東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

岩尾龍太郎,『ロビンソン変形譚小史』,みすず書房,2000

2009-11-19 23:38:06 | フィクション・ファンタジー
一気に読む。
ポストコロニアルやら文学理論の本てのは、実に読みにくいものが多いなか、本書は実に明晰で簡潔でわかりやすい。

第二期の到来を告げるのがルソー『エミール』。
著者・岩尾によれば、ルソーは確信犯的に誤読したのだが、たちまちその誤読が正当な読み方とされ、ロビンソン物語は無数のこども向けの変形を生みだす。
もっとも、ルソーの主張は、あらかじめ無謀でむちゃくちゃであり、誤解されるのも当然とも考えられる。

第三期の冒険物語の時代、19世紀、は数々の傑作が生まれた時代。国民と核家族と自由市場経済を前提とし、個人のサバイバルを描く。
この段階で、元祖「ロビンソン・クルーソー」を合理的経済人とみる解釈が定着したわけだ。
そこで無意識に前提とされたのは、無主の孤島、所有者のいない場所が地球上に存在するという虚構である。これを指摘したのがマルクスとエンゲルスであるそうだ。
なお、『宝島』は、主流ではなく冒険小説をはみだす作品であった、という指摘。すでにパロディとメタ文学の要素を含んでいるのだそうだ。

R・M・ヴァランタイン,『珊瑚島』,1857 重要作。
『蠅の王』の元本として読まれるだけ?

ヴェルヌの諸作がこの時代の重要作であり、さらに変形を生みだすこととなる。
日本語訳タイトル『十五少年漂流記』は、森田思軒『十五少年』を踏襲したものだが、わたしが今までぜんぜん気にしなかった事実が指摘されている。
原題は『二年間の休暇』であり『十五少年』という訳題は日本だけのものである。森田思軒が内容を読んで、登場人物を数えたのである。しかし、これは黒人水夫もひとりに数えた森田思軒のミスである。実際この作品で〈少年〉とみなされるのは、将来〈国民〉となることが期待される若年者であって、黒人水夫は将来とも〈国民〉になる可能性はない。明治日本の西洋文化受容史における特筆すべき誤解である。ほんとは『十四白人少年漂流記』なのに、人種差別抗議の意味をこめて『十五少年』にしたわけ、ではない。

第四期の幕開けを告げる作品が『ピーター・パン』。
そうか!

高梨健吉 訳,チェンバレン『日本事物誌』〔全2冊〕,平凡社,1969

2009-11-18 22:32:32 | 翻訳史料をよむ
原書第六版1939(昭和14年)の全訳。
原書の初版は1890年(明治23年)。

第六版の大きな追加項目は
「武士道――新宗教の発明」である。この項目は全体を通しても重要な項目であり、戦前の日本国内では削除されていた部分。

ええと、削除されていたといっても英語版が削除されて販売されていたのであって、日本語訳は本書までない。つまり、海外版を入手する以外は削除部分を読むことはできなかったわけである。
ほかに削除されていたのは、〈退位〉〈歴史と神話〉〈帝(みかど)〉。
第六版で追加された項目は、ほかに〈ラフカディオ・ハーン〉〈国歌〉〈大本教〉であるそうだ。ちなみに、〈国歌〉などの皮肉な記述は削除されなかったというわけだ。〈大本教〉の記述はつまんない。

百科事典的な構成で、日本のことを何にも知らないガイジンに向けて、一見親切そうに解説している本であるが、そうとうに皮肉で辛辣な文章である。

皮肉で辛辣な舌鋒は、日本人にも向けられるし、日本を神秘の国と憧れる外来者にも向けられている。

最初にあげた〈武士道〉の項目も、日本人を皮肉るというよりも、なんにも知らない外来者に対して、そんなもん、日本人だって知らなかったし、知っていても信じているわけではないですよ、と言っているわけである。
もちろん、〈新宗教〉を国民に吹き込もうとする政府にとっても都合の悪い記述ではあるのだが。

ほかに皮肉な項目としては、

日本語化された英語~よくあるヘンテコ英語看板や案内書き
世界漫遊家~在留者にとってやっかいな同郷からの旅行者
食物~イギリス人からみた日本の食事、それに洋食と称するもの
礼儀~現在まで続く、うんざりするワンパターン質問とおせっかい。

