東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

平野敬一 訳,ダンピア,『最新世界周航記』,岩波書店,1992

2007-07-29 09:12:32 | 翻訳史料をよむ
17・18世紀大旅行記叢書 1
翻訳底本;John Masefield ed. "Dampier's Voyages" 2 vols. 1906
1717年刊行された航海記。
なんと、岩波文庫に収録されてしまった。上下2分冊(2007)。
オレが持ってるのを文庫にしないで、持ってないのを文庫にしてくれよ、と、かってな要求をしたがる。(『インカ皇統記』が文庫になったのに買っていない……。)

内容は、18世紀初期のイングランドの海賊ダンピアの西インドと東インドの見聞録。
カリブ海・アメリカ地峡地域と、フィリピン諸島やオランダ領東インド、ふたつの地域の対比が新鮮だ。

なんといっても、このダンピアという男、近代人だ。
国王や高貴な身分のスポンサーに対する卑屈な態度がまったくない独立の冒険者。
また、神の意思を異教徒に伝えるとか、あまねく天の配慮を実現するとか、宗教的な使命感もまったくなし。
おもしろければいいじゃん、儲かれば幸いという、自分勝手な人物である。
海賊仲間の忠義心や連帯感もない。
自分につごうがよければ行動を共にするが、「こういうやつらと組んでいたら、この先命がいくつあってもたりないなあ」と思ったら、さっさと別れる。

こんな人物が記録したのが、二つの海域の産物、動物・植物、儲け話(といっても、失敗した話が多いが)、住民の暮らし、宗教や交易である。
ひじょうに客観的で簡潔。
妄想や空想が少なく、実際に目にし、観察した記録だ。

インディゴやコチニールなどの染料、カカオ、香料などの実際的な知識がくわしい。(もっとも、彼ダンピア自身が栽培したり、加工するわけではなく、彼の商売は、強奪して売りさばくことである。でも商品知識は不可欠だ。)
それとともに、マナティ、トド、コバンザメ、あるいはマングローブ帯など、商品とは直接関係ない自然のおもしろさも描写している。

そして、この時代になって、やっと人魚やアマゾネスや黄金境がなくなる。
つまり、そんなことは、ダンピアは書かない、記録しない。
「食人種」についても彼は、そんなものはいないと、断言している。
もちろん、今日の知識では、「食人種」は存在したはずだが、当時のヨーロッパ人航海者の目にふれるところに、そんな習慣があるはずはなく、そうした意味では、ダンピアは正しい。

という具合に、記録者ダンピア自身の視線と同じ立場で読める記録である。
訳者・平野敬一が指摘しているように、ダンピア自身の行動がいきあたりばったりで、読みにくいところもあり。
とくに、ダリエン地峡のあたりが、話がすすまずかったるい。
グアム島、ミンダナオあたりから読み始め、そのあとカリブ海にもどってもいいかも(と、わたしの忠告に従う人はいないか。)

水島司 編,『アジア読本 マレーシア』,河出書房新社,1993

2007-07-28 07:32:38 | 多様性 ?
えっと、この『アジア読本 暮らしがわかる』シリーズのレビューは最初だっけ。
なかなかイントロとしてとっつきやすい本がなかった時、アジア各国別に、政治・経済よりも、衣食住・宗教・民族・慣習・教育・ポップカルチャーを中心にまとめてくれたのが、このシリーズです。

4冊ずつ1期分、全4期計16冊発行の第1期。
タイ・フィリピン・インドネシアとともに、ASEAN結成当初の国を紹介。

他の巻は(韓国は単独著者による)、多数の著者がそれぞれ専門分野を分担した構成になっているが、本巻は、編者・水島司ができるだけ一人で執筆するという体裁になっている。(それでも少数の助っ人が参加)

