うたのすけの日常

日々の単なる日記等

うたのすけの日常 山田風太郎の「戦中派不戦日記」を読む138

2010-06-21 05:22:05 | 日記

疎開生活もやや軌道に<o:p></o:p>

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七月十五日(日)雨<o:p></o:p>

 七夕ではない。祇園祭なのだそうである。尤も祇園祭の祭神も知らない。雪祠も置かれている。門の大提灯には「家内安全町内繁昌、知久町」などと書かれてある。<o:p></o:p>

 午前、雨の<st1:MSNCTYST w:st="on" Address="白山町" AddressList="24:白山町;">白山町</st1:MSNCTYST>を通りてみなと農業倉庫の荷物を整理にゆく。女たちが撰台で真っ白な繭の山をかきわけて、病んだものや畸型のものをとりのける作業をしている。<o:p></o:p>

 午後、今度より寮となりし大和寮(元旅館)の部屋を抽選で選ぶ。余、松葉、松柳、安西の四人組となり、二階八畳の最もよき部屋に当る。<o:p></o:p>

 夜、隣室三畳の徳田さん酒を持ち来り飲む。闇夜豪雨にして青白き稲妻凄し。余と徳田さんを除きみな酔いて吐く。<o:p></o:p>

七月十六日(月)曇<o:p></o:p>

 大和寮にて終日暮らす。早坂一郎「随筆地質学」を読む。<o:p></o:p>

 町の大松座に前進座来り。夜、松葉と見にゆく。九円九十銭なり。<o:p></o:p>

 一、「元禄忠臣蔵・第二の使者」内蔵助は長十郎、十内は翫右衛門。二、「權三と助十」權三は翫、家主は長なり。<o:p></o:p>

 舞台貧しきためか忠臣蔵も以前東京で見たときより迫力なきように感ぜらる。第二の大岡政談に至っては、喜劇なれど可笑しからず、風刺もあるようなれどピンと来ず、綺堂が何のためにかかるものを作りしかその心理を疑う。(役者は所詮役者、B29を避けて地方公演、その根性には頭が下がります。)<o:p></o:p>

 その上、大松座の外より犬の声、車の音、さらにここに限らざれども、赤ん坊を抱いて芝居見にくるという馬鹿な母親数人ありて、落ち着いて観劇する能わず。<o:p></o:p>

七月十七日(火)雨<o:p></o:p>

 午前みなと農耕にゆく。雨ふり、全身濡る。後続の者来らず、空しく帰る。大豆隠元の葉青く、南瓜の花黄色く咲けり。<o:p></o:p>

 夜、大和寮、消灯の闇中にて松葉と人生問答。松葉はおのれを幸福にし、日本を幸福にし、世界を幸福にするはただ日本精神なりと確信するという。これを信念として行動するという。余これにさからう。余は例の意見なり。<o:p></o:p>

 すなわち人間は、いかに文明が進歩しても相対的には幸福量を増さない。従って何をしても無駄である。そもそも人間は目的あって生まれたものではない。大きな眼で見て、犬猫虫けらの生となんの変るところもない云々。<o:p></o:p>

 松葉、余を殺したくなったといい、また笑い出す。そして自分の精神理想に共鳴してくれとはいわないが、せめてその精神理想を知ってくれという。<o:p></o:p>

 夜半零時、豪雨の中に警報。敵機相当本土を北上中なりとラジオ聞こゆ。江知家に中風の老人あり。一旦緩急のときはこれを背負いて逃げてくれと、江知家の婆さんに依頼されあれば、雨の闇夜を江知家に駆けつける。ニヒリストも婆さんにはとうてい腕立てが出来ない。<o:p></o:p>

 北陸を襲いたるB29、南方脱去の際、しばし飯田上空を通過す。爆音凄し、雨声また凄し。


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4 コメント

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Unknown (みどり)
2010-06-21 09:38:51
『すなわち人間は、いかに文明が進歩しても相対的には幸福量を増さない。
従って何をしても無駄である。そもそも人間は目的あって生まれたものではない。大きな眼で見て、犬猫虫けらの生となんの変るところもない云々。』
 あの戦時下で、この様に言えた風太郎氏は大学生である身の上が幸いもしましたが、軍国青年の一人ではありながらも、ある部分では透徹した医学者の視線を堅持していた気が致します。
 こちらで風太郎氏を知りましたが、本は一冊も読んでいません。
終戦後、彼の思想信条はどのように変わったのか・・・と。
終戦以降に興味が募りました。

 戦争物は好きではありませんが、時代の真実を探るには避けて通れない書物なのでしょうね。
うたのすけ様が、日々どのような思いで、此の作品を読んでいらっしゃるのかと、こちらももっと知りたいものです。
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Unknown (うたのすけ)
2010-06-21 11:35:14
みどりさんへ。
今日は。
終戦の年は小学六年~中一です。
当時はラジオも無く、新聞ニュースにも縁のない生活でした。
風太郎氏の日記は、リアルタイムで終戦前後の世情が生々しく浮き彫りします。
知らなかった事実が次から次へと飛び込んできます。
戦時下の東京での父母や兄や姉達の生活の一片に近づけたような気がしております。
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Unknown (志村 建世)
2010-06-21 17:49:21
理屈好きの青年らしさが、この戦乱の中でも健在なのは感動的でさえあります。選ばれて学んでいるという、医学生の自尊心も支えになっているのでしょうね。当時一高生だった兄も、おそらく学校でこんな議論をしていたのだろうと思います。
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Unknown (うたのすけ)
2010-06-22 05:20:56
志村さんへ。
お早うございます。
揺れに揺れる学生の心情が、時には哀れさえ感じます。
そこまで一死報国に逸る一途さ、当時はそれが自然な心情だったとは思いたくはありません。
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