東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

「地球を丸ごと考える」 全9冊

2006-06-27 23:57:40 | 書誌データのみメモ
「地球を丸ごと考える」 全9冊のシリーズ,岩波書店,1993.
1 『地球の真ん中で考える』 浜野 洋三
2 『46億年 地球は何をしてきたか?』 丸山 茂徳
3 『リズミカルな地球の変動』 増田 富士雄
4 『地球の気候はどう決まるか?』 住 明正
5 『水は地球の命づな』 大森 博雄
6 『土のある惑星』 都留 信也
7 『繰り返す大量絶滅』 平野 弘道
8 『なぜたくさんの生物がいるのか?』 橘川 次郎
9 『地球はだれのもの?』 丸山 直樹

現在品切れ重版未定、ウェブ上で古本での入手は困難。
自然科学関係で10年以上前の本なんて価値ないでしょ、といわれそうだが、これは買っておけばよかったと後悔している。
まあ、こういう本は図書館にあるのだが、公共図書館はすぐ廃棄処分にするし、盗まれることも多いですからね。

地球科学の初歩的なシリーズ。各冊150ページほどの薄くて小さいラヴリーな装丁のプリティなシリーズです。
地球科学にかぎらないが、自然科学系の入門書はやまほどあって、何を読んだらいいのか門外漢は途方にくれる。
異常に詳しい数式とグラフだらけの教科書、いいかげんなイラスト入りの入門書、版型のでかい重たい写真集など図書館に行けばならんでいる。
しかし、適当なものがないのだなあ。

このシリーズは門外漢にもかなり、(あくまで、かなりです、)わかりやすい。
そして入門書にありがちなことだが、温暖化とか砂漠化とかオゾン層破壊など目先のことにとらわれず、世間に警鐘をならすのではなく、基本的な知識を扱っている。
幅広いトピックを読者に知らせるように書かれていて、時事問題をおおげさに騒ぎたてていない。

内容はむずかしいのか、かんたんか、わたしには判定できない。
というのは、地球科学というのは、ほとんど高校の理科で教えられていないので、入門書となると、中学生でもわかる内容なのだ。
これは数学の苦手な人、理科嫌いな人には、うれしいだろうが、どっこい、そんな簡単なもんではないよ。
やっぱり最低限の数学と化学の知識は必要で、簡単な化学式やグラフの見方がわからないと、話にならない。

白石隆,「一八世紀ジャワとはどんな世界だったのか」,2001

2006-06-27 23:47:19 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
濱下武志 ほか編,『越境するネットワーク 海のアジア 5』,岩波書店,2001.所収。

東南アジアばかりではないが、18世紀という時代はひじょうにわかりずらい。
各地で王権の交代や条約や戦争があるが、それらが全体として結びつかない。

東インド、つまりマレー世界、東南アジアの海の世界は、ブギス人が制海権を握る世界だった。ブギス人は海賊・傭兵・商人として活動したが、海の帝国あるいは「海のまんだら」と学者の間で呼ばれるような、広い海域に秩序をもたらす権力にはならなかった。(以上のことは、同じ著者の『海の帝国』で詳細に論じられている。)
オランダ東インド会社がいたからである。

しからば、このオランダ東インド会社(以下VOC)は、ジャワにおいて、どんな影響力をもったか?

ブギス人が順調に「海の帝国」をつくることができたならば、ジャワの内陸権力「陸のまんだら」は相対的に衰え、ジャワ北海岸も「海のまんだら」の秩序のなかで、1680年代に海禁令を撤廃した清朝との交易拠点となったはずである。
ところが、VOCが陸のまんだらに干渉し、衰退すべきマタラムが生きのびた。マタラムが生きのびたことにより、港・海の勢力が順調な交易を阻害された。
VOCは内政干渉し、秩序を乱すほどの力はあったが、18世紀においては、広範に北海岸の秩序を維持する力はなかった。VOC自身のための傭兵を配備しただけである。
そのため、下克上でなりあがった領主はみづから武装し、密貿易と蓄財にはげんだ。

そこで、どういう事態がおきたか?
華人のジャワへの流入、密輸(VOCの独占にたいする密輸)が横行した。
さらに地方の領主、下克上勢力が華人を徴税請負人とした。
あるいは、華人の製糖所がひろまった。
というように、本来(VOCの独占がなければ)、港で交易を担うはずだった華人はVOCの独占に対抗する勢力になり、地方領主と結託して、徴税・通行税を請負う中間搾取層となる。
1740年の「中国人虐殺」、それに続くジュウォノ、ジェパラ、レンバン、スマランでの「中国人の戦争」は、秩序の乱れ、権力の弱さ、不安な社会を反映したものである。
こうしたなかで、華人はしだいにジャワの下克上勢力の一端となり、イスラーム化して在地化した。(ということは、いわゆるジャワ支配層は、華人の末裔を含んでいるということですか?)

