東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

川北稔,『世界の食文化 17 イギリス』,農文協,2006

2009-02-06 21:53:02 | ブリティッシュ
世界史の最大の(?)謎、イギリスの食事はなぜまずいかという謎に挑む。

しかし、ほんとにイギリスの食事がまずいのか、これはもうわたし自身たしかめようがない。
たくさんの旅行記、滞在記、伝聞でイギリス(ブリテン)の食事がまずいという話はしきりに出るが、一方でイギリスの食文化をもちあげる記事もある。
それに、イギリスだけでなく、ロシアやドイツもまずいという話はよく聞くし、フランスやイタリアだって、ほんとは口に合わなかったり体質に合わない日本人が大勢いるようだ。
タイやベトナムだってちょっとまえまでは、うまいとかまずいという以前にまったく情報がなかったのだ。

ともかくわたし自身行ったことがないし、たとえ行ったとしても短期間の滞在でわざわざマズイものにトライすることはないだろうから、自分で確認するのは不可能だ。
それに本書によれば、1970年代前半から劇的に変化し(転換点は1972、3年)、おいしくなっているし、旧植民地と地中海地域の食文化が根をおろしているという。

ここまで書いてきて、これはあきらかに、イギリス(ブリテン)に対する特殊な関心の持ち方だとわかる。

ほかの国・地域なら、他人様の食事をマズイとか酷いというのは失礼だし、環境により農産物・海産物が乏しい地域はおおいし、社会の下層の食生活が貧しいのは当然のことである。
それなのに、ブリテンだけとくにマズイ、マズイ、といわれるのは、ブリテンに対する日本人の特殊な感情によるものだろう。

本書は、歴史の中で何段階にも生じたブリテンの食生活の劣化を考察し、世界システムの中枢になったブリテン島の住民の食事をとおして、イギリス史に対する誤解を解きほぐす試みでもある。まあ、『路地裏の大英帝国』と『砂糖の世界史』を読んでいれば、ほとんどわかっている内容であって、頭を整理するために読む。

*****
日本の戦時中の食糧難について、「米がなかったら、パンを食べればいいのでは?」と言った学生がいたそうだ。
マリー・アントワネットみたいな発想の学生だが、著者・川北稔はこの発言に注目する。

>日本人は米さえあれば生きられるように思っていたが、その意識が、外国の食生活の理解にも反映されて、イギリスの食生活を考えるにも、ひたすら小麦のことを考えればいいというような、いささかとんちんかんなやりかたが専門の歴史家のあいだでさえ、とられてきた。じっさいのイギリス人の食生活では、小麦の比重はけっして大きくはない。小麦価格をもって、食費の指標とするようなことは、きわめて乱暴なことなのである。

>砂糖と茶の消費が増加し、ミルクやチーズが減少したことについては、もうひとつ押さえておくべき要因がある。栄養価が低く、多くの批判があったにもかかわらず、なぜこのような変化が起こったのか。
 (中略)
>囲い込みが進行すると、共有地を利用した牛乳の自給は困難になった。そうでなくとも、これらの商品は、供給される季節が限定されていて、変動が激しかった。保存や運搬の技術も未熟であったから、ロンドンのような大都会の住民にとっては、コンスタントにミルクの供給を受けることはきわめて困難になった。つまり、工業化と都市化とは、それ自体が、供給面でも、オートミールやミルク、チーズの消費を困難にしたのである。

ポテト・茶・砂糖については当然ながら記述が多いが、牛乳に関してもくわしい。
新鮮なミルクは下層の都市住民にとって高価な製品であった。離乳後の子供には栄養上、牛乳が必要だという事実を知らない母親が多い(?)、と言われるほど。タンパク質もカルシウムもほとんどない食生活である。
慢性的栄養不足による結核・赤痢も多かったし、クル病、トリ目、乳歯が生えない、という栄養失調による発育不全があった。

極貧層をのぞいて、一応、牛乳が衛生的に供給できるようになるのは、19世紀後半である。

食肉もジェントルマン階級以外に普及したのは、冷凍技術が導入された19世紀後半である。ニュージーランド、オーストラリア、アルゼンチン、アメリカ合衆国からの輸入が可能になって、ブリテン産食肉(アイルランド・スコットランド含む)は六分の一以下になった。

*****

とまあ、経済的要因は以上のようなことであるが、イギリスの食事のマズサというのは、家族構成・ライフサイクル、それにジェントルマン階級の教育制度もおおきな要因になっている。
親の世代から子へ調理が伝えられない。その労働者階級をサーヴァントにして、中産階級が料理を作らせる。また、少年期・青年期の寄宿舎生活で味覚を破壊される。女性が(妊婦も)タンパク質・ビタミン類が不足し、一家の主人はアルコールに収入をつぎ込む。

1930年代から第二次世界大戦期の食料配給・給食・食堂も強い影響をあたえる。ここで、決定的に、栄養素が足りていれば味はどうでもいい、というイギリスらしさが定着する。

*****

しかし、読み終わっても、やはり謎は残る。

なぜ海産物の加工は進展しなかったのか?(気候のせい?)