ややマジメな項目で、外国からみた日本文化として参考になるのは、

歴史と神話
日本関係書
文学(古典から当時の小説まで、翻訳など)
伝道(キリスト教の)
名前

日本文字(漢字と仮名、両方について)

たぶん、当時の旅行者や一時滞在者にとって関心の的であったと思われる、芸者・人力車・入浴・針治療・モグサ・刺青……などは、あんまりおもしろくない。同じような話は飽きるほど喧伝しているから。

近藤信行 校訂,志賀重昂,『日本風景論』,岩波文庫,1995

2009-11-16 22:08:21 | 名著・話題作 再読
初版 明治27年(1894)。
初出は『亜細亜』明治26年12月、『亜細亜』とは政教社の機関誌『日本人』を誌名変更したもの。

岩波文庫での最初の版は1937年(昭和12年)で、小島烏水の解説・校訂で、第15版(1903年 明治36年)を底本とする。

この岩波文庫の新版は、旧岩波文庫版を底本にして初版・第17版も参照している。旧版の烏水の解説と内村鑑三が『六合雑誌』に発表した書評(1894年12月15日)も収録。

ええと、わたしは実は旧版を見た(読んだとはいえないな)ことがあるのだが、岩波文庫版が1995年に新しくなっていることを知らなかった。

近藤信行氏の解説にあるように、日清戦争の前年に刊行され、日露戦争までの10年間ほどの思潮に莫大な影響を与えた書であるそうだ。
日本の明治期ナショナリズムの最重要文献で、本書を論じたものは多数あるので、そのナショナリズム方面に関してつけくわえることはない。

現代の読者が手にとってみると、まず圧倒されるのが、漢文の引用である。
とても読めません。とほほ。訓み下し文がついているのでなんとか読めるが。

どこがナショナリズムやねん、こんなシナ語ばっかり使って!とツッコミたくなるが、当時の教養ある人士はみんなこの程度のものは読めたのだろう。ただし、ほんとうに一般読書人が読めたとは限らない。というより、ムード的に読んでいたはずである。

それに、和歌・漢詩・俳句などの引用、めまいがする。

つまり、本書は、自然地理学と漢文教養と江戸時代の文学的素養とヨーロッパ的自然観のゴタマゼなのである。ゴタマゼといって悪ければ、アンソロジー、和漢洋折衷とでも言ってよいだろう。

実は、わたしが本書の存在を知ったのは、
三田博雄,『山の思想史』,岩波新書,1973
からである。
『山の思想史』は手元にないし、内容も忘れたが、明治期の登山啓蒙の出発点として、とりあげられていたような気がする。(記憶違いだったらスマン)

登山や自然観察という点で本書を読むと、ヨーロッパ的アルピニズムと歌枕や俳諧紀行文の橋渡しをする内容として読める。
著者・志賀重昇は札幌農学校に学んだ英語の素養のある人物で、ヨーロッパ的自然観をいちはやく紹介したとも言えるが、身体はまだまだ江戸時代のままという状態。後の加藤文太郎や今西錦司とは、ほど遠い感性・肉体であるなあ、と思ってしまう。

岩手大学の米地文夫という方が、ちゃんと分析しているので参考までに。
岩手大学教育学部研究年報第56巻第1号(1996.10)15~34

米地文夫,「志賀重昂『日本風景論』のキマイラ的性格とその景観認識」

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気がついた点をランダムに。

屋久島も白神山地も根釧原野もない!

著者は愛知県岡崎の出身で、札幌農学校に学び、北海道各地を渉猟しているが、寒いと感じなかったのだろうか。吹雪がひどいとか、逆に積雪が素晴らしいという記述がない。絵を見ているような描写ばかりだ。

全体的に禁欲的。温泉につかって温まった後、きゅっと一杯、という感じはない。

何度も繰り返し出てくる〈跌宕(てっとう)〉という見慣れない語。

細事にこだわらぬこと/しまりがなく勝手にふるまうこと
豪放/のびのびと大きいこと

という意味らしいが、英語の sublime の訳語ではないか?
と、思ってウェブを流したら、やっぱり、そう考える人がたくさんいるようだ。
でも、やっぱり訳し間違いではないか?

p36 に

日本に絶特なる禽鳥の多住するはこの所因、ダーウヰン、ウォレースの「島国は生物の新種を多成す」と立説せしもの、日本これを例証して余あり、即ち鵂鶹の一新種の如き日本に絶特なる者あり、……

とあるが、ダーウィンもウォーレスも「島国は生物の新種を多成す」なんて言ってないはずだ。もしそうだったら、日本列島もブリテン島も同じくらい種が豊富だってことになるでしょ。よくある誤解だが、このころすでに広まっていたのか?