以上が、不安定な18世紀のジャワである。
19世紀には、VOC、さらにオランダ国がジャワ人・華人を武装解除し、全土を平定して、完全な内陸領土として支配することになる。(白石さんの用語でいえば、陸のリヴァイアサンの完成である。)

瀬川昌久,「海を越えた宗族ネットワーク」,2001

2006-06-27 23:36:59 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
濱下武志 ほか編,『越境するネットワーク 海のアジア 5』,岩波書店,2001.所収。
宗族とは、中国人の血縁組織を指す言葉で、父系の血縁のみでつながった親族の集まりを指す。
中国東南部(福建省、広東省など)では、ひとつの村、ひとつの町の住人のほとんどが同姓の子孫から構成されていることも珍しくない。

ということである。
この宗族であるが、中華世界全体の親族組織であり、中原ほどその傾向が強いと、わたしなんぞかってに誤解していたのだが、この宗族組織は、華北や華中よりも福建・広東に徹底している。
華北・華中では、一族がまとまって村を形成したり、祖先の墓や祠堂(しどう、共通祖先の位牌をまつった建物)をもつのはよっぽどの名門だけだそうだ。

従来、この宗族が形成される要因として、さまざまな考えが提出されてきた。
この地方(福建・広東)は、土地生産性が高かったので、その余剰生産部分が宗族の経済基盤になった、という説。
あるいは、ここは中華世界のフロンテアとして、開墾可能な土地が残されていたため、開墾事業のための宗族が形成され、自助努力と防衛をおこなったという説。
反対に、人口が稠密になり、地域社会の中で競争が激しくなったため、防衛のための団結として宗族の形成を促した、という説。

著者は、宗族の形成、存続、発展に関して、以上のような農業生産・生産基盤からの説明ではなく、移民・海外出稼ぎの面から説明する。
ごぞんじのように、この地域は、東南アジアへの華僑を排出してきた地域である。

著者は、移民の送金、錦を飾っての帰郷が、宗族強化の要因になった、と分析している。

以上は結論であるが、ほんと、意外な事実ばかり。
まず、移民は、一家の長男が率先してでかけた。くいっぱぐれの次男・三男ではないのだ。
そして、成功によって還流された財産は、宗族全体に分配されたわけではなく、家族ごとの家屋敷を富ませた。だから同族の村でも貧富の差がはげしい。
中華人民共和国の成立、文化大革命で息絶えたようにみえた宗族が、現在、続々と復活し、村や町に資本として流入している。

ええとですね。なにが意外かというと、東南アジアの本を読んでいると、華人は現地化し、言語も風習も変わり、定着した先の国家意識も持つようになった、という話が多いいんですね。
だから、この宗族も、文化大革命以前に過去のものだと思っていたのだが……。
それに、タイでもマレーシアでも華人は現地に墓をつくっているでしょう?だから、故郷にさらに祠堂なんぞつくるとは思わなかったのだが……。
それに東南アジアのどこにでも華人の会館や商業組合があるようだし、本土(故郷)と切れても、華人同士の連帯は続くと思っていたのだが……。

中華世界の研究は奥が深く、こまかい部分まで研究されているんだなあ。

なお、本論には、USAの学者、スキナーの理論をもとに、福建省・広東省のなかでも移民の波に差があることが、しめされている。
めんどくさいから略す。(漢字入力がめんどくさい!!)

