東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

『図説メコンの世界 -歴史と生態ー』,弘文堂,2007

2007-09-30 09:24:31 | 実用ガイド・虚用ガイド
同じ出版社から出た『事典東南アジア 風土・生態・環境』の、大陸部バージョンかとおもったが、かなりちがう。

まず、本書は、総合地球環境学研究所プロジェクト研究「アジア熱帯モンスーン地域における地域生態史の統合的研究:1945ー2005」という、長ったらしいなまえの共同研究の成果として刊行するもの。
研究プロジェクトとしては、ひじょうに大規模だが、東南アジア全体からみると、コンパクトにまとまった地域を対象としている。
つまり、中国雲南省・ラオス・北タイだけである。
時間的にも、過去50年から60年の間を視野にいれる。つまり、遠い過去や歴史事項は扱わない。(「焼畑」や「水牛」といった項目も、この最近50年ほどの変化を中心に記述している。他の事典類にはない特徴だ。)
一方、地域を限定したということは、サバンナやデルタ地域は扱わない、ベトナムの人口密集地域もなし、大都市も対象外、ということだ。
全体は三部の構成で、「資源と生業複合」「食と健康」「生態史の世界」の三つにわけられている。

という構成で、見開き2ページが1項目、全ページカラー写真と地図がついている。
生態と生業に関しては最高のガイドになっている。地域的にも、ベトナムやカンボジアを切り離して、一方、雲南省を含めた結果、地域の一体感がうきあがっている。
各項目に、執筆者の調査した地点が地図上にマークされているが、このページ構成はみごと!

「シオグサ」「メコンオオナマズ」「シトロネラソウ」「草果」といった、他ではなかなかみられない項目がある。
また、医療・栄養・衛生の方面の研究者が加わったことにより、「糖尿病」「うつ病」といった、東南アジアらしからぬ怖い項目もたてられている。この栄養・健康の項目が、わたしにとってはびっくりの情報だ。

メコン地域を旅行するための格好のガイドでありましょう。
編集 秋道智弥(あきみち・ともや)、山田勇・佐々木高明・阿部健一が前書のようなものを執筆しているが、各項目は(たぶん)若いフィールド研究者による簡潔で具体的記述。
ただ、ここでもやっぱり、ミャンマーは調査地域外になってしまって、やはり研究者を受けいれる体制がないのでしょうか……。

『旅行人』2007 夏号 ビルマ東西南北 ミャンマーへの旅

2007-09-30 09:04:27 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
あっはっは!『旅行人』が特集を組んだりガイドブックをだすと、その地域に紛争がおきたり戦乱がおきると編集長の蔵前さんがいってましたが、まさにそのとおりになりましたね。
この号は、タイトルどおり、ミャンマーの東西南北を案内しているが、最高の執筆陣をそろえて、これ1冊でミャンマー旅行のガイドになる紙面になっている。
ところが、やっぱり入国がむずかしい事態になりそう……

旅行人のサイトでも告知があるように、本号で雑誌『旅行人』は季刊からさらに発行間隔をのばして、年2回発行になった。
編集長の蔵前さんの、体力の衰えが理由である、そうだ。
信じられない読者・購読者もいるだろうが、わたしとしては、よーくわかる。

人生、仕事や金もうけより、いのちが大事だ。
50歳すぎると、よーくわかる。
無理して事業を拡大しても、収入の増加なんてたかがしれている。それで体をこわしたら元も子もない。もともと、旅行を楽しむ人にむけた雑誌なのだから、旅行を楽しむ条件を維持するのが基本だ。
これは、出版事業がどうのこうの、読者に対するサービスがどうのこうのという以前の問題だ。死ぬほど働いても、だーれも覚えていてくれないよ。死んだら旅行もできないんだから。
そういうわけで、今回の年2回発行という蔵前編集長の決断は、もう、まわりがとやかく文句とつける余地がない問題だ。

なお、この号の執筆者は瀬川正仁(せがわ・まさひと)高野秀行(たかの・ひでゆき)吉田敏浩(よしだ・としひろ)落合清司(おちあい・きよし)ほか。
ベストメンバー!

映画『コドモのコドモ』ロケ

2007-09-28 21:20:40 | その他;雑文やメモ
わたし的に最近の最大びっくりニュース!!
参考ウェブ・ページは、

www.hokuu.co.jp/2007koramu/0816eigayuuti.html

ぜんぜん知らなかった。このブログ内で断片的に書いてあるように、わたしは秋田県内に住んでいるが、いままでまったく知らなかった。
なんと、わたしが卒業した小学校ですよ。今年(2007年)3月で廃校になったのだ。
廃校になったのは知ってたが、まさか、こんなことになっているとは!

