東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

ギボン,『ローマ帝国衰亡史』

2008-02-13 21:36:48 | ブリティッシュ
1ページも読んでない。
前項『大英帝国という経験』で知り、ウェブを検索してみた。
どういう書物かというと……

まず、英語で書かれた文学作品の古典である、ということ。
ローマの賢人や暴虐者の有名なセリフは、ここから採られていると思えばよい。
日本でいえば、小説版やマンガ版の三国志みたいなもんか。

つぎに、これはイギリス人の心情を表した書物である、ということ。
つまり、18世紀から19世紀の大英帝国を理解するための書物である。
けっして、オスマン帝国やトルコ共和国の歴史ではない。(あったりまえだ、といわれそうだが、ここで描かれた歴史は大部分オスマン帝国の範囲の物語である。)

三番目に、(日本のウェブ上でとんでもない勘違いがみうけられるが、)キリスト教の権威の否定や相対化、世俗化、を隠した書物である、ということ。
フランスの啓蒙思想家のようにめちゃくちゃを書けないイングランドにあって、こっそりアンチ教会を表明したものであるようだ。

後世になると当然、その後の実証的歴史学からみて価値なし、という評価をくだされることになるが、大衆的読み物として人気があった。いろいろなアブリッジ版もでて、英語圏の教養の常識である(あった?)ようだ。
アイザック・アシモフやスター・ウォーズのルーツであり、通俗的なコスチューム映画のモデルでもあるようだ。

そして、おおかたの歴史研究者からすると、今さら歴史書としての価値をうんぬんするのは大人げない、敬して遠ざけるタイプの書物であるようだ。

で、1ページも見ないのはなんだから、図書館に行って筑摩書房版(中野好夫が始めて朱牟田 夏雄・中野好之へと引き継がれた訳業)を見る。
うーん。読みやすい文章だ。
しかし、この長い話を読み通す気力(というか興味)はないなあ。

中野好夫のあとがきによれば、やはり固有名詞の表記をどうするかが問題で、ローマ時代の官職やキリスト教用語も統一されていないことが訳業を困難にしているようだ。
ダン・シモンズの訳者・酒井昭伸さんも同じような悩みを書いていたので、永遠に解決されない悩みなのだろう。

で、無料の電子テキストで1ページめを読んでみた。
あ、読める。
こんなふつうの文章でかかれているのだ。
もちろん中野好夫の訳文は日本語としてすばらしいが、原文とはちがうのだな。

しかし、やはりこの原文の固有名詞の山を乗り越えて読むのは、普通人には不可能だな。(読みかたがわからん!!)
英語圏では、この英語式の人名・地名を平気で使っているわけで、彼我の言語感覚の差を感じる。

この感覚のちがいこそは、大英帝国と属国日本のちがいか!?

なお、筑摩書房版(ちくま文庫)も註は一部しか訳されていない。
バートン版『アラビアン・ナイト』と同じように、おちゃめな註がいっぱいあるそうだ。
無料の電子テキスト版でも註付きあり。
Edward Gibbon (1737-1794), "The History of the Decline and Fall of the Roman Empire", 1764-1788.

井野瀬久美惠,『大英帝国という経験』,講談社,2006

2008-02-13 21:34:23 | ブリティッシュ
シリーズ「興亡の世界史」16巻。
著者の一般向け著作はだいぶ読んでいるので、まあ復習のつもりで読んだが、こうしてまとめられると、あらためて自分の知識の空白を思い知らされる。

ジグソー・パズルの断片がパチンパチンとはまっていく感じで読了。

カナダ・イラク・ブリストルなど知らない世界、あるいは、フローラ・マクドナルドやメアリー・シーコルなど知らない人物がいっぱいあるのだな。(スカーレット・オハラについても知らなかったくらいですから……)

なお、おそらくシリーズの他の巻との分担によるものと思われるが、東南アジアに関する事項はほとんどなし。ラッフルズもブルックも登場しない。だからわたしにとってはかえってよかったのだが。

