がじゅまるの樹の下で。

*琉球歴女による、琉球の歴史文化を楽しむブログ*

当サイトの掲載写真・イラスト等の無断転載/無断使用を禁じます

ナスの御嶽/舜天王の墓

2018年05月20日 | ・琉球史散策/グスク時代

 

北中城村を代表する史跡のひとつ、
ナスの御嶽。

🍆ではなく、
この御嶽の、神の依り代であるイベ(岩)の神名
「ナスツカサ御イベ」からきているもの。

 

 

そのイベが柵の向こう側にある岩。

 

 

このナスの御嶽は
「舜天の墓」として紹介されていることも多く、
岩の手前にある石碑には
「舜天王 舜馬順煕王 之墓」

と書かれていました。

舜馬順煕(しゅんばじゅんき)は舜天の息子で、
舜天王統の2代目です。

 

 

三代目の義本王については、
舜天らと同じくもここに葬られたとも、
王妃墓に葬られたとも、
はたまた辺戸だ、と
謎になっています。

 

義本王の時代(1200年代)に飢饉や疫病などが起き、
義本は自分の不徳の故だとし英祖を摂生に迎え、
後には王位をゆずって
隠遁したと言われています。

『中山世鑑』などは、義本のこの判断は正しかったと、
義本王あってこその英祖王であり
この禅譲が国に利益をもたらしたと義本を称えていますが、

義本のその後の足取りが不明であったり、
本島最北にまで及んでいること、
墓とされるものが点在していることを考えると、

義本から英祖への政権交代は
歴史書にあるように平和的な禅譲ではなく、
波乱万丈な最期だったんじゃないか、
結構、悲劇の王様だったんじゃないだろうかと想像します…。

 


この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 金カブの構造 | トップ | ガイド考 »