映画のスタッフをみると、最高のメンバーではないか。おお、生まれ故郷で撮影された映画がカンヌ映画祭グランプリなんてことになったりして……。(まあ、映画のできは、過去の作品から予想できないから、愚作ということもありうるけど……)
地元では、住民の非営利団体「能代フィルムコミッション」という組織が全面的に協力しているとのこと。
これは、よかった。町おこしで、有名カメラマンに写真をとってもらうプランを決めたものの、議員がヌード写真ということを知らず、プランを発表後に撤回、なんてハズカシイ醜態をさらした自治体もありますからね。
『コドモのコドモ』は、制作会社側から事前に、住民団体や市の観光課にくわしい説得があったようだ。こういう話には、かならず反対するやつがあらわれるもんだが、ハジをさらす結果にならなくて、よかったよかった。(もっとも、議員なんかは、映画はもちろんマンガもしらない連中だろうから、内容を説明されても、スタッフ・キャストを知らされても、なんのイメージもわかないだろう。「日本アカデミー賞とれますか?」なんて、マヌケなことを思ってるかもね。)

ロケの中心となる小学校は、いわゆるドーナツ化現象による人口減少で廃校になった。つまり、山の中の分校みたいなところじゃないよ。
わたしのブログの記事でかいたこともあるが、サマリンダのような工業都市で、豪勢な材木屋がいっぱいあったんだぞう。
川の上流の資源を集め、安い賃金で加工して儲ける、典型的な近代工業都市だった。
(イザベラ・バードが溺れそうになったのが、この川の中流だ。どのへんか正確な位置は不明だが。ちなみに、バードはこの町には滞在せずに、別の道を通って上流へむかったようだ。)
その中心地にある、職工や店屋のこどもが通うのが、廃校になった小学校である。

ああ、もちろん、撮影に使われる校舎は、わたしがかよった時代の校舎ではないよ。今残っている校舎の前の前の木造校舎がわたしたちの時代。
薪ストーブの上に暖飯器をのせる時代でしたからね。
校舎どころか、グラウンドや校庭の位置がまったくかわってしまったから、わたしのかよっていた時代のおもかげはまったくない。

さてさて、全国的にはほとんど話題になっていないニュースだが、(ウェブ上の記事もまだ、新聞社の記事とか主演女優のファンサイトくらいしかないね。)暗い話題ばかりだった小さい町では、ビッグニュースであったようだ。
暗い話題というのは、例の「連続小学生殺人事件」(公判開始、被告の母親側は殺意を否定しているので、殺人事件扱いになるかどうか、成り行きは不明)とか、大手ショッピングセンター進出による、商店街の崩壊などの話題。
ほんと、高齢社会、労働人口の減少、こどもの減少を象徴するような話題ばかり。
こんなところで、こどもを生む、というテーマの映画の撮影に最適とは、なんという皮肉。

映画のできに関しては、マンガのほうがあまりにもみごとなので、あっちをしのぐ内容が可能かどうか不安だ。
まあ、一応成功して、能代フィルムコミッションが、「連続小学生殺人事件」を題材にした映画のロケも受けいれる下地ができたらおもしろいですね。アホな議員やPTAに負けるなよー。

生井英考,『空の帝国 アメリカの20世紀』,講談社,2006

2007-09-28 21:11:14 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
『ジャングル・クルーズにうってつけの日』の著者による、アメリカ合衆国からみた20世紀の歴史。『ジャングル……』など、過去に読んだ本も紹介したいが、読みかえすのがめんどうで、ついついあとまわしになってしまう。
本書は、講談社「興亡の世界史」シリーズ全20巻の第19巻。第1回配本の1冊。
このシリーズは、中央公論社や山川出版社など、網羅的に全世界の歴史をまとめようとしたシリーズ(かといって、やはり、ボロボロこぼれおちる地域と時代がある)とちがい、各時代の中心となる地域を選んで、各巻担当の著者の個性を生かしてまとめようとするシリーズらしい。

