うたのすけの日常

日々の単なる日記等

埋み火 三

2014-10-08 00:32:10 | 埋み火

                一幕  一場のニ

 

 

たえ あっ沢さん、もう今夜はお見えにならないのかと、嬉しい…

沢  いやあ、野暮用があって他で一杯やってきたんだ、遅いんでもう終(しま)いじゃないかと心配しいしいきたんだが、やはり遅かったようだね。

たえ なにおっしゃるんです、ちょうど区切りがついたもんで暖簾を下げただけなの、さあっ、(たえ、沢の手をとる)沢さんならいくら遅くたってかまわない‥今夜は他の客はお断り。ゆっくりしてって下さいな、すぐに一本おつけしますから。

 

たえ、さりげなく入り口にしんばりをし、灯りをひとつおとす。

 

沢  世辞でもそう言われると、足を延ばした甲斐があるってもんだねおかみ。

たえ 世辞だなんて、やたらと嬉しいの、ほんとですよ(沢の両手をとり引き寄せ、胸に持っていく)ねえっ、こんこんて音たててるでしょう、嬉しい嬉しいって悲鳴をあげてるんですよ。

沢  (たえの腰を片手で抱き胸を反らし)あたしには迷惑迷惑って聞こえるぜ。

たえ まあ憎らしい、(腰に廻した沢の手をつねる)

沢  (大仰に)痛いっ!

たえ いつからそんなにお口がお悪くなったんです…今夜はどこやらのお奇麗なお人としっぽりと…

沢  そんな、仲間の寄り合いで、ただ、酒を口に運んでいただけよ、早く切り上げおかみの酌で一杯やろうと飛んできたんだ。

たえ いいの、嘘でもこうして…

沢  まだそんなこと言ってる、嘘なもんかね。仲間は皆連れ立って吉原(なか)へ繰り込んだんだ、誘いを蹴るのにずいぶんと冷汗かいたんだよ。

たえ わかってます、有り難く思います。ただ今夜は無性に沢さんに絡みたいの、嗤ってやって…

沢  どうしたんだいおかみ、(たえの肩に手をかけ)今夜のおまえさんどうかしてるよ、酔ってるんだね。

たえ 酔ってなんかいません、でも飲んでも飲まなくてもいい加減おかしくなります。二人っきりでこうしていると。

沢  それはあたしも同じだ。

たえ 同じなもんですか、ねぇ、さっきまで神谷さんたち見えてたんですよ。

沢   ああ、お役人の?

たえ  さんざんあたしと沢さんのこと勘ぐって冷かすのよ。二人は出来てんじゃないかとかどうとか。

沢  それで?

たえ それでって、それきりですよ。これが沢さんと割りない仲になってんでしたら、どんなに嬉しいか、それが、悔しいやら情けないやら、あたし…

沢  なんだいそんなことかい。

たえ そんなことって、憎い人…

沢  憎いなんてそれはない、あたしはね、おかみに惚れたあげくの逢いたさ見たさに通ってきてるんだよ。

たえ ええっ、まあっ、本気で受けていいんですか。

沢  あたりまえだ。

たえ 本気なんですね、ねえっ、あたし躱がかあって熱くなっちまいましたよ、ほら…(沢の手をとり胸へ誘う)

沢  おっと、胸元がきつくってまだるっこいね。

たえ あら、すいません。でも沢さんなら、(たえ、背を沢の胸にもたれさす)どっからお手がすんなり入るか先刻ご承知よね、二人きりの今夜存分になすって…

   

沢、たえの背後から身八つ口に手を忍ばせようとする。

 

沢  いや、楽しみは後に残そう、だがそれよりおかみ、この齡で改まって女に惚れたなんて口にすんのは、いささか気恥ずかしいね。

たえ (躱をくねらし)そんなあっ、あたしだって同じ。惚れてます…

沢  なんだい、ばかに話がとんとんと、まさか夢じゃあ…

たえ 止して下さいな夢だなんて、あたしはいつこんな嬉しい言葉がきけるかと、それを毎日…思い切って想いを打ち明け、もし素(す)気(げ)ないあしらいうけたらと…それが怖かった。女の口から男さんを口説くなんて、なんて慎重(はした)ないんだと蔑すまれはしないかと、勇気がいったんですよ。それがこうして、あたしのほうこそ夢どころか天にも昇る気持ちです。

沢  大袈裟な、それに天に昇るにゃまだ早い。

たえ いや、そんな冗談を、恥ずかしい。

沢  ははははっ、照れてんだよ、年甲斐もなく…

たえ なにおっしゃるの、色恋にそんなの邪魔なだけ。

沢  違いない、おまえさんの言うとおりかも。

たえ そうですよ、あたしだって若くない、惚れたはれましたに齡なんて無縁のこと、棚の上に乗せちまいましょう。

沢  しかし悔やまれるよ、すんなりこんな成り行きになるんだったら、なぜもっとまえに…

たえ それはあたしだって、冗談はよしなって、笑いとばされたときの情けない、自分の惨めな有様が哀れにおもえて…

沢  もういい、なにも言いなさんな。   

たえ ありがとうあなた…あなたって言わせてくださいな、あたしには心底あなたって言えるお人がいなかったんですよう…

沢  おっと待ちなさい、おまえさんにはれっきとしたご亭主がいるじゃないかい、あたしはね、それを承知で通ってきてるんだよ。そして今口説きもし、口説かれもしてるんだよ。そうそう無理しなくたっていい、あたしはたったの今阿呆になろうとしてるんだ、お前さんと深間に落ちることが、どんなにえらい騒動の火種になってもと、腹をくくったんだ…