Read This First: ASIA & INDIA, Lonely Planet, 1999

2008-02-10 22:32:50 | 実用ガイド・虚用ガイド
もう4か月前のニュースだが、最近知った。
ロンリー・プラネットがBBCに買収されたそうだ。

このガイドは、ちょうどウェブの情報が紙メディアと拮抗していた時期に出たもの。
この後、本書に載っているような情報はウェブ上にあふれ、このシリーズも改訂版はでていない。

わたしがロンリー・プラネットを知ったのは90年代にはいってからだ。
当時はオーストラリアの本社から直接通販で買っていた。のんびりした時代だったのだ。
外国書籍を扱う書店は、1ドル=360円ぐらいで販売していたような時代で、めんどくさくても通販で買ったら半額以下だったのだ。(「歩*き*か*た」とほぼ同額だった。)

そして、当時は知らなかったが、ロンリー・プラネット社の方針が変わりはじめた時期であったようだ。
つまり最初は、体力も好奇心も時間もある比較的ゆたかな状況にある若いものであっても外国旅行はたいへん時代で、できるだけ金をかけずに楽しむ、というタイプを対象にしたガイドであった。

それがまず家族向け、つまりこども連れもターゲットにいれ、身体障害者や老人、宗教的な少数派のための情報もふやし、ビジネスマンの短期滞在にも対応した情報ももりこむ、という具合に変わっていった。
当初の無鉄砲なわかもの向け情報は減り、危険情報をしっかり書いて、環境保護もうったえ、現地文化を尊重しようと、うるさいくらい忠告する記事になっていったようだ。

*****

それでこのシリーズRead This Firstであるが、まったくの初心者への出発前のアドバイス集である。
アフリカ・中南米・ヨーロッパと、このアジア篇の計4冊がでていた。
計画・資料の集め方・費用・ビザなどの書類関係・航空券・出発から帰国まで・通信メディア・病気対策・寝る場所と食う場所、などなど。

国別・地域別ガイドの冒頭で述べられていることをまとめた体裁。つーか、二重売りじゃないかってな内容もあるが、おもしろい。
ロンプラ・ガイド全般については、なにしろトップ企業だから批判や苦情も多い。不必要な情報が多すぎるとか、重いとか、地図がみにくいとか。
そういう批判はもっともだろう。とくに日本からの旅行者としては、食い物や言語の情報はほとんど不要だ。(だから、中国篇や韓国篇は実用にならないだろう。)

しかし!最大の長所は、これは村上春樹の受け売りなんだけれど、読んでおもしろいことだ。
ユーモアとしゃれがあって、興味ない分野の話でも読める。(本書中の日本のハイテクトイレのコラムなど爆笑ものだ。安宿の牢名主のような「リアル・トラヴェラー」をちゃかして、ムリしてハードでリアルな旅を自慢することはないよ、というコラムもあり。)
日本の旅行ガイドのきまじめなマニュアル言葉の羅列は、読んでいてイライラするでしょう。あのクソまじめな文体は、ひょっとして元のソースを翻訳するときのかんちがいじゃないかって気もするのだが、いやいや、日本のメーカーが外国製品をパクるわけありませんね。

それで、この ASIA & INDIA は日本からパキスタンまでカバーしているわけだが、各国別のかんたんなデータとコースがあり、ハードな国、初心者向けの国、金がかかる国安い国が比較されている。
日本はやっぱり格段に費用が高額で、便利で、なんでもそろっていて、英語も通じる国ってことになっている。

そして、ロンリー・プラネットの出版物は英語圏およびヨーロッパ全域からの旅行者に利用されているわけだが、彼らからみると、日本からパキスタンまでのアジアは、憧れの旅行地であり、恐ろしい混乱の地であり、まったく異なる文化・風習をもつところだというのが、よーくわかる。
こういう地域を生まれてはじめて見るヨーロッパ人・英語圏人というのは、まったくすばらしい経験をすることになる、というわけらしい。(温泉や滝に感動し、ハイテク都市に仰天するようだ。)
が、しかし一方では、あらゆる瑣末なことに適応するのがたいへんで、ひじょうに困難な旅行でもあるようだ。(ハシなんか使えなくても困らないし、しゃがみ式トイレを恐れることもないと思うのだが。)