第1回配本が、アメリカ合衆国。
これはいい。

軍事力・技術・大衆文化のイメージに焦点をしぼり、わかりやすく読みやすい。
第一次大戦と戦間期など、アメリカ合衆国の歴史として地味な部分もしっかり拾っている。ジャズ・エイジとニューディールですまされてしまう時代を、軍事と軍備の側面もふくめて描いたのがみごと。

マーシャル・プランと海外旅行、冷戦のエキゾチカ、といったベトナム戦争前夜のあたりが、おー!という指摘がいっぱいで、本ブログ全体のテーマにぴったり。
ベトナム戦争に関しては、ほかの著作もあるせいでしょうが、あっさりしている。
ともかく、歴史上の最大の帝国をあつかった基本をおさえた著作。

しっかし、同時配本の『イスラーム帝国のジハード』とならべて読まれているせいか、本書を、イスラーム対アメリカという文脈、あるいは、悪しきグローバライゼーションの帝国としてとらえる読者もいるようで……。
アマゾンのユーザー・レビューなんて、まったくとんちんかんなレビューがあるではないか。
こまったもんだ。
わたしは、インドシナへ、あるいは台湾やタイやフィリピンや沖縄までやってきたアメリカ軍を広い視野でとらえる基礎として本書を読みましたけど。

不満をいえば、索引に原綴りをのせてほしかった。この巻があつかった人名や組織名は、ウェブでさがすと、ごっそりでてくるから。

野中耕一 訳,シーファー,『生みすてられた子供たち』,1981

2007-09-21 10:10:14 | コスモポリス
井村文化事業社発行の「東南アジアブックス」シリーズ、上下2冊。原書は1973年。タイ語の小説。

よくぞ日本語訳がでたものだ。
タイ人の母とアメリカ合衆国からの父との間に生まれた、ふたりの異父姉妹のものがたり。ひとりは父が黒人のダム、もうひとりは父が白人のドゥアン。

全編、黒人の混血児にたいする侮蔑・差別・あわれみのセリフの洪水。もう、あっけらかんとした、なんの罪の意識もない差別である。
それだけならまだしも、この小説は、地の文、つまり語り手が、はっきりとあけすけに混血児を差別している。
それだけならまだしも、最近の「政治的公正」からみると、ストーリーの枠組みがけしからん、ということになるだろう。つまり、黒人混血のダムが、「本能的」に歌や踊りの才能をもつ、という前提が批判のまとになるだろう。

しかし、きっと、アメリカ合衆国あたりの白人の読者にとって耐えがたいのは、むしろ登場人物や語り手の「白い肌」に対する賞賛と憧れだろう。アメリカ白人がムリをして「肌の色で差別しちゃいけないよ、白い肌だってことに、なんのプラスの意味もないよ。」とごまかしている時勢に、「白い肌こそ文句なく美しい、美しいだけじゃなく、道徳的にいい!」なんてことを書きつらねた小説が現れるのは、自分たちの戯画をみせられるようなイヤな気分だろう。

という理由で、本書の英訳がでる可能性は低い。日本語が読めてよかったよかった。
訳者の野中耕一さんは、国際協力事業団専門家として、トウモロコシ栽培開発のためタイに滞在していた方。本書をみつけたのは、農業関係書とおもって手にしたのがきっかけだそうだ。
つまり、文学者でもタイ語研究者でもない訳者による翻訳。文学専門家が無視するような大衆小説を訳してくださった。

そんな小説だから、ストーリーはあらっぽい、というか、小さい山場が続き、主人公たちが運命にもてあそばれる展開となる。

そんな小説がこの「東南アジアブックス」シリーズとして出版されたのは、やはり、首都バンコクの社会がよく描かれているからだろう。
10数年のスパンでバンコクの社会が描かれているが、作者はとくに時代の流れを描こうと気をつかっているようにはみえない。発表当時、1973年ごろのバンコクが描かれていると読めばいいだろう。
今からみると、たぶんのんびりした時代だったろうが、当時の感覚としては、急速に近代化し混乱するメトロポリスと感じられたのだろう。
タクシー、テレビ、芸能誌、女性の洋服、郊外の住宅地化、犯罪、イサーンからの労働者の流入など、その後あたりまえとおもえる日常が定着しだした時代だと思われる。

