がじゅまるの樹の下で。

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王妃の墓in北中城村

2018年05月12日 | ・琉球史散策/グスク時代

そういえば、
北中城村に焦点を当てた史跡巡りって
やったことがないな、と思って、
今年のGWは北中城村史跡巡りをしてみました!

 

参考にしたのはこのマップ。

 

 

でーじじょーとー。

各自治体作ってほしい。

 

いくつか周ったのですが、
中でも苦労した史跡がこちら。

【王妃の墓】

 

 

仲順・喜舎場エリアは
このような史跡道路表示があり、
そこにもばっちり表示されています。

歩道に沿って引かれている白いラインをたどると
その史跡に行けるになっているはずが…

 

なぜか王妃の墓のラインは途中でスルーされており…。

マップから判断するに森(藪)へダイブなのは予想がつきましたが
ここから入っていく、という表示もまったくなく…。

 


(史跡案内の歩道の白い線はずっと先に続いているのだが…)

 

マップから判断して、
藪の奥に行けそうなところを、勘で。

 

 

森の中に入っていく…。

おお、古い石段や道が……。

怪しい…。


(写真は帰りに撮ったものもあるので登りのように見えますが
基本、下って行く感じでした)

 

 

途中に途中に古墓がいくつも。

王妃の墓ってこれのこと?

いや、それともコレ??

 

いまいち確証が得られるのまま、
何度か引き返そうとしつつ、
あともう少し、あともう少し…と先にすすんでみると……

 

 

…あった…!!

 

 

予想以上の立派なお墓!
立派な空間!

 

さて、ここに祀られている王妃とは、
舜天王統最後の王様(1200年代)、義本王の妃のこと。

義本王自体のお墓は
辺戸にそれとされるものがあったり
はたまた仲順のナスの御嶽がお墓だとされていたり、
実はここ王妃の墓に、義本王も一緒に葬られている…
などなど、色んな説があります。

 

辺戸よりも、ナスの御嶽よりも、
ここが一番大きくて迫力がある…!!

 

 

シーミーが行われていたのでしょうか、
生花が生けられていました。


きっとここまでたどり着けたのも、
草刈りされてて道が見えていたおかげ。

シーミーの恩恵にあずかりました(感謝)。

 

 

+ + +

 


近くには
義本王の直系の子孫であるという
花崎家のお墓もありました。



【オマケ】

辺戸の義本王の墓についての関連過去記事
義本王の骨発見…!?