東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

山口文憲・関川夏央,『東京的日常』,リクルート出版,1990

2007-06-03 22:48:44 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
文庫はちくま文庫から出ていて、1994年に出版されていることになっている。

実は、おふたりの著者にもうしわけないが、どのバージョンで読んだのか記憶不明。
そして、さら失礼なのだが、山口文憲、関川夏央、両者とも、最初に読んだのが何なのか記憶が混乱していて、わからないのだ。
関川氏のは、『貧民夜想会』が最初であるような気もする。
しかし、これも文庫で読んだのか(最近の解題された双葉文庫版ではないのは確かだ) 単行本で読んだのか記憶が不確かである。
それから、『海峡をこえたホームラン』を読んでいないのは確かだ。

というより、『海峡を越えたホームラン』という著作があるために、この方の著作を避けていたのかもしれない。
はい、そうです。わたしは野球が苦手、鬼門、嫌いだ。

アジア文庫のホームページで前川健一さんが、野球のルールを知らないと堂々と書いているのにびっくりした。
そういえば、高谷好一も野球なんかぜんぜん興味なかったと書いていた。

みんな堂々と自信をもっているんだなあ。
こうした自信をもった人たちであるからこそ、東南アジアについてすばらしい本がかけたのだろう。
まったく情けないことであるが、わたしは、堂々と野球なんてつまんねえ、と主張する勇気がなかった。(若い連中からみると、つまんない、どうでもいいことだろうが、野球なんてつまんねえ!と主張することは、狭い世の中では、なかなか勇気がいることであったのだ。)

そんなわたしは、『海峡を越えたホームラン』なんて題名の本を避けていたわけで、最初に読んだのが、この対談集であったかもしれない。
パリ、香港、ソウル、東京といった都市に暮らすおもしろさを語り明かした本であります。

北杜夫,『どくとるマンボウ航海記』,中央公論社,1960

2007-06-02 18:37:04 | 名著・話題作 再読
1958年11月から59年4月まで水産庁漁業調査船「照洋丸」の医師として乗船し、インド洋から地中海、アフリカ沖大西洋、バルト海をめぐった旅行記であり、かつお資源調査船乗組員の記録。

わたしの世代だと、読んでなくとも題名くらいは知っている超有名作。
あんまり有名すぎて読んでなかったり、無視している人も多いのではなかろうか?

「文芸首都」という同人誌に発表された短信を、中央公論社の宮脇俊三氏が目をつけ、単行本として発行したもの。文庫は各社から何種類も出ている。現在新潮文庫で入手可能であるようだ。

今回、新潮社版「北杜夫全集」第11巻で読みなおす。
日本からマラッカ海峡を抜け、インド洋から紅海にはいり、スエズ運河を抜け、地中海、アフリカ西岸、北ヨーロッパ、という航路である。
とうぜん、東南アジアを抜けたわけだが、往きのシンガポールと帰りのコロンボ以外は寄港なし。
シンガポールが独立前なのである。
(この時期の旅行記で、東南アジアが無視されるのは、旅行記の著者たちが無関心という場合もあるが、入国がむずかしい、経費がかかりすぎる、という理由もあるようだ。交通や観光のインフラが整っていない地域は、ヨーロッパなどよりずっと金がかかるし、留学制度もなかった)

スエズやポート・サイドはスエズ動乱後の混乱、「アラブ連合」は、ナセルを英雄と仰ぐ国である。
ポルトガルは中立国だったんだ!
ハンブルクのあるドイツは敗戦国だった。
という時代の話である。

日本人の海外旅行は大学院にはいり、留学でもしないと不可能な時期である。
著者も外国に憧れるものの、留学の道を閉ざされ、本や映画を通じて、外国を知るだけである。
どんな手段でも一度外国を見たい、外国の膣、いや土を踏んでみたいと、若者たちが妄執していた時代である。
著者のマグロ船医師という身分は実にラッキーであり、そしてむろん、普通の身分、普通の経済力、普通の学力の者が到達できる道ではない。
本書は軽妙なエッセイであるけれども、この点、著者をフツウの人とは考えないように。
なにしろ、学識も教養もある。
引用する書物もトーマス・マンはもちろん、ツヴァイクの『マゼラン』、ウォーレスの旅行記など守備が広いし、SF(という言葉はなかった)やトンデモ系にも興味がある人で、その方面の話題も多い。
映画の話題も多い(当時のフツウの教養であるようだ。)
ただし、ギャグは古すぎて、今読むとかったるい。しらける。(マーク・トウェインあたりの影響だろうか?それから、椎名誠さんなんか、影響うけているんでしょうか?)

