東南アジア・ヴァーチャル・トラヴェル

空想旅行、つまり、旅行記や探検記、フィールド・ワーカーの本、歴史本、その他いろいろの感想・紹介・書評です。

山下恒夫,『大黒屋光太夫』,岩波新書,2004

2010-05-12 19:05:38 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
『大黒屋光太夫史料集』全4巻の編纂など漂流史料一筋の著者による決定版。
全4巻もの史料におぼれることなく、あっさりと新書一冊にまとめてくれた。ありがたい。こういう伝記は、長くしようとすればはてしなく長くなるもので、著者にとってはライフ・ワークであっても、一般読者にとっては読む気がしないものになりがちである。

記述は論文調ではなく、小説に近いくらいの語り口である。1ページの記述に何日、何か月もの史料渉猟をして書かれたと思われる。

さらに読んでいて気持ちいいのは、著者があまり熱くなっていないこと。この種の伝記では、感動を強調されるとしらけてしまう。

読みどころはいろいろあるが、

江戸時代の家族、身分、流通制度の概略。たとえば、〈大黒屋光太夫〉というのは、本名ではなく、屋号のようなものなんですね。そのほか、婚姻、過去帳など、しろうとが間違いがちな史料を正しく読解してくれる。

江戸時代後期の造船技術、航海の実際。迫真にせまる漂流の描写。アリュート人、ロシア人との遭遇、越冬の記録など。

享保から寛永への幕府経済改革。蝦夷地開発の実態。『なまこの眼』で描かれたような日本列島からシベリア、カラフトの経済。ロシアの東方進出の実態。

『赤蝦夷風説書』にみられるような、幕府の外交対策。そしてロシアをはじめ各国の東アジア対策。ペテルブルグで、イギリスの情報収集活動があったなんて、当然といえば当然だが、こういう文脈で書かれるとおお!と思う。オランダ人も当然、ロシアにいる。

漂流民の語りと学者の記録のへだたり。光太郎ら漂流民の実感がほんとうに伝わっていたのか。あるいは、客観的な事実が記録されていたのか、という問題。あるいは、光太郎のホラ話的な部分もあるのじゃないか、という疑い。特にペテルブルグ滞在中の話など。

帰国後、光太郎は幕府に帰郷を禁じられ、幽閉状態のうちに死亡、というのが従来のみかた。
この帰国後の話も、著者の執念により、かなり修正されたようだ。けっこう自由な生活だったのだ。

橋本雅一,『世界史の中のマラリア』,藤原書店,1991

2009-08-30 19:38:31 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
タイトルどおり、古代から現代までマラリアにまつわる歴史。

熱帯病のイメージがあるマラリアであるが、フィンランドやアラスカでも流行する。全世界的な伝染病であり、人類は免疫獲得できず(細菌やウイルスではないから)、特効薬開発も難航した。

どこまで史料的に確認できるかどうか疑問だが、アレクサンドル大王、平清盛、ダンテ、クロムウェルなどもマラリアに罹患したと推測される。
近代日本では、北白川能久の台湾での客死が有名ですね。

戦争や開発についてまわる病気であり、アメリカ南北戦争、パナマ運河開発、第一次世界大戦、ロシア革命、などなど大流行し戦闘以上の人的損失をもたらす。第二次世界大戦については、もう枚挙に暇がないほどの凄惨な被害が続出する。

***********

さて、第二次世界大戦後、決定的な新薬としてクロロキンが開発される。
DDTの開発とともに、マラリア撲滅も夢ではない、と楽観的な予想がされた。

しかし、1957年、タイでクロロキン耐性の熱帯性マラリアが出現。「全能のクロロキン」神話くずれる。DDT耐性をもつ蚊も出現。

アメリカのベトナム介入が始まり、アメリカは人工合成薬ではない、むかしからの対マラリア薬、つまりキニーネを入手しなければならない。
その時点では、キニーネの最大供給元はインドネシアであった。
スカルノはナサコム体制を支柱に中ソに接近し、反米政策をかかげ、キニーネの対米輸出を拒否していた。
そのため、スカルノ体制を崩壊させる手段として、アメリカは1965年9月30日事件を画策し、スカルノを解任させる……?

