東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

高野秀行,『イスラム飲酒紀行』,扶桑社,2011

2012-12-02 16:07:50 | 旅行記100冊レヴュー(予定)

初出

『ジー・ダイアリー』2006 マレーシア 2011 トルコ、シリア

『週刊SPA!』2008 パキスタン、アフガニスタン 2010 イラン、ソマリランド、バングラデシュ

『本の雑誌』 2010 チュニジア

書き下ろし カタール

おもしろかった。やっぱりエンタメ系旅本は文章力か。以下、本書の内容とズレるが、感想少々。

飲酒が許容されるか推奨されるか、それとも忌避されるか侮蔑の対象となるか。このことは、わたしも常々考えている。本書のタイトルのように、その原因を宗教に起因する、と早合点しそうだが、どうもそうではないのではないか?という気がする。飲酒に寛容であり儀式にアルコールを用いるはずのキリスト教徒でもUSAのように禁酒法を制定したりする。飲酒が五戒にはいっている仏教世界では酒が飲まれている。

必ずしも農民の社会は飲酒に寛容で、都市民は礼節を重んじるために飲酒に不寛容というわけでもない。必ずしも支配層だけが飲酒を独占し、被支配層には禁ずるというわけでもない。必ずしも都市のファッションとして飲酒がスタイリッシュなライフスタイルとみなされるわけでもないし、近代的な生活として持ち込まれるわけでもない。気候や宗教でも割り切れない。

ひとつの法則でくくれるような、許容・禁止、推奨・忌避、の原理はないようだ。




村井吉敬,『スンダ生活誌』,日本放送出版協会,1978

2012-12-02 16:06:57 | フィールド・ワーカーたちの物語

NHKブックスの一冊。

1975年1月から約2年バンドンに滞在した記録。ちなみに、妻といっしょの滞在と書かれているが、その妻が内海愛子という女性だということは、いっさい書かれていない。わたしはずっと、この村井吉敬と内海愛子という人はどういう関係なのかと疑心暗鬼だったのだが、たんなる夫婦であります。ちゃんと書いてくれればいいのに。

さて、その暮らしであるが、大家の婆さんとのトラブル、家政婦とのトラブル、窮屈な人間関係、寄付や物乞いや賄賂や意味不明に要求される金銭の問題が著者を悩ませる。留学生として入学した大学でも、わけのわからない金を要求される。これが異国で暮らすことなのか。たいへんな生活である。

本書を読んで、インドネシアでベチャと値段交渉するなど不可能だと思った。彼らベチャ引きは、日本人の百分の一ぐらいの現金で生活しているのである。反失業状態の彼らにとって、時間は無限にある。仲間うちでの束縛と助け合いの慣習ががっちり彼らを縛っている。同郷や同業の仲間の掟をまもらずに、外国人を安く乗せることなどできない。10分ほどで行けるところに、30分でも1時間でも交渉する余裕がむこうにはあるのだ。急ぐときにベチャなど乗ってはいられない。では、最初から、えーい持ってけドロボーと高額の金額を提示したらどうなるか。やっぱり彼らはさらにふっかけるだろう。やはり30分でも1時間でもねばるのである。充分高額な言い値だから納得するだろうというのは、こちらの勘違いであって、持てるものからは、よりいっそうふんだくらなくてはならない。

だからいつまでたっても金がないのだ、もっと合理的に考えられないのか、と腹をたてたくなる。腹をたてるのももっともだが、彼らに、経済的な合理性を求める根拠がわれわれにあるか?そして、合理的に勤勉に競争原理で働いたら、彼らは豊かになるか?そんなことは、ありえない。

と、著書が書いているわけではない。

著者はぎりぎりの生活をしている農民や農村からはみでた半失業者の現実を描いているわけだが、解決の道はとうていみつからない、絶望的な状態である。読んでいて暗い気持ちになる。

著者は日本製のオートバイの普及にあまり良い印象をもっていないようだが、本書を読むと、インドネシアの比較的裕福(といっても、日本の基準からみてかなり低い所得の層)が、オートバイに憧れるのも理解できる。公共交通が機能せず、インフラの不足を自前で補わなくてはならない層にとって、オートバイは素晴らしい資本財だろう。おまけにかっこいい。著者には、どうも、このカッコよさに憧れる欲求不満の若者の心情が理解できないところがあるように思える。いや、本書全体の欠点ではないけれど。


藤原新也,『全東洋街道』,集英社,1981

2012-12-02 16:06:08 | 旅行記100冊レヴュー(予定)

初出 PLAYBOY日本版 1980年7月号から81年6月号。

文庫 集英社文庫1982 上下2巻。

装幀 杉浦康平。目次の反転した(地球の内部から見上げたような、しかも南を上にした)地図がすごい発想(装幀者の発想ではなく著者の発想)。

1980年2月4日から81年3月12日まで402日間の旅

イスタンブール 冬海峡/アンカラ 羊の腸のスープ/地中海アンカラ 薔薇の日々/黒海 夢海航路/シリア・イラン・パキスタン イスラム思索行/カルカッタ 東洋のジャズが聴こえる/チベット 深山(みやま)/ビルマ 金色の催眠術/チェンマイ 草の娼楼/上海 神なきカテドラル/香港 満月の海の丸い豚/朝鮮半島 紅の花、黒い雪/高野山・東京 旅やがて思想なり

毎日芸術賞受賞の作品であるが、芸術のわからないわたしから見ると、何が写ってるのかわからない写真多し。文章と写真が関係ない、つまり、写真がなくとも成立するんではないか?と思える写真集である。芸術写真のわからないアホの見方だと笑ってくれ。

よくもわるくも、ある種の方向付けを示した、画期的ともいえる作品ではあるのでしょう。

暗い景色、ブレた写真。雪と雨、暗い室内。酔っぱらい、娼婦、乞食、僧侶、市場。著者の文章には、おめでたい繁栄に酔う日本人への呪詛のような言葉がほとばしる。このあと、さらにバブルのお祭り騒ぎが始まるとは、著者も予想していなかったろう。

一読の価値あり。

10年前だったら、読むのはいいけどマネをしないでください、と注意書きをつける必要があったかもしれないが、今じゃマネをしようとする若い者はいないかな……。