国頭村辺戸(へど)にある義本(ぎほん)王のお墓です。
義本王は、
第一尚氏王統の前の前の前の王統である
舜天王統の3代目の王様。
遡って書くと
第一尚氏王統(1406~1469)
↑
察度(さっと)王統(1350~1405)
↑
英祖(えいそ)王統(1260~1349)
↑
舜天(しゅんてん)王統(1187~1259)
です。
ちなみに舜天王統の前はもろ神話世界の天孫(てんそん)氏。
なんせ25代で17802年統治。
一代平均712年(!)スゲー(笑)
※尚、ここでいう王統とは琉球国の王統のことではなく
中山王統のことを言います。
舜天の3代目が義本王。
彼の時代に天災があり不作と伝染病で国民の半数が死んだそうです。
これは自分に徳がないためだと
義本王は英祖王に王位を譲り、隠居したと言われています。
なお、英祖王になってからは国は豊かになったんだとか。
隠居したのちの義本王は行方知らずとなったようですが
沖縄本島の北の果てまで落ち延びたということでしょうか。
なお、義本王の墓とされているのは
この辺戸以外にも同じ国頭村の伊地と佐手、また北中城村の仲順などにもあるらしく
どれが“本当の墓”なのかは分からないそうです。
ゆかりの地が後に拝所(墓)になったのか、
それともフェイクなのか…。
ちなみにこの義本王には金丸と関連のある伝承もありまして(!)
まぁ、それはまたいずれ…。
参/「沖縄の拝所300」(比嘉朝進著) 他