東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

布野修司,『カンポンの世界』,PARCO出版,1991

2010-09-25 19:24:16 | コスモポリス
建築研究者によるインドネシア、スラバヤのフィールドワーク。学術論文は、

布野修司,「インドネシアにおける居住環境の変容とその整備手法に関する研究――ハウジング・システムに関する方法論的考察」,1986

本書はその調査過程から論文の中身まで一般向けに書いたもの。といっても住居、建築や都市計画に関した部分は後半三分の一だけ。前半はスラバヤのカンポンの住民の生活、都市スラバヤの歴史、ジャワ文化の文脈からカンポンの分析など建築学プロパーをはみだした本である。
つまり〈カンポンの住民の生活宇宙を描き出すことをテーマ〉にした本。

それではカンポンというのは何かというと、いわゆる都市のスラムである。
著者はインドネシアの研究者らとともに、カンポン・インプルーブメント・プログラム(KIP)という再開発プログラムの分析をおこなう。住民の相互扶助・自治によってある種の秩序が保たれていたカンポンを、行政の介入に再開発したわけであるが、強権的な押し付けではなく、住民の慣習とのおりあいで、批判もあるものの一応成功したプログラムとみる。

ちなみにKIPはイスラム圏のすぐれた建築を表彰するアガ・カーン賞を受賞している。そのアガ・カーン賞の審査委員である日本の高名な建築家が受賞に反対したそうだが、この高名な建築家って誰なのだ?(ウェブで調べたが不明)

ともかく、著者のみかたは、KIPの成果を肯定的にとらえるとか批判するとかではなく、カンポンの世界を肯定的にとらえ、その住民を理解しようという地域研究のみかたである。
東南アジアの都市について書かれたものでは、バンコク・マニラ・ジャカルタ・シンガポールなど巨大首都についてはけっこう多いし、ハノイやスラカルタやマラッカなど歴史の長い都市についてはそれなりの文献があるが、このスラバヤについての書籍・研究はひじょうに少ない。
戦前はオランダ領東インドで最大の都市であり、クジャウエン(=ジャワらしさ)の中心地であるスラバヤを知るのに最適な著作である。

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で、本書の底流となっているのが、西洋の学者が〈インヴォリューション〉、〈貧困の共有〉としてとらえたジャワの風土の都市を、肯定的にクジャウエン=ジャワらしさとして理解しようとする姿勢である。
スクオッター(不法占拠地域)やスラムではなく、人々の相互扶助・スラマタン(安寧)の慣行を維持し、多民族が共生し、さまざまな家内工業もあり、人の移動もあるいきいきとした社会として描いている。

わたし自身は日本の読者として、このようなひとつの狭い家に複数の家族が間借りしたり、血縁の者や同じ村から来た者が共同でくらす、ということをかろうじてイメージできる最後の世代かもしれない。
そして、やはり読んでいて、息苦しく堅苦しい親密な社会だなあと思わざるをえない。こんな世界から逃げてもっと風通しのいい世界に住みたいと、若いものなら激しく思うのではないだろうか。しかし貧しいものはお互いに助け合い、依存しあって暮らさざるをえない。
ルクンという価値について、簡潔に書かれているが、

〈感情的な軋轢を避け、妥協を通じて、たとえ見せかけであっても満場一致の問題解決に達するほうが理想とされる。意見や感情のあからさまな対立がない場合、集団はルクンの状態にある。〉というものである。

ゴトン・ロヨンという相互扶助活動はデサ共同体(農村)では、

村人の死、不幸に際しておこなわれるもの
感慨水路の改造、モスクやランガーの建設修理
婚礼や割礼の際の祝宴
先祖の墓の掃除や世話
屋根の修理や井戸掘り
農作業
溝清掃や橋などの修復