なぜトマトやトウガラシは普及しなかったのか?

醗酵食品が少ない理由は?(アンチョビー・ソースなど例外はあるが)
ザワークラウトやキムチのような保存技術はなかったのか?

どうしてまともなパン製造が普及しなかったのか?(商品化、外食化で進歩してもよいはず。)

臓物料理が民衆に普及してもよさそうなのに、それもなし。上等のクジラ肉料理が生まれる条件はあったはずなのだが。

モーム, The Back of Beyond,1931

2008-04-24 22:42:45 | ブリティッシュ
ついでにこれも。
完全ネタバレです。
未読の方は、バックしてください。
「この世の果て」という題で訳されているが邦訳は参照せず。

最初にざっと読んで、二組のカップルをめぐる浮気話、それを聞く、引退直前のレジデント(架空のマレー連邦州の総督)ジョージ・ムーン。……という話かと思ったが。
二組のカップルは、
トム・サファリー&ヴァイオレット
ノビー・クラークス&エニッド
トムとノビーは、いっしょにマレー半島にやってきて、下働きからエステートの管理人までになった男たち、まあ親友どうし。
ヴァイオレットとノビーの密通について、トムがレジデントのムーンに話す、という形で物語が進行する。しかし!
これって、典型的な「信頼できない語り手」タイプのストーリーだ。

まず、ヴァイオレットとノビーの関係は、ヴァイオレットが夫トムに告白した内容である。さらに、それをトムが解釈してムーンに話す。それに対し、ムーンは自分の過去の離婚話と離婚した妻の話をする。
そして、不倫だの、男の名誉だのという意地で、せっかくの結婚生活を破綻させるのは愚かなことだ。この歳、つまり引退する老人になってみると、若い時の意地や世間体は無意味だ。そして、この話を知っているのは、もう今日引退して、本国に帰るわたしだけではないか。結婚生活を続けなさい、と忠告する。

とまあ、人生経験豊かなレジデントのムーンであるが、ぜんぜんわかっちゃいないね。

ムーンに悩みを語ったトムが内心の憤懣をおさえられないのは、ヴァイオレットが浮気をしたからじゃないからだ。そうではなく、親友のノビーが浮気をしたのがショックだったのだ。
さらに、このトムがかってなのは、自分がノビーの妻エニッドと浮気していることに無頓着で、自分の妻ヴァイオレットにも総督ムーンにも話していないってことだ。

そうです。エニッドがみごもっている子の父親はトムです。
ヴィオレットの方は、妊娠できないタイプ。だから夫婦の間にこどもは無し。
一方、トムのほうは、ノビーが死んだのだから、自分がエニッドの子のめんどうをみなくちゃならないな……と思いはじめている。

実は、この短編中でよくわからないのはビリヤードのシーン。
わたしは、ビリヤードのことはさっぱりわからないので、このシーンのトムの心の動きがさっぱりわからない。
しかし、おそらく、このゲーム中にノビーの死の報せを聞き、動揺したものの、よし、これからは、おれがエニッドとその子を守らねば、と決心したのではないか。

と解釈すれば、この物語の焦点は、なんにもわからずに話を聞いている、引退前の老人ジョージ・ムーン、ということになる。

サマセット・モーム, The Outstation, 1924

2008-04-23 22:52:04 | ブリティッシュ
ネタバレ!!
未読の方は読まないでください。
重要なトリックをばらします。

「奥地駐屯所」と訳されている短編。
ペンギン版 W. Somerset Maugham, Collected Short Stories Vol. 4,1978.
今回、邦訳は参照せず。

怖い話ですね。

舞台となるKuala Solor というのはボルネオの架空の地名で、モームの他の作品にも用いられている。
登場人物は、
ミスター・ウォーバートン;ボルネオ奥地の Resident
クーパー;新任のアシスタント
どちらも、形式的にはスルタンが任命するのだが、実際はスルタンの代理のブリティッシュの官僚が人事権を握っている。
10年以上もたったひとりで駐屯地に在任しているウォーバートン、彼のもとに新人のアシスタントがやってきたことで、ふたりの男に間に軋轢と争いが始まる。

とにかく、ミスター・ウォーバートンの描き方が、みごとに典型的なスノッブである。
天然のまじりっけのないスノッブ。
遺産相続で手にした大金を、ジェントルマン階級とのギャンブルや旅行で使い果たし破産、ボルネオの奥地のレジデントという職をなんとか手にいれる。

そこでたったひとりの白人として、マレー人を文明化し召使いとして教育し、イングランド風の生活を頑なに守っている。本国ではすでに物笑いの種にしかならない格式を守り、タイムズの人事消息を読み、正装して(たったひとりで)ディナーをとる。