編著者の水島司さんは、インド史研究者としてスタートした方、中央公論社『世界の歴史』シリーズ『ムガール帝国から大英インド』で、南インド史を担当した人です。
その南インド専門家が、歴史的知識はあるものの、ほとんど知らない地域であるマレーシアを総合的に紹介したもの。
専門家が自分の専門をまとめるよりも、はじめてマレーシアについて書く、という新鮮さが、いい結果となった著作。

内容は要約不能。各自購入するか図書館で見よ。

*****

本書ばかりではないが、本書でも、マレーシアのブミプトラ政策についての矛盾がさりげなく述べられている。

マレーシアの「マレー人」は土地の子、本来の住民であり、華人・インド人の経済的優位に対抗するために、政策として優遇する、というのが「ブミプトラ政策」。
詳しい経緯は、前項『ラーマンとマハティール』にこれ以上はないほど適切に叙述されている。
しかし、「マレー人」ってのは、どう定義されるのだ。

『ラーマンとマハティール』にも初代ラーマン首相の母はビルマ人でバンコク出身、第4代首相マハティールの父はインドのケララ州からの移民の家系、ということがはっきり書いてある。これらの事実は秘密でもなんでもない。
「マレー人」は、マレー生まれのマレー語を話すムスリムである、という規定があるが、実は、マレー半島にもボルネオにも、ムスリムでもないしマレー語が母語ではない先住民がたくさんいるのだ。
さらに、スルタンがマレー人を精神的に保護・支配するという暗黙の前提があるが、スルタンというのが、移民のアラブ系だったり、現在インドネシアの各地からの子孫である場合がある。(だいたい、母親のほうは、シャム人だったりユーラシアンだったりするのだ。そういえば日本人でスルタンの妻になった人もいたはず。)

というように、矛盾がいっぱいなのだが、本書はその矛盾の中で、それぞれの宗教や慣習を守り(あるいは復活したり、創造したり)、消費生活を楽しみ、都市生活に不満ながらも順応するマレーシア人が描かれている。

シリーズの他の巻も同様だが、まず最初に目を通してみるべき1冊。
参考文献もしつこくなく適切。

萩原宜之,『ラーマンとマハティール』,岩波書店,1996

2007-07-28 07:32:20 | 多様性 ?
萩原宜之,『ラーマンとマハティール』,岩波書店,1996

著者(はぎわら・よしゆき)、シリーズ「現代アジアの肖像 14」

二人の首相を中心にマレーシア現代史を通観した一冊。
アジア通貨危機前に出版されたことが、逆によい結果になっている、と思う。
大きな事件があると、まるで、それ以前の経済・政治がそれに向かっているかのような叙述になってしまうきらいがあるが、本書は経済成長を謳歌するマレーシアの記述で終わっている。
これが、独立前後からのマレーシア史として読みやすい。

独立といえば、今年2007年8月31日はマレーシア独立50周年。
ウェブはお祭り騒ぎの情報であふれています。
しかし、どこから50周年かというと……(以下の段落はとばして読んでも可)

大英帝国の海峡植民地・マレー連邦州・マレー非連邦州の三種類の支配形態があったマレー半島、そこが日本軍の軍政になったのが1942年2月15日から。(ややこしいことに、日本軍政時代に、ぺルリス・ケダ・クランタン・トレンガヌの4州はタイに割譲。)日本の敗戦により、イギリスの軍政になる。その後、イギリス植民地省は、シンガポールを分離し、ほかの州をまとめたマラヤ連合案をつくり、政府案とする。この案に反対するUNMOは、マラヤ連合案に代わる、マラヤ連邦案を提出。半島内の各民族、政党、スルタンの利害が絡まる中で1948年2月1日マラヤ連邦発足。ナショナリストや政党が対立・協調する中で、マラヤ連邦は独立の道をさぐる。そして1957年8月31日、英連邦国家の一員としてマラヤ連邦独立。ここから数えて今月31日が50周年というわけだが、この段階でのマラヤ連邦というのはシンガポールも含め、ボルネオのサバ・サラワクは含まれていない。1961年、初代ラーマン首相はマラヤ連邦・シンガポール自治領・ボルネオ(サバ)・サラワク・ブルネイを統合したマレーシア連邦構想を発表する。この案に対し、サバ・サラワクの住民間の反対と賛成、近隣のフィリピン・インドネシアの抗議、半島部のさまざまな民族・勢力の賛同と反対があった。結局ブルネイは離脱。国連の調査団も受け入れた(うーむ、リットン調査団みたいなものか、東チモール調査団みたいなものか)。1963年9月16日、マレーシア連邦成立。しかし、まだまだ問題は続く。シンガポールでの反マレー・反UNMOの運動が高まり、結局シンガポールは分離独立。1965年8月9日シンガポール分離。この時期は、インドネシアやフィリピンとも国交断絶の時期。やっと現在の国境が定まったのものの、国内の動揺・不安定は続き、1969年「5月13日人種対立事件」。この事件をきっかけにラーマン引退。

