東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

アンリ・ムオ,『インドシナ王国遍歴記』,中公文庫,2002

2008-11-28 22:56:33 | 翻訳史料をよむ
中公文庫BIBLIOのシリーズであるが、親本は
大岩誠,『シャム、カムボヂァ、ラオス諸王国遍歴記』,1942,改造社

例によって、差別語を変更するなどの編集が加えられている。どうせなら、注をちゃんと現代の事情に合わせて、地名も現在の地名を注記してほしかった。(ハイデラバードがシンド州の州都だなんていつの話だ?)

原書は著者の死後、1868年に編集されたもの。"Tour du Monde"誌発表の旅行記を編集。
著者がバンコクに到着したのが(さすがバンコク発見とは書いてないな、)1958年、ルアンプラバーンで死亡したのが1861年、この時期東洋を旅行した西洋人の記録は膨大だが、たまたまアンコール・ワットを再発見したので、この訳本も蘇ったわけだ。

といってもアンコールに関する記載はごく一部だる。著者本人も(それに1940年代の訳者も)アンコールを特別に強調しているわけではない。
それよりも、フランスのインドシナ進出、シャム王国の体制、カンボジア王国の事情、さらにラオスとかいう奥地の事情に興味があったようだ。

ただし、現在の読者として、シャムの事情などは、引用や又聞きが多く、ワンパターンでつまらない。
メコン川流域の探検というか訪問こそは本書の重点。(そして、1942年当時の関心であったろう。)
ただ、やっぱり残念ながら、著者の観察が正しいのか、たんなる偏見か、単純な間違いか、よくわからん部分が多い。だから、旧訳ではなく、新訳がほしいのだが、今さら翻訳する人はいないだろうな。挿絵の作者も不明だし、ほんとに実物を見て書いたのかも不明。

博物学の知識もあったようだが、動植物の記載や未開人の描写はワンパターン。おもしろくない偏見だ。

むしろ読みどころは、列強の進出と各地の対応、王国の内部の住民や移民、交通事情のほうだろう。
そういう意味で副題「アンコール・ワット発見」という興味で読んでもつまらないだろう。岩本千綱「シャム・ラオス・安南 三国探検実記」の視線に近いかも。(といいつつ、この本も現在手元にないので記憶で書いてしまう。こういうものこそ復刊してもらいたいよ、中公文庫。)

古川久雄,『植民地支配と環境破壊』,弘文堂,2001

2008-11-23 22:52:21 | フィールド・ワーカーたちの物語
この著者がこんな本を執筆するとは、意外である。
意外、といっても著者の主張が意外なのではない。古川久雄らしい主張である。

意外というのは、文献を大量に引用し歴史的文脈で植民地支配を論じ、植民地支配と環境破壊は同根であると強く主張していること、平和憲法の精神を世界に広めることこそ求められ、平和憲法をなし崩しにするのは国益を損ねると主張していること、そういった議論のすすめかたである。

いうまでもなく、著者は、世界中を自分の足で歩き、自分の目で環境破壊の現場を見ている人間である。
本書では、ニューカレドニア、ブラジルなど(東南アジア研究者としては)意外な地域の環境破壊が克明に語られている。
その悲惨な現状をみて、その歴史的来歴をたどり、さらに現在の植民地支配である世界銀行・IMF・金融戦略を断罪する。
1992年のリオデジャネイロ地球サミットの虚妄をあばき、〈持続可能な開発〉などというお題目を批判する。リオデジャネイロ・サミットの事務局長モーリス・ストロングという人物は、かつて1992年の地球サミットで、アメリカのベトナムでの枯葉剤作戦を隠蔽するために、日本やノルウェーの捕鯨をスケープゴートにする策略をあみだした人物であるそうだ。

〈1997年の金融危機は、生産物や農園などモノを一切媒介することなく、アガリだけをかっさらう金融商品という新たな武器の威力を試す実験だった。核兵器に等しい暴力である。〉
あの1997年の金融危機は、インドネシアに対し国家が解体するほどの打撃を与えた。(ほんとに、インドネシアの通貨はどこまで下落するんでしょうね。そのうちベトナムやミャンマーの通貨みたいに、外の国の通貨と交換不能になるのか?)
その打撃が、弱い方へ弱い方へと波及し、現在インドネシアの感潮帯と泥炭湿地は耐えられない破壊が進行している。著者はこの地域の研究者として、環境の保全と回復に取り組みたいと決心している。

