東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

星野龍夫・森枝卓士,『食は東南アジアにあり』,弘文堂,1984

2006-10-13 22:08:53 | フィールド・ワーカーたちの物語
星野(ほしの・たつお)さんは、文献研究の達人であり、タイ語とマレー語の現代文学の翻訳でも有名。
森枝(もりえだ・たかし)さんは、戦場カメラマンをめざした(?)が、食文化、料理方面の写真家・ライターとなる。

東南アジアの食文化・料理に真正面から取り組んだ日本最初の書物であろう。(どこまで食文化の本に含めるか、どこまで東南アジアに含めるかが問題になるが、おおまかにいって、本書が東南アジアの食を紹介した最初の本でありましょう。)

本書はちくま文庫で文庫化もされたが(文庫は未見)、その後の東南アジア料理ブームから見ると、内容は、いかにも古い。著者のおふたりも、おそらく、これほど東南アジア料理がブームになり、どうでもいい本がやまほど出版されるとは予想できなかったろう。
まったく前提知識のない読者に伝えるわけであるから、今読むと、実にまだるっこしい内容である。
レシピの紹介もあるが、この本書出版の段階で、これらの料理の味を知っている人はほとんどいなかったのではなかろうか?
いたとしても、高級ホテルのレストランで食べたことがある人、または、現地駐在経験のある人ぐらいじゃなかろうか?

巻末に、タイ語・マレーシア語・インドネシア語・フィリピン語・それに英語での食生活用語対照表がついている。
ベトナム語がないでしょ。
そう、まだベトナムやカンボジアは取材できない状態だったのだ。
そして、フィリピンは、タイやインドネシアよりも身近な観光地だったようだ。(あくまで、比較の上でのことですが)
この対照表は,今でも意外と役にたつ。特に英語が併記されているのが助かる。漢語も併記してくれればもっとよかったのに……。

大野力,『ニッポン人はなぜ?途上国青年との日本問答』,スリーエーネットワーク,1998

2006-10-13 22:02:50 | 基礎知識とバックグラウンド
著者は雑誌『思想の科学』関係者であるということ以外よくしらない。
本書は書名のとおり、日本に留学その他でやってきた人々の、日本に生活・文化に対する素朴な疑問を考察したもの。

全体として、日本文化に対する意外な視点をマジメに考察していておもしろいが、ひとつだけ、著者も気づいていないことをとりあげる。

「きりたんぽ」、あの秋田の郷土(?)料理の話。
著者が知人の韓国人に、きりたんぽでもてなしたエピソードである。
その相手の韓国人は何度も日本に来ており、日本語も達者な人である。そこで、大野さんは、ありきたりの日本料理じゃおもしろくないし、相手も飽きているだろうと思って、秋田料理店できりたんぽを食べることにする。
テーブルにきりたんぽ鍋がセットされると、相手の韓国人は、実にまずそうな、食いたくなさそうな顔をしている。
そこで事情を尋ねると、韓国からの客人から、「材料がきっちり分けられて並んでいて、まずそうだ。まぜてもいいのか?」ときかれる。
つまり、韓国の人は、ごちゃごちゃに材料がまじった状態をおいしいと感じるのだ。
著者がまぜてもいいというと、客人は安心してぐちゃぐちゃにして、おいしそうに食べはじめた。
と、いう話。

このエピソードは、日本と韓国の食文化の違いのなかで、日本通で日本語も話せる韓国人と、韓国人とのつきあいが長い著者の間だからこそ気がついた、微妙な差があるのだなあ、という例である。

であるが、しかし!
きりたんぽってのは、もともとぐちゃぐちゃにして、どんぶりで食うもんですよね、秋田在住のみなさん!(といっても、北と南でちがうし、最近は移住者や短期滞在の人も多いから、きりたんぽに関して共通のコンセンサスが得られない場合がおおい。)
つまり、このエピソードの韓国からの客人の食べ方が、標準なのだ。
料理店できれいに材料を並べた「鍋」は、きりたんぽとして邪道なのである。

というわけで、日本以外のアジアの人との習慣の差も大きいが、日本国内での差も大きいし、なかなか正確なところは伝わらない、ということ。

というわけで、きりたんぽというのは、鍋料理ではないのですよ。
と、いくらわたしが力説しても、信じてもらえない状態になってきました。
秋田市内でも、「きりたんぽ鍋」という表記が大勢になっています。

山田和,『インド不思議研究』,平凡社,2002

2006-10-09 22:03:05 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
著者(やまだ・かず)は、インドに関する重厚な著作もあるが、これは軽いエッセイ集。
でも重厚な著作よりも、著者の教養の深さとインドに対する冷静な観察力があらわれている。内容が笑える。
チャイがインドの飲み物になったのは、コカコーラがアメリカで発売されたのよりも新しい、なんて指摘はすごい。
パジャマとネグリジェの話題、東インド会社御用達(?)のブリキのトランク、ハゲと毛ジラミの話、どれもオカシイ!

