東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

訪問者のみなさまへ

2007-02-28 23:57:41 | 訪問者のみなさまへ
くわしい解析をしていないのだが、検索ロボットやキーワード自動検索マシンだけではなく、生身の人間も訪問してくださっているようだ。

たいへん読みにくいブログを読んでくださったかたがたには深く感謝します。

ええと、では、架空FAQに応えます。

Q;なんのためのブログですか?

A;まず、読書記録

実際の旅行にいけない欲求不満の解消ですね。

それから、世の中のこと、世界のことを語るにも、漫然とした小言よりも、書評や感想のかたちのほうが、いいからです。

というのは、小言やエッセイだと、しらずしらずのうち、他人の意見を無造作に引用したり再生することになりがちなんです。
書評・感想だったら、あらかじめ、この本、この文を参考にしている、というのが前提ですから、むやみやたらに改変や強引な引用ができなくなるんですね。

Q;ちっとも「東南アジア」じゃない項目がいっぱいあるんですが?

A;最初は、テーマをしぼるつもりでした。
ですが、やはり、読んだ本の記録ということになると、いろいろはみだすんですね。

中国とインドに関しては、なるべく触れない予定でしたが、やはりおもしろい本を読むと記録したくなるのです。

ですから、ブログタイトルの「東南アジア」は、あまり気にしないでください。
すでにカリブ海や満洲まで話題にしているんですから、そのうちシベリヤやアフリカも話題にするでしょう。

Q;カテゴリーに分けられているが、さっぱりわからない、基準はあるのですか?

A;これも、最初はしっかりテーマに分けるつもりだったが、だんだんめちゃくちゃになってしまいました。そのうち、あまりにもひどいズレは解消したいと思っています。
あんまり気にしないでください。

Q;あなたのブログの自主規制、タブーはありますか?

A;最初はたくさん自己規制していました。

まず、時事問題にふれないこと。
メディアの批判をしないこと。

しかし、これはどんどんくずれていきましたね。
ただ、時事問題には、なるべくがまんして、タッチしないようにしたいです。

あと、自分の旅行の話をしないこと。
「オレは、ちゃんと、この眼でみてきたんだぞ!」という言い方がきらいなので、自分の経験も絶対視しないように努めています。
「百聞は一見に如かず」というんだったら、本も映画も不要です。
言語や作品で表現するのが、コミュニケイションってもんですからね。

もちろん、実際に旅行すると、五感を直撃する刺激にあふれていますが、それを語ってもワン・パターンの旅行話になるだけです。

Q;ホントにこんな硬い本読んでいるんですか?

A;最初は過去の記録を打ち込んだり、はったりをかますために、重厚な本が多くなったようです。

もちろん見栄もあって、一応こんなとこを押さえておきたまえ、と自慢するためでもあるんですが、ははは。(これだけムツカシイことを書けば荒らしも去るだろうという目論見もあります)
そのうち、軽い本ばかりになるかもしれません。

なお、今までアップロードしたものは、ほとんど通読しています。
読んでいないものは、その旨、伝えてあるはずです。
とはいうものの、過去に読んだものは、大半が脳みそから抜けていってしまっているようで、確認のためページをめくると、まったく記憶にない本ばかりであります。ははは。

Q;誤字・誤記、不統一な表記を直さないのですか?

A;正直いって、ムリです。
最初、誤字・誤記を訂正していたんですが、そのうち、作業の時間がもったいなくなった。
表記の不統一に関しては、基準自体がないし、マジメに統一しようとすると、本を読む時間以上の時間が必要なんです。
漢字の使用法、かなづかい、外国の固有名詞、どれもこれもわたしひとりの手に負えない。

他人に読ませる文として、校正をしないのは失礼であるが、インターネットの文なんてこんなもんだと思って、お互い妥協しましょう!

