琉球は仏教国だった!
というのは過去にも何度か書いておりますが、
その中でも特に存在感を放っていたお坊さん
というのは限られています。
古琉球期で言えば、
禅鑑(ぜんかん)
渓隠(けいいん)
芥隠(かいいん)
日秀上人(にっしゅうしょうにん)
袋中上人(たいちゅうしょうにん)
の5人かなーと思いますが、
いかがでしょうか。
中でも
渓隠と芥隠は特にワタシが贔屓にしている
第一尚氏~第二尚氏初期にかけてのお坊さん
ということで関心もひとしお。
琉球戦国列伝をはじめ
ちょいちょい絵にも描いているしね。
でも、
実は、
白状しますと…
渓隠と芥隠、
未だにどっちがどっちだったか
ごっちゃになっていて
えーと、円覚寺の人は…芥隠?…あれ、渓隠だっけ?
となることが多々ありました(汗)
だってほら、
名前、似てるし。
時代、被ってるし…。
しかし!
琉球歴女としていつまでたってもこれじゃいかんだろ!
ということで、
最近、琉球の寺社に興味を持っていることもあり
この機会にしっかり整理しようということで。
知識の整理は図にしてみるのが吉!
えいやっ!!
参/「琉球戦国列伝」(上里隆史著)・「琉球仏教史の研究」(知名定寛著)
二人の生年は不明ですが、
おそらく歳は渓隠が上で、芥隠が下です。
芥隠のほうが後まで生きていただろうということで。
来琉はほぼ同時期か、それとも渓隠が少し先か…って感じ。
イラストは琉球戦国列伝に合わせました。
絵のそばに描いたのは関連アイテム。
渓隠は鐘で、
芥隠は円覚寺つながりのクリス。
ところで、
芥隠には
“虎のような鋭いまなざし、牛のようなゆったりとしたたたずまい”
という見た目に関する言葉が残っていますが
それは徳の高さを表す決まり文句のようなもので
実際の見た目を書いたものではないそうです。
琉球戦国列伝で渓隠と芥隠を描いた時、
実は絵を描いた後でこの文章を知って
↑のイラストを見てお分かりの通り、
渓隠のほうが目つき鋭くて、
芥隠はおっとり系だったので
そのままイラストを逆にしようともしたのですが、
相談の結果、
ここは敢えてそのままで
ということになった制作裏話。
(でも今もう一度この二人を描けって言われたら
琉球戦国列伝の時とは全く違うタイプで描くかなーと思います)
最後に、天界寺について。
尚泰久が建てた当時の最大級の寺院天界寺。
第二尚氏になって円覚寺が建てられるまでは
天界寺が琉球で一番大きなお寺でした。
が、現在は残っていません。
玉陵から首里城公園首里杜館にかけてのエリアにあったようです。