東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

篠田謙一,『日本人になった祖先たち DNAから解明するその多元的構造』,NHKブックス,2007

2010-01-24 19:11:54 | 自然・生態・風土
ひじょうに明晰で親切な一冊。DNAと日本人という怪しげな言葉を組み合わせた書名が最大の欠点であるが、一般読者向けに書かれたこの種のテーマとしておすすめ。

p-101

 ですから、日本人の由来を考えるとき、今日本に存在するすべてのハプログループの系統を個別に調べていけば、その総体が日本人の起源、ということになります。こう書くと、それぞれのハプログループの歴史がわかっても、そもそも自分自身の持っているハプログループがわからないと、自分の由来はハッキリしないのではないか、と感じられる方もおられるかもしれません。しかし、それは誤解なのです。最初に説明したように母から子供にわたされるミトコンドリアDNAと、父から息子に受け継がれるY染色体の遺伝子を除く大部分のDNAは両親から受け継いでいます。たとえば私の父のミトコンドリアDNAのハプログループはAですが、(これもかつて調べてみました)、これは私に伝わっていません。しかしハプログループAのたどった道も私の由来の一部のはずです。ミトコンドリアDNAのハプログループを婚姻の条件にする人はいないでしょうから、基本的に祖先における婚姻は、ハプログループに関してはランダムに行われていると考えられます。ですから、実際には不可能ですが、仮に自分の祖先を数百人選び出して、それぞれのハプログループを調べて頻度を計算すれば、今の日本人集団が持つハプログループの割合に近いものになると思います。自分自身を構成するDNAは他の日本人とおなじような経路をたどって、自分のなかに結実しているのです。

わかりましたね。
頻度の問題なんですよ。

そして、ミトコンドリアDNAのタイプ、上の引用文中のハプログループは、頻度を比較する指標にすぎないから、たまたま同じハプログループを持っている2人の人間がいたとして、他の人間より血縁や祖先が近いということにはならないのですよ。

同じことはY染色体のタイプでもいえることであって、父親が同じなら同じタイプであるが、あかの他人とたまたま同じタイプであっても、とりわけ血縁が近いということにはならない。

しかし、ミトコンドリアDNAのタイプの違いが、婚姻と無関係というのはほんとうか?いいかえると、性淘汰と無関係なのか?あるいは、自然淘汰と無関係なのか?

ミトコンドリアDNAのハプログループによって系統を調べる方法は、ハプログループが異なっていても自然淘汰、性淘汰のどちらにも無関係であるという前提をもっている。
もし、特定のタイプが生存や生殖に有利なら、そのタイプが広まってしまい、系統を反映する指標にはならないからだ。
しかし、無関係ともいえないことがあるようだ。

p-119

ミトコンドリアは細胞のなかのエネルギー産生装置で、体内で使われるエネルギーのもとになるATP(アデノシン三リン酸)という物質を作っています。ところが、私たちが摂取した食物の持っているエネルギーのうちATPに変換されるのはおおよそ四十%程度で、残りはミトコンドリアのなかで熱に換えられます。つまりミトコンドリアはエネルギーを作るとともに熱も作っているのです。そしてどうもこの変換の比率がハプログループによって異なっているようなのです。北方に進出したハプログループは、熱に変換する割合が大きく、一方南のグループは熱を作る能力が低いので、結果的にこらが両者の分布域の違いになって表われていると考えているのです。

ということもあるのだ。

わたしは、DNAによる系統研究は、まったく生存や生殖に無関係、つまりタンパク質生成に関与しない無意味な鎖の部分で調べるのだと思っていた。しかしミトコンドリアDNA解析の場合、DNA全体を使うのだそうだ。(という基本的なことも、しっかりわかりやすく説明されています)
ミトコンドリアDNAの場合、D-ループと名づけられた無意味部分はひじょうに短く、ほとんどが意味ある遺伝情報を持つ部分=エクソンである。(核のDNAではエクソン部分はわずか1.5%である)