鈴木継美,『パプアニューギニアの食生活』,中公新書,

2007-02-26 23:29:10 | 自然・生態・風土
中公新書の自然科学分野によくある、ぎっしり内容がつまった一冊。
大塚柳太郎を中心とする東京大学の調査チームの成果のうち、栄養生態学関係をまとめたもの。
チームの概要は、

www.um.u-tokyo.ac.jp/publish_db/1997Expedition/07/070500.html

まず基本として、三大栄養素、カロリー・タンパク質・脂肪の適正量のこと。
意外にも、基本的な必要量ははっきりしない。
運動量、消化吸収率、食物の実際の栄養量(日本やアメリカの実験室で測定された結果ではなく、実際に現地の人が食べている新鮮な食品)が、正確に数値化できないのだ。

たとえば、サゴ甲虫の幼虫やツムギアリの卵の栄養素がわからない。
あるいは、調査対象となる村の人が実際に食べている量を正確に測定することは不可能である。

以上の、調査上の困難をわきまえたうえで、長期調査の成果をみてみる。

パプアニューギニア西州の低地雨林帯のゲデラ族の人々。
彼らは、まず、摂取エネルギーが多い。
女で少ない場合が2900キロカロリーほど、男は4000を越える者も多い。
それで、肥満もないし、また体重減少や栄養不足もない。
筋肉のつきかたも普通。(特に、過剰な苦しい労働はない)
うらやましい。

そして、この量のエネルギーをサゴ・イモ類・バナナ・ココヤシから摂っている。
(本書刊行の時点では、購入食品はサバ缶詰・コンビーフ缶詰・米くらいで、量も金額も少ない。)
この結果、低脂肪で、ぎりぎりタンパク質を必要量摂取している、と予測される。
(とはいうものの、タンパク質の必要量、各食品のアミノ酸スコアの測定はむずかしい。)

以上の三大栄養素のほかに、注目されるのが鉄分、ナトリウム、カリウムである。
彼らゲデラ族は、食塩を単体で用いない人びと、いわば塩をしらない人びとなのである。
植物の灰に含まれる塩化ナトリウムを利用する文化もあるが(著者たちが発見)、普段の食生活は、完全に塩なしである、いや、過去形で、塩なしだった。
現在はサバ缶やコンビーフ、食卓塩のかたちで購入されている。
しかし、この調査の時点では、おどろくほど低ナトリウム食である。

日本の厚生省の勧告値(理想値)が10グラムであるのに対し、ギデラの人びとの食塩摂取(植物や動物から)は、少ない人は0.5グラム、多くとも3ないし4グラムである。
著者は、植物食を中心とする内陸の世界で人類が進化したとすると、この0.3から0.5グラムの食塩量であった、と推測している。(ほんとに、塩なし環境で進化したのか?)

さらにむづかしい問題が鉄分。
ギデラの人びとは、一般に鉄分は過剰なほど摂取している。
これがマラリアと関連しているのかどうか、結論がでない段階である、らしい。
つまり、ゲデラの人びとはマラリアに感染しているのだが、発症しない状態を保っているらしいのだ。
これが、鉄の摂取と関係あるのかないのか、過剰な摂取は、対マラリアへの適応なのか、それとも反対に、マラリアに感染している結果なのか、(あるいは、マラリアとはまったく関係ないのか)、そうとう複雑で、本書を読んでもよくわからない。

という具合に、エネルギー、タンパク質、ナトリウム、カリウム、鉄、(ほか、水銀、亜鉛、ビタミンCなどについて解説あり。)すべて微妙なバランスの上に成り立っている食生活である。

という話なのだが、彼らギデラ族は、落ち着いたゆったりした環境にある人びとである。
山地オク族(エンカイヤクミン、アウォンクラミン、セルタマン、バクタマン、カサンミンなどの言語族に分類される言語をおこなう人びと)になると、もっと緊迫した余裕のない食生活になる。
そして、これは、長い間つづいている食生活ではなく、最近変化した食生活ではないかと、推測される。
人口過剰、農地の減少、効率的作物であるサツマイモの導入、ブタの飼育、といった、現在進行中の変化の中の食生活であるようだ。
つまりだ、過去の安定した食生活は、もはや推測するしかない、ということである。

以上散漫なまとめかたになってしまったが、わたしのいいたいことは、以下のとおり。

まず、カロリーのような一見単純な要素でも、数値化はむずかしい、ということ。
物質文化の基盤、ヒトの生存の基本である、栄養についてさえ、入手できる確実なデータは少ない。
「栄養」というものは、生きているヒトの生活とともに、現象として変化していくものである。固定した栄養状態というものがあるわけではない。