が含まれるが、都市のカンポンでも農作業以外は現在でもおこなわれている。

グローバリゼーションが吹き荒れる現在、市場経済に依存しない自治的共同体の生活、ひとびとがお互いに助けあう世界、貧しくとも心が豊かな生活(昭和三十年代的?)として、無責任に賞賛されるパターンそのものじゃないか。
みんな、こんな生活がいやでいやでたまらないから、グローバリゼーションの掲げる自由な世界に憧れ、そして、むざむざと市場経済の餌食になってしまうのである。

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以上、ちょっと横道にそれた感想を書いたが、スラバヤの生活を描いた本として、インドネシアの都市の歴史として、ばつぐんにおもしろい。
地図・イラスト・写真も豊富、〈PARCO PICTURE BACKS〉というシリーズの一冊であるが、オシャレな本ではなく学術的にしっかりした本である。
参考文献が注のかたちでびっしり載っている。インドネシア語を中心とした索引(五十音順カタカナにローマ字綴り付き)あり。

能登路雅子,『ディズニーランドという聖地』,岩波新書,1990

2009-12-06 23:36:06 | コスモポリス
この分野に興味があるなら、まず最初の一冊。
この分野というのは、宗教人類学・観光・巡礼・聖地・ユートピア思想・ポップカルチャーと国民統合、などなどについて。

ディズニーランド関係書は、信者のための巡礼案内か、サクセス・ストーリーみたいなビジネス書ばかりで、まともに読めるものが少ない。
また、妙に批判的というか、大衆文化をわかっていない本も多い。

本書は浅く広くであるが、万遍なく扱っている。ビジネスとしても建築としても基本的なところはわかるし、ウォルト・ディズニーの生涯や映画制作についても、さらりと概観できる。

著者は東京ディズニーランド開設の仕事にもタッチした方で、内部の事情に通じているとともに、学者的な目もそなえ、(いや、ほんとに学者だ、東京大学大学院の教授なんだ)冷静な分析である。ディズニー・カルチャーを、いわゆるオンナコドモ無知な大衆を騙す低俗なもの、と捉える古臭い見方はない。

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東京ディズニーランドには数回行ったことがあるが(なんで、あんな金のかかるところに数回行かにゃならんのだ、とほほ……)、あの広さであの収容人員であるにもかかわらず、拡声器やラウドスピーカーを全く使用しない、という理念に驚いた。東京ディズニーランドは、日本で一番静かな観光地ではないだろうか。あの方針を貫いた設計思想はすごい。
食い物のマズさもすごいけど、あれも基本理念なのだろうか。

五十嵐太郎,『新宗教と巨大建築』,講談社現代新書,2001

2009-12-06 23:34:34 | コスモポリス
ちくま文庫から改訂版がだされているが未見。

明治神宮や靖国神社は日本的かつ近代的なデザインとして評価されていた。戦後は、アヴァンギャルドと日本的寺社建築が評価される一方、新宗教の建築群は、目を背けたいもの、キッチュなもの、アナクロなものとして、ほとんど顧みられなかった。

そうした、無視され見えないものとされた近代の新宗教建築をしっかり論じた一冊。

博士号論文を基にしているので、きわめて実直で堅実な書き方である。

内容は、天理教が一番多く全体の三分の一。金光教と大本教で三分の一。この三つの分析は教義の紹介、教団の歴史、現在の姿、建築的な分析など文句ない力作である。

ただ、読者としては、少々不満になる。この三つの教団は、見物人にも取材にもオープンで、内部に学者と話が通じる人材も多い。教義はともかく、社会に開かれた知的な教団である。
建築も、それほど奇妙ではないしグロテスクでもない。

書名と表紙から読者が期待するのは、もっとキテレツでオマヌケな建築ではないだろうか。
その方面は、さらりと流されている。後半、各教団数ページづつ扱われているが、概略程度。この方面は教団側の協力ななければ詳しい分析はできないだろうし、新書の性格としてもあまり話を大きくするわけないはいかないだろうから。