**********
1.閩南地域;泉州、漳州など南部沿岸
2.福州周辺;福清、古田など
3.韓江流域;広東の東部、潮州、梅県
4.珠江デルタ;開平、新海、台山など

前川健一,『バンコクの好奇心』,めこん,1990

2006-06-25 22:12:56 | コスモポリス
いまさら紹介するまでもない、バンコク案内の古典。
本書においてわたしははじめてバンコクにも書店があるという事実にきがついた。
そんなことも知らなかったのかと顰蹙をかうだろうが、東南アジアの街について、日本の街を歩くように、書店やデパートやバスの話題を(はじめてとはいえないだろうが、同時代、同世代の視点として)とりあげたのが、この本である。

そんな雑学知識のほかに、本書がすごい、というか、あたりまえなのは、参考にした本・資料をきちんと明記していることだ。
どうも、かんちがいしている人がいるようだが、参考図書・文献を明記するということは、「このことは、わたしがはじめて書くのではなく、以下のなになにという本にお世話になりました」という、読者への、当然の情報公開なのである。それをやらないのは、盗作もしくはパクリである。
本書でもいろんな本を知った。
プラヤー・アヌマーンラーチャトン、ククリット・プラモート、ボータンなど、バンコクに関する本で、わたしが紹介するものも、本書でその存在を知ったものが多い。
感謝する。

小松左京,『歴史と文明の旅』,文藝春秋、1973

2006-06-24 00:05:00 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
初出『文藝春秋』1972年1月号~12月号。文庫は講談社文庫(上下)1976。
今回見たのは、『小松左京コレクション 1』,ジャストシステム、1995.

まず、タイの章から引用する。

見えもしない山のむこうをのぞこうとのび上がったのは、前々から、一度でいいから、ビルマ、タイ、ラオスの国境から、雲南方面の上をとんでみたいと思っていたからだった。━ほんとうに、生涯で一度でいいから、雲南方面からチベット高原の上空をとんでみたい。専門の探検家でも学者でもない私は、その地をふみたいなどと大それた考えはもたないが、せめて旅客機の窓からのぞくだけでいいから、この眼で見てみたい気がする。━六千万年前、オーストラリアとはなれて北上したインド亜大陸地塊が、アジア大陸にぶつかっておし上げたヒマラヤ大褶曲は、雲南・チベットの境あたりでほとんど直角に南におれまがり、緬印国境のアラカン山脈、泰緬国境をつくりながらマライ半島までつづくインドシナ中央山脈、トンキン高地からラオス、ベトナムの境を形成する安南山脈となって、インドシナ半島になだれおちる。雲南の地には、揚子江、北ベトナムのソンコイ、メコン、ビルマのサルウィンなど大河の源流が集っており、それぞれの河口部では、千数百キロから三千数百キロもはなれているこれらの流れも、雲南省の中のもっとも接近している所では、わずか十キロから三、四十キロしかはなれていない。

引用終わり。
世界をまたにかけ、並のパイロットより滞空時間が長いなどといわれた小松左京にしても、当時、雲南・チベットへの道は遠かった。
本書は、『日本沈没』出版と同時期の旅行記。『文藝春秋』編集部に取材費の余裕があったのか(まさか自前の取材ではないですよね)、一ヶ月に一回の旅行で、一年間で12回の連載、その12回分をまとめたもの。

上記のように中華人民共和国は当時日本と国交なし。冷戦が永遠に続くかと思われるような時代であった。本書刊行後に石油ショック、西側の敵は共産主義だけではなかったのだ!とあわてたのだ。

選ばれた目的地は、ロシア・タイ・スイス・ヴァチカン・オーストリア・オランダ・カナダ・エジプト・タンザニア・ブラジル・チリ。
取材当時、著者は『日本沈没』をほぼ完成させていたはず。(出版は、本書単行本の半年前)
これは、書かれなかった『日本沈没第2部』のための取材、というより、読者各自が第2部を空想するためのヒント集だ。

今回読みかえしてみると、内容がかなり記憶に残っていた。
そうとう影響を受けているんだなあ。
方法としては、まず、地図を見て、地勢・山脈・河川・植生・気候を見る。歴史をしらべる。現在の統計資料を見る。GDP(当時はGNP)や工業生産、軍事力、輸出入、人口、の数字を見る。
そして、現地にでむいて感じるのは、統計資料との微妙なズレ、政治力学と民衆の実感のズレ、しかしやっぱり圧倒的な影響をあたえている歴史の層だ。
そして、当時の平均的読者(つまりわたしのようなもの)の固定観念と常識をうちやぶるコメントが続出する。