清水廣一郎・池上峯夫 訳,「モンセラーテ ムガル帝国誌」,1984

2007-02-21 12:44:11 | 翻訳史料をよむ
では、大航海時代叢書のよみかたの一例。
『大航海時代叢書 第2期 5 ムガル帝国誌 ヴィジャヤナガル王国誌』,岩波書店,1984.所収。
翻訳テキストは、
Antonio Monserrate, S. J., Mongolicae Legationis Commentarius (ed. by H. Hosten), Memoirs of the Asiatic Society of Bengal, vol. III, no. 9 1914, pp. 513-704

および
Antonio Monserrate S. J., Relacam do Equebar, rei dos Mogores (
trans. and ed. by H. Hosten), Journal of the Asiatic Society of Bengal, vol. VIII, no.9,1912,pp.185-221

1906年、つまり20世紀の初頭にカルカッタのSt. Paul's Cathedral Library (英国国教会大聖堂図書館)で発見された手書本による。
著者のアントニア・モンセラーテの自筆稿本。
モンセラーテはイエズス会士で、1574年、アレッサンドロ・ヴァリニャーノの一行の一員としてインドにむかう。
本書収録の記録にあるようにインドで布教活動をした後、ゴアからエチオピアへ向かう途中、ムスリムの捕囚となる。
捕囚としてアラビア半島のサヌア(サナア、現在のイエメンの首都、サアナ)に滞在の間、1591年に本書の報告書が執筆されたものらしい。
その後、手書稿本は紆余曲折を経て、(ポルトガル領イエズス会は1759年に廃止)、インドの中を転々としてカルカッタで眠り続けたらしい。

そうして、英領インドの時代に発見され、英訳付の活字本にもなった。
(Asiatic Society of Bengalというのは、Royal Society 王立協会の支部のようなもので、アジア各地に設立され、会誌を発行した。)
それを、日本語訳してくれたわけである。
ああ、ありがたい!
今、ウェブで書誌情報を検索したら、訳者の清水廣一郎(広一郎、という新字体での表記もあり)は、

W.H.マクニール,『ヴェネツィア : 東西ヨーロッパのかなめ、1081-1797』,岩波書店,1979
なんてものを訳している方だ。
この本、わたし、初版当時に読んでいる!『疫病と世界史』のマクニールの著作だったなんて、ぜんぜん知らなかった。ああ、体系的知識がないのだよ、わたしは。
ほかにも『中世イタリア商人の世界』など、イタリア史関係の著作あり。

さて、手書稿に、「サナアにて、1591年1月7日」とあるが、ここに訳注がついている。
ポルトガルでは1582年10月5-15から新暦(グレゴリオ暦)が使用されるようになり、1年後インドにも導入された。
まだ、イエズス会士たちの間にも混乱があったそうだ。

といってもぴんとこない方がいますか?
グレゴリア暦というのは、イエズス会のクラヴィウスが中心になって制定されたものであり、イエズス会、カトリック勢力の天文学の力を示す偉業であった。
(ガリレオが弾圧された時代だったが、ガリレオの書いたこと、主張したことをほんとうに理解したのは、少数のイエズス会士などカトリック勢力だけだったのだよ。当時の北方のプロテスタントの中には、ガリレオの思想の危険性が理解できる者はいなかったと思われる。)

ともかく、ポルトガル、スペインなどがグレゴリオ暦を採用したのがこのころである。
10月5-15というのは、改暦の結果、10月5日を15日にした、つまり、10月5日から14日までは存在しない、ということです。

(というようなことが、2006年9月14日に中途半端に記録したダンカン,デイヴィッド・E.著 松浦 俊輔訳,『暦をつくった人々―人類は正確な一年をどう決めてきたか 』,河出書房新社,1998.に詳しい)

さて、この叢書の翻訳は、原テキストの固有名詞表記を几帳面にカタカナに移している。
わたしは、ラテン語の知識はほぼゼロだが、名詞も語尾変化するってことは知っている。男性名詞、女性名詞は語尾の形がちがう。

ということは、つまりですね、インドの地名、アラビア語・ペルシャ語・モンゴル語そしてインド各地の地名・人名がすべて、ラテン語の規則によって表記されているということである。