著者は意外と(失礼)著作が多いことがわかった。ヤンキーとか結婚式教会とかおもしろい分野に挑んでいる。

弘末雅士,『東南アジアの港市世界』,岩波書店,2004

2009-10-11 21:30:54 | コスモポリス
ちょっと前に書いた、旅行記に頻出する人喰い伝承に関連して。

本書は、東南アジア海域世界13世紀から20世紀初頭まで、交易拠点としての港市を論じたものであるが、人喰いや女人が島の伝説についてもページを割いて論じている。

要点をまとめると、次のようになる。

ムスリム商人や華人商人が往来していた時代から、東南アジア各地には、人喰いが住むという蛮地の伝承があった。漢文史料やアラビア語史料にいくつも逸話が残されている。
さらに、ヨーロッパ人が渡来すると、彼らの記録にも人喰いや女人が島の話が頻出する。

これを、交易の結節点の港市という観点からみると、以下のように説明できる。

つまり、人喰いの住む瘴癘の地というのは、森林物産や金を産出する地であり、港の王がアクセスする権威・権力を有する地である。
外来商人が近づくことができず、港市の王の権威を通して産物を入手しなければならない。
そこで、未知の内陸への恐れを強調する伝聞が流布する。

逆にいうと、交易のルートであるからこそ、外来商人が求める珍奇な商品を産するからこそ、人喰いや野蛮人の伝聞が誕生する。

女人が島伝説についても同じことが言える。
女だけが住み、偶然漂着した船乗りたちが、精力を吸い取られて死んでしまう、という伝説が各地にある。
これは、現地の水先案内なしには航海できない海域に、奇怪な島と危険が待ち構えているということで、やはり外来の商人のアクセスを拒み、香料や香木の産地へのルートを秘匿したいという状況のもとで生まれる。


一方で、これが本書の大きなテーマであるが、内陸の側でも港市の王に関するさまざまな伝説が生まれる。
内陸の首長や指導者と港市の王に特別の関係があり、血縁を同じくするという伝承である。
内陸部の産物を港市へ送り出す正当な理由があり、また港市の王は、外来の商人が持ち込む悪疫や厄災から内陸を保護する。

つまり、港市の王は、外来商人外来文明と内陸部を仲介する者であり、双方の直接交渉を規制・コントロールし、関係を潤滑にする役割を担う。

いろいろな例が挙げられているが、頭がクラクラするような例がマタラム王家とオランダ人に関する伝承。

p122-123

 中部ジャワの王家のうちでも、ジョクジャカルタのスルタン王家は、強力な兵力を有した上に、中部ジャワの未開墾地の開発が順調に進み、王国は隆盛に向かった。スルタン王家にとってオランダは、海岸部にあって王国の繁栄を支援する存在であることが望ましかった。一八世紀後半から一九世紀初めにかけてスルタン王家が作成した『スラト・サコンダル』によれば、バタヴィアのオランダ人はパジャジャラン王国の正統な後継者であるという(Ricklefs, 1974: 377-402)。それによると、オランダの地のマブキット・アムビン Mabukit Ambin の王は、一二名の美しい妻を有していた。そのうちの一人の妻は、身ごもったのちに、貝を産み落としたという。そのなかより、バロン・スクムルとバロン・カセンデルが生まれた。バロン・カセンデルは、成長するとスペイン王のため数々の軍功をたて、ついに王の跡を継ぎ、次のスペイン王となった。

 スペインはカセンデルの統治下で栄えたが、カセンデルは精神修行の旅に出たくなった。そこで王位を兄のスクムルに譲ろうとしたが、他の兄弟たちの反対を受け、結局父親のマブキット・アムビン王に王位を譲った。王となった父親は、兄弟たちの不和を諫め、一致団結することを説き、この結果オランダ東インド会社 Kumpni が結成されたという。