あまりにも、うますぎる、おもしろすぎる話。確証できる資料はないようだ。
9.30事件、キニーネ輸出解禁、ベトナム本格介入、なんてストーリーがほんとにありうるのか……。小説のネタにはなりそうだが。

前嶋信次,「雲南の塩井と西南夷」,1931

2009-05-15 22:20:17 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
杉田英明 編,『〈華麗島〉台湾からの眺望 前嶋信次著作集3』,平凡社東洋文庫,2000 収録。
著者28歳、台湾時代の研究論文。

1941年満鉄東亜経済調査局にスカウトされる前は、本書に収録されているような、シナ文化、台湾関係の随筆・研究が多い。
満鉄東亜経済調査局時代(38歳から)にはいり、イスラム・アラブ関係が増える。そして、戦後になると(43歳以後)、大部分がイスラム・アラブ・中東それにアラビアン・ナイト関係の著作や研究になる。

本書に杉田英明による著作目録が載っているが、死去する1982年78歳まで、あるゆる媒体にイスラム・アラブ関係の著作を発表している。
『史学雑誌』『史学』『日本オリエント学会月報』などの学術誌の論文。
『世界歴史事典』『新潮世界文学事典』などの事典項目執筆。
世界探検紀行全集(河出書房)、世界ノンフィクション全集、世界文化地理大系その他、あらゆるシリーズの解説執筆。
文部省検定教科書、学習研究社など児童向けのシリーズ監修、こども向けの本の監修などなど。
一般の新聞・雑誌にも随筆を多数寄稿している。

つまり、イスラムとアラブと中東といえば、この人、という存在。
その間、慶応大学教授であり、アラビアンナイト原典完訳をめざしていたわけである。

まとまった一冊の著作は意外と少ないのですね。
『アラビア史』(修道社)、『玄奘三蔵 史実西遊記』(岩波新書)、『アラビアの医術』(中公新書)、『イスラム世界』(河出書房「世界の歴史8」)、『アラビアンナイトの世界』(講談社現代新書)、『東西文化交流の諸相』(4分冊で誠文堂新光社)、『イスラムの蔭に』(河出、「生活の世界歴史7」)、『イスラムの時代』(講談社「世界の歴史10)、『アラビア学への途 わが人生のシルクロード』(NHKブックス)ぐらい。
見たことないが『シルクロードの秘密国 ブハラ』(芙蓉書房)、『草原に輝く星』(NHKブックス・ジュニア)。
シリーズ物の一冊が多い。

それでこの「雲南の塩井と西南夷」であるが、完全に学術論文、漢文史料とヨーロッパの学者の研究からの文献研究。
雲南の塩田地帯をめぐる中国と吐蕃・南紹等の諸勢力の政治外交関係を辿り、塩井を担っていた〈モソ族〉に関する民族学的成果を紹介したもの。

といっても難しすぎる。通典(つてん)や唐書南蛮伝などが原文で(訓点付きだが)引用されていて読めない。
ようするに、吐蕃と唐の二大勢力の間にあり、塩田という資源があったことにより、双方に敵対したり服属したり、独立したり両属していたようだ。

と、ながながと書いてきたが、何をいいたいかというと、たぶんこんな論文は日本軍の参謀たちは知らなかっただろうな、ということ。
これを書いた前嶋信次本人もまさかこの地が日本軍対国民党軍の戦場になるとは予想しなかっただろう。
こういう一見浮世離れした研究も戦略や戦闘の際に参考になる場合もあるのだ。
だからこそ満鉄東亜経済調査局も彼をスカウトしたわけだろうが、ほとんど軍部には利用されなかっただろう。

