で調査してほしかった。

以上のような内部のことがすごいが同時に注目すべきは、この九龍城の位置する場所である。
高級ホテルやショッピングゾーンのすぐ近く、空港に隣接する地域なのである。(市街地のどまんなかに位置するという点については、空港(カイタック空港)のほうが異常ですね。こんな市街地に着陸する空港は世界遺産になるような貴重施設だったが、こちらも移転してなくなった。)

調査の進展状況も記されている。
ほんとに、正面から許可を取って調査をするのは、たいへんなことであるのですね。
調査参加者の半数が女性であるのも、少々びっくり。

監修は可児弘明になっていて、短文を寄稿している。

本川達雄,『サンゴとサンゴ礁のはなし』,中公新書,2008

2008-07-27 20:30:30 | 自然・生態・風土
『ゾウの時間ネズミの時間』の著者による、とってもわかりやすいサンゴとサンゴ礁の入門書。
実にわかりやすく書いてくれる人ですね。
メインとなるサンゴ(刺胞動物門・花虫綱・六放サンゴ亜綱・イシサンゴ目)と褐虫藻(渦鞭毛藻の仲間)の共生については本文をよくよんで勉強するように。

以下、蛇足。

世界の海域で、サンゴの種の多様性が最大なのは、北のフィリピンを頂点として、スマトラ南東端とソロモン諸島の南東端あたりを底辺とする三角形である。
つまり、ウォーレシアからニューギニアの海域。(p96)

熱帯林と同じく、サンゴ礁もこの地域が世界最高の種の多様性を誇る。
なぜかというと、地形の要因のほかに、氷河期で種の減少がおきず、多様性が保たれたとわけだそうだ。つまり、熱帯雨林の多様性と同じ要因である。

しかも、熱帯林の土壌が貧栄養であるのと同じく(原因は異なるよ!)、熱帯の海も貧栄養であって、あやういバランスの上に保たれている(いた)のがサンゴ礁という環境であった、というわけだ。
貧栄養の環境が過剰栄養になると、オニヒトデの発生など、バランスがくずれるというわけである。

まったく東南アジアというのは、なんでこう生物の多様性が大きいのか!
それは、(本書の内容とはちょっと離れるが)地殻プレートの動きが要因である。
つまりだ、南側からインド・オーストラリア・プレートが押し寄せているわけだが、
1.大陸プレートと大陸プレートの衝突。これがチベット。
2.海洋プレートが大陸プレートに潜りこむ。これがインド洋側のスマトラやジャワ、小スンダ列島である。東側から太平洋プレートが潜りこむフィリピンや日本列島も同じ。
3.海洋プレートを大陸プレートが掻き分けて押し寄せる。これがニューギニア。

以上三つのタイプのプレートの衝突により、多様な地形が生じる。しかも熱帯の地域であり、旧大陸とオーストラリアという動物相・植物相が異なるプレートが衝突しようとしている。
そのため、山地でも低地でも海域でも種の多様性が最大になった、というわけだ。

*****

それで、この地で進化学を考えたのがダーウィンである。
え?ウォーレスじゃないかって?いや、種の分化や自然淘汰を思いついたのはウォーレスだが、その基盤となる地質学的な長い時間と生物の関係を考えたのがダーウィンだ。

本書に紹介されているサンゴ礁の形成に関する推論は、ダーウィンの最初の業績であり、現在も通用する理論である。
ただし、ダーウィン自身の文章はひじょうにわかりにくいので、本書のような簡潔な解説で理解しましょう。(ダーウィンって人は、理論的な文章になると、頭が痛くなるほど難渋なんだよな。)

で、さらに蛇足だが、
ガラパゴス諸島の〈進化論の島〉というキャッチフレーズについては、わたしは常々苦々しく思っている。
本書で述べられているように、進化学の土台は、サンゴ礁の形成論なのである。そして、それはキーリング諸島(ココス島)のサンゴ礁観察から得られたものである。
さらにこのダーウィンの方法論から出発し、ウォーレスが進化理論を考えたのはサラワクやテルナテである。
〈進化論の島〉というなら、ココス島とテルナテ島がふさわしいではないか。

*****

都城秋穂の訃報あり。
ウェーゲナーの翻訳しか知らないが。散歩中に死亡(?)とは元気な人だったんですね。

『別冊 暮しの手帖 旅を創る』,2002 7月

2008-07-22 19:07:15 | 実用ガイド・虚用ガイド
『暮しの手帖』は20年くらい前はときどき読んでいたのだが、最近はまったく手にとることなし。
いかにも中産階級向けの落ち着いた雑誌であった。豪華さや派手さを売り物にする雑誌よりも、購読者の収入がずっと高かったのではないだろうか。