それから、やたらと酒を飲む話が多い。
これは、著者が精神科医にあるまじきアル中というわけではないし、船員稼業のマドロス連中が特別のんべえだったわけでもないだろう。
そうではなく、旅行の話の中で、どんな酒をのんだとか、どこの酒場で飲んだという話は、読者の憧れであり、読みたい話題だったのだ、と思う。
現在よりも、酒の消費量は少なく、スコッチやワインは実際に味わったことのない幻の飲み物であり、ビールでさえ、日常的に飲めるものではなかったのである。

神谷武夫,『インド建築案内』,TOTO出版,1996

2007-06-02 18:25:01 | 実用ガイド・虚用ガイド
まず、なによりも、異常に安い。2800円。
普通の旅行案内やショッピングガイドで2800円というのは高いだろうが、本書の内容をみると、異常に安いことがわかる。

著者は建築家としての実績があり、本書で紹介されたインドの建築行脚はいわば趣味であるのだが、趣味という言葉ではとうてい間に合わない、学術性と専門性と現場に立ったものの目をそなえている。
さらに、出版社がTOTO出版で、利益を度外視した出版なのでしょうか。

とまあ、値段のことから始めたが、内容が衝撃的だ。
混沌のインド、貧困のインド、神秘のインドという固定観念を打ち砕く傑作。
しかも、それを学術書や歴史叙述ではなく、旅行ガイドという形で提出したのだ。
誰でも(暇さえあれば)これらの建造物、遺跡、町並みを見にいける!
ヒンドゥー、イスラーム、シーク、ジャイナ、仏教、キリスト教、といった宗教建築、
英領インドになってからの近代建築、独立後の都市計画、北インド、西インド、東インド(バングラデシュ含む)、中インド、南インド、という地域別・環境別の変化、それらをばあーんと見せてくれた。

いったい今までインドを紹介してきた人たちは、何を見ていたんだ?と、言いたくなるような圧倒的な物量と人材の豊かさ、静謐さとグロテスクの対比、岩と土の乾燥地域と木の世界の対比、まったく驚いた。

写真もすごいが、大量の図面、市街図、遺跡プランが載っていて、用語解説と索引と文献目録があり、交通案内マップ(これは大雑把だが大局をつかむのに便利)があり、全574ページ。すごい物量だ。

わたしは本書を見て、はじめてインドに行きたくなった。
と、いうと、建築や遺跡を見る旅行が好きだとおもわれそうだが、そうではない。
なんというか、それまでのインド旅行記、インド案内だと、旅行のメイン・イベントが見えてこないのだ。
だらだらと農地とごみごみした町並みが続く感じで、まあ、たしかにタージ・マハールとか、ヴァーラーナシーの階段は有名らしいが、それがなんぼのもんじゃというイメージであった。

海外旅行の楽しみは、まあ、そのゴミゴミした町を歩き、おんぼろバスで移動することにあるんであるが、しかし、その中心ポイントというか、旅行のハイライトが見えてこなかった。
本書をみると、おお、ここだ!という都市や遺跡がいっぱいある。
とにかく、ここに行こうと思わせる気にさせるのが旅行ガイドなんだから、これこそ最高の旅行ガイドである。

あっと、重要なこと。
用語解説と索引で、建築用語、宗教用語がヴィジュアルに理解できる。
大インドと比べるとスケールは小さいが、東南アジアの宗教建築を見るときの勉強にもなります。

若竹七海・加門七海・高野宣李,『マレー半島すちゃらか紀行』,新潮社,1995

2007-06-01 19:41:18 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
(わかたけ・ななみ)(かもん・ななみ)(たかの・せんり)三人の女性の分担執筆。
文庫は新潮文庫1998。