というのが本書の第6章まで。
たいへんな時代だったのだ。
ベトナム戦争、文化大革命、というものすごい事件に目をくらませられるが、1960年代までの東南アジアの国々、みんな大揺れに揺れていた。
まさかこんな国々が、ヨーロッパ並の工業生産や国民所得になるなど、想像できなかった。
いや、東南アジアばかりじゃなく、日本と韓国や台湾だって、このころ、ものすごい混乱、治安出動、労働災害と公害、猟奇犯罪と組織的汚職だったんだから。

政治史を中心とした歴史は、このシリーズ全体をみても、混乱と対立、あやうい均衡の上に成立しているように見えてしまう。

なんといっても驚いたのは、マレーシアでは、「市民権、マレー人の特権、他の民族の合法的地位、国語、スルタンの地位についての一切の言論を禁止する」ことが憲法で(憲法でですよ!)禁じられているってこと。

↑文章まちがい。〈禁じられている〉ではなく〈規定されている〉

くれぐれもマレーシア旅行中、「ちぇ、英語の表示にしてくれよ」なんて言わないように。憲法を犯す言動であります。

とはいうものの、豊かな暮らしになれば、みんな穏やかになるもの。一見すると、各民族は調和しているし、漢字の看板もタミール語の看板もあるし、スルタンが国王になろうがなるまいが(順番で国王になるんだ!立憲君主制で連邦制)誰も気にしていないようにも見える。

そんな豊かな工業化社会にしたのが、マハティール第四代首相だ。

サマセット・モーム,『手紙』,1924 その2

2007-07-27 17:43:52 | ブリティッシュ
中心人物、殺人事件容疑者・美しく沈着な白人女性・貞淑な妻・レズリー。
彼女に銃を連射させた激情は、秘密の愛人ハモンドの心変わり、であるようにみえる。しかし、心の奥底の動揺は、ハモンドの中国人の愛人と比較され、敗北した屈辱感だ。
ハモンドは「おまえには、飽き飽きしたよ。ずっと以前からオレにほんとに必要なのは、あの中国女だったんだ。」と言いきる。

こうして二種類の恐怖が対比される。
弁護士ジョイスの感じる違和感や恐怖感が、事務員オンの知性や物腰から生じる。対照的に、レズリーの危惧と怒りの原因は、中国人女のセクシャリティだ。

レズリーの夫、ロバート・クロズビーは、巨体のスポーツマンで「彼が拳骨をふったなら、華奢なタミール人苦力などは一発でのびるだろう。」と描かれるように、体力と暴力で支配するタイプだ。
それに対し、弁護士ジョイスは、知性や弁舌や能率的事務処理の力で、この海峡植民地で支配層に属する。
レズリーは美貌と肌の白さと端正な身のこなしで、支配階層の女性として君臨している。
というのが、表面的な秩序である。

