東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

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ダンドゥットの謎にせまる その4 ラテン味

2014-11-15 16:46:31 | 音楽 / ミュージック

ずっと前の記事で、リンク先が消えたり、内容が古くなっています。

ダンドゥットの記事なら以下のブログへどうぞ(怪しいサイトではございません)

 https://hap-pya-ku-bikini.hatenablog.com/

 

 今回のテーマは「ラテンの影響」です。ただし、この場合ポルトガル系の影響、クロンチョン・ビートとの関係ではない。キューバ、プエリトリコ、北米のラテン、それにメキシコ系の歌の影響についてです。そういうこまかい区別が苦手な方にも判るように、がんばって書いていきましょう。

 田子内進,『インドネシアのポピュラー音楽 ダンドゥットの歴史』,福村出版,2012 の第4章に次のような記述がある。(p115-)

 スカルノ大統領は西洋音楽文化を排斥し、民族文化振興をすすめた。この時、つまり1960年代前半に排斥の対象になったのはロックン・ロールやビートルズなどであった。

 1964年10月からジャカルタで警察当局による一斉検挙・没収オペレーションが開始された。ビートルズやローリング・ストーンズなどのレコードがジャカルタのレコード店から没収され、同様のオペレーションがスラバヤやバンドンなどの地方都市にも拡大していった。(p119)

 ふーむ、と読みすごした読者もいるだろうが、わたしは、こんなことが実際にできたのかと思いましたね。だって、この時期、インドネシアでその種のレコードは製造されておらず、没収するとすれば輸入盤である。オペレーションに従事した警察官は、区別できたのだ。インドネシア語はローマ字を使っているから、名前ぐらい読めたでしょうが。

 そして、この当時、ビートルズとローリング・ストーンズを、そのサウンドで区別するというのは、たとえば、ジーン・クルーパは良いが、ケニー・クラークとフィリー・ジョー・ジョーンズはダメだ! というようなもんでしょ。つまり、名前やヘア・スタイルだけで判断しただけである。それでは、スカルノや文化相が推奨した音楽はどんなものだったのか。

 これらの地方音楽の振興政策の中で模範とされたのが、西スマトラのミナンカバウ音楽である。ミナンカバウ音楽は、1959年にグマラン(Orkes Gumarang)の女性歌手ヌルセハ(Nurseha)が歌った「私の鶏が逃げた(Ayam Den Lapeh)」の大流行で全国に広がった。この曲はミナンカバウ音楽にラテン音楽の要素を大幅に取り入れ、厳密には伝統的なミナンカバウ音楽と呼べる曲ではなかったが、ミナンカバウ語という地方語で歌う曲を全国的に大流行させたグマラン楽団の成功は将来のインドネシア音楽の在り方を示すひとつの基準を政府に提供した。そして、グマランの演奏するミナンカバウ音楽は、1960年にはムラユ音楽を凌ぐ程になっていた。(p121)

 本書が発売されてから2年、youtube にも過去の音源が増えてきた。ではyoutube で、その Ayam Den Lapeh を聴いてみよう。いつものように、ブラウザのキャッシュやクッキーを消して、youtubeのアカウントを持っている方もログ・インしないで、白紙のまま聞いて欲しい。youtube内の最大公約数的好みの曲・歌手がサジェストされる。

 まず、ヌルセハのもの。

NURSEHA - ayam den lapeh

 これが本当に最初の録音であるのか、100%の確信はない。カセット再発からの音であるようだ。サウンドは聞いての通り、ほぼラテンである。ボンゴとコンガを使っているようだ。男性コーラスのバック、ピアノなどラウンジ風ラテン。

 画像に写っている男性は作曲者Oslan Huseinである。このチャック・ベリーそっくりの人、かなりの大物なのである。

 インドネシア版wikiによれば、西スマトラ州パダン出身で1931生まれ。マンボ、ハワイアン、ロックンロールのインドネシア版からムラユー・ポップなど何でもやっていた人で、かなりいい味をだしている。ビートルズやローリング・ストーンズより、よっぽど危険な味だ。チャック・ベリーがロックン・ロールばかりでなく、ラテンやブルースの影響もあったのと同じく、このフセインも何でもやった人なのだ。スカルノが推奨した「地方文化」というのは、このような中南米、アメリカ合衆国の影響をモロに受けた人の手で代表作が作られたわけである。ベネディクト・アンダーソン著『想像の共同体』とばっちり重なる現象ですね。(わたしのブログを読んでいる方には説明不要でしょうが、この人はインドネシアの研究者であった。インドネシアの9.30事件が軍部の陰謀であったという論文を発表したため、インドネシア入国禁止になり、研究領域をタイやフィリピンに変えた)