著者のすすむ道については、まあ、わたしのような者が期待しようが、無視しようが、どうでもいい。
それよりも、株が暴落しただの、銀行がツブれただのと、あたふたしている連中よ、どうってことないではないか。日本が不景気だなんだかんだといっても、飲み水がないとか、凍え死にすとかの話じゃないでしょうが。
今までさんざん荒らしまわっていた銀行や投機会社がツブれそうで、ありがたいことじゃないか。

机上の空論と笑う向きもあるだろうが、これくらいの理想を熱く語る学者がいるのは気持ちいい。
毎日毎日、銀行や証券会社の飼い犬のように経済予想をしている学者モドキではなく、この古川久雄みたいに、プランテーションの私兵に拘束されたり、湿度100%の湿地林で何日も調査するような、修羅場をくぐりぬけた人がバーンと言ってやらねば。

高木暢夫,『自分流儀の海外旅行術』,日本放送出版協会,2002

2008-11-21 22:45:52 | 旅行記100冊レヴュー(予定)
この本は書名で損をしている。〈自分流儀〉なんてのは、いかにも既成品の宣伝文句ではありませんか。
書名はともかく、内容はよい。

著者はツアー・コンダクターなど旅行業界の経験が長い方。
団体旅行のさまざまな災厄やトラブル、それに対する対処方を書いている。といってもハウツー式ではなく、著者の経験したエピソードが主体、こういう書き方のほうが、ずらずら書きつらねるより親切であり、入門的である。

で、この中のおそろしいエピソード、厄介な人物の描写もおもしろいが、それ以上に、なぜ、こんな形態の旅行が続いてきたのか、今も残っているのか、よくわかる。

団体バスで、カラオケ大会の準備をしてくる客。フリー・タイムも団体行動をして仕切りたがる人間。

ホテルでの荷物の誤配。自分で持っていけば速いし確実なのに、やらないのはなぜか?
旅行社にしてみれば、そのポーター料はホテルへの支払いに含まれている既得権なのだ。お客にとっても旅行社に対する同等の権利なのだ。「何や、えらいぞんざいな旅行社やんけ、客に運ばせるとは初めて聞いたわ。ええけんど、その分後で引いてや。」などとのたまううるさどころが必ずいるのである。

(ルイ・ヴィトンが)王侯、上流階層相手の老舗などというのは高級感をイメージさせるメディア戦略なので、一年に一度旧正月に放し飼いのにわとりをしめて一家で食べるのが最大のごちそうという、フランス人から見れば極貧家庭の娘が広州に働きに出て夜の商売で貯めた金で買うのであっても一向にかまわない。そういう娘たちもいずれヴィトンにはまる。

(高級といわれるレストランでの)日本人団体の性向への適応条件とは、まず、料理供給のスピードが速いこと、皿から皿への間隔は10分が限界である。第二には飲み物の集金が手際良く慣れていること、ドルや円の換算がわからずもたつくウェイターでは集金だけで相当の時間を費やしてしまう。第三はトイレ。トイレが男女一つずつでしまも水の回転もよくないと、女性トイレは行列ができ、時間が切迫するとパニック化する。
 合格点を取るようなレストランとは、そもそもシェフの腕や食材の良し悪しとは全く別の基準で秤にかけられているわけだし、仮に腕がいいシェフがいたとしてもこんな条件下ではとてもまとまな仕事はできまい。


著者の指摘を、イヤミだ、団体ツアーを見下している、プロらしくない、と敬遠する読者もいるかもしれない。

しかし、昨今の海外旅行客の減少というのは、上記のような事態を続けてきたのが大きな原因ではないでしょうか。
〈一生に一度〉〈みんなが行くから一度ぐらい行かないと恥ずかしい〉という理由で海外へでかける消費者が減っていくのは当然である。
会社や世間の中で一番付き合いたくない種類の人間といっしょになり、睡眠時間もとれず、くたくたに疲れるのだから。

過去に団体型ツアーが主体だったのは、航空券の手配やツアー代金を安くあげる、という理由が大きかったのだろうが、それが続いたのは、団体行動が好きだ、という消費者をターゲットにしてきた旅行会社の方針も大きいと思う。
旅行会社は、団体行動が好きだという、特殊な性癖の人間をマジョリティーとして捉えていたのである。企業が取引先のおっさんおばさんを招待する旅行、代理店で成績優秀な者に褒美としてあたえる海外旅行、善男善女の宗教団体のツアーだったら、それでよかったのでしょうが。