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かんじんの中身であるが、日本列島の部分はあんまりおもしろくなかった。
そうか!とひざを打ったのは、

1、アメリカ大陸での移動・拡散の系統は、現在、各説が混戦中。
  とくに、海洋移動説が真剣に論議されている。

2.インド亜大陸は、ユーラシア西タイプの東限であり、東タイプの西限。つまり、東西の分かれ目。わたしには、気候の分かれ目と対応するように見える。

3.サヘル人(オーストラリア先住民とニューギニア高地人)に関しては、アフリカからユーラシア南岸を通って、インドネシアの島伝いに移動したという経路がほぼ確実である。ただし、彼らの移動の道筋は現在海の底なので、考古学・人類学的証拠を見つけるのは困難である。

国立民族博物館の佐藤浩司さんのサイト

2010-01-20 22:02:01 | フィールド・ワーカーたちの物語
建築人類学者の眼
http://www.sumai.org/asia/sumba.htm

すばらしく凝ったサイト。
大部分未完成のようですが、写真、図面、動画、フィールド調査のようす、などなどもりだくさんの内容である。

南洋とか東南アジアなどと大雑把な見方をせず、本気でオーストロ・アジア諸語の民族の住居を知るために必見のサイト。ぼんやり見るだけでも楽しいサイトで、リンクもたくさん貼ってある。

これを見たら、弥生時代建造物のルーツは南方、などと軽々しく言えなくなるでしょう。

見ればわかるけれども、注意点を二、三。

まず、あたりまえだけれども、サイトで紹介されるのは現在の姿です。

佐藤浩司さんは東南アジア全域ばかりか、東アジアにも詳しいようですが、得意のフィールドは、東インドネシア方面であるようだ。つまり水稲稲作地域ではない。

高谷好一の生態区分によれば、この地域は、水稲稲作地域でもないし、陸稲稲作地域(陸稲卓越型焼畑)でもない。サゴヤシを含むイモ・雑穀栽培地域〈サゴ区〉、陸稲や雑穀もあるがイモが主要ななカロリー源である〈イモ・稲区〉である。

井上章一,『伊勢神宮 魅惑の日本建築』,講談社,2009

2010-01-19 21:30:35 | フィクション・ファンタジー
著者の本領を発揮した力作で書き下ろし。じっくり読んだ。じっくり読みすぎて、終わりのほうになったら最初のほうを忘れるくらいであったのだが……(『ライラの冒険』と平行して読んだし)

『伊勢神宮 魅惑の日本建築』というタイトルはウソである。井上章一さんが「魅惑の日本建築」などを語るわけがない。いつもどおりの学会の馴れ合いあばきであり、学説の虚構が生まれる過程を追及したもの。

こまかい話は省いて、最後の部分、考古学と建築学の共犯的な遺跡復元について。

本書を読む以前から、わたしは、ちゃーんと疑問を持っていたことがある。信じてくれ。
疑問を感じていたものの、きっと、なにか確固とした史料か専門的な裏づけがあって、学会や学術誌で発表されているんだろう……と思っていた。調べるのがめんどくさいし、日本の考古学の本はあんまり読む気もないし……。

わたしの疑問はなにかというと、弥生時代の遺跡で発掘された建造物遺構をもとに、その時代の建物が復元される事業、というかイヴェントがたくさんあるでしょう。その復元であるが、なぜ、壁や床や屋根があることがわかるのか?
柱のようなものが立っていたことは、その掘立の跡から推測できるかもしれない。しかし、屋根や床や壁のある建物であることや、ましてやその形や構造がどうしてわかるのか?

結論からいうと……(p471)

根拠なし!