それからもちろん、タイの読者は、差別や人間の運命を中心テーマとして読むだろうが、日本の読者には、バンコクに住むタイ人の生活や感覚を知る小説として読める。

たとえば、仏教のこと。
作中、強欲でケチなタクシー会社経営の奥さんが登場する。この奥さんが、坊さんに寄進し、徳を積むのに熱心だ。まあ、この程度のキャラクターならよくあることだろう。
しかし、ここにいる使用人の女性・プラノーム(プロフェッショナル気質があり、奥さんを心底軽蔑している。)のセリフ。
「あんた(主人公ダム)何を信じるの。あんたは半分だけ仏教徒だもんね。あんたの親父さんは黒人でも、白人と同じようにキリスト教徒なんでしょう。」(上巻p151)

うーむ。小説の登場人物のセリフから全体を判断してはいけないが、ここには、青木保も石井米雄も書いていないタイ仏教の一面がありますね。

あ、それからもちろん、この小説はもうひとつのベトナム戦争を描いた小説でもあります。

野上弥生子,「台湾」(雑誌初出のタイトル「台湾游記」),1936,37

2007-09-20 13:23:33 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
文中一度だけ「日本人」という単語がつかわれている。「所謂内地人なる日本人はこれらの蕃人よりわづかに六万人しか多くはなく……」という文脈で。
「シナ人」という単語はない。
「内地人」「本島人」「蕃人」と意識されている。台湾が日本領以外のなにものでもない、という確固たる意識があった時代の旅行記である。

旅行は1935年10月、施政四十年の記念博覧会があった時期である。
たった二週間の旅行、それもがっちりスケジュールが組まれ、上流人士や官吏といっしょの旅なので、不自由でゆっくり見物ができなかったようだが、なかなかほかでは読めない内容だ。

内容以前に、かなり注意ぶかく読む必要がある。(文章はむずかしくない。)

たとえば、最初、基隆の港に上陸し、台北へむかうわけだが、ここで「くるま」と書かれているのりものでいく。なぜ、ひらがなで書かれているのか、ひょっとして人力車かと思うが、自動車である。たんなる表記のクセであるようだ。

「停仔脚」、つまりショップハウスの説明がある。これは、もう今の読者は著者以上に詳しいだろう。ただ、当時の読者にむけ、これほどくわしく説明しているのは、内地の人には写真でも絵でもなじみがないものだったのだろう。

あるいは、その停仔脚を歩いている娘たちの服装で、洋服のワンピースのような、最近流行しているらしい服の説明がある。もちろん、チャイナ・ドレス(チーパオ)のことである。この説明がおもしろいが、では、それを着て歩いている娘たちが「本島人」か「内地人」か、言及なし。ぜんたいの描きかたからして、たぶん「本島人」のようだ。

また、「蕃人」が焚き火をして、飯盒で炊事をしている光景が描かれる。「飯盒(はんごう)」ってわかるよね、はんごう炊事遠足の飯盒ですよ。さらにわからない?これを、著者は「蕃人」社会におしよせる「現代」として描いている。うーむ。

東部、花蓮港は内地人が多い地域である。そこで著者は都会的風景をかんじるのだが、「セメントの樽」、「トロッコの二筋のレエル」などが都会的風景なんですよ。このちょっと前に「ゴルフリンクス」がある。ゴルフリンクス!うーむ、本格的な英語!これは特に説明がないことをみると、当時の読者にすぐわかるものなのか。

こういう具合にかなり推理をはたらかせないと、著者の無意識の前提がわからないし、当時の読者の常識もわからない。
というより、現在とちがう意識を読みとるのがおもしろい旅行記。まわった場所は、現在の行政中心地と現在の観光地である。

初出は『改造』などに発表。その後、野上豊一郎との共著『朝鮮・台湾・海南諸港』(1942年8月,拓南社)として単行本。このときに小品を追加収録。
『野上彌生子全集 第十五巻』,岩波書店,1980で読む。

森枝卓士,『アジア菜食紀行』,講談社新書,1998

2007-09-17 09:30:54 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
あまりにも壮大でこんがらがったテーマ、とうてい新書1冊で扱えるものではないが、以下本書をヒントにして、菜食・素食・ベジタリアンについて書いてみよう。

まず、わたしなんぞ、大学の英語のクラスで習う以前に「ベジタリアン」なんて単語知らなかった。「ダイエット」なんて単語も知らなかった。
世の中に、あえて動物食を避ける人々が存在するという事実を知らなかったのだ。