本書には戦後に書かれたサツマイモの伝播に関する随筆、媽祖祭の思い出など軽い作品も収録。

あと、ちょっと前にこのブログで、wikipediaに鄭芝龍がクリスチャンだという記載があるが、根拠が不明だと書いた。本書収録の「鄭芝龍招安の事情について」(1964年発表の論文)によれば、10個の文献を挙げて疑う根拠のないものだ、としているので疑いのないものだろう。
この鄭芝龍に関することがらにしても、この論文は戦後の著作であるが、1940年代の戦場を知るのに有益な情報だったはず。

井上章一,『夢と魅惑の全体主義』,文春新書,2006

2009-01-09 19:00:34 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
次から次へと意表をつく著作を発表する方だ。
本書は、インターネット上に発表されたものを編集したものだが、著者はインターネットどころかパソコンも使わず、手書きの原稿を渡しているのだそうだ。

結論はシンプルだし、丹下建三を扱った章は前に読んでいるので、わかりやすかった。
つまり、ムッソリーニやヒトラー、スターリンとは違い、日本では〈ファシズム〉を表現するような建築は生まれなかった。
反対に、鉄材の使用規制により、バラック建築が丸の内に出現し、一方、皇居外苑は建築物のない広場として残された。
もし、ナチズムやスターリズムが造ろうとした建築を日本列島に捜せば、それは東京都庁や広島平和公園である。ここいらへんの語り口は、説得力あり。各自楽しまれたい。
さらに、蒋介石や毛沢東政権下でも継承されたものがある。

以下、勝手な付け足し。

本書を旅行ガイドとして見た場合、わたしにとって、縁遠い都市ばかりだ。
ロシアやドイツに行きたくないわけではないが、もし行けるとしてもサンクトペテルブルクやライン川・ドナウ川流域がまず第一目的地となるだろう。モスクワやベルリンは二の次である。
中国に関しても同様で、旧満洲や北京に長く滞在する気にはならない。

以上いずれも寒い所で、とても自分の金で行く気しないのである。寒い地方乾燥した地方に、〈全体主義的〉建築が建つというのは、なにか理由があるのではないか?
そういえば、ピョンヤンがこの種の建築の宝庫(あるいは、すでに遺跡?)であるな。南北統一後、ぜひ保存してほしいものである。

東南アジアでも〈全体主義的〉建造物は少なくないが、規模からいったら、まったく問題にならない。モニュメントや官邸、宗教建築も多いが、本書で解説しているような新古典主義にはならなかったようである。(ハノイやヴィエンチャンはどうだったんでしょう?)

杉山正明,『モンゴル帝国と長いその後』,講談社,2008

2008-12-30 18:52:55 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
あいかわらずの杉山節がさえる。
もう、この方にあっては、ブローデルの地中海は、ちまちました空間だし、漢族の正史はコンプレックスとルサンチマンのかたまりだし、ロシアはモンゴルによって文明化した未開の僻地。
マルコ・ポーロもイブン・バットゥータも形無し。
本書では、フレグ・ウルスはイスラーム王朝か?という点まですすむ。
当然ながら、ユーラシア東南沿岸や日本列島、あるいはデカン高原やベンガル・デルタなんぞは、周縁のちまちました辺境である。

この著者の本をはじめて読んだ時は、異端の説も大胆に書きなぐる少壮の学者という印象であったが、そんな傍系の学者ではない。学界の重鎮、高校教科書も執筆するし、岩波講座世界歴史の監修者であるし、本シリーズ「興亡の世界史」の編集委員でもある。
もはや、すすむところ敵なしのモンゴル軍のような勢いである。

年寄り世代の読者にとっては、まったく土地勘のない地域を多言語固有名詞を並べて縦横に描きまくるので、はなはだ理解しにくいかもしれない。
わたしも、何度も同じような内容を書く著者の本を読みつづけて、やっとなんとか頭にはいるようになった。

若い読者にとっては反対にかえってわかりやすいかも。
モンゴル帝国のその後の世界の構図を理解するには、最適の視点である。地名・人名も最初から〈現地音主義〉で覚えたら問題ないでしょうし。