そういう事情を考えると、白人旅行者専用ゾーンができたりバックパッカー専用のゲストハウスやレストランができるのもしょうがないってことか。(もっともアメリカ合衆国からの旅行者というのは、さらに不適応で単独行動が苦手で、ロンプラのガイドを実際に使っているのは旧大英帝国と英語圏以外のヨーロッパ人が多いような気がする。)

というわけで、今や時代おくれの紙媒体ガイドの話でした。
けっ、ハクジンのまねして、こんなガイドもっていやがる!なんてひがむ人もいますが、白人旅行者に会いたくない方も、ロンプラを読めば避けられますので、どうぞ。

北原白秋,『フレップ・ トリップ』,岩波文庫,2007

2008-02-07 21:37:31 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
大英帝国のキプリングあたりと共通した人物ではないかな、この北原白秋という人は。もっとも、世界を制覇した本家とはスケールがちがうが。

書誌事項は最後にして、まずこの紀行文の旅行について。

1924年(大正14年)8月の樺太旅行。
横浜の港から豪華客船にのって、小樽―国境の安別(あんべつ)ー沿岸を南下して、真岡(まおか)―鉄道で本斗(ほんと)―自動車で豊原(とよはら)―大泊(おおどまり)―敷香(しくか)、最後に海豹島(かいひょうとう)、ここで紀行文は終わる。その後稚内から北海道にはいり、道内を旅行して帰る。

豪華客船というのは関釜連絡船として使われていた高麗丸(こままる)、白秋は朝鮮総督用の最高級スイートにおさまる。
という時代であるので、これは国内旅行なのだ。

この文庫版は新字新かな表記で、ルビは初出誌やアルス版全集からふられているが、註はいっさいなし。
註釈がなくとも、どんどん読めることは読める。
この時代の文章が、読んだだけで理解できる上限かな……。

とはいうものの、はたしてわたしは、この著者・白秋のセンス、おおげさにいえば世界観を理解しているのだろうか。

アヴァンギャルド運動、人道主義、ダダイズム、素朴主義など、さまざまなヨーロッパの思潮がおしよせた時代であるとともに、白秋のようなハイカラな知識人にも、江戸風の教養や身体感覚が残っていた時代であるなあ、とつくづく思った。

おことわりしておくが、白樺派や新感覚派など当時の文藝思潮にかんして、わたしはとおりいっぺんの知識しかないし、たとえば本書にもちらっとでてくる永井荷風なども知らない。そういう者の感想として以下読んでくれ。

白秋のまわりの知識人たちは、ヨーロッパの最先端をぐちゃぐちゃに勘違いして採りいれると同時に、海外領土のある帝国の中核に住む文人として国民文化を創造し、また同時に民衆の生活感覚とはまったく異なるハイ・ソサエティに位置し、はたまたそれと同時に昔風の気質も備えていた、ということだ。

たとえば、本書の中で描かれる樺太在住の日本人など、まったく風景のなかの添え物、詩歌の題材のようにしか描かれない。
豪華船のシステムは外洋航路客船のようだが、男ふたりが平気でスイートに泊まったり、朝食にみそ汁をもとめたり、泥酔して高歌放吟したりと日本内地のまんま。
「日本語が世界語であったなら……」とヨーロッパかぶれを非難する。
あるいは、国境の向こうのソ連(もう、ソ連になっていたんだよ)に対しても、とくに敵愾心や政治的関心はなく、エキゾチックな異郷とみている。
ロシア人やアイヌを見る目も下等種族を愛でるような態度。しかし一方、白秋とおなじように珍しい動物をみるように群がる他の日本人観光客には不快感をしめす。
樺太神社を参詣した時は、すなおに皇国の興隆をよろこぶとともに、民衆には理解不能な神話談義にふける。
p294の見世物小屋にかんする表現にはびっくり!(各自読んでみて!)