それから、今読みかえして感じるのは、当時の冷戦、ソ連とUSAの圧倒的な力、それに影響される中小国と中大国である。
オーストリアもカナダもエジプトもチリも、みんな社会主義の魅力と怖さを真剣に考えていたのだ。
さらに、現在からみて、へえ、と思うのは、小松左京でさえ、(小松左京だからこそ)ヤングパワー(死語)とウーマンパワー(死語)の問題を真剣に考えていること。
ヤングパワーはともかく、女性のこと、つまり男女平等、男女の役割分担、政治参加、経済力、教育について、文明論的に関心をもっていたんだなあ。
今じゃ、男が女のことに口出しするな、というコワイ雰囲気が蔓延して、空想的、文明的な意見を述べるには覚悟がいるが、当時はわりと気楽にみんな書いたりしゃべったりしていたんだ。

旅行記として、対象国にひじょうに好意的で肯定的。
(まあ最初から、ひどいところ、入国できない国には行かないから)全体として、のんびりしていて、堂々としている、上品な国が選ばれている。
民衆や知識人の上品さ、おだやかな物腰、堂々とした態度に注目するのも、当時からアメリカばかりごきげんうかがいしていた日本との対比だとおもわれます。
オランダ、ヴァチカン、スイス、オーストリアという4つの意外な国がヨーロッパから選ばれているが(トルコもヨーロッパだ!と文句がくる、そうです、このことも強調されている。)、それ以外は、国土に余裕のある、のんびりした国が選ばれている。(と思ったら取材後、政変が続出!)

サイモン・ウィンチェスター,柴田裕之 訳,『クラカトアの大噴火』,早川書房,2004

2006-06-21 17:21:17 | 自然・生態・風土
Simon Winchester, kRAKATOA,2003.
訳者のなまえは、しばた・やすし。

1883年8月27日の(本文中でも詳しく解説されているように現地時間である。)クラカトア(本文中でも解説されているように、このKrakatoaという表記は、間違った英語表記に由来する。現代インドネシア語表記ではKrakatau,カタカナ書きでもクラカタウのほうが一般的だが、以下、本書の表記に従っておこう。こういうのって、検索するとき、すごく不便なんだなあ。書名のほうは固有名詞だから変更できないし。)の噴火をめぐる長編ノンフィクション。

まるで、わたしのために書かれてわたしのために翻訳してくれたような、待ちに待った内容だ。
ずっと前からこのクラカトアの噴火と津波は知っていたが、詳しい本はもちろん、概略を書いたものも日本語ではない。
クラカトアの本というと、たいてい、噴火後の生態変移、移入生物のテーマなのだ。
しかし、史上最大の噴火、史上最大の津波というフレーズもよく目にする。
ほんとうに史上最大なのか?
資料はあるのか?
ほんとにすごい被害だったのか?
これが本書であきらかになった。すごい災害であったし、資料もあふれるほど存在する。著者が資料の山をかきわけて、噴火前後を実況中継してくれる。

さて、著者サイモン・ウィンチェスターはまず香料諸島へのヨーロッパ人の到来、連合東インド会社、オランダ人のつくった都市バタヴィアの成立など、歴史的バックグラウンドを説く。
そして、鳥類学者スレイター、ウォーレスなどの博物学者、進化論、大陸移動説の解説を加える。
さらに、当時の通信網の発達、新聞、ロイズ保険、汽船航路など、コミュニケーションの近代化も解説している。
海底電線の絶縁体材料グッタペルカ(ジャワ島原産のゴム状樹脂)のトリビア知識もあり。

こういう具合にわきを固めたうえで、いよいよ1883年の噴火に話がすすむ。

要約してもしょうがないので、各自楽しんでください。
目撃証言、新聞記事、各種報告書が豊富に存在する。
気圧計による衝撃波の記録、大音響がスリランカやサイゴンまで聞こえたこと、津波の被害はジャワ北岸は少ないこと、などなど詳しく書かれている。
津波の被害の実態は、意外と伝達されず、後の調査や生存者の証言を記録する以外ない、という災害につきまとう目撃証言のあやふやさも示されている。(あたりまえだが、津波から命からがら逃げている最中に冷静な観察はできない。)

というわけであるが、大絶賛するわけにはいかない内容も含んでいるぞ。

この災害の後、イスラーム原理主義が台頭したなんてのは、こじつけでしょう。
オランダ政府の「倫理政策」は、肯定的に評価するのはオランダ人だけかと思ったら、ここでも能天気に評価されている。
全ページトリヴィア知識がいっぱいで楽しいが、やっぱり災害と政治的不安定の結びつけはこじつけですよ。
東南アジアは、どこでも20世紀になってからのほうが、貧困と圧政が進行したのだから、ジャワやスマトラばかりの話ではない、と思いますが。

本書は『本の雑誌』の浅沼茂さんのコラムで知る。浅沼さんの2004年ベスト1だそうだ。浅沼さんの2003年ベスト『メアリー・アニングの冒険』もおもしろいので、本書といっしょにどうぞ!