チンギス・ハーン → チンギスカヌス
ムハンマド → マハンメデス
クリシュナ → クルストゥス
ハヌマーン → アヌマントゥス

ラテン語を知っている人にとっては、おもしろくもおかしくもない常識でしょうが……。
まあ、旧約聖書の人名をラテン語にしているのも、同じくらいヘンなことなんですね。

では、内容にはいる。

本記録の著者、モンセラーテは、同じくイエズス会士のロドルフォ・アックァヴィーアという人を正使とする、アクバル帝への使者として、ムガル帝国宮廷へむかう。

イエズス会士として、二回目の使者、アクバル帝直直の招請である。
であるから、優遇されるべき客人である。
しかし、優遇されたのは、カトリックの使節だけではない。宮廷には、ムスリムはもちろん、ヒンドゥのさまざまな指導者も招かれていたようだ。(著者モンセラーテには、区別がつかない。そして、ジャイナ教、仏教に関してはまったく知らない。)

それでは、彼ら(といってもイエズス会士は二名だけ)は、どうやってアクバル帝やライバルのムスリム、異教徒(キリスト教とイスラム教以外の者たちを示す)と意志を通じたのか?
これは、やっと通じる程度のペルシャ語である。
彼ら二人の使者は、アラビア語もトルコ語もできない。インド各地の言葉に関しては、区別もつかない。
であるからして、本記録、つまり教皇とイエズス会本部への報告書になる予定であった、の中に書かれている宗教論議は、完全にモンセラーテの主観および手柄話である。

著者モンセラーテにしてみれば、この何度もくりひろげられる論議が、一番重要な主張であろう。
が、一方的でかってな主張で、一休さんのとんち話みたいな自慢話にすぎない。

現代の読者に関心があるのは、当時のムガル帝国の都市、統治、宮廷生活であろう。
しかし……
分量的にも著者の描写からいっても、一番大きい事件は、アクバル対異母弟ミールザ・ハキームの戦闘だろう。
幸運にも、モンセラーテは、行軍をともにするチャンスを得る。
当時の行軍、象軍(うそっぽい話多い)、騎馬軍、戦闘集団といっしょに動くバザールや商人が描かれる。

当時の都ファテプル(ファテプル・シークリー)からジャムナー川沿いを北上し、パンジャーブ地方を西北方向に横断して、ハイバル峠をこえてジャララバードまで行くのだ(うらやましい!!)。
しかし……やはり、都市の描写も、戦闘のようすも断片的。
訳注や現代の資料がなければ、なにがなんだかわからない描写である。

こうしてみると、彼らイエズス会士は、戦闘や論争に興味をしめす人々であるのだなあ、としみじみ思う。
自然や産業、交易、日常生活の描写がひじょうに少ない。
アクバルの戦いなんかどうでもいいから、もっと現地体験した人したわからないことを伝えてくれよ!といいたくなる。

『大航海時代叢書 第1期 第1巻 航海の記録』,岩波書店,1965

2007-02-19 00:25:13 | 翻訳史料をよむ
スタニスワフ・レム最後の長編小説『大失敗』が翻訳刊行されたそうだ。
大森望さんによれば、『エデン』『砂漠の惑星』『ソラリス』の系列に属するファースト・コンタクト・テーマのSF(ただし、哲学的、政治的要素が大きい)であるそうだ。

と、あんまり関係ない前フリから『大航海時代叢書』の第1冊目、第1巻を紹介する。
初版発行1965年。レムの『ソラリス』最初の日本語訳と同じ年。(と、ウェブで調べたら、SFマガジン連載は前年か)
わたしは、当時小学6年なので、当然ながらこの叢書の存在など知るすべもない。(『ソラリス』も知らない)

実際に手にとってみたのは、30歳代後半である。
歴史系や哲学・文学系の大学の先生なら、学生たちに「こういうものは、十代のうちに読んでおくように、20歳代になったら、読んでいる暇がないし、30すぎたらおそすぎるぞ!」なんてはっぱをかけているんじゃないだろうか。(今時、そんなきびしいことを言ったら、学生が逃げる?)
おっしゃるとおり、30歳代では遅すぎるだろうが、この叢書を10代、20代の血気盛んな年頃に読むのは、ひじょうに困難ではなかろうか。

内容はむずかしくない。
というより、前提知識を必要としない編集方針、翻訳なので、どんどん読んでいけばいい。
このシリーズを通じて、当時の航海術・身分制度・官僚制度を知ればいいし、ラテン語・ギリシャ哲学・キリスト教といった古典的教養の底なし沼に沈むこともできる。

しかし、かったるい!
なぜか?

