30年前の刊行であるから、その後の研究の成果は膨大であると思われるが、コンパクトな名著として現在もマストだと思う。(欲を言えば、もうすこし振り仮名を多くしていただきたかった。恥ずかしながら読めない字がたくさんある。普通の辞書に載っていないのだよね、固有名詞は)
**Ⅰ 幕藩制と宗教 **
1 権力と宗教の対峙
2 近世後期の排仏論
Ⅰは前史としての水戸学、一向一揆、キリシタン禁制、荻生徂徠、太宰春台、中井竹山『草茅危言』、会沢安『新論』などを概観。
**Ⅱ 発端 **
1 国体神学の登場
第一次官制と神祇官、復古の幻想、御巫・卜兆の除去、慶応4年の神仏分離
事例;比叡山麓坂本の日吉山王社(ひえさんのう)
事例;興福寺 岩清水八幡宮 北野神社
2 神道主義の昂揚
事例;楠社 白峰宮 招魂社
事例;宮中祭儀における神仏分離
東京遷都 浦上キリシタン
東西本願寺の動向→朝廷側に
**Ⅲ 廃仏毀釈の展開 **
このⅢ部、辺境に起こった事例としておもしろい
事例;津和野藩 隠岐 佐渡 富山藩 松本藩
事例;苗木藩(美濃の山間の一万石ほどの小藩)
政府の政策よりも先走って廃仏毀釈を断行。真宗門徒の抵抗。
蛭川藩では、廃仏毀釈が徹底した。
と、いうように辺境の地では廃仏毀釈が先行した例があるが、僻地の小藩だからこそ可能であり、富山や松本では成功しなかった。
**Ⅳ 神道国教主義の展開 **
1 祭祀体系の成立
明治2年の改革から
教部省の成立、あったま悪そうな官僚たちが、祭政一致・神仏分離を画策するが、現実の政策に追いつかない。
事例;伊勢神宮の改革
事例;神宮動座への抵抗
現在の神宮祭祀が確立
2 国家神の地方的展開
明治4年5月14日「官社以下定額及神官職員規則等」
明治4年3月 神武天皇祭を「海内一同遵行」
祝祭日の制定
人日(じんじつ)上巳(じょうし)端午(たんご)七夕(たなばた)重陽(ちょうよう)の五節句を廃止。
元始祭(1月3日)皇太神宮遥拝(9月17日)神武天皇祭(3月11日)の設定
大麻配布
天皇・皇室の洋風化
**Ⅴ 宗教生活の改編 **
1 ”分割”の強制
この部分は修験道について。本書の内容の中でいちばんハッとした。
つまり、もともと仏教的要素が強い山岳信仰をむりやり「神社」にしてしまったのである。”分割”って言ったって、もともと”神道”の要素なんかないのである。
わたしは道教の要素も強いと思うが、現在の研究ではどうなっているんだろうか?
事例;吉野山蔵王権現
事例;出羽三山
事例;富士講 仙元大菩薩
事例;竹生島(琵琶湖) 秋葉山(遠江国)
事例;神田明神(平将門の御霊を祀る)
2 民俗信仰の抑圧
神社改め、つまり小さい祠や氏神の統廃合
民俗行事の抑圧。本書が記するように順調に進行したかどうかは少々疑問だが、ホームレス、エンターテイナー、マジック、ギャンブル、ライヴシアターの抑圧。
**Ⅵ 大教院体制から「信教の自由」へ **
1 大・中教院と神仏合同布教
明治4年9月、島地黙雷(西本願寺派僧侶)の建言~キリスト教対策
教導職と三条の教則~仏教側優位、神道側劣位
2 「信教の自由」論の特徴
仏教勢力は経済力でも、理論や人材の面でも神道勢力に負けるものではなかった。特に真宗は対抗的な論理を持ち、近代化に対応した。
また、政府の中枢にある者も「信教の自由」を模索した。当時、どの程度の認識があったのか細かい分析が必要だろうが、大勢として、信教の自由に向かわざるをえない状況であった。
島地黙雷のような洋行の経験を持つ知識人たちは、信教の自由、政教分離の原理を理解し、さらにナショナリズムに向かう傾向を持ちはじめた。
岩倉使節団~条約改正
真宗五派の大教院離脱(明治6年10月)
というわけで、つかのまの廃仏毀釈であったわけだが、この混乱が民衆宗教を混乱させ、仏教の改革をまねき、また、新たに発明された神道も定着することになるわけだ。
**********
「本書の発行年が古い(1979年初版)こともあり,現代的な観点からはいささか不充分な点が見られるものの,本書は日本における世俗化の歴史を通史的に見通す上で今なお示唆に富む文献である」と、東大の「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」「世俗化・国家・宗教」セッション(2009.07.01)でも報告されているので、安心しました。
別に権威にすがるわけではなく、最新研究動向ってのはシロウトにはなかなか近寄りがたいので。このセッションは羽田正氏が中心らしい。岩波新書創刊70周年記念のオススメでも推薦していたのは大塚和夫氏だけだった。中東・イスラム研究者のお墨付きだぞ!