そこへやってきたのが、バルバドス生まれで、ボーア戦争時に兵隊で戦った男。つまり将校になる特権がなく、パブリックスクールにも行っていない男。当然レジデントのウォーバートンとはあらゆる点で反目しあう。
実は、ウォーバートン自身の遺産も、リバプールで工場を持っていた母方の家系からの遺産なのだが、彼はその血筋をひた隠しにしている。
クラウン・コロニー生まれ(バルバドスやシンガポール・ペナンなど直轄領。ボルネオはスルタンからの借地なのでクラウン・コロニーではない。)のクーパーと、リバプールに出自をたどれるウォーバートンは、僅差の境遇なのである。

前半は、このスノッブ男を徹底的に醜く描く。
こういう点、モームが通俗的だ通俗的だと嫌われる理由だろう。われわれ原住民にとっては痛快であるが。
しかし、やがて、相手方のクーパーのほうも傍若無人でヤナ野郎に思えてくる。

さて、問題は、誰がクーパーを殺したか。
これは当然ウォーバートンである。殺人をしめしたところ。

Cooper was playing his gramophone. Mr. Warburton shuddered; he had never got over his instinctive dislike of that instrument. But for that he would have gone over and spoken to Cooper. He turned and went back to his own house.

But for that he... を「それでなかったら」と読み取り、ウォーバートンはクーパーのバンガロウに行ってクーパーを諫める、もしくは説得できたのに……と解釈することも可能なんでしょうか??
ここは、クーパーが、ウォーバートンが死ぬほどきらいな蓄音機でラグタイムをかけているので、足音を気づかれずにバンガロウに入り、クーパーに speak することができた、と解釈すべきではないか。
speak → to express feelings by other than verbal means <actions speak louder than words>

他の部分からも殺人がウォーバートンによるものと推測できる箇所がある。

まず、凶器のクリス。これはクーパー自身が買って持っていた安物。
侮辱されたマレー人が復讐するのなら、自分のクリスを使うはず。(もっとも、厳密な人類学的研究でどうなっているか不明ですが。一応、常識として。)

あと、上に引用した部分の
Mr. Warburton shuddered
shuddered とは、 A sudden strong change or reaction in feeling, especially a feeling of violent disgust or loathing で震えること。
つまり、わかりやすくいえば、キレた、ってこと。

しかし、なんといっても明らかなのは、クーパーの死体を見てからのこと。
召使い(アバスの従兄弟)に対し、
「クーパーは(マレー人の)アバスに殺されたのだ。」と断言し、しかし、アバスは軽い罪ですまされ、しかも服役中はこの家(つまりウォーバートンの家)で更生のために働くことになるだろう、という。
ここで、御主人様と召使いの間で、暗黙の了承がかわされる。
めでたし、めでたし、である。

怖いのは、ウォーバートンが殺人を犯したということ自体ではない。そうではなく、その罪をマレー人召使いにきせ、さらに恩着せがましく減免してやろうという態度である。そして、悲しいことに、マレー人側に抵抗するすべはなく、むしろ感謝してウォーバートンの策略を了承する。……という話。

*****

というわけで、昔から英語読解テキストとして使われているモームの短編であるが、、植民地の統治者であるブリテン人を描いた作品群として読まれていたとは思えない。
大英帝国と植民地という枠だけで読めるわけではないが、この枠を知らないと、まったく理解不能になると思うのだが。

過去にモームの作品が英語読解のテキストとして用いられたのは、教える側の日本人がなんの疑いもなく、ブリテン統治者側に自分の身を置き換えて読んでいたからではないだろうか。そして、こんにち読まれないのは、物語の中の統治者対原住民、ジェントルマン階級対平民、という構造がわかってきて、不愉快だから読まれなくなったのではなかろうか。とくに先生が女性だと不愉快な描写が多いだろうな。ははは。

ギボン,『ローマ帝国衰亡史』

2008-02-13 21:36:48 | ブリティッシュ
1ページも読んでない。
前項『大英帝国という経験』で知り、ウェブを検索してみた。
どういう書物かというと……

まず、英語で書かれた文学作品の古典である、ということ。
ローマの賢人や暴虐者の有名なセリフは、ここから採られていると思えばよい。
日本でいえば、小説版やマンガ版の三国志みたいなもんか。

つぎに、これはイギリス人の心情を表した書物である、ということ。
つまり、18世紀から19世紀の大英帝国を理解するための書物である。
けっして、オスマン帝国やトルコ共和国の歴史ではない。(あったりまえだ、といわれそうだが、ここで描かれた歴史は大部分オスマン帝国の範囲の物語である。)

