17・18世紀大旅行記叢書 1
翻訳底本;John Masefield ed. "Dampier's Voyages" 2 vols. 1906
1717年刊行された航海記。
なんと、岩波文庫に収録されてしまった。上下2分冊(2007)。
オレが持ってるのを文庫にしないで、持ってないのを文庫にしてくれよ、と、かってな要求をしたがる。(『インカ皇統記』が文庫になったのに買っていない……。)
内容は、18世紀初期のイングランドの海賊ダンピアの西インドと東インドの見聞録。
カリブ海・アメリカ地峡地域と、フィリピン諸島やオランダ領東インド、ふたつの地域の対比が新鮮だ。
なんといっても、このダンピアという男、近代人だ。
国王や高貴な身分のスポンサーに対する卑屈な態度がまったくない独立の冒険者。
また、神の意思を異教徒に伝えるとか、あまねく天の配慮を実現するとか、宗教的な使命感もまったくなし。
おもしろければいいじゃん、儲かれば幸いという、自分勝手な人物である。
海賊仲間の忠義心や連帯感もない。
自分につごうがよければ行動を共にするが、「こういうやつらと組んでいたら、この先命がいくつあってもたりないなあ」と思ったら、さっさと別れる。
こんな人物が記録したのが、二つの海域の産物、動物・植物、儲け話(といっても、失敗した話が多いが)、住民の暮らし、宗教や交易である。
ひじょうに客観的で簡潔。
妄想や空想が少なく、実際に目にし、観察した記録だ。
インディゴやコチニールなどの染料、カカオ、香料などの実際的な知識がくわしい。(もっとも、彼ダンピア自身が栽培したり、加工するわけではなく、彼の商売は、強奪して売りさばくことである。でも商品知識は不可欠だ。)
それとともに、マナティ、トド、コバンザメ、あるいはマングローブ帯など、商品とは直接関係ない自然のおもしろさも描写している。
そして、この時代になって、やっと人魚やアマゾネスや黄金境がなくなる。
つまり、そんなことは、ダンピアは書かない、記録しない。
「食人種」についても彼は、そんなものはいないと、断言している。
もちろん、今日の知識では、「食人種」は存在したはずだが、当時のヨーロッパ人航海者の目にふれるところに、そんな習慣があるはずはなく、そうした意味では、ダンピアは正しい。
という具合に、記録者ダンピア自身の視線と同じ立場で読める記録である。
訳者・平野敬一が指摘しているように、ダンピア自身の行動がいきあたりばったりで、読みにくいところもあり。
とくに、ダリエン地峡のあたりが、話がすすまずかったるい。
グアム島、ミンダナオあたりから読み始め、そのあとカリブ海にもどってもいいかも(と、わたしの忠告に従う人はいないか。)
翻訳底本;John Masefield ed. "Dampier's Voyages" 2 vols. 1906
1717年刊行された航海記。
なんと、岩波文庫に収録されてしまった。上下2分冊(2007)。
オレが持ってるのを文庫にしないで、持ってないのを文庫にしてくれよ、と、かってな要求をしたがる。(『インカ皇統記』が文庫になったのに買っていない……。)
内容は、18世紀初期のイングランドの海賊ダンピアの西インドと東インドの見聞録。
カリブ海・アメリカ地峡地域と、フィリピン諸島やオランダ領東インド、ふたつの地域の対比が新鮮だ。
なんといっても、このダンピアという男、近代人だ。
国王や高貴な身分のスポンサーに対する卑屈な態度がまったくない独立の冒険者。
また、神の意思を異教徒に伝えるとか、あまねく天の配慮を実現するとか、宗教的な使命感もまったくなし。
おもしろければいいじゃん、儲かれば幸いという、自分勝手な人物である。
海賊仲間の忠義心や連帯感もない。
自分につごうがよければ行動を共にするが、「こういうやつらと組んでいたら、この先命がいくつあってもたりないなあ」と思ったら、さっさと別れる。
こんな人物が記録したのが、二つの海域の産物、動物・植物、儲け話(といっても、失敗した話が多いが)、住民の暮らし、宗教や交易である。
ひじょうに客観的で簡潔。
妄想や空想が少なく、実際に目にし、観察した記録だ。
インディゴやコチニールなどの染料、カカオ、香料などの実際的な知識がくわしい。(もっとも、彼ダンピア自身が栽培したり、加工するわけではなく、彼の商売は、強奪して売りさばくことである。でも商品知識は不可欠だ。)
それとともに、マナティ、トド、コバンザメ、あるいはマングローブ帯など、商品とは直接関係ない自然のおもしろさも描写している。
そして、この時代になって、やっと人魚やアマゾネスや黄金境がなくなる。
つまり、そんなことは、ダンピアは書かない、記録しない。
「食人種」についても彼は、そんなものはいないと、断言している。
もちろん、今日の知識では、「食人種」は存在したはずだが、当時のヨーロッパ人航海者の目にふれるところに、そんな習慣があるはずはなく、そうした意味では、ダンピアは正しい。
という具合に、記録者ダンピア自身の視線と同じ立場で読める記録である。
訳者・平野敬一が指摘しているように、ダンピア自身の行動がいきあたりばったりで、読みにくいところもあり。
とくに、ダリエン地峡のあたりが、話がすすまずかったるい。
グアム島、ミンダナオあたりから読み始め、そのあとカリブ海にもどってもいいかも(と、わたしの忠告に従う人はいないか。)