ヴェーゲナー、『大陸と海洋の起源』,とくに第5章

2006-06-21 00:27:08 | 自然・生態・風土
ヴェーゲナー,都城秋穂・紫藤文子 訳,『大陸と海洋の起源』,上下,岩波文庫,1981.
Alfred Wegener, Die Entstehung der Kontinete und Ozeane,1929.
原書第1版は1915年、本書は第4版1929年をテキストとする。翻訳者都城秋穂(みやしろ・あきほ)の解説と各章の要旨、現代の成果を示す図版を加える。

大陸移動説の提唱者ヴェーゲナー自身の著作である。

反論や批判どころか嘲笑と罵倒の的になったヴェーゲナー、その執念の第4版、たったひとりでよくまあこれだけの著作を書き上げたもんだと感心する。個人で、これほど大胆な仮説が提唱できる時代であったのか。

有名な、大西洋をはさんだふたつの大陸がぴったり重なるという思いつきは昔からあった。
本書も、その思いつきばかり注目されることがおおいが、そんな一瞬のひらめきだけの学説ではない。
植物・化石・地層・有用鉱物の分布・古気象など、あらゆる地球上の現象を観察して練りあげられた理論である。

ただし、ヴェーゲナーにわからないことがあった。

まず、マントル対流。これが大陸を動かす物理的力であるが、これには気がつかなかった。
これにより、ヴェーゲナーの学説は、物理的基盤をもたない仮説となる。かなしいことに、物理的に説明できない学説は認められないのだ。
つぎに、過去の大陸移動の決定的証拠となった、磁気の測定。これは、ヴェーゲナーの時代には技術的に無理だった。
それから、現在の大陸移動を測るという実測。これは、ヴェーゲナー自身が、グリーンランドや北アメリカが実際に動いていると主張しているが、現在、この測定値は誤りであることがわかっている。勇み足である。

しかし、それ以外の仮説の構築がすごい。
とくに、地球の自転軸の移動、それにともなう気候の変化、その結果としての、現在の石炭の分布を示した図がすごい。
北アメリカ、ヨーロッパ、シベリアの石炭鉱脈が、地質時代の熱帯とぴったり一致するのだ。
ちなみに、北ヨーロッパの泥炭は、寒冷地だからこそ泥炭層ができるのであって、もし過去に熱帯であったら泥炭層はできない、という反論があった。その反論をやぶったのが、インドネシアの泥炭を観察していたオランダの学者だった。

オランダの学者の幾人かは、ヴェーゲナーの理論に好意的だったようだ。
ヴェーゲナーの仮説による、スンダ列島、マルク、ニューギニア、ビスマーク諸島、ソロモン諸島の複雑な地帯構造が、みごとに解かれているからである。
この地域のヴェーゲナーの仮説は、今日の知見と一致する。つまり大正解だった。

スマトラ・ジャワから西につらなるスンダ列島とビスマーク諸島の間にニューギニアが南方向から割りこんだのである。
その結果、スマトラ・ジャワから東方向にのびた列島がパンタイ島・ウェルタ島・ダマル島と続き、バンダ海で時計と反対回りにねじまげられ、スラウェシ島の西部分につながり、ミンダナオまで延びる、おおきく曲がった火山帯になった。
チモールからのびる、島列はその外側をやはり時計と反対回りにセラム島、ブル島へねじまがっている。
ニューブリテン島が半月型なのも、突進してきたニューギニアに引きづられたためである。
また、スラウェシの北東部分と南東部分はニューギニアにおされて、西側(Kの文字の縦棒)にくっついて全体がKの文字になった。

というように、この部分(第5章、7節)はみごとにインドネシア東部の構造を説明している。(各自、かってに地図をみてください。)

大陸部東南アジアの構造も大陸移動の結果であって、ヒマラヤ東部の褶曲が、大河の方向を捻じ曲げ、山脈をつくり、深い峡谷を形成した。(ただし、ヴェーゲナーは、インド亜大陸が、もともとユーラシアにくっついていた、と考え、ビョーンと南西方向に突きでたユーラシアの図にしている。この図を今でもつかっている概念図があるので注意。インドは、インド洋を南極方面から動いてやっていきたのです。)