では、身の回りに、肉や魚を食べない人がいなかったかというと、けっこうたくさんいた。
わたしぐらいの年齢の、両親の世代、つまり現在70代80代の人で、豚や鳥や牛の肉を食べない人、魚が嫌いだという人は多い。
こどもの時から、そういう獣の肉や鮮魚をたべたことがないので、味覚も体も受けつけないのだ。
われわれコドモが、肉を食べたくないなどというと、「偏食」「好き嫌い」といわれたものだが、老人や大人世代の人が肉を食べないのは、普通のことだった。
それに、われわれコドモであれ大人であれ、そんなにしょちゅう肉や魚を食べたわけでもない。

では、われわれのコドモ時代の食卓に、動物性食品がなかったかというと、これは、けっこうたくさんあったのだ。ヨーロッパのベジタリアンやインド文化圏の菜食主義者が見たら吐き気がするようなものを、たくさんたべていた。

イワシを乾燥させたもの、ニシンの糠付け、イカの身と内臓を塩漬けにして醗酵させたもの、イカを干して圧縮した後ショウユやサトウの濃い味付けで煮たもの、タラの卵巣の塩付け、乾燥タラをほぐして味付けしたソボロ、などなど。
こうして書いていくと、現在の東南アジアの市場で売っている食品と共通する要素が多いのだな。
当然ながら、現在の東南アジアの人々は(そして50年前の日本人は)、動物性食品をたくさん食べる人びとではない。
あくまでメシのおかずとして(それから、スナックとして)、少量の動物性食品を食べているだけだ。

それでは、本書で語られる菜食といはどういうものだろうか。
これが、まず、インド圏とチャイニーズ圏では、まったく正反対なのだ。

インド圏は、身分の高い人びとが、清浄な食事として、穀類・ミルク・豆類・野菜の食事を摂っている。
彼らは、べつに我慢しているわけではないし、貧乏で肉を買えないわけではない。
習慣として、菜食が定着しているし、農産物や料理の大系も、動物性食品抜きで成立するようになっている。

一方、チャイニーズ圏の素食とは、一定の期間、動物食をやめる禁欲的な習慣である。
一生素食で過ごすという人も、まれに存在するらしいが、たいていは、縁起をかついだり、宗教的行事の一環としての素食である。
ややこしいのは、この中華風素食に、「禁欲」とか「肉絶ち」というものとは裏腹の、豪勢な料理があることだ。
つまり、ホンモノの肉のような味と食感の、肉モドキを作る技術が進歩し、アヒルもどき、ブタの三枚肉もどき、ミンチ肉もどき、などなどが存在する。
これは、当初の宗教的目的からの逸脱ではないか、と思えるのだが、ともかく、こういう文化があるのだから、しょうがない。

さて、以上のことだけでも、日本人には理解しがたいことがあるのに、さらにややこしい事情がある。

ヨーロッパ風ベジタリアンの影響である。

この、ヨーロッパ風ベジタリアンというも、たくさん書物があって、とりつくしまがないほど巨大な思潮(もしくは妄想)であるが、簡単にまとめよう。
つまり、以前(17世紀以前と大雑把に考えよう)、権力の象徴、豊かな身分の象徴であった、肉食を拒否し、ミルクと穀物と豆類と果物、野菜で生きようとする、新しい思想である。(ちっとも新しくない、中世から、いや古代からあった、という歴史的分析は、今、省略する、話がすすまないから。)

これは、反体制的危険思想なのである。
王侯や貴族の特権を否定したわけだ。
さらにベジタリアン思想は、18世紀19世紀に生じた革新思想、啓蒙思想と結びつき、さまざまな畸形的思潮、過激思想と結びつく。
キリスト教の否定、労働者と資本家が平等であるという平等理念、男女平等、動物愛護、土地私有の廃止、人種主義などなど。

いろんな過激思想と結託したベジタリアンであるが、「世界のほかの地域の文化を尊重する」という思想とは結びつかなかったようだ。
ヨーロッパの思想とともに、ベジタリアン思想もアジアに侵入する。

これは、日本近代化の際の肉食推進とは逆であるが、ヨーロッパ流の肉体管理、衛生思想を広めるという点では共通したうごきである。
日本の場合は、大名も武士も肉食になじんでいなかったが、東南アジアの場合は、中華圏以上に肉食文化があった地域だから、ベジタリアン思想も侵略のしがいがあっただろう。