しかし、彼ら中国人は、知性とセクシャリティの両方を備えた、恐怖の存在だ。

作者の筆致は、中国人女を、(レズリーの口を借りて)、太った、年老いた、醜い女と描写して、ごまかしている。
あるいは、仲介者のオンが「あの女は、小切手などというものは理解できない女なので、代金は現金しかうけつけません。」などと言うのも、読者を迷わせる罠である。

実際は、この中国人女はすべてを、つまり、レズリーとハモンドの関係、クロズビー夫婦の関係、弁護を請負っているジョイスのこと、すべて内情を知っているはずだ。
自分の恋人(レズリーの会話の原文では mistress 、愛人、妾などというニュアンスを持つが、自分たち白人仲間の浮気は lover なんて単語を使っている。ズルイ女だなあ。)であるハモンドが心変わりをしないことに確信を持っている。

そして最大の謎。
中国女は手紙を読んでいたか?

答えはもちろんイエス。

この点に関して、作者は断言していないし、レズリーの危惧が、この点にあったかどうかも、巧妙にぼかしている。

しかし、当然、白人のまわりにうごめく、植民地・開拓地の住民は、みんな白人の話す言葉を理解し、文字だって読んでいた。

銃連射事件の直後、クロズビー家の召使い頭(head-boy という単語、こんな単語はあまり不注意に使用しないように)の描写を見よ。
事件の直後、慌てふためいているものの、ADO(副郡長などと訳される)を呼ぶなどの事後処理をする。

さらに明らかなのは、当のレズリー自信が召使いに、逢瀬の手紙を託していたのだ。なんと無頓着な女だ。(あたりまえだが、電話はない。)
彼ら白人の行動は、周囲の召使い・苦力・事務員そのほかすべての住民に筒抜けである。
彼らブリティッシュは、支配する者たちを見えない存在、匿名の存在にしているが、反対方向の視線はさえぎられない。
彼らは一部始終を監視された存在なのだ。

というホラー・ストーリーである。

なお、ハモンドと同棲していた中国人女が、裏取引の場に現れたときの服装が描写されている。

英語原文では、"little Chinese silk slippers"

となっている履物を、田中訳は「小さな中国の絹沓」とし、中野訳は「かわいらしい中国の靴」としている。
これって纏足用の小さなくつのこと?
原文でもはっきりしないが、「彼女の服装は完全に洋風でもなく、中国風でもなく」と記したあと、「しかし (but) 」という接続詞でつないでいるから、これは、服装は半分洋風化していても、肉体の肝心なところは過去の遺物をひきずっているという意味で、纏足を示した可能性がある。(しかし、ほんとのところ、どうなんでしょう?)

サマセット・モーム,『手紙』,1924

2007-07-27 17:39:27 | ブリティッシュ
W. Somerset Maugham, "Collected Short Stories" Vol. 4, Penguin Books, 1978

邦訳多数だが下記の2つのみ参考にした。

田中西二郎 訳 新潮文庫 など 1955年頃の翻訳?
中野好夫 訳 岩波文庫 など 1940年頃の翻訳?
国会図書館の書誌情報などで、各訳者の初訳を調べればいいのだが、めんどくさいのでやめる。現在入手できる版が改訂・改稿しているか、など無視する。

英文学の分野ではあるゆる重箱の隅をつついた論考・論文があるから、以下の感想・分析もすでに関係者の間では、あったりまえの常識かもしれない。
過去の研究を調べるのはめんどくさいし、ウェブ上ではほとんど日本語資料がないので、無責任に書く。もし、同様の分析があったら笑って許してね。

かんたんにストーリーと登場人物紹介。
この短編はストーリーを知ってしまったらおもしろさ激減なので、以下、未読の方は読まないように。
入手が容易だし、すぐ読めるので、今すぐ読んでみよう!