こういう奇妙な時代だったのだ。

解説(山本太郎)が触れているように、この旅行の時期は、宮沢賢治の『春と修羅』『注文の多い料理店』がひっそりと出版された頃でもある。
辺境の宮沢賢治と中核の北原白秋には奇妙な共通点がある。(『銀河鉄道』が樺太鉄道をモデルにしているのは、よく知られていますね。)
あと、最後の海豹島は久生十蘭も題材にしていた、日本の北のはての島。

初出は月刊誌『女性』1925年12月から27年3月まで。
初版がアルスから昭和3年(1928)、その後アルス版白秋全集第15巻(1930)に収録、新潮文庫で昭和15年(1940)、以上が戦前の版。
戦後は岩波書店版・白秋全集19(1985)に収録されるまでなし。

これは記憶があいまいだが、白秋全集の出版が80年代まで実現しなかったのは、著作権継承者もしくは遺族の反対があったためであるようだ。
まさか、本書が白秋のイメージを落とすという理由になるはずもない。

おそらく「ようこそヒトラーユーゲント」のような歌詞が問題になったのだろうが、いやあ、そんなことにこだわるのがおかしいよね。
問題にするとすれば、この紀行に書かれた内容のほうが、ずっとヤバイ。

この紀行文を読んで、和風オリエンタリズムと国民文化の創造、あるいはアヴァンギャルド藝術と児童善導思想などが、奇妙にごちゃごちゃにからみあっているのが、よーくわかりました。同行の歌人・吉植庄亮(よしうえ・しょうりょう)との弥次喜多道中のような会話など、雑多な要素が満載。
知られざる(ですよね)重要作!

三輪隆,『世界美少女図鑑 アジア編Ⅰ』,巡遊社,1989

2008-02-07 21:27:31 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
問題作!

まず書誌事項から。
いま手元にあるのは、
〈新装改訂版〉世界美少女図鑑 アジア編(Ⅰ)
という奥付表記。NDL-OPACによれば、〈新装改訂版〉ではないものが1988年に出版されている。未見だが、たぶん内容はほぼ同じであろう。

表紙カバーに「タイ・黄金の三角地帯」という副書名がでかでかとでているので、こっちを書名にしたデータもある。
「タイ・黄金の三角地帯」という本と「世界美少女図鑑 アジア編(Ⅰ)」という本がべつべつに存在するわけではないので、注意。
また、「アジア編(Ⅰ)」とあるが、(Ⅱ)とか、アジア編以外は存在しない。

出版社の巡遊社というのは、本書以外の出版はないので、おそらく著者の個人出版であろう。
著者のサイトで入手可能。(同姓同名が多いので注意。タイで教育関係のボランティア「さくらプロジェクト」をやっている方です。)

さて、キワモノめいたタイトルである。
ちょっと手にとるのがはずかしい。
内容は、コミック誌の巻頭グラビアのような、さわやかなショットの美少女スナップ。けっしてダーク系・鬼畜系ではありません。

著者はプロの編集経験があり、カメラもプロ級らしく、造本もレイアウトも印刷も文章もきちんとしてセンスいい。けっしてしょぼい自費出版ではないので、2800円というねだんも妥当でしょう。(ただし、現在では前記「さくらプロジェクトのサイト」で、ほぼ同じ内容の写真や文が閲覧可能。)
美少女の採集地は、北タイのメーサイ・チェンライ・メーホンソン・ターク・チェンマイなどの小さい町や村。つまりタイ領内に住むリス・ラフ・アカ・モン・カレン・ヤオの少女たちのスナップ。
観光客向のいわゆる民族衣装を着た写真もあるが、大部分は普段着の古着をきて、家のしごと中や通学途中の写真である。

ラオスやミャンマーの旅行はむずかしかった時代なので、タイ国境地帯の山地や盆地で採集したもの。
アオザイで自転車にのるリセエンヌもよいが、山地の少女も日本のグラビア・アイドル級の美少女がいっぱいだ。
ついついステレオ・タイプの〈くったくのない笑顔〉なんてフレーズを使いたくなる、いい表情、いい写真がいっぱい。