以上、
チャイニーズ風素食
インド圏の菜食
ヨーロッパ近代のベジタリアン

が複雑にからみあってきたわけであるが、さらにややこしいのは、ご存知のように、アメリカ流健康文化の到来である。

これもややこしい。
というのは、衛生や健康の面から合理的であるならば、(文化的侵略という面に目をつぶって)納得できる点もあるのだが、アメリカ流健康主義の場合、これがもう、オカルト的トンデモ的ベジタリアンから、たんなる偏食家の言い訳のようなベジタリアンまで、バラエティに富んでいて、もう絡み合った屁理屈を解きほぐす術がない。

という具合に、菜食というテーマからみて、東南アジアは実に多様である。というより、多様すぎて、分析の枠組みが見出せない状態かもしれない。

本書はその入り口として、まず一読を。

石井米雄・横山良一,『メコン』,めこん,1995

2007-09-17 09:25:01 | フィールド・ワーカーたちの物語
両開きの体裁で、写真家・横山良一・石井米雄の共著であるが、文章のほうの石井米雄の部分を紹介する。

戦後最初にこの地域を踏査した1957年「稲作民族文化総合調査団」の一員。
さらにそのすぐ後、梅棹忠夫とともにインドシナ三国を踏査。
タイ語というよりタイ語族の権威であり、東南アジア研究センター所長、神田外国語大学学長などの要職をつとめ、各種学術会議や出版企画の監修も多い。
つまり、このメコン流域に、もっとも詳しい、本を書くなら最適の人物であるが、めちゃくちゃ忙しい人らしく、めったに一般向けの本は書いてくれない。

そんな石井米雄を無理強いして書かせたのが、めこんの社長・編集者の桑原震である。
最適の著者と編集者を得た、東南アジア本の傑作!と声を大にしてさけびたいが……。

まず、短い!
石井米雄ともあろう人物なら、この三倍くらいは、楽に書けるのではないか。
内容がスカスカで長いだけなら意味ないが、もっともっと書く内容をもっていると思う。
本書をしのぐメコン流域案内は今後でないのか?
残念ながら、その可能性は薄い。

本書が刊行された頃、ベトナム・ラオス・カンボジアの旅行・取材の制限が緩和され(もちろん、それ以前に完全に閉ざされていたわけではないが)、どっとインドシナ関係書、旅行記、写真集が出た。
どれも、はじめておとずれるベトナムやラオスに感激し、市場経済へむかう活気や美しい田園風景に感激し、混乱の中でいきる元気な住民におどろいているが、中身がうすい。

そんなメコン流域本が氾濫するなかで、本書の内容は他を圧しているが、それでも、やはりページ数が少なすぎ、内容が圧縮されすぎている。
ちまたにスカスカの本があふれ、石井米雄大先生が書き下ろしを発表した後では、これらにつけ加える内容を書きたい人も書きにくい。
特定のテーマや地域を研究したり旅している人は多いだろうが、本書のような広大な流域の歴史と文化的背景を理解したうえで本を書こうとする著者は、残念ながら、ここしばらくは出現しないだろう。

というわけで、読者は本書の少ない記述でがまんするしかない。
内容は、文句のつけようがなくおもしろく、高度で内容が濃い。
東南アジア関連書のなかで、ベスト10確実である。

一見意味がないような、同じような流域の地図が章ごとについているが、これは、すごい。
章ごとの内容が、メコンの支流や山地の地形とどう関連するかが、よおくわかる。
これは、編集者・桑原震の発案でしょうか?

松本健一,『竹内好「日本のアジア主義」精読』,岩波現代文庫,2000

2007-09-16 10:16:09 | 20世紀;日本からの人々
松本健一,『竹内好「日本のアジア主義」精読』,岩波現代文庫,2000

前項は、筑摩からのシリーズを直接みたわけではなく、この文庫に収録されたものを読んだもの。(もっとも、筑摩のシリーズは何冊か手にとっているから、ちらっと読んだことがあるかもしれない。しかし、当然記憶なし。)

この文庫は、竹内好の論考を収録し、さらに松本健一が批評したもの。文庫のための書き下ろしである。
その松本健一の論文のタイトルが「アジア主義は終焉したか」、というもの。
ちょっと、これヘンですよ。つまり、「アジア主義」というものは否定的なもので、それが終焉しないで、今でものこっている、というニュアンスではないですか。
しかし、竹内好の論は、アジア主義というものは、良いとか悪いとかいうものではなく、侵略と連帯はつねに歩をそろえていて区別しがたい、という点から出発しているのだから。