三番目に、(日本のウェブ上でとんでもない勘違いがみうけられるが、)キリスト教の権威の否定や相対化、世俗化、を隠した書物である、ということ。
フランスの啓蒙思想家のようにめちゃくちゃを書けないイングランドにあって、こっそりアンチ教会を表明したものであるようだ。

後世になると当然、その後の実証的歴史学からみて価値なし、という評価をくだされることになるが、大衆的読み物として人気があった。いろいろなアブリッジ版もでて、英語圏の教養の常識である(あった?)ようだ。
アイザック・アシモフやスター・ウォーズのルーツであり、通俗的なコスチューム映画のモデルでもあるようだ。

そして、おおかたの歴史研究者からすると、今さら歴史書としての価値をうんぬんするのは大人げない、敬して遠ざけるタイプの書物であるようだ。

で、1ページも見ないのはなんだから、図書館に行って筑摩書房版(中野好夫が始めて朱牟田 夏雄・中野好之へと引き継がれた訳業)を見る。
うーん。読みやすい文章だ。
しかし、この長い話を読み通す気力(というか興味)はないなあ。

中野好夫のあとがきによれば、やはり固有名詞の表記をどうするかが問題で、ローマ時代の官職やキリスト教用語も統一されていないことが訳業を困難にしているようだ。
ダン・シモンズの訳者・酒井昭伸さんも同じような悩みを書いていたので、永遠に解決されない悩みなのだろう。

で、無料の電子テキストで1ページめを読んでみた。
あ、読める。
こんなふつうの文章でかかれているのだ。
もちろん中野好夫の訳文は日本語としてすばらしいが、原文とはちがうのだな。

しかし、やはりこの原文の固有名詞の山を乗り越えて読むのは、普通人には不可能だな。(読みかたがわからん!!)
英語圏では、この英語式の人名・地名を平気で使っているわけで、彼我の言語感覚の差を感じる。

この感覚のちがいこそは、大英帝国と属国日本のちがいか!?

なお、筑摩書房版(ちくま文庫)も註は一部しか訳されていない。
バートン版『アラビアン・ナイト』と同じように、おちゃめな註がいっぱいあるそうだ。
無料の電子テキスト版でも註付きあり。
Edward Gibbon (1737-1794), "The History of the Decline and Fall of the Roman Empire", 1764-1788.

井野瀬久美惠,『大英帝国という経験』,講談社,2006

2008-02-13 21:34:23 | ブリティッシュ
シリーズ「興亡の世界史」16巻。
著者の一般向け著作はだいぶ読んでいるので、まあ復習のつもりで読んだが、こうしてまとめられると、あらためて自分の知識の空白を思い知らされる。

ジグソー・パズルの断片がパチンパチンとはまっていく感じで読了。

カナダ・イラク・ブリストルなど知らない世界、あるいは、フローラ・マクドナルドやメアリー・シーコルなど知らない人物がいっぱいあるのだな。(スカーレット・オハラについても知らなかったくらいですから……)

なお、おそらくシリーズの他の巻との分担によるものと思われるが、東南アジアに関する事項はほとんどなし。ラッフルズもブルックも登場しない。だからわたしにとってはかえってよかったのだが。

サマセット・モーム,『手紙』,1924 その2

2007-07-27 17:43:52 | ブリティッシュ
中心人物、殺人事件容疑者・美しく沈着な白人女性・貞淑な妻・レズリー。
彼女に銃を連射させた激情は、秘密の愛人ハモンドの心変わり、であるようにみえる。しかし、心の奥底の動揺は、ハモンドの中国人の愛人と比較され、敗北した屈辱感だ。
ハモンドは「おまえには、飽き飽きしたよ。ずっと以前からオレにほんとに必要なのは、あの中国女だったんだ。」と言いきる。

こうして二種類の恐怖が対比される。
弁護士ジョイスの感じる違和感や恐怖感が、事務員オンの知性や物腰から生じる。対照的に、レズリーの危惧と怒りの原因は、中国人女のセクシャリティだ。

レズリーの夫、ロバート・クロズビーは、巨体のスポーツマンで「彼が拳骨をふったなら、華奢なタミール人苦力などは一発でのびるだろう。」と描かれるように、体力と暴力で支配するタイプだ。
それに対し、弁護士ジョイスは、知性や弁舌や能率的事務処理の力で、この海峡植民地で支配層に属する。
レズリーは美貌と肌の白さと端正な身のこなしで、支配階層の女性として君臨している。
というのが、表面的な秩序である。

しかし、彼ら中国人は、知性とセクシャリティの両方を備えた、恐怖の存在だ。

作者の筆致は、中国人女を、(レズリーの口を借りて)、太った、年老いた、醜い女と描写して、ごまかしている。
あるいは、仲介者のオンが「あの女は、小切手などというものは理解できない女なので、代金は現金しかうけつけません。」などと言うのも、読者を迷わせる罠である。

実際は、この中国人女はすべてを、つまり、レズリーとハモンドの関係、クロズビー夫婦の関係、弁護を請負っているジョイスのこと、すべて内情を知っているはずだ。
自分の恋人(レズリーの会話の原文では mistress 、愛人、妾などというニュアンスを持つが、自分たち白人仲間の浮気は lover なんて単語を使っている。ズルイ女だなあ。)であるハモンドが心変わりをしないことに確信を持っている。

そして最大の謎。
中国女は手紙を読んでいたか?