以下、わたしのかってな感想、駄文。

著者はスケールの大きな空間というが、このユーラシアの草原地帯というのは、のっぺりしてイメージがつかみにくい。山も川もなく、どこからどこまでが、フレグ・ウルスやらチャガタイ・ウルスやら。
こうしてみると、モンゴル帝国が進入できなかった地域、阻まれた地域というのは、その後の人口稠密な地域、農業生産力が高く水と樹木が豊富な地域、細菌や寄生虫がうじゃうじゃしている地域、ごちゃごちゃ人が溢れ窮屈な礼節や身分差別がある地域ではないか。

こうした湿った地域、ごみごみした地域から見ると、モンゴルの草原というのは、さぞかし清涼で爽快な地域だろうな、と想像できる。
しかし、その後の世界に影響を与えるさまざまなもの、農産物加工品も学芸も工業技術も汚いごみごみした地域から生まれた。
こう言うと、モンゴル帝国ファンからは文句が出るだろうが、モンゴル帝国の支配できなかった地域こそは、次代の主役となる地域であった、といえないだろうか。

*****

鄭和の航海に関しては、著者の評価に賛成する。
つまり後世に残る史料があまりにも乏しく、航海を再構成できない。
数万の軍勢による航海など不可能である。

あのですね、2万も3万もの軍勢が、パレンバンやマラッカにやって来たら、飲み水がないのですよ。
ポリタンクで水を持って行くわけにはいかないのだから。

山田篤美,『黄金郷伝説』,中公新書,2008

2008-12-21 17:48:14 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
書名読み〈えるどらどでんせつ〉、副題「スペインとイギリスの探検帝国主義」

この著者(やまだ・あつみ)はどういう人物なのだ??
初めて読む著者であるが、ムガール美術の専門家である。女性である。
それが夫の赴任地であるベネズエラにいっしょに住み、ベネズエラの歴史に興味を持つ。そして、十年もたたないうちに、本書を書きあげるほどの研究をした、ということになる。
夫の赴任地について行くだけでも、近頃の女性としては珍しいのに、それまでの業績を中断し、新しい分野にいどむとは、なんという人なのだ?

内容はすばらしい。新書の見本だ。ひとつのトピックをつきつめ、周辺の要素もからめ、素人にわかりやすく説く。

室町幕府十代将軍足利義稙(よしたね、と読むそうだ)が統治するジパングをめざしたコロンブス(コロンと書きたいが、本書の表記に従う。ちなみに本書の固有名詞のカタカナ表記は適切で読みやすい。)、そのコロンブスがテラ・フィルメ、島ではなく大陸、に到着したのは第3回航海、現在のベネズエラ、パリア半島である。

以後、この地は、大物が跋扈する。
アメリゴ・ヴェスプッチ、アギーレ、ハクルート、ウォルター・ローリー、ダニエル・デフォー、シモン・ボリバル、アレキサンダー・フンボルト、ディズレーリ内閣、ソールズベリー、コナン・ドイル、まあここいらへんは知っている。

以上のような大物をベネズエラ、カロニ川流域、ロライマ山、バリマ川源流域、グアヤナ楯状地、という地域を中心に並べかえると、本書が成立する。
もちろん、大物の陰に隠れた人物も多数いたわけで(わたしが知らなかっただけですが)、

ヒメネス・デ・ケサーダ
アントニオ・デ・ベリオ
ロバート・H・ションバーク
チャールズ・バーリントン・ブラウン
グスマン・ブランコ大統領

といった人物にページが割かれる。
ガルシア=マルケスの小説も当然採りあげられるし、エリック・ウィリアムズも進化論もラン(蘭の花)・ハンターも登場する。
イギリスによるトランスヴァール地域の領有、アフガニスタン~ヒマラヤ地帯の測量と地図製作、パピヨン(アンリ・シャリエールの自伝を元にした映画)、観光地サルト・アンヘルなどなどが盛り込まれる。

英領ギアナの成立が、ナポレオン三世の後のシンガポール成立と同時代、つまりオランダから剥奪したもの。あるいは、イギリスの測量・探検が『地図が作ったタイ』(←未読です、無責任な引用ですまん)と同時代。東南アジアの事情と重なるものがあるので、参考にどうぞ。