その別冊、個人旅行のすすめとして企画されたのがこれ。
●日本からの直行便のある都市
●飛行時間12時間以内
●着いた都市のホテルに連泊
●日本人だからこそ楽しめる

という条件にあてはまる20都市を、四段階に分けて紹介している。その20都市に選ばれたのは……

難易度が低い、見慣れた街(!?)を再発見
シドニー、ソウル、ワシントンD.C.、台北、ホノルル

トランジットでおなじみ(!?)、やや難易度が上がる。
バンクーバー、クアラルンプール、フランクフルト、ナンディ、ブリュッセル、オークランド、ヘルシンキ

趣味をたずねる
ウィーン、シカゴ、ローマ、ロサンゼルス

最高難易度、であるがずっと気軽で自由な街(ホント?)
ホーチミン、西安、広州と香港、カイロ

どうですか、みなさん?
明らかに、パック旅行その他で海外旅行経験が数回ある人を対象にしている。
さらに、英語がある程度話せて、近郊へ公共交通機関を利用して移動できることを念頭に置いている。
そして、紹介する内容は町並みや食事、公園や歴史的建造物。

広告をとらない、タイアップしない方針を貫いている雑誌だから、具体的なホテルやレストランの紹介はない。
ひじょうに趣味の良い写真と文章、高年齢の方を対象にしたつくりかたである。けっこう予算もかかりそうな所が多い。

という構成だが、これを見て個人旅行したくなる人は、もうすでにやっているはずだ。
広告をとらない、企業におもねずの方針の雑誌であるから、もう少し具体的なアドバイスや避けるべきことを書いてもいいように思う。
パック旅行に不満を言うのではなく、自己責任で旅行をしよう!という方針なのであるから、高齢者向けに必要なスキルやヒントがあってもいいように思えるのだが。

まあ、未経験者に言葉や文章で説明するのは困難だし、一度やってみればわかる、という旅行ガイドに共通する問題ではあるが。
9・11事件の後の旅行会社の対応、外務省に対応に対して、自己責任で行けばいいのに何を恐れているのだ、という指摘あり。バックパッカー向けの雑誌みたいだなあ。

『新バックパッカーズ読本』,双葉社,2003

2008-07-22 19:05:47 | 実用ガイド・虚用ガイド
一度手にとってみる価値はあり。
インターネット上にあふれている情報とおんなじじゃねえか、という文句がでそうだが。

ちゃんとした編集の手を経て、わかりやすい日本語で書かれているし、極端な間違いや偏向した意見がない。
たとえば、一日300円以下で一年間旅をするとか、インドでヒッチハイクするとか、そういう無茶なことは書いていない。

一方、日本人ばかり集まる宿なんか近寄りたくない、という方、こういう本を読んで避ければよい。
交通機関にしても食事にしても、バックパッカーが集まるポイントを少しはずれると、本書に書いてあるようにスムーズにはいかない場合がままあるだろうが、最初の一歩として参考になるだろう。

わざわざ本書をとりあげたのは、インターネット上の情報があまりにも不正確で扇情的で論争的だから。
個人のサイトの情報はありがたいが、個人の経験に根ざした情報ほど他人が応用できないし、目的地が異なると、まったく役にたたない。
掲示板やQ&Aの投稿は、読んでいて不快になる文章や内容で、とてもあの情報の洪水から有益な知識は得られないだろう。『旅行人』の掲示板など、ピンポイントの情報では有益であるけれど。英語のフォーラムも、むちゃくちゃな質問や回答があるのは日本語世界と同じ。

*****
大学生など若い連中が低予算で海外旅行する流行が終わったという分析がある。
〈若者の海外旅行離れ〉というやつ。日本旅行業協会やJTBの分析だが、あの分析自体が〈社会調査のウソ〉の見本みたいなもので、数字の読み方に誤りがあり、理由の分析もおかしい。

ただし……、若者が海外旅行に魅力を感じなくなる傾向がある、のはほんとうかもしれない。

はっきりした数字のあるデータではなく、単なる印象だが、アメリカ合衆国国民は、観光やバカンス目的の海外旅行が、少ないと言われているし、わたしもそう感じる。
これは数字として提示するのはむずかしい。日本やヨーロッパやカリブ海方面へは大量のアメリカ人が出かけるから、その中でビジネスや勉学とバカンスを分けるのは難しいだろう。
それに、アメリカ人の場合、ハワイからアラスカまで国内の旅行も多いだろうし、メキシコやカナダなんてしょっちゅう往復している者がいるだろう。
だから数字では表せないが、東南アジア方面に限っていえば、アメリカ人の旅行者は少ないし、団体バスに乗って集団で行動しているのが見られる。日本人観光客の団体がばかにされるが、アメリカ人はもっと適応力がない感じがする。

これは、最近の日本と同様、あまりにも本国での生活が便利で、外国旅行ができないためではないか。
さらに日本人同様外国語に弱いし、低賃金・高収入を問わず休暇が少ない、という要因もあると思う。
つまり、日常生活の経費が増大して余裕がなくなり、海外にでかける好奇心やスキルが減ってきている、ということではないか。

バックパッカー旅行をプロモートしても、旅行業界は儲からないだろうが、もう少し個人旅行を宣伝するのが本道では?いや、それじゃやっぱり儲からないから意味ないか??