**Ⅰ 幕藩制と宗教 **
1 権力と宗教の対峙
2 近世後期の排仏論
Ⅰは前史としての水戸学、一向一揆、キリシタン禁制、荻生徂徠、太宰春台、中井竹山『草茅危言』、会沢安『新論』などを概観。
**Ⅱ 発端 **
1 国体神学の登場
第一次官制と神祇官、復古の幻想、御巫・卜兆の除去、慶応4年の神仏分離
事例;比叡山麓坂本の日吉山王社(ひえさんのう)
事例;興福寺 岩清水八幡宮 北野神社
2 神道主義の昂揚
事例;楠社 白峰宮 招魂社
事例;宮中祭儀における神仏分離
東京遷都 浦上キリシタン
東西本願寺の動向→朝廷側に
**Ⅲ 廃仏毀釈の展開 **
このⅢ部、辺境に起こった事例としておもしろい
事例;津和野藩 隠岐 佐渡 富山藩 松本藩
事例;苗木藩(美濃の山間の一万石ほどの小藩)
政府の政策よりも先走って廃仏毀釈を断行。真宗門徒の抵抗。
蛭川藩では、廃仏毀釈が徹底した。
と、いうように辺境の地では廃仏毀釈が先行した例があるが、僻地の小藩だからこそ可能であり、富山や松本では成功しなかった。
**Ⅳ 神道国教主義の展開 **
1 祭祀体系の成立
明治2年の改革から
教部省の成立、あったま悪そうな官僚たちが、祭政一致・神仏分離を画策するが、現実の政策に追いつかない。
事例;伊勢神宮の改革
事例;神宮動座への抵抗
現在の神宮祭祀が確立
2 国家神の地方的展開
明治4年5月14日「官社以下定額及神官職員規則等」
明治4年3月 神武天皇祭を「海内一同遵行」
祝祭日の制定
人日(じんじつ)上巳(じょうし)端午(たんご)七夕(たなばた)重陽(ちょうよう)の五節句を廃止。
元始祭(1月3日)皇太神宮遥拝(9月17日)神武天皇祭(3月11日)の設定
大麻配布
天皇・皇室の洋風化
**Ⅴ 宗教生活の改編 **
1 ”分割”の強制
この部分は修験道について。本書の内容の中でいちばんハッとした。
つまり、もともと仏教的要素が強い山岳信仰をむりやり「神社」にしてしまったのである。”分割”って言ったって、もともと”神道”の要素なんかないのである。
わたしは道教の要素も強いと思うが、現在の研究ではどうなっているんだろうか?
事例;吉野山蔵王権現
事例;出羽三山
事例;富士講 仙元大菩薩
事例;竹生島(琵琶湖) 秋葉山(遠江国)
事例;神田明神(平将門の御霊を祀る)
2 民俗信仰の抑圧
神社改め、つまり小さい祠や氏神の統廃合
民俗行事の抑圧。本書が記するように順調に進行したかどうかは少々疑問だが、ホームレス、エンターテイナー、マジック、ギャンブル、ライヴシアターの抑圧。
**Ⅵ 大教院体制から「信教の自由」へ **
1 大・中教院と神仏合同布教
明治4年9月、島地黙雷(西本願寺派僧侶)の建言~キリスト教対策
教導職と三条の教則~仏教側優位、神道側劣位
2 「信教の自由」論の特徴
仏教勢力は経済力でも、理論や人材の面でも神道勢力に負けるものではなかった。特に真宗は対抗的な論理を持ち、近代化に対応した。
また、政府の中枢にある者も「信教の自由」を模索した。当時、どの程度の認識があったのか細かい分析が必要だろうが、大勢として、信教の自由に向かわざるをえない状況であった。
島地黙雷のような洋行の経験を持つ知識人たちは、信教の自由、政教分離の原理を理解し、さらにナショナリズムに向かう傾向を持ちはじめた。
岩倉使節団~条約改正
真宗五派の大教院離脱(明治6年10月)
というわけで、つかのまの廃仏毀釈であったわけだが、この混乱が民衆宗教を混乱させ、仏教の改革をまねき、また、新たに発明された神道も定着することになるわけだ。
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「本書の発行年が古い(1979年初版)こともあり,現代的な観点からはいささか不充分な点が見られるものの,本書は日本における世俗化の歴史を通史的に見通す上で今なお示唆に富む文献である」と、東大の「共生のための国際哲学特別研究Ⅲ」「世俗化・国家・宗教」セッション(2009.07.01)でも報告されているので、安心しました。
別に権威にすがるわけではなく、最新研究動向ってのはシロウトにはなかなか近寄りがたいので。このセッションは羽田正氏が中心らしい。岩波新書創刊70周年記念のオススメでも推薦していたのは大塚和夫氏だけだった。中東・イスラム研究者のお墨付きだぞ!