なんだ、そうだったのか。はやく言ってくれよ。

本書はそれをはやく言わずに、18世紀から江戸時代末期、明治、20世紀前半、中期、後半と時代を追って、じっくりじっくり、しつこく検証していく。
著者独特のしつこい繰り返しを嫌う読者もいるだろうが、わたしはファンなのでこの文体が好きである。

本書の最後は、大阪府の和泉市・泉大津市にまたがる池上曾根遺跡(いけがみそねいせき)の復元について。

建築史の宮本長二郎(みやもと・ながじろう)、浅川滋男(あさかわ・しげお)が異なった復元案を立てる。
宮本長二郎は、伊勢神宮の社殿をおもわせる神明造(しんめいづくり)をヒントにした復元案。
一方、宮本案が工法上の難点があること、宮本が奈良文化財研究所から移転したことにより、後輩格の浅川が新しい案を出す。
浅川案は、インドネシアやオセアニアの住居建築をヒントに南方的な復元プランとした。
それに対し、奈良文化財研究所の金関恕(かなせき・ひろし)がイチャモンともいえるような異論を出したことなど、細かい経緯も述べられている。(ちっとも雲南風じゃないのに、浅川案を雲南の民家風などと言って……。オセアニアも雲南も南方とひとくくりするのかいな!?)

さらに、どんでん返しの話もあるのだが(笑った!)未読の方のために書かない。

ようするに、考古学者は遺跡復元を建築家の領分として責任のがれをする。そうしておきながら、建築家の自由な創作をいつのまにか、既成の事実にすりかえてしまう。

一方で、建築家は考古学や民族学の成果を参考にするものの、つまみぐい的な応用であって、学問的に根拠があるものではない。

本書は、伊勢神宮の神明造がどう捉えられてきたか、建築史学や民族学がどう論じてきたかを通観したものである。その中で、著者がかなり強い筆致で非難するのが建築学会のなれあいである。
しかし、わたしはむしろ考古学の方面のなれあいというか、事実無視というか、そっちのほうが気になる。

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どこの学問世界にも派閥や閉鎖的な要素がある。それはある程度しょうがない。しかし、日本国内の考古学はちょっとおかしいと思わざるをえないことが多すぎるのではないか。
この日本考古学トンデモの理由は、本書では論じられていないが、容易に見当がつく。ようするに、国や地方自治体のカネが大きく動くからだ。
地味に文献を跋渉したりフィールドを歩くよりも、穴を掘ってなんか宝物に当たれば、メディアも騒ぐし予算もつくのだ。さらに、テーマパークや学習館を建てるプランは、関連企業が大喜びするだろう。

こうした考古学学界・業界の暴走に対し、まじめな学者は、君子危うきに近よらず、のスタンスだと思う。
それゆえ、本書の著者・井上章一さんの蛮勇(?)には敬意を表すものである。

建築史家のなかでは例外的に、岡田精司(おかだ・せいじ)という方が、弥生の神殿説に異議をとなえているそうだ。

「神殿」論者たちは、これだけ大きなものは、「神殿」以外に考えられないと公言し、また若い研究者のうちからも同様の声があがっている。しかし、万葉にも記紀にも、明確に社殿(本殿)と思われる記述はない。だから、律令国家の神祇制がととのう以前に神社の社殿はありえない。

このように冷静に論じている。

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なお、本書全体の構成では、最終部分の遺跡復元の前に、第4章第5章で、戦前・戦後の海外調査と日本古代建築論の関係が論じられる。
つまり、本書の三分の一ほどは、東南アジアやオセアニアの民族調査と神社建築論の関係である。なので、鳥居龍蔵など海外、おっと「海外」ではあるが必ずしも「外国」ではないな、その海外調査などに興味がある方にはおすすめ。

あと、本書の中で論じられる人物のなかで鳥越憲三郎という人物がいるが、この人、まじめな学会からは完全に無視されているようですが、やはりトンデモ系なんでしょうか。あるいは、沖縄や「おもろそうし」関係の研究に、なにかヤバイところがあったのだろうか?自分で調べればよいのだが、どうも、よくわからん。