ただ、解決策があるかどうかというと、見込みが薄いだろう。
70年代、80年代に比べ、個人で航空券やホテルを予約するのが格段に容易になったし、現地でインターネットや携帯電話も使えるようになった。
そうなると、団体ツアーに参加する人間は、さらに品格の落ちる人間、もっと無知で犯罪や事故に遭いそうな人間、気候や習慣の変化に適応できない人間ばかり集まることになるだろう。
そうなると、普通の常識的な人は、わざわざ自分の金と時間を使って、ツアーに参加するなんて考えませんよね。

今枝由郎,『ブータンに魅せられて』,岩波新書,2008

2008-11-15 23:47:24 | フィールド・ワーカーたちの物語
前項とはうってかわって、〈国民総幸福〉なるものを提唱する著者のブータン案内。

この著者の本はすでにわたしのブログで
『ブータン仏教から見た日本仏教 』,NHKブックス,2005
を紹介済。

ブータンの仏教、著者とブータンの出会いについてはあちらのほうが詳しいが、本書はあるゆる話題をもりこんだ総合ブータン案内。
著者に関しては、もうブータンの第一人者であり、信頼する以外ない。
というか、よっぽどしっかりした研究者がじっくり滞在して研究する以外に、著者を凌駕する視点は生まれないだろう。

だからといって、著者の見方を全面的に認めるわけではない。
〈人口60万、人口60万、ジンコウロクジュウマン〉と呪文を唱えながら読みすすむ。
なんと、正確な人口が把握されたのは2005年になってから。それまで、2倍以上の数字が国際的統計で使われていたというんだから。

60万ですよ。日本でこの程度の都市、あるいは自治体に住んでいる人は多いでしょう。その自治体の長、偉い人、大金持ち、そんな者がどんな人間か、と考えれば、ブータンに人材がなくともふしぎはない。(第四代国王は例外的に聡明な方であったようだが)
人口過密、資源不足で悩んでいる国家とはまったく異なるのである。
この総人口の少なさ、人口密度の薄さ、大国の干渉を遮っていた自然環境、どれもこれも他の地域の参考になるものではない。

そうした環境基盤の上での〈幸福大国〉である、ということだ。

と、ケチをつけるようだが、すごい話、おもしろい話がいっぱい。
とにかく読んでみよう。
詳しい内容はこれから読む方のために触れない。

ただ……
こうした桃源郷タイプのくにに憧れる方、あなたはコーヒーもアイスクリームもビールもない世界に生きられますか。
こういう問いかけがあまりに物質的すぎて嫌味ならば、あなたは、書物のない世界、小説も随筆も旅行記も学術論文もマンガもない世界で生きられますか。

著者が10年も滞在したのは、仏教研究のほか、国立図書館新設に関わったためである。
もちろん、国立図書館といっても東京やパリのものとはまったく違う。
なにしろ、(本書中のすごいエピソードの一つだが、)アップル社がゾンカ語(ブータンの国語)システムを開発したのは著者の依頼によるものなのだ!!
つまり、活版印刷も謄写版もない、手動タイプライターと文字通りのカット&ペースト(本物の糊と鋏で)の世界からいっきにコンピューターシステムへ!もちろんフォントも開発した。

こういう社会であるから、当然、書物とか読書という習慣はない。いや、習慣がない、というより概念がない。(このへん、経典についての詳しい逸話を読むように)

こんな社会は、わたしは耐えられないな。
まあ、生まれたときからそうなら、それで満足でしょうが。
ただしこれから先どうなるんでしょうか。
外の世界を知った若者たちが耐えられるだろうか。

いうまでもないが、ジャーナリズムや教育や書物出版はあったほうがいいが、市場経済や外来の娯楽文化は拒むというのは、無理なのだよ。

冨田昌宏,『お札の博物館』,双葉社,1999

2008-11-13 18:36:09 | 基礎知識とバックグラウンド
前項と同じ著者による、前項と同じような雑学本。
だたし、内容に重複はほとんどない。たとえば……

1979年からアフガニスタンに派遣されたソ連軍兵士が使用した〈VPTチェック〉。

ベトナムに派遣されたタイ軍、韓国軍が米軍施設で使用したクーポンはグアムの米海軍印刷所で印刷された。

グリーンランドは長くデンマークの殖民地であったが(つまり、領土ではない。現在は自治政府)、その時代にグリーンランド発行の紙幣があった。

ボルネオ島のサバでもサラワクでも独自の紙幣が発行されていたが、この紙幣は漢字とアラビア文字が並存した珍しい例(英語が主である)。全世界的に漢字が使用される紙幣は減ってきており、日本と中国、中華民国とシンガポールぐらいになった。

