がじゅまるの樹の下で。

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渓隠と芥隠

2018年02月03日 | ・琉球史散策/第一尚氏

琉球は仏教国だった!
というのは過去にも何度か書いておりますが、

その中でも特に存在感を放っていたお坊さん
というのは限られています。

古琉球期で言えば、

 

禅鑑(ぜんかん)

渓隠(けいいん)

芥隠(かいいん)

日秀上人(にっしゅうしょうにん)

袋中上人(たいちゅうしょうにん)


の5人かなーと思いますが、
いかがでしょうか。

 

中でも
渓隠と芥隠は特にワタシが贔屓にしている
第一尚氏~第二尚氏初期にかけてのお坊さん
ということで関心もひとしお。


琉球戦国列伝をはじめ
ちょいちょい絵にも描いているしね。

 

 

でも、

実は、

白状しますと…

 

渓隠と芥隠、
未だにどっちがどっちだったか
ごっちゃになっていて

えーと、円覚寺の人は…芥隠?…あれ、渓隠だっけ?

となることが多々ありました(汗)

 

 

だってほら、

名前、似てるし。

時代、被ってるし…。

 

しかし!
琉球歴女としていつまでたってもこれじゃいかんだろ!

ということで、

最近、琉球の寺社に興味を持っていることもあり
この機会にしっかり整理しようということで。

 

知識の整理は図にしてみるのが吉!

 

えいやっ!!

 

参/「琉球戦国列伝」(上里隆史著)・「琉球仏教史の研究」(知名定寛著)

 

二人の生年は不明ですが、
おそらく歳は渓隠が上で、芥隠が下です。
芥隠のほうが後まで生きていただろうということで。

来琉はほぼ同時期か、それとも渓隠が少し先か…って感じ。



イラストは琉球戦国列伝に合わせました。

絵のそばに描いたのは関連アイテム。

渓隠は鐘で、
芥隠は円覚寺つながりのクリス。

 

ところで、
芥隠には
“虎のような鋭いまなざし、牛のようなゆったりとしたたたずまい”
という
見た目に関する言葉が残っていますが
それは徳の高さを表す決まり文句のようなもので
実際の見た目を書いたものではないそうです。

琉球戦国列伝で渓隠と芥隠を描いた時、
実は絵を描いた後でこの文章を知って
↑のイラストを見てお分かりの通り、
渓隠のほうが目つき鋭くて、
芥隠はおっとり系だったので
そのままイラストを逆にしようともしたのですが、

相談の結果、
ここは敢えてそのままで

ということになった制作裏話。

 

(でも今もう一度この二人を描けって言われたら
琉球戦国列伝の時とは全く違うタイプで描くかなーと思います)

 

 

最後に、天界寺について。

 

尚泰久が建てた当時の最大級の寺院天界寺。

第二尚氏になって円覚寺が建てられるまでは
天界寺が琉球で一番大きなお寺でした。

が、現在は残っていません。

玉陵から首里城公園首里杜館にかけてのエリアにあったようです。


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