一言でいえば、これらの記録の著者たちは、近代人ではないから。

現在、全世界で承認されている、科学的な論述、論証の手続き、方法論が確立されていない時代の文章なのだ。
科学のルールに無頓着である。

この場合の科学のルール、論証の手続きというのは、ダーウィン『種の起源』によって確立された、論述の方法、論文の書き方のルールである。(と、いってよいでしょう)
しかも、ダーウィンの場合、コペルニクスのように数学で論証するのではなく、本人が数学が苦手だったこと、および、当時確率論など進化学に必要な数学が未発達だったことが影響し、言語(自然言語)で考え文章で表現する、という結果になった。
その結果、自然観察や数学がダメな人も、ダーウィンの考えを、理解したり、誤解したり、曲解したり、反論したりすることになる。(別に自分を棚にあげていってるわけではない……)
科学としての厳密性には欠けるが、広範な影響をおよぼすことになった。(そして、うざったい、無知丸出しの反論や、正反対の誤解をうけることになる。)

本叢書全体、そして続編である「17・18世紀大旅行記叢書」は、進化論までの思想的道筋を記録したシリーズともいえる。
(であるからして、ダーウィンの進化論が嫌いな方は、本叢書を読んで、欠陥をみつけて行こう!ヒントはいっぱいあるぞ!)

話をもどす。
本叢書がかったるいことの理由として、もう一つ、18・19世紀に確立した文学のルールにも無頓着であることだ。
近代文学のルール「登場人物の心情・心理を作者が説明してはいけない」という暗黙のルールである。

正体不明の相手(戦闘中の敵、商取引相手、異教徒、などなど)の戦術・命令系統・損得勘定・権威の源、などなどを、推測・推理するのは、軍人・商人・宗教指導者にとって、当然の行為、不可欠の心的要素である。
そうではあるが、そのことと、かってに相手の内面を解釈するのは、別の問題である。
この叢書におさめられた記録の作者たちは、しばしば、「かってに他人の心を断定するオヤジ」になる。
現代のマンガや小説ならばギャグの対象になるような、自己中心的(利己的あるいは打算的という意味ではなく、自己と違う認識をするものを想像できない、という意味の自己中心)なものの見方をする。

このような、自己中心的なものの見方しかできないのが、〈非〉近代人たるところである。
これらの記録の著者は、彼らが遭遇した新世界の人びとと同じ、同時代の非近代人なのだ。(というようなことを『クック 太平洋探検』のレヴューでも書いた。)

つまり、この大航海時代叢書は、非近代人と非近代人が遭遇し、一方の非近代人が近代人に変化していく過程を記録したものだ。(それじゃあ、近代人になれなかったほうの運命はどうなのだ?という疑問・異議も含め、世界の不均一・非対称な構造を記録している。)
こう紹介していくと、レムのファースト・コンタクト・テーマの小説と共通する記録群であるのが理解してもらえるでしょう。(まあ、レムのほうは、もっと深遠で哲学的議論が多いのだろう)

とはいっても、最初に書いたように、かったるい記述が続くのも事実。
小説と違いストーリーはなく、論述文のように結論はない。

というシリーズであります。
わたしもまだごく一部しか読んでいないので、大きいことはいえないが。

白石隆,『現代アジアの肖像 11 スカルノとスハルト』,岩波書店,1997

2007-02-17 23:40:29 | 書誌データのみメモ
このシリーズは半分以上読んでいるが、いずれも複雑な現代政治を扱い、一度読んだぐらいでは、アタマから抜けていってしまう。