などなど、貨幣単位の十進法化の話、独自の通貨を持たない国家、紙幣製造ビジネス、偽札防止技術、紙幣の肖像画や動物、雑多な話題がてんこもり。

しかし、前著と本書を読んで、やっぱりなにか体系的な本、地域を限定したもの(たとえば旧大英帝国とか旧ソ連とか)が欲しい。
トリビア知識がいっぱいで楽しいのだが。

冨田昌宏,『紙幣の博物誌』,ちくま新書,1996

2008-11-12 20:15:08 | 基礎知識とバックグラウンド
信じてもれないだろうが、つい1か月ほど前まで、USAドルの新札が1996年以来発行されているという事実をしらなかった……!
さらに、香港では三種類の通貨が発行され流通しているということを知らなかった……!

というわけで本書、経済学でいう貨幣ではなく、具体的なお札・紙幣に関する雑学的な本である。

著者は外務省で各国領事館勤務を勤めた方、本書は紙幣に関するあらゆる話題をもりこんだ雑学本。
あらゆる話題、というのは、紙幣の材質、印刷、デザイン、肖像、使用される言語、額面、通貨の単位などなど。

こうしてみると、日本の紙幣はダントツに精巧で重厚なデザインである。
USAドルのスカスカのデザインは例外的であるが、他の世界の紙幣と比べて異様に精巧。香港のオモチャのような札を見た目には美術品のような重厚な感じがする。

日本の紙幣に印刷される肖像は現在、福沢諭吉・樋口一葉・野口英世(それに2000円札は紫式部だったな)というニュートラルな文化人・学者であるが、これも世界中からみると異例である。

世界の大部分では、独立の英雄、元首、伝説上の人物が多いのである。(まあ、以前の聖徳太子というのも伝説上の人物みたいなもんでしょうが、GHQにより許可された、紙幣に印刷できる人物だったんだそうだ。)
ただ、明治以来、元首(天皇)を紙幣に印刷しない、というのも変わった方針であったのだ。現役の元首を札に印刷している国はたくさんある。(死亡したら、紙幣デザインを替えるのであろうか?)

また、紙幣に使用される言語。
インドの紙幣が13個の言語を使用している、という逸話は有名だが、複数言語を使用した紙幣はけっして例外的ではない。
シンガポールも香港も複数の言語を使用している。(マレーシアがマレーシア語のみ!)
漢字を使用する紙幣は、いまや日本・中華人民共和国・中華民国、それに香港とシンガポールのみになった、そうだ。

以上、雑学的な知識いっぱいで楽しいが、ある地域の紙幣についての網羅的あるいは専門的な情報はない。
旧ソ連の各地域の紙幣にいかなりのページが費やされている以外は断片的な記述。
「東南アジアの紙幣」「東アジアの紙幣」というような本が欲しい。

それにしても、切手やコインを収集するマニアは多いのに、紙幣を収集するマニアはいないのか?
紙幣を集めたら、それは趣味ではなく、単なる〈貯金〉になってしまうから?
しかし、本書を読むと、各国の威信をかけて印刷した紙幣は美術品のような価値があるように思える。さらに、本書に書かれているように、インフレで紙幣価値が暴落したら、ほぼタダで入手できる場合があり、そういう紙幣ほど後々希少価値が生まれると思うのだが。(カンボジアの紙幣なんか、お土産として売られているし、日本の軍票もお土産だ。)

そんなわけで、外国に旅行したら、そこの紙幣をじっくり味わいましょう。

中牧弘允,『カレンダーから世界をみる』,白水社,2008

2008-11-11 19:05:33 | 基礎知識とバックグラウンド
前項とちょっと関連して、本書の中にオランダのピザ・レストランが宣伝につくったカレンダーが紹介されている。
それには三種類の祝日が載っている。キリスト教と国家的祝日・ヒンドゥーの祝日・イスラームの祝日である。さすが多民族共存の国。しかし……なぜか12月6日の「セント・ニコラスの日」が載っていない。
「セント・ニコラスの日」というのは、サンタクロースの原型となった祝日で、オランダでも定着しているのだが。まさか、セント・ニコラスが現在のトルコ共和国の生まれで、トルコ人を敬遠するためではないでしょうが……。