答えはもちろんイエス。

この点に関して、作者は断言していないし、レズリーの危惧が、この点にあったかどうかも、巧妙にぼかしている。

しかし、当然、白人のまわりにうごめく、植民地・開拓地の住民は、みんな白人の話す言葉を理解し、文字だって読んでいた。

銃連射事件の直後、クロズビー家の召使い頭(head-boy という単語、こんな単語はあまり不注意に使用しないように)の描写を見よ。
事件の直後、慌てふためいているものの、ADO(副郡長などと訳される)を呼ぶなどの事後処理をする。

さらに明らかなのは、当のレズリー自信が召使いに、逢瀬の手紙を託していたのだ。なんと無頓着な女だ。(あたりまえだが、電話はない。)
彼ら白人の行動は、周囲の召使い・苦力・事務員そのほかすべての住民に筒抜けである。
彼らブリティッシュは、支配する者たちを見えない存在、匿名の存在にしているが、反対方向の視線はさえぎられない。
彼らは一部始終を監視された存在なのだ。

というホラー・ストーリーである。

なお、ハモンドと同棲していた中国人女が、裏取引の場に現れたときの服装が描写されている。

英語原文では、"little Chinese silk slippers"

となっている履物を、田中訳は「小さな中国の絹沓」とし、中野訳は「かわいらしい中国の靴」としている。
これって纏足用の小さなくつのこと?
原文でもはっきりしないが、「彼女の服装は完全に洋風でもなく、中国風でもなく」と記したあと、「しかし (but) 」という接続詞でつないでいるから、これは、服装は半分洋風化していても、肉体の肝心なところは過去の遺物をひきずっているという意味で、纏足を示した可能性がある。(しかし、ほんとのところ、どうなんでしょう?)

サマセット・モーム,『手紙』,1924

2007-07-27 17:39:27 | ブリティッシュ
W. Somerset Maugham, "Collected Short Stories" Vol. 4, Penguin Books, 1978

邦訳多数だが下記の2つのみ参考にした。

田中西二郎 訳 新潮文庫 など 1955年頃の翻訳?
中野好夫 訳 岩波文庫 など 1940年頃の翻訳?
国会図書館の書誌情報などで、各訳者の初訳を調べればいいのだが、めんどくさいのでやめる。現在入手できる版が改訂・改稿しているか、など無視する。

英文学の分野ではあるゆる重箱の隅をつついた論考・論文があるから、以下の感想・分析もすでに関係者の間では、あったりまえの常識かもしれない。
過去の研究を調べるのはめんどくさいし、ウェブ上ではほとんど日本語資料がないので、無責任に書く。もし、同様の分析があったら笑って許してね。

かんたんにストーリーと登場人物紹介。
この短編はストーリーを知ってしまったらおもしろさ激減なので、以下、未読の方は読まないように。
入手が容易だし、すぐ読めるので、今すぐ読んでみよう!

ジョイス:シンガポールに事務所をかまえる法律家。クロズビー夫婦の友人。拘束中のクロズビー夫人の弁護士。

ロバート・クロズビー;マレー半島でゴム・エステートを経営する。他にも資産多数。
レズリー・クロズビー;その妻。

ジェフ・ハモンド;クロズビー夫妻の隣人(といっても8マイル離れている。)第一次大戦で負傷。夫妻とは、ここ数年、交際はほとんど無い、ということ。

オン・チ・セン;ジョイスの事務所の事務員。中国人。

物語は、ミセス・クロズビーが逮捕され、夫が弁護士・ジョイスに相談に来ているシーンから。

拘束中の妻・レズリーによれば、夫の留守中、深夜訪れたハモンドが、夫人につめより、暴行をはたらこうとした。パニックに陥ったレズリーは、夢中で銃を連射。ハモンドは即死。
夫人は正当防衛で無罪になると思われるが、規則上、公判まで拘束されている。夫は妻を思い、憔悴している。

夫・ロバートが帰ったあと、事務員のオン・チ・センがジョイスにある情報を持ってくる。
レズリーが暴行犯ハモンドに宛てた手紙が存在する。オンは手紙のコピーを見せる。もちろんコピーは証拠にならないが、自筆の手紙を取引したいという「友人」がいる、という情報を伝える。
コピーの手紙によれば、妻・レスリーは夫の留守を知らせ、秘密の逢瀬を懇願している。