Oslan Husein ~ Es Mambo 1965  その0で紹介済みのSweet Memories というコレクターの方からのアップロード。10枚ほどのビニール盤が聴けます。なんでもありのゴタマゼ状態で、ダンドゥットの精神が、こうしたポップ、ラテン系のミュージシャンにも脈うっていたのが判る。

 さて、「私の鶏が逃げた」に話をもどそう。正しい地方文化の見本のようなこの曲に、エレキギターをバックにして録音した、ケシカラン女性歌手がいるのだ。

Elly Kasim.....AYAM DEN LAPEH

 なんじゃ、これは、エレキ・サウンドではないか! 地方文化に対する冒涜だ! とは、言われなかった。その反対で、このヴァージョンのほうが有名なようだ。(ちなみに、1960年代風のサウンドを愛する方やシングル盤コレクターの熱意により、この周辺の映像が最近たくさんアップされている。)しかも、この歌手、エリー・カシムは、ミナンカバウ音楽を代表する女性歌手として捉えられているのである。後年再録音した、ラテン風の ayam den lapeh を聞いてみよう。

Ayam Den Lapeh - Elly Kasim

 おお、大物になって貫禄もついて、ラテン風に戻ったか。バックのブラスもいい味ですね。踊りの映像も楽しいね。しかし、次の(確証はないが)さらに後年らしい、バージョンを聞いてみよう。

Elly Kasim - Ayam Den Lapeh

 ブラスがシンセに変わり、ラテンのリズムはダンドゥットらしくなっている。さらに若い世代の別の歌手を聞いてみよう。

Ayam Den Lapeh ~ Ria ~ Nostalgia Minang Pilihan

 もう、完全なダンドゥットだ。そして、このビデオをアップした人は、Nostalgia Minang 、つまりミナンカバウの懐メロと捉えているのである。

 ここに我々外国人が捉えるダンドゥットと、インドネシアの人が捉えるダンドゥットの概念との違いがある。こちらは、インドネシア語さえ判らないが、地元の人はまず歌詞で区別するのである。ユーチューブには、lagu ... というさまざまな地方音楽がアップされているが、言葉がわからない者からみると、ほとんどダンドゥットである。ダンドゥットでなければ、pop Indonesia つまりインドネシア語のバラード風ポピュラー・ソングと区別できない。

 ダンドゥットの中のラテン味は、ダンドゥットという呼称が生まれる前のムラユー音楽の時代から濃厚にただよっている。インドネシアのポップ・ミュージックに影響を与えたマレーのポップ・ミュージックにすでにラテン味は染み付いていたのだ。日本では田中勝則さんが研究・紹介しているように、次のようなものがいっぱいある。

SALOMA - CHIK CHIK CHIK BOOM 1950s 数千の音源・映像をアップロードしている方です。多すぎて捜すのに苦労する。

SALOMA - POLYNESIA MAMBO 同じく

 もっとも、ダンドゥットの中のラテン味は上のような、いかにもラテン風ではなく、曲の盛り上がりやメロディーにラテン風味を残すものが多い。日本の歌謡曲でいえば、ザ・ピーナッツ「恋のバカンス」のようなラテン歌謡そのものではなく、郷ひろみ「よろしく哀愁」沢田研二「危険なふたり」のようなロックやソウル・ミュージック的なアレンジをしているものである。

 実はこの要素がダンドゥットを聞いた日本人が「演歌的」と感じる要素ではないかと思う。だいたい日本の演歌がラテンに小節をきかせたようなものだから、似てくるのは当然だ。(参照 輪島祐介,創られた「日本の心」神話 「演歌」をめぐる戦後大衆音楽史,2010, 光文社新書)

Oslan Husein ~ Menimbang Rasa 1968

 この曲もここでは柔らかいビブラートのない歌い方だが、ダンドゥット風の小節・唸りを入れるともろに演歌だ。インドネシアでは、北米のロックンロールやティーン・ポップと同じような西洋風のポップ・ミュージックとして受け入れられたのだ。いや、日本でも同様で、1960年代は、ごちゃまぜの洋楽風であった。

 ダンドゥットがラテン風であることを止めないのは、インドネシアのファンがその手のメロディーばかり好きだというわけではない。ブルース進行やブラコン(死語!)、アダルト・コンテンポラリー風の曲はpop Indonesia や Rockと分類されるほうで採用されている。

 おそらく西洋風の曲構成の中でラテン風が一番最初に受け入れられ、それが今日まで続いているのだと思う。その後もダンドゥットの世界では、ラテン風のメロディーを生のまま使った曲が作られ、受け入れられていく。「セレス・ローサ」とか「キサス・キサス・キサス」など直接パクったものも多いし、部分的にラテンのメロディーを使うのはやめていない。わたし自身はけっこう好きで、次の曲の哀愁をおびたメロディーなどいいじゃないですか?

Zaskia Gotik - Bang Jono - Remix Version - Official Music Video  このヴァージョンは2014



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