タイトルはおかしいけれど、内容は参考になる。
松本健一によれば、竹内好の「日本のアジア主義」は「戦後思想やアカデミズムの封印を破った」ものなのだそうだ。
ええ?そうなんですか?
こういう話をきくにつけても、1960年代の初期の(もちろん1950年代も)思潮というものは、再現して感覚的にわかるのが、とってもむずかしいもんだ、とため息がでる。

わたしなんかが、1950年代、60年代の思潮・論考を知るのは、1970年ごろまで生き残った思潮・思想であるから、ナマの50年代・60年代初期の混乱(混乱もあるし、硬直したものも多かっただろう)は、想像しがたい。
現代のわかい読者だとなおさらギャップが大きいだろう。

だって黒龍会や玄洋社なんて、いま、みんなマンガや小説で知っているでしょ。それが、良い悪いという判断以前に、ふれることがタブーになっていたらしいのだ。
一方、戦後の混乱や貧困は身近なものとして常識だったから、説明するまでもないことで、農地改革だの加工貿易といった政策は、まったく当然のこととおもわれていたらしい。

というように参考になるが、さいごのほう、「アジアの世紀」「西洋的価値を包み直す」などという題目は、やっぱり安易。ほんの少しまえに書かれた本なのに、もう将来予想は破綻しているんでは?

竹内好,「日本のアジア主義」,1963

2007-09-16 10:14:14 | 20世紀;日本からの人々
筑摩書房からのシリーズ『現代日本思想体系』第9巻「アジア主義」の解説。つまり、代表的論考のアンソロジーであるが、この第9巻を竹内好が編集し、解説も自分でかいたもの。

さいしょのほう、「自称アジア主義」として、思想にも学問にもならない史料捏造と変節漢の代表としてあげられているのが、
平野義太郎『大アジア主義の歴史的基礎』(1945)である。

竹内好の引用した部分だけ読むと、現在流布している歴史修正主義者たちの主張とそっくりであり、竹内のように、「答えは簡単」、アジア主義にもなににも含めることはできん、ときりすてていいんでしょうか。

ウェブで調べると、(ウェブなんかにたよらず、印刷資料をさがせ、といわれそうだが、今は簡単にすます。すいませんね。安易なやりかたで)この平野義太郎という人物はすごい人ですね。
戦前の1930年代は講座派マルクス主義者。戦後は、日本平和委員会会長を20年つとめる。日中貿易振興会会長、社団法人日本中国友好協会理事などの経歴あり。

「アジア経済」Vol.49,No.4の 武藤秀太郎,「平野義太郎の大アジア主義論」
によれば、
中国華北農村慣行調査から、日本の村落の形態(華北は、不完全だが日本の亜流とかんがえる。)をアジア全体の共通項として普遍化しようとした人物なのだ。(くわしいことは、各自PDFファイルで読んでくれ)

www.jaas.or.jp/pdf/49-4/44-59.pdf

わお!
タイやマレー半島の社会調査者たちが、口がすっぱくなるほど否定しても、まだまだ誤解している人が多い「アジアの農村の普遍性」というインチキは、ここいらへんが元凶なのか。(平野がオリジナルかどうか、いまは詮索しない。)
しかも、カンボジアやビルマの研究者が、批判・反論に疲れてもまだまだしぶとい、東洋的専制の代表論、ウィットフォーゲルの翻訳者なんですね、この平野義太郎は。(だから、わたしも以前から何度かなまえだけは目にしていたはずだ。)

この『大アジア主義の歴史的基礎』を一刀両断し、著者・竹内好の論考は、黒龍会・玄洋社が、どのように侵略・帝国主義にかたむいていったかというプロセスを分析する。
岡倉天心や宮崎滔天のロマン主義的アジア連帯、欧米の栄光に対して屈辱の近代をむかえたアジアの連帯、覇道(軍事力や経済による支配)ではなく、王道(倫理と美学)によるアジアの解放という夢。そのアジア主義が、どうして軍事力による支配を補填するものになったのかを論じる。

アンソロジーに収録されているのは、岡倉天心・樽井藤吉/宮崎滔天・平山周・相馬黒光・藤本尚則/内田良平・大川周明・尾崎秀実/飯塚浩二・石母田正・堀田善衛。
最後のグループの三人についての解説がないので、どういう観点から収録されたのか不明。しかし、飯塚浩二(大航海時代叢書の影のブレイン、若い訳者たちのアドバイザーの役)もアジア主義の文脈で語られるのか。