 カセンデルと他の三人の兄弟は、そこでジャワの地に赴いたという。当時ジャワは、マタラム王スナパティの時代であり、カセンデルら四人は、スナパティに仕え、王国を繁栄に導いた。またスペインにいたスクルムも、ジャワの地に商売のため出かける決心をした。一〇隻の船が商品を積んで、一〇ヵ月かけてジャワの地に到着したという。スクムルは、ジャカルタの支配者に歓迎され、ジャカルタ沖のオンルスト島に滞在することとなった。

 その頃西ジャワのパジャジャラン王国は、イスラームを信奉するジャカルタの支配者にすでに滅ぼされていたという。パジャジャラン王家の王女の一人は、山岳地帯に逃げ、そこで聖者と結婚し、一人の娘をもうけた。この娘はたいへん美しく、ジャカルタの支配者は彼女を娶ろうとしたが、彼女の子宮から発する炎のため、叶わなかった。そこで彼女は、ジャカルタの支配者からスクルムに売り払われた。スクルムは彼女をスペインに連れて帰り、やがて二人の間にジャンクンが生まれた。

 ジャンクンは成長すると、母の出身地がどこかを尋ねた。母親は、出身がパジャジャランであり、ムスリムのジャカルタ王によって滅ぼされたことを打ち明けた。そのためジャンクンは、ジャカルタ王を討つべく、ジャワに出発した。ジャカルタに到着したジャンクンはジャカルタ王と戦いとなった。激戦の末、ジャカルタ王は、ジャンクンにジャカルタを譲らざるをえなかった。ジャカルタ王は、南部の山岳地に退き、そこで元パジャジャランの王女のことを思い出し、悲嘆に暮れたとい。


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以上の話の中の〈ジャンクン〉というのが、オランダ東インド会社総督ヤン・ピーテルスゾーン・クーン(在位1619-23,1627-29 )のことである、と伝承は伝える。

むちゃくちゃなようで、マタラム王の権威はオランダ人より強く、オランダは港市の外来商人に過ぎないが、血縁関係があり、ジャワの権威があるという話である。

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以上の状況は、18世紀末ごろまで続くが、19世紀になると、オランダはジャワ全体を植民地化し、スマトラの内陸部まで植民地化をすすめる。

その過程で、一時消滅した人喰い伝説が再び蘇る。

19世紀後半の内陸植民地化とさまざまな抵抗をめぐる論考が説かれるが、長くなりすぎたので、項をあらためる。

猪俣良樹,『パリ ヴェトナム 漂流のエロス』,めこん,2000

2009-05-03 18:59:10 | コスモポリス
題名から何の本かわからないが、『日本占領下・インドネシア旅芸人の記録』,めこん,1996に続く、ボードヴィルやステージ・ショー、ポップ・ミュージックに関する著作の第二弾である。
ベトナムの長編抒情詩『金雲翹(キム・ヴァン・キェウ)』のキェウを演じた幻の歌姫を捜す旅の記録。

取材日時が明記されていない、小説のような語り方である。香港返還直前というから、1997年頃の取材だろう。最初のサイゴン行きで、著者は通訳の〈マダム〉と知り合い、彼女とともにサイゴン周辺の南部を取材する。そして、最終的にキェウの生まれ変わりのようなマダムと著者の関係はまるで物語のように進むのだが……。

サイゴン、ハノイ、パリ、ロサンゼルス、と幻の歌姫を捜す旅が語られる。実は、本書に登場するのはほとんどが旧南ベトナムの人々。サイゴン解放によって国外に逃亡した人々、あるいは対米戦争後にサイゴンで苦しい生活をおくる人々なのである。戦争に負けた側の心情とでも言おうか。
そしてまた、著者の捜す歌姫は、時代遅れの〈封建的〉な女性像であり、廃れゆくステージ・ショーの残骸でもある。

このように複雑な構成であり、小説なのかルポルタージュなのかわからない語り方であるが、キェウが運命に翻弄される主人公であるように、ポピュラー・カルチャーやステージ・アートも、政治的正しさやイデオロギーに翻弄されながらも、政治や支配イデオロギーを超えた存在である、と読者にうったえる一冊。
このようにまとめてしまうと、本書の持つ微妙な陰影が伝わらない。誤解されそうだ。つまり、植民地化の屈辱や退廃、前近代的な女性観など、一見ネガティヴな要素を超えた魅力が大衆文化にあるってことだ。
うーん、こう言ってしまうとさらに誤って伝えてしまうな。

出版社めこんの本の中では、目立たないものですが(著者のウェブ・サイトによれば、日本一売れない作家であるそうだ)、ご一読を!