本書はまっとうな旅行記である。
まっとうだ、旅行記だ、という点を強調すると、ギャグをとろうとする筆者たちの商売妨害になりそうだが、これは、ほんとの旅行記だ。
ほんとの旅行記とはどういうことか?
まず、著者たち三人が実際に旅行している。
旅行計画から出発・帰国まで、自分たちの計画・交渉・臨機応変で対応している。
本書の出版があったといえども、旅行の目的はあくまで旅行自体であり、旅行記を出版するためではないし、取材ではない。
著者たち三人は、どこを旅して、どう移動しているかわかっている。

以上、あったりまえのことみたいだが、旅行自体を旅行会社、コーディネーターまかせにしている自称旅行記がいっぱいある中で、本書は例外的にホントの旅行記だ。

もちろん、『旅行人』の執筆者や、めこん(出版社)から本を出すような人ではなく、ある意味ふつうの旅行者であるが、それだからこそ、ふつうの人の自由旅行として参考になる。
マイナーなトラブル(本書の用語でネコブルという)を乗り越えて、マレー半島をいかに楽しく旅するか、という問題の解決法でもある。

当然ながら、本書の筆者たちは、作家など文章の専門家で、読みやすい。(ここが、しろうととは決定的に違うところだな……。)
ボケとツッコミもみごとだが、そういう点よりも、ほんとに旅行記として参考になる。
筆者たち三人は、知性も教養もある、美貌の女性であるが、そうではない、一般人にも参考になるはずだ。

〈旅行には三種類あると思う。金を浪費する旅と、体力を浪費する旅と、時間を浪費する旅だ。湯水のように金を使う豪勢な旅も、ぱあっと体力・時間を使い尽くす旅も、どちらも同じくらいかっこいいなあとは思うけれど、あいにく我々にはどれもそこそこの持ちあわせしかない。あちらで体力、こちらで財力をちょびちょび使いわけるという、まことにびんぼったらしい選択しか残されていないわけだ。〉(p24)

どうです?リアルな旅行記でしょう。
もちろん、ボケとツッコミのギャグ本としても楽しめます。

ええと、三人組みの旅行経路は、

成田―香港―クアラルンプル―タマンヌガラ―ジュラントゥット―ジャングルトレイン―バトパハ―マラッカ―ティオマン島―クアンタン―クアラルンプル―香港―成田

16日間の旅程です。(ホテルの予約なし。)

斉藤政喜・内澤旬子,『東方見便録』,小学館,1998

2007-06-01 09:07:47 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
初出は『週刊ヤングサンデー』連載。
文庫は文春文庫2001、椎名誠さんの解説入り。

最初に本書をみたとき、内澤旬子というイラストレーターはしらなかった。
当然、有名なバックパッカー斉藤が主導権を握るライターで、内澤さんのほうは、たんに後ろをついていって絵を描いた人、と思った。
しかし、内容を読めば、この女イラストレーターがあってこその取材であり、ライター以上に内容に貢献している。と、いうことがわかるはずだが、後の仕事を見るまでは、やっぱりバックパッカー斉藤の著作として読んでいた。

内容はすばらしい。
ことわっておくが、旅行記の中のトイレ・便所に関する記述はおおむねつまらない。
何十人、何百人もおんなじようなことを書いているのに、さも、自分がはじめて体験したように書いている。
うんざりする。

本書はそのような、ちょっとシモネタを書いておこう、といったような平凡な内容ではない。
中国(上海や北京など都市部)・サハリン・インドネシアのジャカルタとスンダ地方・ネパールのカトマンドゥとトレッキングルート・インドのガンガー流域と北部、タイのバンコクと北部・イラン・韓国
場所の選定がすばらしい。(というより、コミック誌連載だから、予算が潤沢なのか?)
湿潤な地域と乾燥した地域、人口過密な地域とまばらな地域、寒い地域と暑苦しい地域の対比がよおくわかる。
そして、男女のペアなので、男用も女用もよおくわかる。
トイレ便所の話ばかりでなく、旅行にまつわる話もおもしろい(つまり、ワンパターンの旅行記録ではない。)

アジア旅行本としてベスト10にはいる傑作。