で、問題作という意味はというと、
やっぱり、これは、共有資産の強奪では、と思わないでもないのだ。(肖像権などの問題ではない。肖像権などについては今はパスする。)
ことわっておくと、わたしは、自他ともに認めるロリコンで、家族も知っているし、本書のような写真が、けっしてヨコシマな下卑た下心をもったものではない、というのはよーく理解しております。

しかし、このように旅行者が写真をとって、それを出版すること自体が、この娘たちを市場経済にまきこみ、貧困におとしいれることに加担しているのではないか、と思ってしまう。
バンコクやチェンマイで行われている性産業も、このような純真な幻想を背景にして成立しているんじゃないか、とも思う。
実際は、著者のような旅行者がいようがいまいが、本書のような写真集がでようがでまいが、性産業にむらがる業者と客は存在するんでしょうが。(売春問題については本書の中にも記述あり。)

著者としては、自分の出版物を弁護してもらう必要はない!というだろうが、読者の側として、少々の弁護をすると、いわゆる少数民族の人々を弱い存在、素朴な生き方、あるいはたくましい生き方と見るステレオ・タイプよりも、日本の雑誌に掲載されるアイドルと同じような視線でとらえるという発想が新鮮だ。
よい、悪いというより、いつかこういうものが出現するわけで、そういう意味でパイオニア的な視点をもった作品であった。
〈かわいそう、かわいそう〉という同情して見下す視点よりも、この娘たちの持つプラスの価値を発見した作品である。

さて、著者のサイトをみると、現在タイで教育を援助するプロジェクトをしている。
わたしとしては、学校に行ったとたんに、少女たちの〈きらきらした瞳〉はくもり、〈くったくのない笑顔〉はたちまち劣等感と嫉妬にむしばまれるのではないか、という心配もするのだが。(誤解をさけるために書きくわえると、本書にうつっている少女たちも、ちゃんと学校に通っている子が大部分である。)

でも、まあ、そんなことで壊れるようなものは、壊れてしまってもいい、とも思うんだな。
まあ、勉強して、女買いやクレジットにだまされないようになってくれ。
きみたちの澄んだ瞳やこぼれるような笑顔は、外国からの旅行者のためにあるのではないからな。

塚谷裕一,『秘境ガネッシュヒマールの植物』,研成社,1996

2008-02-03 21:28:18 | 自然・生態・風土
自然科学系の野外調査のようすを描いた見本のような本。
著者は最近まるごと一冊ドリアンの本を書いたように一般向けの著作も多い方であるが、専門の植物の発生遺伝学の分野では重鎮であるようだ。

本書は、日記風に綴られた研究旅行の記録。
平成六年度文部省国際学術研究学術調査「ヒマラヤ高山帯植物相の起源と形成過程についての比較研究」の一環。
1994年7月から8月、カトマンズの北西、ドウンチェ出発ガネッシュヒマール峰のふもとをめぐってベトラワティまで反時計回りのトレッキング・コース。

あっと、雨季、モンスーン季の調査だ。ここが普通の登山やトレッキングと異なる点で、オフ・シーズンなのだ。

トレッキング・コースというのは頂上制覇をめざさず、山のふもとをまわるコースだが、そこはヒマラヤ山系、最高度4400m以上まで登る。
ポーターを50人以上やとい、隊員五名にそれぞれ選任のシェルパが補佐する。
つまり、ポーターの管理、テント設営、食事などすべてまかせ、隊員は植物採集と標本作成に専念できる体制である。

ここが遊びやサミット・アタックと異なる点である。
ネパールとなると、登山隊や研究調査隊へのポーターやシェルパの仕事は一大産業であり、伝統職人技であるので、あらゆる点でサポートがいきどどく。ここいらへんは、インドネシアやミャンマーとは大違いだし、中華人民共和国となるとさらに別種のトラブルがあるし、インドはもっとやっかい、であるようだ。