磯淵猛,『一杯の紅茶の世界史』,文春新書,2005

2006-10-09 22:01:41 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
チャに関する本はやまほどあるし、紅茶に関する本もやまほどある。
ずっと以前から、玉石混交のジャンルである。
本書は、ヨーロッパ人の茶との遭遇、オランダ東インド会社、イギリス東インド会社、アヘン戦争、という世界史のメインストリームの事件、茶の栽培と加工、飲茶の習慣の広まり、福建省・雲南省・アッサム・スリランカ・ビルマなど栽培地への訪問、などなど幅広いトピックを扱っている。

ようやく、これくらいの幅広い視野から茶をとらえる視点が定着したのか……。
しかし、その分、各トピックの関連が希薄で、それをそのまま書き連ねた本という印象である。
とらえどころがない。

もうひとつ、ふしぎなこと。
飲茶がほとんど普及しない地域も多いこと。
この謎も、飲茶が広く深く普及したことと同じくらいの謎なのだが。

小井戸光彦 訳,ベルナルダン・ド・サン=ピエール 「フランス島への旅 」, 2002

2006-10-04 20:55:38 | 翻訳史料をよむ
『17・18世紀大旅行記叢書 第2期 1』,岩波書店, 所収。

こんなものが翻訳される時代になったのである。
しかも「17・18世紀大旅行記叢書」の1冊である。
「こんなもの」というのは、どんなものかというと……

わたしがこのベルナルダン・ド・サン=ピエールという人物の名を目にしたのは、たぶん荒俣宏の『別世界通信』(月刊ペン社)じゃあないだろうか。
ちくま文庫で再刊されたものも、オリジナル版も今現在手元にないので、うら覚えの記憶で書いているのだが、幻想文学、ファンタジーのルーツとして、サン=ピエールの『ポールとヴィルジニー』という小説が挙げられていたような気がする。
と、下書きしてから、現在入手可能な『別世界通信』をチェックしてみたが、上述のような内容はない。
と、すると、たぶん、『幻想作家大事典』で読んだんだろうが、これも手元にないし、チェックするのも現在不可能。(買った本は保存しておきましょう、といいたいが、どうせ忘れるものは忘れるし、無くなるものは無くなるのだ。本はどんどん捨てよう!保存するのは荒俣宏さんのような達人の金持ちにまかせておけばいいのだ。)

絶海の孤島でくらす美少女と美少年の物語ですよね、たぶん。
こんなものが、ゴシック、ファンタジーの分野から光をあてられるというのが、当時(つまり、『幻想作家大事典』が刊行された当時)理解できなかった。

その後、荒俣宏氏は、ご存知のように、博物学と美術、自然科学と幻想文学の境界線上の思想・文学・印刷物を衆生に説き、われらの蒙を啓いてきたわけである。
その結果、ヨーロッパの自然科学・博物学、啓蒙思想・政治思想・経済学、幻想・ホラー・ゴシック文学、そんなものが、実は、同じルーツからでたもの、ヨーロッパの異文化遭遇体験と植民地支配の状況から生じたものである、と、まあ、大雑把にいえば、そういう経路、体系を、われわれ一般人も理解することができるようになったのである。
そして、ヨーロッパ人の異文化遭遇体験資料を翻訳してきた『大航海時代叢書』『17・18世紀大旅行記叢書 第2期』の一冊として、本作品が翻訳されることになったわけだ。
めでたし、めでたし。

この第2期、フンボルトの南アメリカ旅行記まで、つまりダーウィンのビーグル号航海記の直前までの旅行記を収録している。
これらの旅行記の背後に見え隠れするのは、モンテスキュー、ルソー、ディドロといった、啓蒙思想家(もしくは、トンデモ妄想家、お尋ね者犯罪者)である。
ジャン=ジャック・ルソーなんぞ、このシリーズの著者たちからみて、かなり評判が悪い。

それでは、本書のサン=ピエールは、どうかというと、じっさいに海外に飛び出して見聞をひろめたにもかかわらず、書斎の妄想家とどっこいどっこいである。(妄想家であり、お尋ね者のルソーの後継者と捉えられることもあるようだ)
インド洋の島まで旅をするわけであるが、このシリーズに収録されたクックやゲオルク・ フォルスター に比べると、観察力が弱く、屁理屈力がまさっている。

たとえば訳者の小井戸さんが、奴隷制度にたいするサン=ピエールの矛盾した態度を指摘している。
奴隷制批判も、このシリーズ全体を覆う時代の思潮である。
そうではあるが、個々の論考、旅行記を読んでいくと、それぞれトンデモ論を展開し、好き勝手なことをぶちまけていた、ということがわかる。
決して、今日ふつうに用いられる言葉の意味で、理性の時代でも、人権の時代でもないのだ。(と、現在から見て容易に批判できるが、では現代人は、理性的で、この時代の人々よりも人権を尊重しているかというと、そんなことはないわけである。環境問題・エネルギー問題について一家言ある方がおおぜいいらっしゃると思うが、当時の奴隷制批判・反批判と共通する論旨があふれている。)

東京外語大のサイト、
http://www.tufs.ac.jp/common/fs/ase/cam/top/ot01.html
カンボジア関係書が紹介されているが、『ポールとヴィルジニー』が、カンボジア文学に影響を与えた作品として挙げられているんですが、ホントですか!!