谷 譲次,『踊る地平線』,1929

2008-07-21 23:05:10 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
この前(7月8日)紹介したグレゴリ青山さんに刺激されて、こんなのがあったっけなあと思い出して読む。

初出『中央公論』,昭和3年(1928)8月から翌年7月まで12回連載。
岩波文庫(上下),1999。
岩波文庫版は、新字体・現代かなづかい、そして底本(新潮社,「一人三人全集第十五巻」)は総ルビであるが、文庫編集部が不必要と思ったものは省略。

著者・谷譲次=長谷川海太郎の略歴は後で述べるが、当時最高に収入の多い流行文士。
〈東京ーモスコウ〉の切符で東京駅から下関へ向かう列車でスタート。関釜連絡線~京城~安東~奉天~長春~ハルピン、とシベリア鉄道の旅。モスクワから欧州旅行になる。

金額のスケールが違う豪華旅行。大名旅行といいたいが、行列をぞろぞろ従えた旅行ではない。
夫人(自分の妻を〈彼女〉と表記するのは当時の流行か?それとも海太郎独特の使いかた?)といっしょの二人だけの自由旅行である。
〈中央公論社特派員〉という肩書きがあったようだが、本書の内容の範囲では、自分の行きたいところに自分で手配し、好きなだけ滞在する旅行である。

それで、この谷譲次=長谷川海太郎、言葉も習慣の違いもまったく障害にならず、ヨーロッパ中をかけめぐる。
業務を背負った駐在員や外交官とはまるで違う自由な旅行である。

で、旅行記としてどうか、というと。
まず彼の独特の文体、というか七色の文体を使い分ける書き方、氾濫するルビ、詩のような芝居の独白のような饒舌体、ちょっと疲れる。
夢野久作などよりさらに饒舌、英語やローマ字綴りをちゃんぽんにした表現など、まあ旅行記というより作者の文体を楽しむ作品かな。
特に下巻、モンテカルロを描いた「Mrs. 7 and Mr. 23」など腹が立つほど読みにくい。なぜかというと、わざと英文逐語訳調(仏文和訳かな?)のぎごちない文体でカジノの雰囲気を描いているのだ。

そういう面で、旅行記というより欧州の印象を文学作品化した一編といえる。パリやリスボンもほとんどフィクション、もしくは作者のアメリカ時代の見聞を再現したような感じ。

では、旅行記としてつまらないかというと、そんなことはなくて、おそらく稀有の作品。
1920年代、欧州大戦後のバブル時代、ヨーロッパの上流人士とも下層民とも自由に交際できた人物による旅行。
ロンドンの劇場で芝居版『アクロイド殺し』とミュージカル『ショウ・ボート』が同時に上演されていた時代。
ロシアを負かした国として隣国のフィンランド人に感謝感激される時代。

後半になると単なる旅行見聞を書くのに飽きてきたようだが、前半のシベリア鉄道、イングランド滞在、北欧旅行などなかなか他では読めない内容がぎっしり。

とくに、おすすめというか貴重な記録は、上巻「虹を渡る日」。
当時の旅客機によるドーバー海峡横断である。
未読の方のために詳細は記さないが、仰天するぞ!

そして帰り。テムズ河のロウヤル・アルバアト波止場から日本郵船でスエズ経由、コロンボ・シンガポール・香港・上海・神戸。
まことに残念なことに、このころになると、好奇心よりも帰国の情が強いようで、ポート・サイド以外はさしたる見聞録なし。ポート・サイドも半日の上陸だけだ。

この人物にしてもやはりユーラシアの南岸は通り過ぎるだけの景色だったのか!

椎名誠,「ラジャダムナン・キック」

2008-07-10 22:12:49 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
初出は『海』、椎名誠の処女小説だという。
『ジョン万作の逃亡』角川文庫(1984、改版1986、単行本は1982)収録。

蔵前さんも雑誌作りで絶大な影響を受けたといっている『本の雑誌』の編集長。
わたしは『本の雑誌』を6号あたりから購読していて、おそろしく影響を受けている(と、思う、たぶん)。
旅行記もいっぱい書いているし、(何を読んで何を読んでいないか記憶のかなた。すいません!)いまさら、わたしごときが何か言うべきことがあるわけではないが。(わたしのブログで椎名さんの本を取り上げるのはこれが初めてか?)