弁護士・ジョイスは拘束中の夫人を訪問する。
会話の中で、夫人が手紙を出したことは事実であり、夫人はハモンドと長い間恋人関係、不倫関係にあった、ということが、読者に知らされる。(もちろん、弁護士・ジョイスにもわかる。)

夫人は、手紙を買い戻すことを願い、夫・ロバートがその代金を支払うことを確信している。(もちろん違法な買収だ。)
「わたしのためでなく、あなたの友人でもあるロバートのために……。」
証拠隠滅に協力してくれ、というわけ。(ここで、読者も語り手も、放埓で自信過剰な女の内面に気づく。この点を物語の中心として読みとる批評も多いが、そんな単純な構造ではない。)

弁護士・ジョイスは、被告の夫ロバートに事情を話す。
事務員・オン・チ・センから取引の金額と方法も提示される。
結局、現金をもって、取引の場所にジョイスとロバート二人が訪れ、中国人女(殺害されたハモンドと同棲中であった。)から手紙を受け取る。
夫ロバートは、妻が浮気の相手に出した手紙を読む。

そして、裁判は滞りなく進行し、レズリーは釈放される。

ジョイス夫妻は、自宅に疲労したクロズビー夫婦を招待する。
夫のほうは、エステートの仕事のためという口実で、昼食後すぐに退去する。

その後、ふたりきりで、ジョイスは、レズリーの口から、浮気相手ハモンドの心変わりの経緯、ハモンドの侮蔑のことば、激情にかられ銃を連射したことを聞く。
激白した後、レズリーは、もとの冷静で慎ましやかな女性にもどる。
事情を知らないジョイス夫人が無邪気な言葉をかける。

というストーリー。

熱帯のエステートの中(ちなみに、開拓されているんだから、奥地でもジャングルでもないよ)、留守がちの主人(けむくじゃらで日焼けしたスポーツマン・タイプの無粋な男として描かれる)に倦み、放埓な浮気をする身勝手な女のおこした事件、というのが、表面上のストーリーである。

しかし、物語を読めば、ふつうの読者なら、彼らブリティッシュ系のまわりにうごめく、不気味な中国人たちの存在がもっと大きなテーマだと気づくはずだ。

法律事務所の事務員オン・チ・センの端正な服装、抑制のきいた話し方、雇い主に対する慇懃な物腰、すべて不気味である。
裏取引の陰謀の首謀者がこのオンではないか、と勘ぐられるほどだ。
ソツがなく、能率的、冷静沈着、(作者モームがホモセクショアルだったという観点からの分析は、つまらないから止めとくが)不気味な色気が漂う男である。

支配階層である白人のジェントルマンシップ・貞節がくずれていく中、着々と見えないネットワークの中で足場を築く中国人たち……。

しかし、物語はもっと深い恐怖を描いている。
以下、「その2」で。

宮本昭三郎,『源氏物語に魅せられた男 アーサー・ウェイリー伝』,新潮社,1993

2007-02-06 11:12:36 | ブリティッシュ
アーサー・ウィイリー(Arthur David Waley)は
1889年 ケント州生まれ、ケンブリッジのキングス・カレッジ卒。
1913~29 大英博物館勤務。
1925~33 英訳の源氏物語 刊行。

ロンドンの通称ブルームズベリー・サークルと交際。ヴァージニア・ウルフ、バートランド・ラッセルなど。
また、エズラ・パウンド、T.S. エリオットなどと交友、彼らをバックアップした。(名前は知ってるけど、触ったこともない。)

源氏以外に、唐の時代の漢詩を中心に韻文・散文の翻訳多数あり。
大英博物館では、オーレル・スタインが請来した(かっぱらってきた)敦煌文書の整理をしている。
というわけで、東南アジアと関係ありません。

この人物につきまとった、ベリル・デ・ズータ(Beryl de Zoete カナ表記いろいろ)という女性がいる。

ウェイリーより10歳年上。
オックスフォードのサマヴィル・カレッジ卒。
イタリア語から、カロッティ『美術史』ほか、美学書の翻訳あり。
ダルクローズという人のリズム体操(のちにユーリズミックスと呼ばれる)を広める。
プラトニック・ラヴの信奉者(?)で、複数の男性と結婚歴(?)あり??
菜食主義!