また、インド洋に面したスマトラ・ジャワ・小スンダ列島の火山、フィリピン諸島から日本列島、アリューシャン列島までの火山帯も、その結果であるが、ヴェーゲナーは、この点には気づかなかった、というか、かんちがいしている。

そう、ヴェーゲナーの理論と、今日のプレート理論の一番大きな違いはここにある。

ヴェーゲナーが大陸の移動のみを考えたのに対し、今日の理論は、海洋底の移動も含めた地殻全体の移動なのである。

残念ながら、これは時代の制約というか、個人の力でできることの限界である。
なにしろ、50年代、60年代の海洋調査は莫大な予算を使い、軍の援助を受けた国家プロジェクトなのである。
グリーンランドの野外調査、石炭層の地図、植物分布、化石分布、そんなことだけで到達できるものではなくなったのだ。
ヴェーゲナーは、偉大な仮説を提出した最後の単独研究者だろう。

津野海太郎,『物語・日本人の占領』,朝日新聞社,1985

2006-06-17 00:15:19 | 20世紀;日本からの人々
文庫本は、平凡社ライブラリー版,1999.

季刊『本とコンピュータ』の編集者、というより、晶文社の名編集者、お気楽な独身生活をたのしむ(と、おもっていたら、最近読んだ、山口文憲,『団塊ひとりぼっち』,文春新書.によれば、結婚なさったそうです!)津野海太郎さんの書いた、日本によるフィリピン占領、USAによる日本占領をパラレルに論じた本。

内容以前に、本書はある種の実験的な方法をもちいている。
別にたいしたことではないけど、現地(フィリピン)にいって取材などしない、外国の図書館や文書館に行かない、資料は日本の古本屋や図書館で手にはいるものだけでやろう、という方法だ。
もっとも、津野海太郎さんほどの人なら、各方面に人脈があり、珍しい資料も入手できるし、いろんな現地情報も聞けるのである。
実際、本書刊行当時邦訳のなかったレナト・コンスタンティーノやアゴンシーニョ『運命の歳月』、トレンティーノ『昨日、今日、明日』なんて、英語で読んでいるのである。
メリーランド州スートランド国立公文書館分室やメリーランド大学付属マッケルディン図書館プランゲ文庫に行かんでも、杉並区立図書館でも読むべき資料はみつかる、という態度である。(そりゃあ、津野海太郎さんのような、友人知人の多い人ならそうでしょうけど……)
(スートランド国立文書館分室とかマッケルディン図書館プランゲ文庫というのは、『落葉の掃き寄せ』の著者が調査した文書館である。ちなみに、わたしはこの本はみたこともないが、この本で評価されているらしい『戦艦大和ノ最期』は読みました、ちくま学芸文庫ででたから、というより、安野光雅さんが推薦していたから)

さて、内容であるが、津野さんの専門である、大衆演劇、コメディ、ミュージカルのこと、言語政策・日本語教育のことなど、いろいろ。

そのなかで、望月中尉という人物。

この望月重信中尉は、お互いに貶しあい反目しあっている日本人宣伝班からも、フィリピン人からも人望が厚かった人物。
1910年長野県更級郡(現長野市)生まれ。
松本高校・東京帝大・大学院でシナ哲学(易経)を学ぶ。
在学中から渡辺薫美の仏教的皇道主義の影響をうける。
1939年召集、盛岡陸軍予備士官学校首席卒業。
満洲に任官後、第十四軍宣伝班に充用され、フィリピンに行った。

この人、本気でフィリピン青年に日本精神を植えつける教育をしようとする。「八紘一宇」の精神といった建前ではなく、ほんとにフィリピン人を日本人のように教育するのが正しいと考え、みずから率先して、農本主義的道場をつくって指導した。(教育は報道部の仕事ではなく、軍政監部内務部の管轄である。)
マニラ近郊に通称タガイタイ訓練所をひらき、望月を導師(スピリチュアル・リーダー)として日の丸掲揚、宮城遥拝、ラジオ体操、ランニング、といった日本式の教育、日本語・日本史などの学科、教練と農耕の訓練をする。

「デング熱などにおかされるのは、精神の弛みからである!」なんて演説したあと、本人がデング熱になったなんて、ほほえましいエピソードもあるが、本人はいたってまじめなのである。
タガイタイ訓練所の卒業生を日本に留学させるため、大東亜省と協議するなど、真剣に人材養成を考えていた。

