うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 娘が誕生しました

2007-02-22 05:51:22 | 結婚のこと

   四月に結婚して翌年四月に赤ん坊が生まれました

 
当たり前の話と思いますが、昨今は少子化時代なかなかこうすんなりと子供は生まれませんよね。先ずはお目出度いこと、両親にとって初めての内孫誕生ということでした。かみさん臨月のお腹を抱えて実家に帰ります。あたしが付き添います。足にむくみがきて、いささか心配しましたが無事出産にこぎ付けました。当時のことです、産婦は出産後21日間は水仕事は厳禁です。かみさん実家で一月の余過ごすことになります。嫁いで一年、なにしろ農家の娘が商家に嫁いできたのです。舅姑に仕え、おまけに鬼千匹といわれる小姑がさしあたって三人もいたのですから、並大抵の苦労ではなかったかと思います。それより亭主がこれまた頼りないときてましたから、その苦労押して知るべしです。
 
 
赤子の名前は義父に頼みました。家の親父の勧めでそうしたのですが、これが気配りというものか、そんなことを思ったりしました。かみさんからは確か四つほどの名前が候補として手紙で知らせてきました。あたしは両親とも相談して決めて電話をしました。あとでかみさんが言うには菩提寺の住職に候補の名前を挙げてもらったという事でした。
 姉が出産見舞いに田舎に行ってくれました。一番上の姉ですが、子供がいないので何かというと母が召集をかけるのです。帰ってきての姉の話です。衝撃的でした。姉が言うにはおっぱいの出が悪いと言うことと、それから眉を寄せて言いました。犬のような大きな猫が、赤ん坊の枕元で長々と寝ていたというのです。そしてかみさんにこんこんと言ってきたそうです。猫
を寄せ付けるな、万一上へでも乗られたら息が止まってしまう、顔の上でも乗られたら即窒息してしまうと。「どうも田舎の人はのん気で困る、指でも齧られたらどうするんだ」そしてあたしの口からもよく言えというわけです。
 いや、あわてましたねあたしは、翌日田舎へ飛んで行きました。先ずは母子とも元気なのでホットしました。そしてかみさんにくどいように猫のことを言いました。かみさん大丈夫よ、この猫年取ってるし、すごくおとなしいんだからと平然としています。そういう問題ではないと思うのだが、家の人たちにとっては可愛い猫なんだし、余りむきになっても角が立つのでその話は打ち切りました。後はおっぱいの出が悪いということです。かみさんのことを、子供のころから可愛がってくれているというおばさんが来ました。あたしにおばさんは言いました。乳が出ないのではない、おっぱいは十分張ってるのだが、乳首が引っ込んでて赤ん坊が吸い付けないのだと言うのです。そして付け加えました。これは父ちゃんが悪いんだと、あたしのことです。「父ちゃんのかあちゃんの可愛がりがたが足りなかったんだ、しょっちゅうおっぱいを揉んだり、吸ってあげてればこういうことにはならなかったよ」

 昼日なか、面と向かってのあからさまなおばさんの発言には面食らいました。かみさんは下を向きます。たまたま来ていた近所のおじさんが「うんだ、うんだ」と相槌を打っています。あたしは、なるほどそういうことかと、一拍置いて納得させられました。
 まあなんだかんだと話を終えて、猫のこともう一度かみさんに念を押して帰りました。
 
 母子が義父に送られて帰って来ました。庭の物干しにさらしのおむつが高々と干されました、五月晴れの空に鯉幟も顔負けです。真っ白なおむつがへんぽんとひるがえっています。
 嬉しい眺めでした。

 


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4 コメント

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Unknown (志村 建世)
2007-02-22 17:02:13
田舎の善意の人たちのおっぱい談義には、迫力がありますね。「うんだ、うんだ」と同調したくなります。さらしのおしめの満艦飾も、なつかしい風景です。私の長女誕生は昭和37年だったので、電気洗濯機が大活躍でした。おしめを2枚使っての巻き方は、今でも覚えています。
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Unknown (うたのすけ)
2007-02-22 18:26:47
確認します。娘が生まれた時はうちには電気洗濯機はなく、外の水道を使い、かみさんの嫁入り道具の盥で、おむつを洗っていました。その後間を空けずに購入した筈です。
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Unknown (深山あかね)
2010-01-05 08:34:35
 カテゴリィーより「結婚のこと」三話、ダダダと読ませていただきました。
 昭和33年ば私が小学3年生のときでした。この頃の結婚式といえば父の弟の結婚式がそうだったのかもしれません。40歳前のこのおじさんは毎日のように私のうちに手伝いに来ていたのに知らなかったのですが小さい頃囲炉裏に落ちて足をやけどしていたのだそうです。障害があるので婿には出せないと、本家の100メートルくらい裏に納屋付の大きな赤瓦の家を建ててもらい町場からこの山奥に年かさのお嫁さんをもらいました。家は男性のほうが準備して家の中の物はみんな女性のほうで持ってきたという感じで、周りの人はこんな立派な婚礼道具は始めてみたといっていました。仕立物をされる人だということでお道具箱の小さな引き出しの中に新しい様々な色の糸が入っていて田舎にはない色彩を感じたのを覚えています。みなで嫁入り道具を見るなどというようなことはこの時が最後だったかもしれません。これが中国地方の山間部の事情でして、うたのすけさんの事情は100年近くたっているとはいえ徳川300年の御膝元の商家、青島幸男著『人間万事塞翁が丙午』(私のブログでは2009/06/07 記録)を思い出しました。ブログを読み返して書き始めの結婚式の部分の雰囲気を思い出しやはりに似ていると思いました。志村さんの事情は私たちと似ているかもしれません。
 
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Unknown (うたのすけ)
2010-01-05 20:20:41
深山あかねさんへ。
今晩は。
嫁入り道具を近所の人たちが品定めする習慣、あたしの近辺では、その後聞いたことはありません。
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