というめちゃくちゃにエキセントリックで、わけのわからない女性である。
アーサー・ウェイリーとも婚姻関係にあったのかどうか不明だが、ともかく、生涯ウェイリーとともに同棲していた。
ウェブで調べても、各所にバラバラのデータがちらばっている。
しかし、一番有名なのは、そう、
ヴァルター・シュピースと共著『バリの舞踊と演劇』です。with Walter Speis " Dance and Drama in Bali ", 1937

この女性が、シュピースとともにバリ島に滞在したのだ。
ちょうど同じ時期に滞在した、マーガレット・ミード=ベイトソン組を悩ませる困った女性であったらしい。(わはは!)
一方で、ウェイリーとの交際は生涯続いたわけで、この実直な文献学者といっしょにイスタンブール旅行などしている。

(ベリルの死後、アーサーには、別種の家庭的な女性がつきまとう。伝記作者にとって、やっかいな、こまった女性であるようだ。資料隠滅の疑惑あり。)

というわけで、バリ島とはほとんど関係ないけれど、どんな人びとが押しよせたかという背景を伝える本です。
もちろん、本筋の日本語・日本文学研究の話もたくさん。(第二次大戦中、対日本諜報活動に協力していたらしいが、その話はなし)

ジャイルズ・ミルトン,松浦伶 訳,『スパイス戦争』,朝日新聞社,2000

2007-02-03 22:13:43 | ブリティッシュ
副題;大航海時代の冒険者たち
Milton, Giles "Nathaniel's Nutmeg" 1999.

イギリス東インド会社(以下EIC とする)とオランダ東インド会社(VOC)の抗争を描いた歴史読み物。
ふたつのインド会社の経歴、北東航路探検や北西航路探検、レヴァント会社やハドソン会社の変遷でわきを堅め、メイン・テーマである東インド諸島の香料交易にはいる。
中心人物はナサニエル・コートホープというEICのキャプテン。(ほんとに無名な人物だ。わたしの虎の巻である、増田義郎,「年表」,『大航海時代叢書第1期別巻 大航海時代 概説 年表 索引』所収,1970.にも記載がない。)
1611年東インドに到着、以後、バンダ諸島におもむき、ルン島というほんとに小さい島の領有を主張するEICを代表してVOC側(ヤン・ピータースゾーン・クーン)と闘う。

いまどき珍しく、英蘭を中心とした時代小説的な著述である。
すでにわたしのブログでも何冊も紹介しているように、この時代は明朝とオスマン帝国を中心に廻っている世界であり、東インド諸島、つまり現在のインドネシア・マルク諸島も、チャイニーズの商人を中心に、インドの商品が廻り、イスラームの思想がおしよせ、ムラユー世界の航海者や商人がかけめぐり、ジャワやバリの米・塩が港市に運ばれる世界だった。
ポルトガル、スペインもこの大きな流れの構成要素の一つである。
1600年代のEICやVOCは、さらに泡沫勢力である。。

その端役のEICとVOCのこぜりあいなど、論じるに足りない、もっと他に重要なことがいっぱいあったんだ、というのが、最近50年の歴史研究の流れだろう。
本書でどぎつく描写される、残酷な刑罰、陰惨な戦闘なども、もう、必要ない話題になっていたのではないか。
必要ない、というのは、EICやVOCがいかに残忍非道だったとしても、そのことを理由にヨーロッパを断罪してもしょうがない、という態度である。
歴史をすすめたモーメントとして、冷静に論じようではないか、というのが、ここ数十年のアジア史研究の立場ではないんでしょうか。

そうした歴史叙述の変化、歴史観の変化にさからうように、大時代的にイングランドとネーデルランドの闘技場としてのアジア海域を描いた、アナクロな一冊である。

内容は別に悪くない。
というか、こんな古臭いテーマで本を書くような人は日本人にいないから、逆に新鮮な衝撃?!

『自由海論』のグロティウスがオランダ側代表団の団長として、イングランド側と会合した、(なんと、EICはVOC側に合併を提案する、17世紀版M&Aである!)なんて、わたしの知らないエピソードもたくさんあるが、ともかく国民国家の成立以前の話で、愛国心も忠誠心も実態のない時代なので、そのつもりで読むように!

著者が強調する、意外な歴史というのは、本書の中心地バンダ諸島のルン島が、ブレダ条約(1667年、第二次オランダ=イングランド戦争の終戦処理)の結果、マンハッタン島と交換された、というエピソード。
はは、意外だなあ。ちっとも知らなかったよ。
だって、このころ、オランダは、クラサオ島、バイーア、南アフリカ北東部(今のスリナムやギネアのあたり)、西アフリアのエル・ミナ、などいたるところでこぜりあいをしている。
インド洋方面でもゴアやディウで戦闘行為多発、東アジアでもマカオ、澎湖島、台湾南西部と、戦線を拡大している。
マルク海域でも、テルナテとアンボイナに要塞を築き、本書のグレートバンダ島・バンダネイラ・アイ島に築城、補給線がとだえがち、人員欠乏、という状態である。
ほんとにマイナーな地域で、こんなところに注目した著者はさすがだが、どうにもこうにも、センスが古いのだよ。