長坂寿久,『オランダを知るための60章』,明石書店,2007

2008-11-10 20:02:09 | コスモポリス
明石書店の「エリアスタディーズ」シリーズ、このシリーズは水準が高いが本書もいい。アジア方面だと類書もあるが、オランダあたりになると基本的知識を紹介したものが少ないので貴重。

内容は干拓・治水といった自然環境とそれから生まれた民主主義、寛容な社会、異文化共存を論じていく。
とくに歴史関係にページが割かれていて、これ一冊でオランダの歴史は一通り概観できる。

ブルゴーニュ公国とハプスブルク家、宗教改革、ミュンスター条約による国家の形成(その後にウェストファリア条約が締結されたのだ)、VOC、ブリテンとの競合(なんてたってイングランドを征服したのはオランダだけですからね、俗にいう「名誉革命」です)、アジア貿易、などなど。

わたしのブログではオランダ人というはたいてい悪者で、ケチで強欲なやつらであるが、本書を読むとオランダ人も苦労しているなあ、と同情したくなる。

暗く湿った土地、大国に囲まれた地勢、狭い土地で他人に干渉せずちまちまと生きる生活の知恵、麻薬から売春まで寛容と黙認を是とする政策、気の毒になる。(もちろん本書の著者は、民主主義の伝統、多民族共存の社会の明の部分ばかりでなく、東インド統治、南アフリカのアパルトヘイト、移民との軋轢などの項目も忘れていない。)

ただ、わたしが感じるのは、こういう理性的で寛容とコンセンサスを重んじる社会も窮屈なもので、グリーンピースに代表される価値観の押し付けなど、オランダ社会の窮屈さを外で発散しているんではないか、と思ってしまう。
一方で、本書に描かかれるような他人に干渉しない社会、寛容な社会というのも羨ましいというか、都市的な生活が定着しているんだなあ、と感じる。
その都市的な生活が過去の暗黒の歴史の上に築かれたもので、その過去の蓄積がないアジアの都市が100年たってもオランダのようにはなれない、ならないというのはわかる。
どっちがいいとか悪いとか判断しても無意味だが、こういう世界もあるのだなあ。

この「○○を知るための××章」は複数の著者によるものが多いが、本書は単独著作。著者は拓殖大学の教授だそうで、明石書店で出版する本を書く人もいるのだなあ。大学の所属と著者の主張は、本来関係ないから、当然であろうが。

加藤祐三 編,『アジアの都市と建築』,鹿島出版会,1986

2008-09-10 20:42:46 | コスモポリス
なんと東アジア・東南アジアの29都市の建築を紹介したもの。
豪華執筆陣は泉田英雄(マレー方面)、藤原惠洋(華南沿岸)、松村伸(中国東北方面)、西澤泰彦(韓国など)、その他、マニラも台湾もジャカルタも香港もマカオも……。

異常に盛りだくさんで、細かい文字がびっしり、小さい写真がびっしりで四六版330ページ。
結果として、わざわざ捜して読むほどのことはありません。
あまりにも範囲が広く、話題や視点がコマギレです。

1986年の時点では新鮮なテーマであったかもしれないが、その後、続々と旧植民地・アジアの西洋建築・都市計画に注目が集まり、一般向けの本がたくさんでた。
平凡社や河出書房新社や新潮社からカラー写真をぜいたくに使った本が、一都市まるまる一冊使ってでていますね。それを29もびっちり凝縮したのが本書。
凝縮しすぎで、モノクロの小さい写真は何が写っているのかわからないほど。刊行当時、つまり1980年代前半の様子がわかるかというと、そういうわけでもなく、建造物だけの写真が多い。