東南アジア研究者のなかでも、特に頭の切れる人、という印象が強い白石隆による一冊。
スカルノとスハルトを対比したインドネシア政治史。

可児弘明,『シンガポール 海峡都市の風景』,岩波書店,1985

2007-02-15 23:01:26 | コスモポリス
前項『ハイドゥナン』に描かれるムヌチの祈りがとてもチャイナっぽかったので、そのへんのことを書いた本をさがして拾い読みしようと思ったのだが……。

著者(かに・ひろあき)は、香港在住が長い、香港および広東文化圏研究者。
本書は短期間の滞在でとらえたシンガポールの印象であり、旅行記である。

とはいうものの、バックグラウンドが広く教養が深い人の旅行記とはこういうものか、思わずひきこまれ、通読した。
ものすごい鋭い観察と深い分析である。

1980年代前半のシンガポール社会を考察しているわけだが、著者のホームグラウンドである香港との比較、華人文化の違いが鮮明だ。
本書が書かれた当時、香港は雑然としたエネルギッシュな経済都市、シンガポールはクリーンで管理された退屈な都市、という一般的イメージが、すでに確立していたらしい。
著者は、そういうステレオタイプのイメージからはいり、ディープで複雑な都市生活を読者の前に提示する。

植民地政策の分割統治によってつくられた複合社会をくずそうとする人民党リー・クアン・ユー。
大中華の飛び地ではなく、マレー人、イスラーム、インド人と共存する小国として、バランスをとって生きのびる方策を採らざるをえない。
そうした、苦しい国づくりの中での、管理社会、罰金社会、言語政策、住宅政策である。

しかし、そういう国家主導の舵取りからはみだした、あるいは管理社会からこぼれ落ちたさまざまな要素を、著者は拾いあげる。

サシミ文化、タンキー(童乩、降霊術者)、通勝の暦など、シンガポールをクリーンで能率的なショッピング・ゾーンと見るものには気づかない、宗教・精神生活が紹介される。
とくに、第5章「中元会フィーバー」がおもしろい、おかしい。
旧暦7月中に行われる、盂蘭勝会、死霊を迎えて宥める年中行事であるが、これが、陽気でパワフルなお祭り騒ぎなのだ。
お祭り騒ぎの喧騒とともに、これを支える組織である中元会、その経理と収支、人のつながりが示される。
ちなみに、昨今の靖国神社論争に興味のあるかた、一読を。
日本と海洋チャイナの意外な共通点と相違を知ることができる。(そして、ヤスクニも意外とチャイナっぽいってこともわかります、ふふふ。)

というふうに、琉球、八重山の民俗と共通する点も、そこかしこにあるものの、やっぱり、パワーと金儲けと合理性が違う。

さて、本書の内容もりだくさんであるが、著者の眼力がすごいと思ったのは、香港とシンガポールの人口政策、家族計画推進のことである。
当時、シンガポールは他の政策と同様、人口抑制に関しても、強権発動のおせっかい政策を強引にすすめていた。
一方、香港は一応人口抑制を勧めるものの、政府主導のプランはほとんどなかった。

それで、結果として、この両都市は、世界で最低の出産率を記録するようになった。
日本が出産率の低下であたふたしているが、香港とシンガポールはこの点では、最先進地域なのだ(実はマカオもそうなのであって、この三都市が世界の人口低下のトップ3である。)。
それで、この1980年半ばの時点では、まだ出産を奨励しなければならないなんて事態が深刻になるなんて、誰も想像していなかったみたいだ。(シンガポールはその後、出産奨励策でもやっぱりおせっかいな管理政策を前面に出す)

という具合に、今読んでこそ著者の鋭い観察力と問題意識がわかる一冊。
香港とバンコクの本ばかりで、シンガポールのおもしろい本がない、と思っている方におすすめ。
しかし、このレベルの本があと5,6冊欲しいもんだ。

鶴見良行,『ナマコの眼』,筑摩書房,1990

2007-02-13 10:51:41 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
初出は『ちくま』1986年1月から89年4月号まで。
文庫はちくま文庫,1993
今、内容にふれている暇がないので、ひとつだけ。

巻末の索引がすごい。
人名・地名・事項の三つに分けられ、必要以上に詳しい、つまり実用性を超えた索引だ。

人名索引は、個人名と王朝・団体をごちゃまぜにし、「日本移民」と「日本市民」と「日本人(邦人)」とを別々の項に分けた立項。もちろん「日本政府」は別の項目だ。
事項索引には生物図鑑と伝奇小説をまぜたような項目が並ぶ。
この索引こそ鶴見良行の最高傑作?!