で、この作品、一応小説なのだが、バンコク4日間パック旅行を描いた私小説のような旅行記のような作品。前川健一さんが旅行人(No.123)で、「バンコクの描写についてはピカイチ」と言っている。うーむ、そうなんですか。

椎名さんの旅行記は発行点数が多すぎて、ぜんぜん旅行記じゃないだろう!とつっこみたくなるものもあるが、文章のおもしろさと発想では他の追随を許さないすごい人だと思う。
本作品は、誰もが知っているのに書かないパック旅行の違和感を描いたもの。
おれは、こんなすごい体験をしたんだぞーという類のものより、ずっとリアルで怖い。(犯罪とか事故が起こるわけではなく、平凡なパック・ツアーなんですよ。)

で、何を言いたいかというと、こういう作品もすでにあるのだから、もはやバンコク物で新鮮な視点の旅行記などほぼ不可能ということだ。

蔵前仁一,『各駅停車で行こう』,旅行人,1998

2008-07-10 22:11:11 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
前項グレゴリ青山さんを発見した、というよりグレゴリさんが投稿した雑誌『旅行人』編集長・蔵前仁一さんのショート・エッセー集。
「西日本新聞」に1996年発表したものを中心。

別に本書でなく、他の本でもいいのだが、いわゆる軽い旅物の代表として、一般メディア向けに書かれたものをとりあげよう。

で、なにを言いたいかというと、この種の旅物は、1990年代であらゆるタイプがでそろった。もうこれ以上、どこへ行こうが、どういう旅行をしようが、どういう文章を書こうが、新しいものが出てきそうにない。飽和状態になったのだ。
だから21世紀にはいってからの軽い旅行記では、はっきりいって読みたいものがないのだ。

やはり時代の流れは恐ろしい。
1980年代から始まった海外旅行の大衆化が1990年代で飽和し、もはや地球に新鮮なものなし。どこへ行っても過去に誰かがやったことのコピーになってしまう。
蔵前さん自身も、新しい書き手の誕生を期待しているが、バンコクなど、いくら新しい視点であっても、読者に読ませる作品として完成させるのは困難だろう、と言っている。
これは、香港でも上海でもデリーでもシンガポールでも同じだろう。

グレゴリ青山,『グ印亜細亜商會』,旅行人,2003

2008-07-08 20:45:01 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
で、京都出身の女性・グレゴリ青山さんの旅の本。
つくづく街の子だなあ、と感心する。前項の酒井順子さん含め、この世代の人は、ほとんど住宅街育ち臭さが鼻につくのだが、グレゴリさんは、完璧に都会の子です。田舎者はかなわない。

本書は大部分書き下ろし。50年以上前の日本映画の風景、ニセモノっぽい上海ソング、インド映画のダンス・シーン、タイやミャンマーのポスターや絵葉書などなど、旅行中にみつけたヘンな物、懐かしげな物が満載である。
あっと、同じ著者・同じ出版社の『旅のグ』よりも具体的な旅の話は少なめです。あっちのほうは手書文字のマンガがぎゅうぎゅう詰めで、密度が濃いけれど、一冊通して読むと疲れる。こっちのほうが、グレゴリさんを知らない人の最初の一冊としておすすめ。
ちょっと間違えると団塊オヤヂの懐古話になりそうだが、グレゴリさんの視線は、あくまで未知の世界をのぞく旅行者の視線と同じである。昔はよかったふうの不快感はないので安心して手にとってみてください。

最後に力作(というほどでもない、淡白な文章ですが)二編。
ひとつめは夢野久作『氷の涯』と挿絵画家・竹中英太郎を重ね合わせた幻想譚。日本の作家が描いた幻想のハルピンとそこで暮らした挿絵画家の話。
ふたつめは台湾の画家・陳澄波(CHEN,Cheng-Bo 1895-1947)を知り、彼が住んでいた街を訪ねる話。嘉義(Chiayi)の過去と現在を交差させた幻想的な(偶然すぎる!)話。
グレゴリ青山さんが陳澄波を偶然発見したように、台湾の哈日族が発見するのは、意外とこの日本から見た幻想の亜細亜かもしれないですね。(すでにブームになっている?)

*****

あと、久しぶりにぺらぺらとめくってみて、ああ、そういえば、と思って
"Mera Naam Chin Chin Chu" をYouTubeで検索してみたら、当然ヒットした。
初めて見た!
すごい。
日本物は著作権でがんじがらめにして鎖国状態にしている。そのうち、中国やインドがお互いに発見してしまうぞ。いいのか!
「鞍馬天狗・黄金地獄」の伝説的シーンが見たい。(フィルムセンターに所蔵されているそうだし、ビデオ・テープ化もされているのだが。)
ああ、伝説的シーンというのは、ワンカット移動撮影の殺陣です。グレゴリさんが紹介しているお間抜けなシーンも見たいぞ。