もっとも、建築の見方、都市の観察のしかた、流派の変遷や土着化、植民地宗主国の影響など興味ぶかい話題も多いのだが、なにしろ詰め込みすぎです。

台南・台中(執筆・堀込憲二)など、建築関係の本が少ない都市も取り上げられているのはいいんですが。

山口文憲,『香港世界』,筑摩書房,1984

2008-08-31 22:08:49 | コスモポリス
ちくま文庫,1986をブックオフで見つける。
誓って言うが、わたしはブックオフはめったに行かないしほとんど買わないし、絶対売らない。本は捨てる。
本書もちゃんと新品で買ったことあるんです。信じてください。

前項「人生が変わる旅の本100」では『香港 旅の雑学ノート』がセレクトされていたが、本書は文章としてまとめた形で香港体験を綴る。
人生なんか旅ぐらいで変わるわけない、あるいは、人生が変わろうと変わるまいとどうでもいいという視点で綴られた香港本の白眉。
というか、ある種の旅行記・滞在記のスタイルを決定した作品ですね。

香港回帰(1997年7月1日)の頃、本書と『雑学ノート』はすでに古典扱いで、かなり注目されたはず。
それから11年。中国大陸を香港が呑みこむか、あるいは香港のほうが大陸に浸食されるか、などといろいろ予想されたが、結果は出たといっていいでしょう。

国家も土地所有もない、丸裸の資本主義社会というのはやはり例外的であって、国家の規制や土地投機があってこそ資本主義が跋扈する、というのが今現在2008年夏の状況ではないでしょうか。

それに比べ、香港はまったくのインプロビゼーションの世界。
故郷に執着せず、さらに香港にも執着しない移民の世界。
これを、あるがままに観察したのが本書である。11年前とは別の意味で古典的である。

たとえば、「香港人はほんのちょっぴりしかゴハンを食べないオカズ食い」なんて書かれているが、もはや日本中が香港人化している。
ノーマン・ベチューンを知っている中国旅行者がいるのか?(わたしも読んでいない。)
日本人女性旅行者が拉致されて人肉市場に売りさばかれるという伝説も紹介されているが、この話も本書の時代ですでに冗談であったものが、まだウェブ上に跋扈しているようだ。

というように読み返して、新たに蒙を啓かれる作品である。

文庫版解説は妹尾河童、著者じきじきの指名。まだ『少年H』を発表する前、カウンターカルチャー方面の人、というイメージだったなあ。

それから、表紙が堀内誠一なんだ。へえ。この頃まだ生きていたんだな。
「ぐるんぱ」や「たろう」などの絵本から、いきなり「血と薔薇」という経路で知った若い人には、なんでオジンやオバンの雑誌のデザイナーがそんなにすごいのか理解できないかもしれない。

前項の特集に堀内誠一がセレクトされていないのはライバル会社の本丸であるからという理由ではなく、男っぽくないから?
『パリからの手紙』というナイスな旅行記があるんですよ。航空書簡(アエログラム)なんてものがあるのを知ったのは、この本からであったな。
最近、澁澤龍彦との往復書簡集がでましたね。(未見・未読)

『大図解 九龍城』,岩波書店,1997

2008-07-30 22:47:29 | コスモポリス
写真・文 九龍城探検隊、という建築学研究者を中心とするグループである。が、本書の最大の目玉は絵を描いた寺澤一美(てらさわ・ひとみ)という方。