望月中尉はゲリラに暗殺される。
偶然通りかかったゲリラ(というより、強盗のような集団かもしれない)に、たまたま殺されたのか?
あるいは、望月の影響を憂慮したゲリラが計画的に暗殺したのか?
真相は謎である。
また、殺されるとき、望月中尉は、(おそらくまわりのフィリピン民衆に流れ弾があたることをおそれて)、ゲリラ側に発砲しなかった、といわれている。
このことも真相は謎だが、これは、この人物ならありうることである。

さて、では、望月中尉が暗殺されず、日本の占領が続いていたとしたら、彼の道場から、日本精神を身につけた、アメリカのプランテーション式農業ではなく、日本的な農本思想を血肉化した、(マニラのエリートたちのような、独立を叫ぶけれど、アメリカの経済と文化に浸りきっているような地主の子弟ではなく)、フィリピンの独立を達成できるような青年が育ったであろうか?
答えは、いうまでもないだろう。

プランゲ文庫のサイト、日本語案内
www.lib.umd.edu/prange/html/about.jsp?lang_flag=ja

モフタル・ルビス,谷口五郎 訳,『女』

2006-06-15 22:29:37 | 20世紀;日本からの人々
モフタル・ルビス,『虎!虎!』,井村文化事業社,1985.所収。

以下、ストーリーをばらします。
ネタバレあり!

短編小説であるが、ほぼ作者の周辺に起きた事実だと思われる。

大東亜戦争中、日本軍の軍属になった、インドネシア(当時はオランダ領東インドであるが、以下インドネシアとする)生まれのインドネシア・日本の混血人がいた。(父が日本人、母がインドネシア人)
戦争中にインドネシア人の女と結婚する。
戦争が終わって、インドネシアに残ろうとするが、英軍に抑留され、日本に送還(といっても、日本に住んだことなどない、日本語も不自由な男である。)される。
同行の妻は、送還船(復員船)の中で、流産し、以後こどもができない。
日本にいっても、夫は日本社会に帰属できるわけはない。やむなくオランダの会社の仕事をしている。

そんななかで、偶然東京で会ったのが、インドネシア軍政時代に知り合ったひとりのインドネシア人(作者、モフタル・ルビスであるとおもわれる)だ。
彼(つまり、作者であるモフタル・ルビス)は、軍政時代、宣伝部の仕事をしていた。
東京にいたのは、朝鮮戦争取材のための報道員として、ここ東京に立寄ったためである。
日本軍占領時代は、軍属として日本側にいた混血児も、いまや敗戦国の人間である。
一方、作者の分身である報道員は、欧米のジャーナリストとともに、日本人立ち入り禁止の外国人専用クラブに出入りできる身分である(以下、主人公とする)。

主人公は、日本人として日本に暮らす男から、夫婦関係の悩みを聞かされる。
日本に来て以来、夫婦の関係は冷えきっていて、妻は外を遊び歩く毎日である。なんとか、妻を説得し、元の夫婦にもどれないものか、という悩みである。
いやいやながら、主人公は、友人の妻に会う。

「きみが結婚したのだって、相手が日本人とわかってのことだろう?」
「日本が勝つとおもっていたのよ。」
「インドネシアに帰れば?」
「彼は、わたしと別れるつもりはないし、(敗戦国で占領中だから)彼は日本を離れられないのよ。」

妻は、夫の友人である主人公も誘惑するが、主人公は誘惑をしりぞける。
その後、妻は、表面上は夫とのよりを戻したようで、夫婦からお礼の手紙が届く。

というストーリーです(こまかいニュアンスは伝えられないが)。
女の人がこの小説を読むとどう感じるかな?
やな感じと思うか?

長谷川英紀,「ジャパン・アズ・オタック・No.1」,1995

2006-06-14 23:10:49 | 20世紀;日本からの人々
『思想の科学』1995年11月号 特集 アジア像の現在形 所収。

著者に関しては、まったく知らない。1965年生まれらしいが、どういう人なんだろう?
内容は、全文引用したいぐらい、鋭い指摘をすばらしい文章でつづったものである。

アジア大好き人間の、ステレオ・タイプなアジア観と、「アジア側」の日本オタクの平行現象を論じたもので、1995年の文章ながら、まるでインターネット時代を予測したような内容である。