という具合にカレンダーに関する雑多な話題をもりこんだ、このテーマの入門に最適な一冊である。

カレンダー関連の本はたくさんあって、アジア関連だけでも本書の読書ガイドでも紹介されている

岡田芳朗,『アジアの暦』,大修館書店,2002
『「こよみ」と「くらし」』,アジア経済研究所,1987

などあるが、最初の一冊として本書が最適でしょう。
グレゴリア暦からはじめて、太陰暦太陽暦、世界各地の宗教と国家の祝日、一年の始まり、七曜や五曜などのサイクル、年号や紀元、干支、二十四季節、などなど豊富。(なお、天文学的な話は最小限だけ)

著者は宗教人類学とブラジル研究を専門とする方で、本書も〈伝統的・正統的〉な祝日や行事ばかりでなく、移民の祝日、近代国家のでっちあげた起源や伝説、多民族社会の行事など、いろいろな視点から紹介している。
有名なバリ島のなんでもかんでも載せたカレンダーも紹介されている。(もっとも、あのバリ暦というのはそうとうややこしいらしく、専門論文をちらっと見たことがあるが、ややこしくてわたしには読解不能だった。)

二十四季節に「梅雨」がない。あれは黄河流域の季節を反映したもの、という指摘もある。
そうだそうだ、暦というのは文明を越えて伝播するものだが、伝えられた土地の気候や慣習とくいちがっている。
暦のサイクルと現実の生活がかみ合わなかったり、強引に合わせる例は、日本ばかりでなく、イスラームのヒジュラ暦やインドの暦を取り入れた東南アジアでもいくらでもある。
そういう文明の伝播を考えるヒントにもなりますよ。

著者は、最近の〈旧暦でスローライフ〉といったブームも鷹揚に認めている。
わたしは、こんなキモチ悪いスローガンは大嫌いなんだが(それに大安とか仏滅とかのインチキも反吐が出る)、カレンダーに関するあらゆる人間模様を観察するヒントとしておすすめ。

長坂寿久,『オランダを知るための60章』,明石書店,2007

2008-11-10 20:02:09 | コスモポリス
明石書店の「エリアスタディーズ」シリーズ、このシリーズは水準が高いが本書もいい。アジア方面だと類書もあるが、オランダあたりになると基本的知識を紹介したものが少ないので貴重。

内容は干拓・治水といった自然環境とそれから生まれた民主主義、寛容な社会、異文化共存を論じていく。
とくに歴史関係にページが割かれていて、これ一冊でオランダの歴史は一通り概観できる。

ブルゴーニュ公国とハプスブルク家、宗教改革、ミュンスター条約による国家の形成(その後にウェストファリア条約が締結されたのだ)、VOC、ブリテンとの競合(なんてたってイングランドを征服したのはオランダだけですからね、俗にいう「名誉革命」です)、アジア貿易、などなど。

わたしのブログではオランダ人というはたいてい悪者で、ケチで強欲なやつらであるが、本書を読むとオランダ人も苦労しているなあ、と同情したくなる。

暗く湿った土地、大国に囲まれた地勢、狭い土地で他人に干渉せずちまちまと生きる生活の知恵、麻薬から売春まで寛容と黙認を是とする政策、気の毒になる。(もちろん本書の著者は、民主主義の伝統、多民族共存の社会の明の部分ばかりでなく、東インド統治、南アフリカのアパルトヘイト、移民との軋轢などの項目も忘れていない。)

ただ、わたしが感じるのは、こういう理性的で寛容とコンセンサスを重んじる社会も窮屈なもので、グリーンピースに代表される価値観の押し付けなど、オランダ社会の窮屈さを外で発散しているんではないか、と思ってしまう。
一方で、本書に描かかれるような他人に干渉しない社会、寛容な社会というのも羨ましいというか、都市的な生活が定着しているんだなあ、と感じる。
その都市的な生活が過去の暗黒の歴史の上に築かれたもので、その過去の蓄積がないアジアの都市が100年たってもオランダのようにはなれない、ならないというのはわかる。
どっちがいいとか悪いとか判断しても無意味だが、こういう世界もあるのだなあ。

この「○○を知るための××章」は複数の著者によるものが多いが、本書は単独著作。著者は拓殖大学の教授だそうで、明石書店で出版する本を書く人もいるのだなあ。大学の所属と著者の主張は、本来関係ないから、当然であろうが。