フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 早稲田大学大学院(教育学研究科)の金井景子ゼミで、私と千田洋幸さんの編著『村上春樹と一九八〇年代』を取り上げていただきました。そして、私もその会に参加してきました。
           
 早稲田には学会などで何度も行っていますが、授業やその延長としての研究会に出席するというのは初めてです。考えてみると、早稲田に限らず、他大学の授業に参加する機会というのはあまりないもので、何か特別の目的がないとそういうことにはなりません。1995年に「ヨーロッパの日本研究視察」をテーマに在外研究期間をもらったので、その時はヨーロッパのいくつかの大学の授業を見学しましたが、そういうことでもない限り、他大学の授業に出席することはありません。
 今回は、金井景子さんの大学院のゼミで『村上春樹と一九八〇年代』を取り上げて、その合評会のような形をとるため、その本の編者として金井ゼミに呼んでいただきました。博士課程(大学院後期課程)修士課程(大学院前期課程)の両方に、村上春樹研究をしている院生さんがいるということで、この本を取り上げることにしていただいたようです。
 金井さんのゼミで、参加される教員も金井さんだけと以前は聞いていたのですが、近現代文学を専門とする他のスタッフ、千葉俊二さん・石原千秋さん・和田敦彦さんも参加してくださることになり、また、『村上春樹と一九八〇年代』執筆者の藤崎央嗣さん・矢野利裕さん・田村謙典さんも参加して、思っていたよりも大きな合評会になりました。
 院生さんたちからは本の内容に関する質問をいろいろいただき、私や他の執筆者が回答する形を最初はとりました。最初の発表者となった院生さんお二人は、御自身が村上春樹研究をしていることもあってよく本のことも勉強してくれていました。お二人とも、村上春樹の個々の作品の読解というよりも、村上春樹という作家の軌跡を長いスパンで追究しようとしているようなので、そういった観点から『村上春樹と一九八〇年代』を読んでくれていると感じましたし、何か今後の研究に役立つことを見つけていただければ幸いです。
             
 早稲田の教員の方たちからも御意見や御質問をいただきました。石原さんや和田さんからは厳しいコメントもいただきましたが、私としては、こうして取り上げて批評していただいたことに感謝したいと思っています。
 ちなみに、「研究者というものは」と一般化できるかどうかはわかりませんが、「けなされる」ことよりも「無視される」ことの方がつらいと感じる人種のように思われます。実際に、『村上春樹と一九八〇年代』を出版した後に、「私の論文がこの本の研究史に取り上げられていないのはどうしてでしょうか?(当然取り上げられるべきだと思いますが?)」という問い合わせが何件かありました。私が書いた論文と同じテーマで論文を後から書いていながら、私の論文にまったく触れていないという論文を見ると、私も気分が悪いことは確かです。
 一方で、今回のように院生ゼミの日に合わせて他の教員まで出席してくださって、本への厳しい指摘をしていただけるのは本当に有り難いことだという気がしました。『村上春樹と一九九〇年代』が出せるかどうかはわかりませんが、私を含めた執筆者の今後に活かしていきたいと思っています。
             


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