横井勝彦,『アジアの海の大英帝国』,講談社学術文庫,2004

2007-01-31 11:23:01 | ブリティッシュ
同文舘出版1988を文庫化。

リスボン,ジブラルタル,マルタ島,コルフ,コンスタンチノープル,黒海,シロス島,スミルナ,スエズ,ペリム,アデン,マデイラ諸島,テネリフェ島,ベルデ岬諸島,バサースト,シエラレオネ,アセンション島,セント・トマス島,フェルナンド・ポー島,セント・ポール・デ・ロアンダ,喜望峰,クルアムリア,ボンベイ,ツリンコマリー,カルカッタ,ペナン,シンガポール,ラブアン島,香港,上海。

以上が19世紀大英帝国の石炭補給線(p203)

どうしてこんなに貯炭地が必要なのか、というと、つまり当時の蒸気機関は効率が悪く、石炭を山のように消費するからである。
太平洋やインド洋を横断するなんて場合、積荷の大半を石炭が占めることになる。
蒸気船というのは、貨物輸送のための商船では、とうてい燃料費をまかなえない代物だった。
軍艦でさえ、ペリー艦隊(1953年当時)は、日本近海までは帆航でやってきたのである。

では、蒸気船は、釜の水はどうして補給していたのか?
水も大量に運んでいたのか、というと、違った。
なんと、海水を使っていたのだ!
みなさん知っていました?
そのため蒸留器(コンデンサー)が発明される前は、海水で蒸気をつくっていたわけで、圧力が制限された。つまり効率が悪かった。

こんな具合に、燃料食いで効率がわるく、敵の弾丸が外輪にあたれば致命的である蒸気船も、軍艦としては、ひじょうに有利な要素があった。
それは、浅瀬、河口など海底地形が複雑で海流が複雑なところで、小回りが利くことである。
帆船は大洋を航海する場合、抜群の効率であったが、狭い海峡や港湾、河口で身動きが不自由だったわけだ。
それに対し、珠江デルタや天津の白河など、地形がいりくんだ海域での作戦行動に抜群の威力を発する。
上陸作戦では、清帝国の人海戦術に悩まされ、コレラや下痢に戦力を削られる場合も海上戦力は圧倒することができた。

本書は、東アジアからインド洋まで圧倒的に優勢だった大英帝国のパワーを、海軍力から分析したもの。
大英帝国の経済力・金融制度・情報収集、あるいはそれをささえる官僚組織・教育・学問研究など、グレート・ブリテンのパワーを分析する研究は山ほどあったが、本書は単純にして明快な軍事力に焦点をあてたもの。
日本近代史研究者、アジア史研究者などから高い評価を得ている研究である。

時代は19世紀、アヘン戦争、アロー戦争の時代。
東インド会社の海軍(Campany Marine というものがあったのだ!)とインド海軍(というものがあったのです!1830年ボンベイ海軍から改称)とロイヤル・ネイヴィー( Royal Navy 英国海軍、イギリス海軍、などと訳される)との関係。
東インドステーションと中国・日本ステーションの分割(1964年四国連合艦隊の下関砲撃の前後)といった組織の変遷。
民間組織である郵船、貨物船と、軍事徴用制度。
海図制作。
財政問題、軍縮問題(軍縮問題というのは、常に予算削減問題だ)。

といったトピックを扱っている。
用語だけ並べると、細かい問題ばかりつっついた学術書のような印象をあたえるが、19世紀の世界を知る上で基本中の基本をあつかった内容である。

紅茶運送、アヘン戦争、ビルマの植民地化など、船舶建造技術、海軍力から描写していて、わかりやすい。

英国軍がやってくる前に、なぜアメリカ合衆国のペリーが日本に来航できたのか?という歴史の問題にも、ある程度の解答がしめされている。

フィルモア大統領の時代に実施された海軍遠征計画はなにもペリーの「日本遠征隊」だけでなく、1851年~53年の間には、そのほかにもベーリング海峡にまで赴き、北極海におよぶ海図作成に重要な貢献をした「北部太平洋調査隊」、パラグアイとの通商条約交渉を進展させ、あわせて海域諸国との通商関係の改善をはかることを任務とした「南米南東岸ラ・プラタ川およびその支流への遠征隊」、さらには対外通商と移民にアマゾンを開放するという外交上の目的を進展させるために派遣された「アマゾン探検隊」などが編成されていたのであり、そのすべてが、民主党ポーク大統領時代のアメリカ膨張政策の延長線上においてなされたもんであった。(p141)

ああ、そうだったのか!
みなさん知ってた?

それに対し、大英帝国のほうは、インドという大物を飲み込み(1857年インド大反乱)、カリブ海・地中海・インド洋・西太平洋で覇権を握ろうとしていたのだから忙しいのである。そして1854年3月から2年続いたクリミア戦争が最大の懸案事項であったわけだ。

まったくありがたいことに、ロシアやオスマン帝国、インドやパキスタンの諸勢力、序しがたい清朝の官僚組織、各地の土侯や海賊がばらばらに行動し、結果的に日本への大英帝国の圧力を減らしてくれたわけだ。