ちなみに、鵂鶹(きゅうりゅう、文字化けするかもしれない)というのはミミズクのこと。学名Glaucidium。
それでこのあとに鵂鶹(きゅうりゅう)という語をふくむ栗本匏庵という人の漢詩が紹介されているんだけれど、日本にミミズクの新種が棲息する、という事実とはまったく関係がないんだよね。

新種というのは、この場合、たんにヨーロッパの分類学に知られていなかった、という意味だから。

日本の風景の優位を説く志賀重昂の一見科学的な主張ってのは、フィリピンやインドネシアにもばっちり当てはまる。火山性の島嶼、水蒸気の多い気候というのは、島嶼部東南アジアのほうが顕著なんだよな。

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本書に対する解毒剤、もしくはワクチン。

照葉樹林帯から出発し、多様な生態を実見した著者による、ほんとうに生態的な観点から日本の自然の多様性を論じた、

佐々木高明,『日本文化の基層を探る―ナラ林文化と照葉樹林化』,NHKブックス,1993

ボルネオ島のフィールド・ワークをした研究者が、日本の自然の多様性を論じたもの。これは、実際『日本風景論』を意識しているんじゃないかと思えるような書き方である。

加藤真,『日本の渚 ― 失われゆく海辺の自然』,岩波新書,1999

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なお、
大室幹雄,『志賀重昂『日本風景論』精読』,2003
は未読。というより、この本を読む前に、『日本風景論』を見てみようと思ったわけ。

永見文雄 訳,シャップ『シベリア旅行記』,岩波書店,1991

2009-11-04 22:52:54 | 翻訳史料をよむ
『17・18世紀大旅行記叢書』第9巻。原書1768年。1761年の旅行。
全体のコメント、紹介は後にして

第7章 ロシアにおける学問、芸術の進歩について、国民の天才と教育について

ここは、なぜロシアではピョートル一世の政策にもかかわらず、学問や芸術が進歩しないかという考察。

p-234

 以上に述べられたことから容易に次のように結論できる。すなわち、ロシア人は働きも活動もない粗雑な神経液を持っているに違いなく、それは天才的な人間よりはむしろ逞しい体質を形成するのに適している、ということである。彼らの内部諸器官は弾力も振動も持つことはできない。彼らが風呂のなかでたえず行うマッサージ療法とそこで感ずる熱は、外部諸器官のすべての感受性を破壊してしまう。神経叢はもはや外部印象(アンプレッション)を受け入れることができないので、それを内部諸器官に伝えることはもはやできない。そこでモンテスキュー氏は、ロシア人に感情を与えるにはその皮を剥がねばならないと指摘している(『法の精神』第14篇、第2章)。ロシア人における天才の欠如は、従って、土壌と風土の結果のように思われる。

この部分だけ引用すると、判りにくいでしょうが、10ページ以上にわたる論議を正確にまとめることは不可能なので我慢してくれ。

本訳書では、渡辺博氏によって、当時の科学分野についての親切な解説と注が付されている。

それによれば、当時は、古代のガレノス以来の体液説と、デカルトやボレリによって展開された機械論的生理学が折衷されていた時代であったそうだ。

 宇宙流体、すなわちこの宇宙精気は、それゆえわれわれの生物体の液体と流体と流体の運動の直接原因であり、そしてこれらの体液(リキッド)が人間において管、神経の弾力と振動、そして動物機械全体の働きを産み出すのである。

こうした奇妙に科学的な知識をもとに、ロシアの気候条件を組み込み、ロシア人の気質を分析する。
いわく、ロシア人は陽気で社交好きで器用に真似ができる一方で、個人の創造意欲を欠いていて、専制主義のもとで才能を枯渇させられている。