逆にいえば、こうした職人技や組織体制がないと、外国からの研究調査がはいっても短期間で成果をあげるのは不可能である。

とうぜんながら植物の話題が多い。
アラビドプシス・ヒマライカという植物の採集が第一の目標。
セーター植物と呼ばれる、花のまわりを毛でくるむ形に進化した植物があるのだが、(実際本書の中にも写真あり)、その遺伝機構が目下のところまったくわからない。「寒さに耐えて子孫を残すべく」花を毛でおおうように進化した、というのも仮説にすぎない。
その研究の基礎のための標本採集である。

調査地域は人口が増え、放牧地がひろがっていく地域である。上記アラビドプシスも家畜の食害により繁殖地が減少しつつある。
そのほかメコノプシス・パニクラータというおもしろい名(といっちゃだめか)のケシ科植物など、マニア垂涎の花々がいっぱい紹介されている。

前川健一,『旅行記でめぐる世界』,文春新書,2003

2008-02-02 08:57:30 | 実用ガイド・虚用ガイド
敗戦から1970年代まで、日本人の海外旅行が実質的に不可能な時代から、留学生(いまはやりの語学留学ではないよ)・外交官・新聞社特派員・コネのある大金持ちだけが海外へ行ける時代、さらに若者の無鉄砲な海外脱出、学者の研究旅行、企業の海外駐在員、そして大衆化した海外旅行の時代までの旅行記の案内。
超有名作から意外な著者による作品、著者自身が隠しておきたい恥ずかしい作品まで紹介されている。

旅行記を紹介する本として、基本的な一冊であり、わたしも参考にしております。

で、本書以外でも前川さんが書いていることを参考にして、1960年代から70年代の旅行記出版事情のことを少し。

1964年4月から海外旅行が自由化されたとはいえ、実際に行けるのは、報道関係者か大企業の幹部、あるいはほんとに優秀な学者、そしてあぶく銭を持った大金持ち、俳優や芸術家である。
その当時、旅行記は、たんに行って帰ってきた、という今読むとまったくつまらないものがけっこう出版されていた。

ベストセラーの小説家をかかえる出版社が、作家へのサービスとして取材の海外旅行のめんどうをみる。
あるいは、教科書の出版などで世話になっている出版社が学者の旅行記を出版する。

結果として、自費出版のような、まったくおもしろくない旅行記が多かったのだ。
もちろん、作家や学者の旅行記だからこそ質が高く、今読んでもおもしろいものもある。そうした後世にのこる傑作も本書に紹介されている。

もっとも本書に紹介されている本の中で、わたしがいちばん読みたいのは第3章(4)の『マダム商社』なのだが、入手できずにいる。
この本は、加藤剛『時間と空間の旅』(めこん)の中でも紹介されてきた悪名高い作品で、どっかの文庫に収録して欲しいのだが。
鈴木紀夫,『大放浪』が朝日文庫(1995)に収録されたぐらいだから、著作権者を説得して文庫にならないかなあ……。「セレブの異文化体験・日本女性の誇りを世界に発信」てな副題はどうでしょうか。

さて、内容のうすい書いた人の思い出にしかならないような旅行記は、海外旅行の大衆化とともに姿を消し、ルポルタージュとして質の高いもの、エッセーとしておもしろいものが残っていった。しかし、その後も旅行記を書きたい書きたいという人は多く、自費出版の世界では旅行記は大きな分野である。

ただし、いくらなんでも最近1990年代になると、おれはこんな海外旅行したんだぜえ!大物なんだぞお!というような調子は通用しない。
60年代に海外へ出た人々の中には、ひじょうにストレスがたまり、屈辱感を抱いた者がいるようで、その反動でやたら威勢のいい調子になったり、憂国の胸のうちを吐き出すタイプがいたのだ。
現在では、ウェブ上のブログ旅行記でさえ、ある程度のユーモアをこめて、さらに歴史や文化の細部に興味を持ったものでないと、誰も読まない。

そんな時代に、あっと驚くような旅行記が次項です。