ジョイス:シンガポールに事務所をかまえる法律家。クロズビー夫婦の友人。拘束中のクロズビー夫人の弁護士。

ロバート・クロズビー;マレー半島でゴム・エステートを経営する。他にも資産多数。
レズリー・クロズビー;その妻。

ジェフ・ハモンド;クロズビー夫妻の隣人(といっても8マイル離れている。)第一次大戦で負傷。夫妻とは、ここ数年、交際はほとんど無い、ということ。

オン・チ・セン;ジョイスの事務所の事務員。中国人。

物語は、ミセス・クロズビーが逮捕され、夫が弁護士・ジョイスに相談に来ているシーンから。

拘束中の妻・レズリーによれば、夫の留守中、深夜訪れたハモンドが、夫人につめより、暴行をはたらこうとした。パニックに陥ったレズリーは、夢中で銃を連射。ハモンドは即死。
夫人は正当防衛で無罪になると思われるが、規則上、公判まで拘束されている。夫は妻を思い、憔悴している。

夫・ロバートが帰ったあと、事務員のオン・チ・センがジョイスにある情報を持ってくる。
レズリーが暴行犯ハモンドに宛てた手紙が存在する。オンは手紙のコピーを見せる。もちろんコピーは証拠にならないが、自筆の手紙を取引したいという「友人」がいる、という情報を伝える。
コピーの手紙によれば、妻・レスリーは夫の留守を知らせ、秘密の逢瀬を懇願している。

弁護士・ジョイスは拘束中の夫人を訪問する。
会話の中で、夫人が手紙を出したことは事実であり、夫人はハモンドと長い間恋人関係、不倫関係にあった、ということが、読者に知らされる。(もちろん、弁護士・ジョイスにもわかる。)

夫人は、手紙を買い戻すことを願い、夫・ロバートがその代金を支払うことを確信している。(もちろん違法な買収だ。)
「わたしのためでなく、あなたの友人でもあるロバートのために……。」
証拠隠滅に協力してくれ、というわけ。(ここで、読者も語り手も、放埓で自信過剰な女の内面に気づく。この点を物語の中心として読みとる批評も多いが、そんな単純な構造ではない。)

弁護士・ジョイスは、被告の夫ロバートに事情を話す。
事務員・オン・チ・センから取引の金額と方法も提示される。
結局、現金をもって、取引の場所にジョイスとロバート二人が訪れ、中国人女(殺害されたハモンドと同棲中であった。)から手紙を受け取る。
夫ロバートは、妻が浮気の相手に出した手紙を読む。

そして、裁判は滞りなく進行し、レズリーは釈放される。

ジョイス夫妻は、自宅に疲労したクロズビー夫婦を招待する。
夫のほうは、エステートの仕事のためという口実で、昼食後すぐに退去する。

その後、ふたりきりで、ジョイスは、レズリーの口から、浮気相手ハモンドの心変わりの経緯、ハモンドの侮蔑のことば、激情にかられ銃を連射したことを聞く。
激白した後、レズリーは、もとの冷静で慎ましやかな女性にもどる。
事情を知らないジョイス夫人が無邪気な言葉をかける。

というストーリー。

熱帯のエステートの中(ちなみに、開拓されているんだから、奥地でもジャングルでもないよ)、留守がちの主人(けむくじゃらで日焼けしたスポーツマン・タイプの無粋な男として描かれる)に倦み、放埓な浮気をする身勝手な女のおこした事件、というのが、表面上のストーリーである。

しかし、物語を読めば、ふつうの読者なら、彼らブリティッシュ系のまわりにうごめく、不気味な中国人たちの存在がもっと大きなテーマだと気づくはずだ。

法律事務所の事務員オン・チ・センの端正な服装、抑制のきいた話し方、雇い主に対する慇懃な物腰、すべて不気味である。
裏取引の陰謀の首謀者がこのオンではないか、と勘ぐられるほどだ。
ソツがなく、能率的、冷静沈着、(作者モームがホモセクショアルだったという観点からの分析は、つまらないから止めとくが)不気味な色気が漂う男である。