まあ、よくある話である。
これは、モンテスキュー『法の精神』第14篇第2章(岩波文庫版(中)p27-31)にある、モンテスキュー自ら行ったと称する、皮膚組織や舌の乳首状突起に関する観察記録をさらに発展させたものである。
やはり、モンテスキュー、影響力が大きい人物なのだ。

なお、この部分を含め、ロシアの女帝エカチェリーナから本書への猛烈な反論があったそうだ。反論は当初匿名で出版されたので、著者が誰か論争の的になったそうだが、現在ではエカチェリーナ直々の著作だと認められている。

まあ、これだけ勝手なことを書かれたんじゃ、黙っていられないな。

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さて、本書『シベリア旅行記』の著者ジャン = バチスト・シャップ・ドートロッシュ
について、訳者・永見文雄の解説をもとにまとめておく。

この『17・18世紀大旅行記叢書』第1期のなかで、もっとも無名な人物であろう。
ベルニエやヴーガンヴィルのような社交界や宮廷関係の人ではなく、クックのような軍人でもなく、シャルダンのような商人でもない。

現代風の肩書きを付けるとすれば、天文学者である。

本書のシベリアへの旅行も、金星の太陽面通過の観察が主目的。
金星の太陽面通過というのは、渡辺博氏の解説に詳しいが、地球から見て、内惑星が太陽面を横切る時点に(本書の1761年6月)、地球各地からその視差を測定する。そのことから、地球から太陽までの距離を知る、という地球規模の観察である。
彗星な名がついているエドマンド・ハリーが予測した天文現象で、ハリーの死後にその遺志を継いで各地へ観測隊が送られた。

有名なタヒチのヴィーナス湾というのも、1769年に金星(ヴィーナス)を観測するための湾ということで名づけられたのは知ってますね。裸のお姉ちゃんが出迎える湾という意味ではありません。

さて、この1761年の観測は各地で充分な成果が得られなかった。次の太陽面通過が1769年で、この時シャップはカリフォルニアのサンルカス岬へ向かう。そこで、流行病にかかり客死。

本書は、国王の命令により科学アカデミーのシャップが行った旅行、国王お墨付きの記録である。

それでは本書は自然科学的な記録が多いかというと、最初にあげたロシア人の気質をめぐる考察にみられるように、あらゆることがらを盛りこんだ内容である。
ロシアの風土、産業、宗教、風俗、政治、裁判、軍事組織など、いわゆるフランス百科全書派的な著作になっている。

本書は省略のない全訳で、原注も挿図もすべて収録されている。

第6章 トボリスクの町案内
は、民族学的な観察記録。かなり偏向した記録であるが。

第9章 ロシアの人口、通商、海運、財政、軍隊について
は、CIAかジェトロの調査報告みたいな詳細な記録。軍港ごとの軍艦一覧表や一連隊の軍支出金額表まで載っている。

そんななか、第10章がとりわけ異様である。
別項で。

2009年11月16日追記

別項で第10章について書くつもりだったが、チベット仏教のタンカについて調べているうちに、いきづまって中断。そのうち書くでしょう。

モンテスキュー,『法の精神』(中),岩波文庫,1989

2009-11-03 21:50:59 | 翻訳史料をよむ
前項のシャルダンのペルシャ旅行記など、17世紀18世紀の旅行記を幅広く参照・引用している著作だと聞いているので、手にとってみる。
例によって、わたしは読んだことない。サルだな、まったく。

おもしろいのは、この中巻に収録された第3部・第4部だと聞いているので、この部分のみ流し読み。

いやはやおもしろい逸話や伝聞がてんこもりですね。
この著作を、三権分立論の嚆矢としてマジメに読む人たちは、この部分をどのように読むのだろう?