わたしの好みにぴったり合った内容である。
とにかく著者の語り口、さまざまな事件のミックス、視野の広さがすばらしい。

ただひとつ文句をつけると、帯の文句。「探検はロマンではなく侵略の道具だった」なんて、あったりまえでしょう。まさか、いまさら、こんなあったりまえのことを書いただけの本ではないか、と手にとるのを一瞬躊躇したよ。たしかに本文中にもこの文句は出てくるが、そんなナイーブな内容ではありませんので、みなさま手にとってみてください。

西尾哲夫,『図説アラビアンナイト』,河出書房新社,2004

2008-12-11 22:15:52 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
こちらは、カラー挿絵がたくさん収録され、代表的物語を紹介するとともに、若干のバックグラウンドも解説。

こうしてみると、テキストや翻訳の問題も重要だが、アラビアンナイトという文化は、図と絵と映像の世界が大きいというのがわかる。
わたしは、キャンバスに描かれた絵画も嫌いではないが、本書で紹介されているような印刷された絵、つまり挿絵やポスターや版画が好きなのである。ヨーロッパ18・19世紀のさまざまな美術潮流を代表するような作品群ではなかろうか。

国立民族学博物館編,『アラビアンナイト博物館』,東方書店,2004
というのもあるが、未見。

西尾哲夫,『アラビアン・ナイト』,岩波新書,2007

2008-12-11 22:03:09 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
頭がクラクラするような「アラジンの魔法のランプ」の挿絵(ウォルター・クライン画)、アラビアン・ナイトをめぐる驚奇のトピックをもりこむ。アラビアン・ナイト物語そのものよりも奇妙な、アラビアン・ナイトの変遷をまとめた一冊。

著者は国立民族学博物館教授で、アラビアン・ナイトを民俗学的・民族学的に研究している学者。オリエンタリズムがどうのこうのというテーマの本は読みにくいものが多い中、本書は抜群にわかりやすく、視野が広く、おもしろい。
とにかく事例がもりだくさんで、アラブ圏各地、アラブ圏以外のイスラーム地域、イスラーム以前の中東、ヨーロッパによるアラビアン・ナイトの発見、ヨーロッパ各地での変遷、そして日本への伝播と受容を要説する。
18・19世紀のヨーロッパ重大事項、重要人物総登場で、アラビアン・ナイトをめぐる状況がいかに複雑で多層的なものかわかる。
それは日本での受容に関しても同様で、西川如見・新井白石からモンキー・パンチまで紹介。

文学・思想関係の本は苦手だが、本書は文化人類学的な視点と民衆文化を含めた視野で語るので読みやすい。

サイードの〈オリエンタリズム〉を日本の側から異議を唱える意見は多い。
つまり、サイードの主張する、一方的に他者として扱われ、ヨーロッパによって解釈される・規定されてきた中東側からの批判は正しい、とは思う。
しかし、ヨーロッパ側からの誤解と中傷と捏造を除けば、真実の中東が現れるかというと、そんなことはない。
ヨーロッパ側も中東側も、お互いに誤解と幻想を含めて相互に影響しあう関係であったのだから、その誤解や幻想の課程をバッサリ切ってしまうと、後に残るものは貧しい事実だけではないだろうか。
(終章:「「オリエンタリズム」を超えて」は要約が難しいので各自読んでみてください。)

さて、当然ながら、日本にとって、勝手に解釈して歪んだ像を押しつける相手は、少なくとも20世紀前半までは、中国であった。ヨーロッパにとってのオリエントは、日本にとっての中国である。
サイードの『オリエンタリズム』も、そういった日本対東アジアの関係を捉えるテキストとして読まれる場合が多いと思う。(そうですよね)