支配階層である白人のジェントルマンシップ・貞節がくずれていく中、着々と見えないネットワークの中で足場を築く中国人たち……。

しかし、物語はもっと深い恐怖を描いている。
以下、「その2」で。

井上耕一,『アジアに見る あの坐り方と低い腰掛』,丸善,2000

2007-07-26 10:05:24 | フィールド・ワーカーたちの物語
本書はすごい。
誰でも見ていながらみすごしていた、あの坐り方、つまりウンコスタイル、ヤンキー坐り、(漢字であらわすと、蹲(そん)・踞(きょ)などの文字があてられるが、漢書に記されているものが実際どのような坐り方だったのかは、かならずしも明らかではない。)東南アジア各地でみられる人々の坐り方である。
「低い腰掛」とは、風呂屋の腰掛のような(と、いっても最近、銭湯のイスは高くなる傾向があるが)、地面(床面)から10cmから25cmくらいの腰掛のこと。

著者は、デザイン雑誌の編集、デザイン史、建築史研究者。
東南アジアの旅はタイの少数民族地域からはじめ、次いで中華人民共和国の少数民族自治区、ベトナムやラオス、ミャンマーの山岳地域へ足をのばす。本書にはシッキム・ティンプー・トラジャ(それに東京の渋谷)の写真も少々掲載されている。

著者が引用しているごく少数の文献を除き、先行研究はほぼ皆無。
しかし、漢民族やヨーロッパ人の目をひいたことは確実であり、旅行記や見聞録に記録が残っている。
われわれ日本人からみれば(といっても、最近事情が変わってきたようで、後述する。)あったりまえのような、「あの坐り方」は漢民族をのぞいた東アジア・東南アジアに普遍的に存在する、日常的な姿勢であるようだ。

そもそも、そんな理屈をつけたり、たくさんの証拠を持ち出すまでもなく、「あの坐り方」は、排便に不可欠であり、正常な骨格の人類ならば誰でも可能であるはずだが、ヨーロッパでは古くから衰退した。(こっちのほうが、謎である。)
しかし、便所の構造から考えれば、中東からインド(そしておそらくアフリカ全域も)まで、あの姿勢はだれでも可能な姿勢であるはずだ。

さらに奇妙なのが、あの低い腰掛。
著者は、あの低い腰掛を調理・軽作業・機織などのしゃがんだ姿勢での作業と関連して考察する。
本書全体は、明確な結論を出そうとしたものではなく、なるべくたくさんの実例と写真を紹介したものである。
だから、考古学的考察(土偶や腰掛の遺物)や起源をめぐる論議よりも、広範な観察と写真のほうが読者をひきつける。

低い腰掛に注目したのはすごいが、もうひとつ奇妙なのは、低いイス、つまり背と肘掛がついていて、尻と大腿部がおさまる大きさのイスであるが、異様に低いイスである。
これは西洋か漢族のイスがアレンジされて導入されたものらしい。(日本でも、ちょっと前まで、不釣合いな応接セットが多くの家庭にあったんですよ。じゃまくさく、楽でもないので、そのうち粗大ゴミとして処分されたんですが。)

各地で西洋化もしくは漢化によって、椅子がもちいられるようになっている。
が、椅子にすわる姿勢というものは、どうもリラックスする姿勢とは思えない。また、作業をする姿勢でもない。
もともと椅子というもの、権威の象徴として発達したものらしく、ヒトの骨格や筋肉に負担をかけるモノであるらしい。
わたしなんか、しゃがむ姿勢も足に負担がいって長く続けられないが、椅子に長い間すわっているのも苦痛だ。

しかし椅子に腰掛ける生活は、東南アジア・東アジアにどんどん浸透している。
学校やオフィスがそうであるし、食堂もテーブル式になると、高いスツールやベンチが導入される。
それに、車の運転やモーターバイクは腰掛ける、またがる姿勢ではないか。
そういえば、パソコンも腰掛けて使うように設計されているんだろうか?(今、わたしは椅子の上にあぐらをかいてキーを打っているんだが。)
権威の象徴やみせびらかしの財貨としての椅子があったが、現代的なさまざまな作業、道具によって、椅子に腰掛ける姿勢も急速に広まるだろう。