『鶴見良行著作集』各巻の索引も、これにならって作られているんですね?

『鶴見良行著作集 3 アジアとの出会い』,みすず書房,2002

2007-02-13 10:41:58 | 20世紀;日本からの人々
1970年代のルポ・エッセイ・論考を発表順に収録。

『バナナ』や『ナマコ』や『マングローブ』がオリジナルの単行本や文庫・新書で読めたのに比べ、本巻収録の記事・論考は雑誌発表後単行本未収録のものが多数。
吉川勇一・編集 鹿野政直・解説という布陣。
時代は、サイゴン陥落(陥落じゃなく解放だ!)、タイの反日運動、石油ショック、韓国の独裁政権(といって、日本人が非難できる立場ではない!)、インドネシアへの投資が急上昇、という時代。
鶴見良行は熱く語りかける。

で、この当時わたしは、鶴見良行なんて人物はぜーんぜん知らなかった。
べ平連運動も、タッチの差で無縁な年代である。
後に『バナナと日本人』を読んだ時も、鶴見良行なんて著者のなまえを意識しなかった。
やれやれ、いくら鶴見良行が、アジアの民衆との連帯をうったえても、わたしのようなボンクラには、その声は届かなかったわけだ。

とはいうものの、わたしにも言い訳はできる。
まず、当時、わたしは、革新系だろうが保守系だろうが(こういう具合に分類できたのだ)論説雑誌はいっさい読んでいない。新聞も週刊誌もマンガ以外はみていない。
ニュースも見ず(テレビがない)、世界の情勢にもいっさい無関心だったのだ。
まるで、ひきこもりか仙人のようだって?
いや、わたしのまわりはみんな似たようなもんだったよ。
だいたい、いいワカイモンが、ニュースや論説や政治なんかに興味を持つのは不健全だ。
この後の鶴見良行が語りたかったのは、短期の紛争や外交問題ではなく、長い歴史の中で形成された文化、食い物や飲み物といった日常のこと、自然や生態をながめる、観察するってことではなかったのか。
情報も、ワカイモンは、直接の口コミで伝えあうのが一番多いし、本や映画など、おもしろいことはいっぱいあるもんだ。

もちろん、鶴見良行さんのまわりの人間(たとえば月報に執筆している室謙二など、若いべ平連関係者)は、もっと知的刺激があって、もっと深い議論をしていただろう。
そういう体質や知的環境をうらやむ気持ちも、わたしにはある。

しかし、まあ、そういう詮索をしてもはじまらない。
若い読者に向けて編集されたこの著作集だが、実際に読んでいるのは、わたしのような用済みの老人読者が多いのではないか。
若い読者には、入手の容易な文庫本がいいだろうし、値段や入手可能性以前の問題として、まず、『マラッカ物語』や『海道の社会史』,『マングローブの沼地で』のほうが惹きつける点が多いだろう。

『ナマコの眼』は、最初に読むのはもったいないな……

村井章介,『海から見た戦国日本』,ちくま新書,1997 その2

2007-02-11 09:42:56 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
1月26日にレヴューした時忘れていたこと。
いや、最初このことを書くために、レヴューするつもりだったのに、書いていく途中で忘れた。ぼけている。

鉄砲伝来のこと。
著者は、日本列島への鉄砲の伝来を、「アジア域内の事件」として扱うことを否定している。
つまり、鉄砲を伝えたのは、倭寇であって、伝えられた鉄砲もアジアで制作されたものである、という最近の考証である。
たしかに、現存する史料だけを考証すれば、こういう結論、つまり、鉄砲伝来は、アジア域内における技術の伝播である、という見方もうなずける。

しかし、著者は、そういうこまかい字面ではなく、鉄砲伝来の歴史的意義を考えるなら、やはり、ヨーロッパ人のインパクトの一環として、日本列島まで鉄砲がやってきた、と考えるべきだと主張している。