中国に比べほとんど未知の世界だった中東は幕末から明治に日本人の意識にのぼり、アラビアン・ナイトの翻訳も始まった。
唐・天竺・本朝という三国世界観の上にヨーロッパの世界観が重なり、中東地域は天竺の果でヨーロッパの辺境というむちゃくちゃな地位に定まってしまった。ただし、このムチャクチャは、地政学的背景を持つものではないから(つまり政治的に悪用されることが少なかったから)、幻想文学やポップ・カルチャーの分野での豊かな土壌になったと思う。
そして20世紀後半、石油危機、パレスチナ問題の中で、アメリカ合衆国の中東感を接木して、さらに混迷した中東感が生まれようとしている。今度は資源をめぐる実質的な利害が生じているので、差別や偏見もひどくなっているように思う。

******

という具合に、日本人の世界観をみなおす上でヒントになる一冊であるが、東南アジアという、これまた幻想と誤解と偏見の地域を考える際の鍵を提供する本でもある。
前項、前々項で3本の映画について書いたが、フランス的・UK&USA的・日本的、代表的な東南アジア観を見せる映画を紹介したつもりだ。アラビアン・ナイトの変遷と似てますね。
この種の誤解や偏見は批判すべきであるが、そうした誤解と幻想も含めた東南アジアを見る視点がおもしろいのである。

羽田正,『イスラーム世界の創造』, 東京大学出版会,2005

2008-05-03 22:23:18 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
続いて、これも。
抽象的なことを書いた難解な本かと思っていたが、すっきりわかる。
題名がなんのことかわからないが、「イスラーム世界」という捉え方を再考し、結局、この言葉は「理念的な意味でのムスリム共同体」という以外の意味で使うのはやめよう、という主張。つまり、地域的な概念や住民の多数がムスリムである地域、イスラーム法の統治下にある世界、という意味で使うのはやめよう、という結論だ。

著者は、しっかりわかったうえで、議論し、本を書いている。
正確にいえば、なにがわかっていないかわかっている。

著書自身がわかっていない、納得できないこと。
学界で不問にされて見過ごされてきたこと。
一般読者やジャーナリズムが勘違いして混乱していることがら。

以上の事実を腑分けして、ヨーロッパで成立した「イスラーム世界」あるいは「オリエント」「アジア」という概念の発生と広がり、誤解と誤謬を解き明かす。

とにかく、先人の業績を評価しつつ、それらをばっさり捨て去る決意がみごと。
とくに、日本の歴史学界における先進的なイスラーム理解を評価し、それが一般人(学校教科書など)に反映されているのが、世界的に稀有であるという経過が示される。
そうした日本での特殊事情を評価しつつ、やはり、歴史的用語として、「イスラーム世界」という言葉は捨てよう、過去に著者自身が使っていた「イスラーム世界」という言葉は誤りである、とズバッと言い切る。

うーむ。
東南アジア史研究は、1960年代から80年代まで、斬新な手法を開発し、他の地域の歴史研究に挑戦してきたが、ここにきて、その先端的な手法や問題提起が他に地域の研究者に受け継がれ乗り越えられる状況が生じている(らしい。)。

その挑戦者の代表が、この羽田正の著作か!?
多くの宗教が混在し、地域としての一体感に欠け、宗教的統治と世俗化の両方のモーメントが拮抗している東南アジア、その東南アジア史と同じような視点で、イスラーム世界を捉える、いや、「イスラーム世界」という捉え方をやめよう、という視点だ。
*****

前項でレビューした『東インド会社とアジアの海』もそうだが、著者は、積極的に訳書を参考にしている。
目をとおしていない本は見ていないと書いている。
この方針は一般読者として歓迎する。
原典を読まなきゃ本を書いちゃいかんという態度だと、いつまでたっても、インド洋やユーラシア全体に及ぶ世界を論じられないと思う。
最低アラビア語・ペルシャ語・トルコ語が必要で、漢語やスワヒリ語やマレー語も、というのはムリである。