たえ 止めて頂戴亭主の話は……それよりそんなお気使いは無用です。あなたのお宅に、これっぽっちも波風を起こそうなんて思っちゃいません。心底惚れただけ、亭主にいじめられ通しの女が一人いて、ただ縋っているだけです…

沢  (神妙に頷きながら)ご亭主かい…苦労してるんだね。

たえ 沢さんとは生まれも育ちもべつ。

沢  べつって?

たえ いえっ止しましょう、昔は振り返らないの、ねえ、そうしましょうよ。こうして二人きりでいて、じんわり躱が汗ばむほど疼いているのに、話せば冷汗に変わる、耐えられない…

沢  そう言ったって惚れた女のことは、洗いざらい知りたいもんだ男は。そしてなにかと力になろうってのがあたり前じゃないのかい。

たえ わあっ、凄いこと言ってくれますね、それであたしは十分、ねえ飲みましょう、せっかくの今夜のお酒、まずくなるわ。

沢  それもそうだ、まあ、とわずがたりの成り行きといくか、じっくり飲もう。

たえ ほんと、離さないから今夜は。

沢  ははっ、あんまり嬉しがらしちゃいけない、あたしはこれで初心(うぶ)なんだよ、案外商売っ気がらみだったりしたら、血迷ってなにしでかすやら、危ないぜ。

たえ なにおっしゃるの、あたしがそんな女でしたらどうぞ迷わずに、突くなり刺すなり思う存分気を晴らして下さいな。

沢  冗談だよ、そう目を剥くな。例えそうでもできやしない勿体なくて…

たえ またそんな。

沢  はははっ、まあまあ。

たえ からかわないで、悪い人…でもねえ、あたしの方こそほんとは悪い女かもしれなくてよ。

沢  えっ、またいきなりなんてえことを。

たえ そうですよ、いくらひどい亭主だって亭主持ちにはかわりない、それが一途にあなたに想いをぶつけるなんて…亭主持ちだってことは世間には内緒、あなただけには洗いざらいこうして…

沢  待ちなさい、それは言いっこなしだ、あたしはどうなんだそいじゃ。いまそれを言ってなんになる。手練手管とは裏腹の、さっきまでのいい様はどうしたんだ、男冥利につきる口説きと、ほどほど感じいってるんだよ。

たえ あなた…

沢  なあ、良い悪いならお互い五十歩百歩、男と女の仲は善悪の尺度じゃ計れやしない、そんなこたあ忘れて寄り掛かってきたらどうだ。

たえ やさしいこといってくれるのね、わかりました性根を据えます…こんだ無体な仕打ちにあっても引き下がらない、名ばっかりの夫婦なんて御免よ、あたしたちずっと前から他人なんです。

沢  まあそれはどうでもいい、一つ屋根の下の男と女、他人のあたしがどうこう気い廻すこっちゃない。

たえ まあ他人だなんて、ちくりと本音を言うんですね。嬉しがらせたり、あたしが悲しむこと平気でおっしゃる、そうよね、土台あたしの想いなんて贅沢なんだわ。

沢  なにを言いだす、話が振り出しにもどっちゃうじゃないか。   

たえ あなたがいけないんです、そんな厭味をいうから。

沢  厭味じゃないよ、本当の話だ。お前さんの、むっちりとした色気の溢れる躱を前にして、だれが指をくわえてほっとくものかね。一つ屋根の下、亭主と名がつきゃあできる芸当じゃない。おかしな心地だ、ご亭主に妬けてくるよ。

たえ 信じてくれないのね、後藤とずっと他人なのが…(たえ哭きだす)

沢  (驚愕し、たえの肩を抱く)わかった、泣くな…はつきり言わせて貰おう、ご亭主がいようがいまいが、あたしはあんたにぞっこん惚れたんだ。

たえ あんただなんて、お前って言って頂戴、ね、それにいま言ったこと…嘘は言いっこなしですよ。すげない言葉でも、たったの今ならあたしの高望みと諦めて、引きさがりもできましょう。でももうあたしは命懸け、この先冷たい態度(しうち)に様変わりされたら恨みますよ。

沢  なに言ってるんだ、いい齡こいて若い女の色香に迷い、のぼせ上がったあげくの果てに、三下り半なんて様にあっちゃあ、あたしのほうこそ恨みだ。お前の胸中(むねっち)を見極めての口説き三味、もう後へは引かない、あたしを三枚目にしたら承知しないよ。

たえ あなた…(たえ、沢にすがりつく)もう二人にあれこれ口説はいらない、抱いてえ、だめ、なにも言わないで、(たえ、沢の口を袂でふさぎ座敷に誘い倒れ込む)

              

                      暗転



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