シモネタばかり強調するようで、下品だが、訳者の方々も苦労したらしい部分について。

トルコ、ペルシャ、ムガール、中国、日本で女性の貞節が守られていることに比べ、インドでは正反対だと例を挙げた部分。なお、インドというのは、この場合、現在の東南アジア一帯のことである。

p-94

第3部 第16編
第10章 東方の道徳原理

ここでこそ、人は、風土の難点を全く放置した場合、どの程度まで無秩序状態をもたらすかを見ることができる。ここでこそ、自然は理解しがたい力をもち、羞恥心は理解しがたいほど弱いのである。パタヌでは、女性の淫奔さは極めてはなはだしく、そのため男たちは女性の誘惑から身を守るためある種の保身具を用意することをよぎなくされている。

女性の淫奔さの例として、パタヌ(マレー半島のパタニ)があげられて、東南アジアの歴史を知っている人は、あははと笑いたくなるが、訳者の方々、この〈ある種の保身具〉の理解に苦しんだようだ。

ネタ元は
『東インド会社関係旅行記集』第2巻第2部196ページとある。
何度も引用されるこの『東インド会社関係旅行記集』、最初に登場するのは、上巻第1部 第5編 第14章 バンタムに関する記述である。

 p-143の原注で、
"Recueil des voyages qui ont servi a l'etablissement de la Compagnie des Indes"
という何巻にもなるシリーズであるようだ。が、その正体がわからない。

日本、台湾、東インドなどに言及されたときに引用されているので、これはオランダ東インド会社関係の旅行記をまとめたものと思われる。モンテスキューの時代にフランス語に翻訳されていたのか、それともオランダ語で読んで書名だけをフランス語に訳したのか不明。

で、いきなり憶測から危うい結論になるが、上記のネタ元は、

"Journaal van Jacob van Neck" in De vierde schipvaart der Nerderlanders naar Oost-Indie onder Jacob Wilkens en Jacob van Neck (1599-1604).

なんじゃないか?

アンソニー・リードの『交易の時代の東南アジア』のVol.1
で引用されている文献。
"Southeast Asia in the Age of Commerce"(ペイパーバック版、p-150)
邦訳『大航海時代の東南アジア(1) 1450-1680年 貿易風の下で』,法政大学出版会,新装版2002

やっと、〈ある種の保身具〉の正体を説明できる。

アンソニー・リードの本を読んだことがある人はすでにお判りだろうが(図も掲載されているし)、これは、女性の快楽を強めるため、男性のちんぽの先に埋め込む装身具、身体改造行為のことですね。
女をたっぷり満足させるために、男は苦痛に耐えてちんぽの先に、ビーズや真珠を埋め込むのである。

ええ?ほんとかよ、と疑う方も多いだろうが、たくさんの文献で言及されているので、本当らしい。

もちろん、アンソニー・リードが引用しているのは、モンテスキューの言う〈女性の淫奔さは極めてはなはだしい〉ことの例としてではない。そうではなく、家族関係や対人関係における女性の自立の例として挙げている。(しかし、ほんとに、こんなことが、実証的な例になるのか……という気もするが。)

以上、わたしの憶測と予断ですので、フランス語とオランダ語が読める方は、ちゃんと自分で調べてください。くれぐれも、このブログの文をみだりに信用しないように。

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モンテスキュー『法の精神』にもどると、この書物では、『17・18世紀大旅行記叢書』に収録された、ダンピア、シャルダン、ベルニエなどのアジア情報が頻繁に引用されている。
日本と中国の情報はイエズス会士報告書からが多い。また、ケンペル『日本誌』が引用されているように、オランダ東インド会社の雇用者としてアジアを見聞した記録も多い。

ようするに、モンテスキューとしては、世界中から集められた奇談を自著に散りばめたわけである。
そして、ヨーロッパの自由、アジアの専制、怠惰、淫奔を比較していくわけである。

ただし、モンテスキューによって引用された旅行記や布教記録を残した人々が、こんなヘンテコで奇抜なことばかり記録していたわけではない。(いや、たまにヘンテコな見聞があって、その部分も楽しいのですが)

シャルダンにしてもベルニエにしてもダンピアにしても宣教師にしても、自然環境から交易、生活習慣など、かなり冷静に記録している。

それなのに、本書に登場する東アジア・東南アジア・インド・中東は、専制支配に喘ぎ、怠惰で淫乱な住民が蠢く地として描かれている。
つまり、『法の精神』は、ルネサンス以前の無知や迷信から、啓蒙の時代の偏見と差別へ転換する時期の書物なのであろう。
こう決めつけると、まじめに研究している人たちから顰蹙を買いそうだが。