たいへん常識的で、説得力がある。

それから、本書の記述を離れて、もうひとつ「ポルトガル人」という言葉について。
これは、漢文史料や日本語史料の中の「南蛮人」を翻訳したものである。
それで、この「南蛮人」は、イベリア半島から来たキリスト教徒である、と説明されることが多い。
それも間違いではないが、今あつかっている、鉄砲伝来など、ジャンクに乗って来た南蛮人という状況を考える場合、必ずしもキリスト教徒ではないし、イベリア半島出身者というわけではない。

インド洋、東南アジア方面からきた、海上勢力を漠然と示す言葉と考えてよいだろう。
とすると、実は、「倭寇」と重なる要素が多いのである。
後期倭寇=中国人とする大雑把なとらえかたがあるが、あれも正確ではない。
「倭寇」のジャンク船が鉄砲を伝えたのだから、チャイニーズが鉄砲を伝えたという、解釈があるが、倭寇=チャイニーズではない。

つまりだ、東シナ海・南シナ海の海上勢力は、九州の人々から見ると「南蛮人」であったり、華南沿岸の人々から見ると「倭寇」であったしたわけだ。さらに、マレー世界に行けば「ポルトガル人」とか「チャイニーズ」あるいは「日本人」と認識されたわけだ。もちろん、個々の人間が、九州生まれか華南生まれか朝鮮半島生まれかイベリア半島生まれかはわからない。

ポルトガル人≒倭寇≒華人≒日本人

なのである。(むちゃくちゃな意見と思う人もいるかもしれないが、歴史分野ではほぼ常識として受け入れられている考えですよね。)

宮本昭三郎,『源氏物語に魅せられた男 アーサー・ウェイリー伝』,新潮社,1993

2007-02-06 11:12:36 | ブリティッシュ
アーサー・ウィイリー(Arthur David Waley)は
1889年 ケント州生まれ、ケンブリッジのキングス・カレッジ卒。
1913~29 大英博物館勤務。
1925~33 英訳の源氏物語 刊行。

ロンドンの通称ブルームズベリー・サークルと交際。ヴァージニア・ウルフ、バートランド・ラッセルなど。
また、エズラ・パウンド、T.S. エリオットなどと交友、彼らをバックアップした。(名前は知ってるけど、触ったこともない。)

源氏以外に、唐の時代の漢詩を中心に韻文・散文の翻訳多数あり。
大英博物館では、オーレル・スタインが請来した(かっぱらってきた)敦煌文書の整理をしている。
というわけで、東南アジアと関係ありません。

この人物につきまとった、ベリル・デ・ズータ(Beryl de Zoete カナ表記いろいろ)という女性がいる。

ウェイリーより10歳年上。
オックスフォードのサマヴィル・カレッジ卒。
イタリア語から、カロッティ『美術史』ほか、美学書の翻訳あり。
ダルクローズという人のリズム体操(のちにユーリズミックスと呼ばれる)を広める。
プラトニック・ラヴの信奉者(?)で、複数の男性と結婚歴(?)あり??
菜食主義!

というめちゃくちゃにエキセントリックで、わけのわからない女性である。
アーサー・ウェイリーとも婚姻関係にあったのかどうか不明だが、ともかく、生涯ウェイリーとともに同棲していた。
ウェブで調べても、各所にバラバラのデータがちらばっている。
しかし、一番有名なのは、そう、
ヴァルター・シュピースと共著『バリの舞踊と演劇』です。with Walter Speis " Dance and Drama in Bali ", 1937

この女性が、シュピースとともにバリ島に滞在したのだ。
ちょうど同じ時期に滞在した、マーガレット・ミード=ベイトソン組を悩ませる困った女性であったらしい。(わはは!)
一方で、ウェイリーとの交際は生涯続いたわけで、この実直な文献学者といっしょにイスタンブール旅行などしている。

(ベリルの死後、アーサーには、別種の家庭的な女性がつきまとう。伝記作者にとって、やっかいな、こまった女性であるようだ。資料隠滅の疑惑あり。)

というわけで、バリ島とはほとんど関係ないけれど、どんな人びとが押しよせたかという背景を伝える本です。
もちろん、本筋の日本語・日本文学研究の話もたくさん。(第二次大戦中、対日本諜報活動に協力していたらしいが、その話はなし)