生活復元パノラマという細密イラストが圧巻。

などと、わたしが紹介するまでもなく、刊行当時話題になった傑作。
香港回収を前に、1993~1994に解体された九龍城を実測し、生活空間を再現したものである。
〈九龍城探検隊〉と自称する研究者たちが、実際にこの建造物を調査・測定できたのは、住民が撤去した後、解体の直前である。
であるから、本書の再現も幾分フィクションを含むものであり、実際の住民の生活がどうであったかは、もはや歴史の闇の中に溶けこもうとしている。
だから、本書は消滅した歴史の証言、あるいは再現として価値がある。

詳細は、本書を見て驚いていただくしかないが、特記すべきことをいくつか。

まず、この建造物に住む住民は、香港政庁の管理を拒絶した違法な占拠者であったこと。しかしながら、実際の生活は、どこにでもあるような都市の生活であったようだ。

魔窟とか不法建築、あるいはスラム街のような外観に反し、中は製造業・医療・サービス業の生産地であること。つまり単なる住居ではないってことだ。
食品加工業が多いのにびっくり。
大陸からの医療技術者が香港で正規の資格を得られないため、医院・歯科医が多いことも有名だったらしい。
ストリップ劇場や売春施設もあった。それにしても、こんな狭いところでよくやる。
水道、下水、電気、ゴミ処理などのインフラも、半分違法で増殖させ、しかもある程度の自主管理が成立していたのがすごい。ここいらへんは、住民が住んでいた時点で調査してほしかった。

以上のような内部のことがすごいが同時に注目すべきは、この九龍城の位置する場所である。
高級ホテルやショッピングゾーンのすぐ近く、空港に隣接する地域なのである。(市街地のどまんなかに位置するという点については、空港(カイタック空港)のほうが異常ですね。こんな市街地に着陸する空港は世界遺産になるような貴重施設だったが、こちらも移転してなくなった。)

調査の進展状況も記されている。
ほんとに、正面から許可を取って調査をするのは、たいへんなことであるのですね。
調査参加者の半数が女性であるのも、少々びっくり。

監修は可児弘明になっていて、短文を寄稿している。

松岡環,『アジア・映画の都』,めこん,1997

2008-06-10 20:33:55 | コスモポリス
同姓同名の方がネット上を賑わしているようだが、インドの大衆映画・インドポップの研究者、紹介者の(まつおか・たまき)さんです。インド亜大陸の言語はひとつだけでもマスターするのは大変なのに、複数の言語に堪能で、さらに広東語方面にも手をのばす異常な才媛です。女性です。
失礼な話だが、映画評やCD解説でしかお名前を知らなかった頃、てっきり男性だと思っていた。まあ、「たまき」なんて名は、当然女性と考えるべきだが、むさくるしい男しかファンがいないようなインドのポップ・カルチャーを紹介しているのだから、なんとなく男性だと思っていた。

ファンとして、ボランティアとしてインド映画を紹介していた松岡さんであるが、本業は大学の事務で、研究者のため助成金を申請するのが本業であったらしい。
その助成金申請を、自分のために申請するぞ、と決心し、書き上げたのが本書。

インド、香港、そして西と東が交差するマレー半島の映画を紹介したもの。
こんな本でさえ、こんな本という意味は、地味でもなく結構ファンがいるような分野でさえ、出版を引き受けるのは、めこんか……。おかげで、レイアウトも造本もしゃれたすっきりしたものになってありがたいが。

ありがたいが、しかし、本書を買った当時は、わたしにとって宝の持ち腐れだった。
カセットやCDぐらいなら入手できるとして、映画本体は、なかなか実物が見られない。
本書も長らく単なる歴史の本、単なる歴史の本というには、力作すぎるが、そんな位置にある本だった。

さて、現在、本書は実用書となりつつあります。
例のtoutube で、検索すると、ざくざく出てきますから。本書の索引(ローマ字スペル付き)を利用して飛び回っていると、時間がいくらあっても足りない。
もちろん、一本の映画として見ないのは邪道でありますが。まあ、そのうち、いくらでも長い映像が見られるようになる気がする。
そのときこそ、本書の内容の凄さが身にしみてわかるだろう。