他の研究者も、もっと自由に自分の専門を越えた本を書いてほしいものだ。

*****
あと、瑣末な問題だが、本書でもこの「イスラーム」という表記を問題にしている。
アラビア語に忠実ならば「イスラム」よりも「イスラーム」がよいと思われるが、さて、では、アラビア語を第一に尊重する意味はあるのか?

一応便宜的に、各種事典や教科書、それに研究者の大部分がこの「イスラーム」という表記を使っているため、本書でも「イスラーム」と表記しているのだが。

うーん。わたしのブログではどうしようか?
インドネシア語でもマレーシア語でもイスラムだしなあ……

羽田正,『東インド会社とアジアの海』,講談社,2007

2008-05-02 21:52:42 | 移動するモノ・ヒト・アイディア
大推薦!必読!
よくぞ書いてくださった。

歴史研究者ばかりではないが、プロの学者はなかなか他人の領域に足をふみこまない。縄張りを荒らさない、という掟があるし、不案内な領域に首をつっこんで叩かれたら、専門分野でも評価がさがってしまうというわけだ。
そこで本書が扱うような広い地域・長い期間の歴史は、文学者やノン・フィクション作家が扱うことがあるが、やはりシロウトは基本的な点でポカをする。(本ブログで過去に紹介したサイモン・ウィンチェスター,『クラカトアの大噴火』など、読み物としても歴史としてもおもしろいが、やはり重大な欠陥があるんだよな。)
専門の歴史家にこそ書いてもらいたいのだよ。

それでこの「興亡の世界史」シリーズ第15巻。
17・18世紀の歴史を、オランダ東インド会社・イギリス東インド会社・フランス東インド会社の三つを均等に扱い、インド洋海域とと東アジア海域を均等に扱い、商品と人物と政治を描く。
この世界、この時期は、日本をはじめ世界中で研究がすすんだ地域であって、東アジア側からも、イスラム側からも、ヨーロッパ側からも、膨大な研究蓄積がある。
その最新の成果をシロウトにわかりように、これでもかというぐらいに平易に紹介する。

しつこく何度もくりかえされるのは、この時期の〈イングランド〉〈オランダ〉〈フランス〉などが、こんにちの国民国家ではないこと、領域国家ではないことである。
同様に、いやまったく違った基盤で、ペルシャもインドもシナも国民国家ではないし、領域国家ではない。
困ったことに、唯一の例外が、日本列島らしく、この時期に現在の領域に近い統一政体が形成されてしまった。もちろん、北海道も沖縄も南鳥島も、そして日本海や東シナ海も現代日本の境界とは異なるのだが、統一された支配と流通・税制・コミュニケーションが形成されたという点で、例外中の例外である。

その例外をほかの地域にかぶせて誤解しないように、著者は何度もくりかえし警告している。

〈海の帝国〉と〈陸の帝国〉、インド洋海域と東アジア海域の違い、キリスト教布教、船舶と航海、流通した商品の質と量、華人・アルメニア人・インド系ムスリム・ポルトガル人・日本人などの多彩なプレイヤーが描かれる。
基本中の基本であり、誰かが書いてくれなければならない本だが、膨大な専門分野の蓄積を前にして、誰もが躊躇した分野だと思う。
このテーマ、この時代をこれだけ広い視野で一冊にしたのは、ほんとうに蛮勇かもしれないが、まず、出発点が決められた。

本書から出発できる若い読者はほんとうにラッキーだ。きみたちにはわからんだろうが、本書に書かれている内容がわからないから、いろいろな本を読むのに苦労したんだぞー!うーん!
本書を読まずして、あるいは、これだけわかりやすく書かれた本が読めない者は、日本史やヨーロッパ史や中国史の細かい事項をおぼえても無駄である。
また、この時期以前を理解するにも、後の時代を理解するにも、最適の位置を示してくれた。
この本から出発すべし!

東南アジアの記述が比較的少ないことは、わたしにとって個人的にありがたい。(本書を出発点とする読者を混乱させない配慮だろうが)
本書の内容に、マニラ=アカプルコの貿易や、雲南やタイ山地の事情や、稲作や漁撈のことを加えたら、ページ数が増えて収拾がつかなくなったと思う。
少ないページ数で簡潔にまとめた努力も評価したい。
きっと、もっともっと盛りこみたい話題があったであろうが、とにかく、この厚さに収めたのはみごと。