ともかく多数の写真を撮り、観察した著者の労作。(文章は少なめで、軽く読める)

『東南アジア市場図鑑 植物篇』,『同 魚貝篇』,弘文堂,2001

2007-07-25 11:44:59 | 実用ガイド・虚用ガイド
『植物篇』は、吉田 よし子・菊地 裕子 著
『魚貝篇』は、河野 博 編

10年ほど秋田の市場で食品を買う生活をしたことがある。
青果・鮮魚・雑貨にわかれた一般客・プロ・観光客を相手にした市場である。

この市場に10年も通うと、だいたい市場の(おおげさにいうと)構造がわかる。

青果でも鮮魚でも、旬の高級品(たとえばホントの野生の山菜)を売る店、旬の一般的なものを売る店、季節に関係なく高級品をうる店(たとえばサシミのツマ)、季節に関係なく安物を売る店、ハシリの高価なものを扱う店、季節遅れの安物を売る店、近郊の特定の地域の産物を売る店、遠隔地や輸入者を扱う店、など棲み分けをしている。

客層による区分もある。
朝の早いうちにプロ相手の商売を終えて、日中は、残り物をさばいている店。
土産物や観光客相手の店。
一般の家庭の食卓をターゲットにしている店。
客がいなくつぶれそうな店(事実、店の廃業・配置換えは多い)

市場は、その地域の産物が多いわけでもない。
たとえば、秋田の市場は、タラコ・スジコの店の売り上げ・活気がすごいが、これらの塩蔵品は当然ながら、北海道やカナダやアラスカから来たものだ。
一方、秋田産の季節物をあつかう店は、季節がすぎると、ほとんど開店休業状態という店もある。

と、まあ、こんな具合に市場に客として行っていたわけだ。
東南アジア旅行でも、市場見物は最高におもしろい。
本書は、そんな東南アジア市場見物に絶好の指南書、であるが……。

わたしは、この図鑑を実際に旅行に持っていったことはないし、今後ももって行く可能性は少ない。
理由は……

まず、このコンパクトな(四六版)でも、やはり重い。
市場見物だけが目的じゃないから、やっぱり無用の長物になりそうだ。

それから、やっぱり、気の弱いわたしだけかもしれないが、鉄火場のような鮮魚売り場で、買う気のない旅行者がのんきに見物するのが憚られるのだ。
実際は買う気のない旅行者にも愛想よくしてくれる場合が多いのだが、やっぱり場違いが感じがして気がひける。

それから、もっと実際的な理由としては、実際に市場にでかけると、野菜や果物、サカナなど、名前や料理法はわからなくても、何だかはわかる。
それ以上の知識は、熱気と活気の中で本のページをめくっても、アタマに残らないような気がする。
そして、なにより、青果や鮮魚よりも、正体不明の加工食品、乾物、調味料、スパイス、菓子類、花卉などに目移りし、めまいがしてしまう。
米や塩なんかも見ておもしろい。

そういうわけで、労作であるが、わたしにとっては、机の上で読んで心の準備をするための本です。

古川久雄,『インドネシアの低湿地』,勁草書房,1992

2007-07-24 18:16:09 | フィールド・ワーカーたちの物語
もっともタフなフィールド・ワーカーが、もっとも東南アジアらしい地域を描いた、東南アジア書の最重要、最高傑作、と声を大にしていいたいが……。

うーむ。あまりにも専門的。

抽象的な論議ばかりの著作、外の世界(アメリカや日本)の影響を論じた著作、そんな本よりも具体的な自然や人びとの生活を描いた、本書のような著作こそは、ほんとうに東南アジアを知るために重要である。
と、いうことはわかっている。
それに、この筆者・古川久雄は、文献渉猟にも強く、清濁あわせのみ、本書が扱うムラユ世界の湿地ばかりではなく、火山島や珊瑚礁の島、デルタのプランテーションや都市の姿も見て歩いている研究者だ。

そんなわけで、本書こそは、もっとも東南アジアらしい地域を描いた書物であるのだが。
やはり読みづらい。
筆者はけっして読みにくい文章を書く研究者ではないのだが。

本書の扱う範囲よりももっと広く東南アジアを見聞している人であるから、まだまだ一般の読者向けの内容を書ける人だと思うのだが。
めこんの桑原社長あたりが、一般向けの本を書かせることはできないのでしょうか?