著者のあげる文切型を引用する。
「アジアはカオスだ。夢・希望・興奮・貧困・腐敗・絶望……すべてがそこにある」
「アジア人としての自分に気づく」
「少年たちのつぶらな黒い瞳がキラキラと輝いて」
「初めてなのに、なぜか懐かしい」
「まるで水墨画の世界が」
「母なるガンジス川には、生・死・生活……」
「どこまでも続く田舎の田園風景に、いつしか私の心は、遠い幼いころの」
「悠久のインドに集う若者は何を求めて」
「南大門市場はキムチパワーでみなぎっている」
「近くて遠い国、北朝鮮」

ははは、こういうせりふ(というかキャッチ・コピー)を20歳前後のワカモノが言っていたんですよ。さらに引用する。

「古き良き日本の原風景に出会」ったり、
「バリの男の子は魂がきれいで、日本人のなくした純粋さを持ってい」たり
天安門広場では、今風のOLも「ふと、たたずんでしまう」し
板門店では、卒業旅行の女子大生も「自分たちと立たされている場のちがいを、ただただ再認識してしまう」し
ホーチミンに行けば「あのアメリカをやぶったベトナム人にたくましさや、ねばりを感じ」てしまう。
まだまだあるぞ。
アジア人はたいてい「くったくのない笑いを返す」し、
女たちは、例外なく「恥ずかしそうに顔をかくす」し、
子どもは「人なつっこく、自分のあとをついてくる」し、
「村の長老はだまってあたたかく、私をむかえて、くれる」し、
マーケットでは、「怒号と喧騒が飛びかい、中でもおばさんたちがいちばん元気」だし、
海の男は「まっ黒に日焼けしていて、やけに歯の白さだけがまぶしく見え」るし、
民主化を求める学生は必ず「『彼らの死をムダにはしない』と言ったあと私の手を強く握りかえしてくれる」し、
そのあとで、「その日がきたらまた会いましょう再見」なんていうしね。
いつまでたっても「味の素は日本の経済進出の先兵」だし、
元慰安婦だったハルモニの話をきけば「いき場のない怒りに胸がふるえ、日本人であることを恥ずかしく」どんなオタクでも思って_。

ははは、いまでも以上の文をくくって検索すると、たくさんヒットしますね。
著者は、これらの文切型、詠嘆調のせりふに対して、

純粋や無垢性やキラキラした目や、熱いハートを感じるのは、きっと彼らに、複雑な内面を持っていいない=単純=賢くないと感じてることの著われだろうし、アジア各地の複雑な諸問題(戦争・戦後責任も含めて)を知るとき、「ガク然とさせられる」のは、きっと自分が他人より進歩的でありたいだからだろうし、「いつまでもこの農村風景でいてくれ」と願うのは、私たちニッポン人は、パソ通だ、コードレスだ、ファミコンだと機械情報消費先進国だけど、そっちはせめて、古き良きアジアの田舎っぺーの後進国のままでいてくれ、という自分勝手なわがままの押しつけだし……。

オタク世代が、もし、ほんとうに教科書問題の例のように「歴史観が欠如」しているなら、それをあえて逆手にとってまっさらな感性のままに自由に表現をしてくれたらいいのに。
と著者はいっている。
世代があたらしくなったのに、前の世代のパターンを律儀にひきついでいる。
引用する。

かっての右翼志向派がPKOとかUNTACとか右派系NGOで、剣道とかカラテをラオスなんかで教えるオタクになり、左派志向の人は、「草の根NGO」で、原地に井戸を掘ったりする。大陸商人・浪人志向の人は、ちょっとヤバイ系のブローカーして国際ビジネスマンを気取ったりと、少し路線がソフトになっただけで、オタク世代に右も左もないとはいいながらも、前世代の思考回路をきれいに踏襲している。

一方で、アジア各地には、日本のマンガ、アニメ、ゲーム、ロリコンものなど、オタク文化が根をおろしている。著者は、
「きっとこれからはニッポンのオタク世代を中心に発信される千のアジアオタク文化圏が形成され、その一方で薄っぺらな、たったひとつしかないニッポン人・アジア人のお互いのステレオタイプなイメージだけが残るのである。」
とまとめている。

やれやれ、この文章は、オウム真理教の事件や爆発的オタクカルチャーの進出以前に書かれた文章であるが、現在のインターネット世界を予見しているではありませんか!(パソ通というのが、当時、最高にススンダ情報伝達だったんだね。)

他人を笑ってはいられない。
わたしも、こんな、薄っぺらなイメージにおちこまないようにきをつけなくちゃ。