とはいうものの、スマトラ・カリマンタン、それにマレーシアの熱帯林、マングローブ、海域の自然・生態・生業のイメージをつかむには最適。
写真を多用した本は多いが、漁撈や農耕の技術をほんとうに理解して書かれた本は少ない。
がまんしてしっかり読むべし。

大井徹,『失われ行く森の自然誌』,東海大学出版会,1999

2007-07-24 18:15:28 | 自然・生態・風土
著者はブタオザルの生態研究が専門。であるが、本書はそのブタオザル調査で訪れたスマトラの自然・生態を一般向けに紹介したもの。

スマトラといえば、東側マラッカ海峡側からの湿地とマングローブ帯、中央の山地と盆地(ここがスマトラで一番人口が稠密で、むかしから独立した文化があるところ)が、代表的な生態である。
著者の目的であるブタオザルが生息するのは、標高の高い地域であるが、ミナンカバウやバタックなど山地・盆地の民族の中心地から離れたバリサン山脈のクリンチ山。スマトラ最高峰(東南アジアの火山としても最高峰)の山である。

動物の生態が著者の専門であるが、こういう学者はひじょうに少数派だ。
自然や生態を研究する学者の中でも、樹木と昆虫の研究が大部分で、大型動物を研究する学者はすくない。
その理由は、大型動物はたしかに失われいく自然のシンボルとして脚光をあびるし、写真映りもいいが、生物学者・生態学者の研究題材としては、効率が悪い。つまり、研究成果をまとめにくい。さらに、研究を援助する団体や企業も少ない。

そんななかで、例外的に霊長類を研究する著者であるが、本書は大型動物はもちろん、地殻構造、樹木、植物全般、それにここで暮らす人びとの生業も紹介している。
民族学や地域研究の学者に比べて食い足りない面もあるが、調査や旅行の記録が少ない地域の知るのに最適。

題名が示すように、開発と自然破壊、動植物の減少を憂いた部分もあるが、まずスマトラ高地の自然を読みとろう。
マングローブとプランテーションだけではないのだ。

宮田珠己,『ふしぎ盆栽 ホンノンボ』,ポプラ社,2007

2007-07-23 10:13:15 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
なんとポプラ社から、意外な出版社から本が出るタマキングである。
ポプラ社のウェブマガジンに2005年8月から2006年8月連載。

ベトナムの盆栽、盆栽というより立体山水画、水盆にのせられたミニチュア桃源郷をめぐる旅行エッセイ。
旅行にまつわる軽い違和感、ヘンテコなものとの遭遇、そんな感覚を文字にした本として、『ウはウミウシのウ』や『晴れた日は巨大仏を見に』と同系列。

初期のスラップスティックなギャグは、やはり体力が少なくなると続かないだろう。
旅のふとした合間に遭遇するヘンなものを、ヘンなものなりに、分析したり様式を学んだりせずに、遭遇の瞬間のこころの揺らめきを文章にしようとする意欲作。

とはいうものの、題材が盆栽だからというわけではないが、著者の受信力に疲れがみえるというか、枯れた心境が垣間見えるようなきもする。
このまま一挙にホノボノ路線に進まないでくれ、という希望も読者としてはある。

それにしても、ヘンなものがあるもんだ。
旅行ガイドブックにも、旅行会社の情報からも無視されている、ヘンなもんがいっぱい残っているもんだ。