フィクションのチカラ(中央大学教授・宇佐美毅のブログ)
テレビドラマ・映画・演劇など、フィクション世界への感想や、その他日々考えたことなどを掲載しています。
 



 村上春樹の新しい小説『1Q84』(いちきゅうはちよん)が出版されました。刊行前から数十万部の予約が殺到したということで、大きな話題になった新作です。私は文学研究者なので、この作品への考えはいずれ「論文」の形で書こうと思いますが、ここでは印象を少しだけ書いておきます。
          
 まずこのブログ記事のタイトルに「総力戦」と書きましたが、この言葉は私の言葉ではなく、村上春樹自身が「長編は総力戦」という言い方をしているのを使ったものです。作家には短編が得意な人と長編が得意な人がいるものですが、村上春樹は短編・中編・長編を使い分けており、その意味ではごく貴重な、短編・中編・長編のすべてに優れた作家です。その村上春樹自身が「長編を書くのは総力戦」という言い方をしています。
 ですから、村上春樹の長編はすべて「総力戦」なのですが、中でもこの『1Q84』という作品はその印象が強いものになっています。それは、「二つのストーリーが併行して進行する」「現実と異なる世界に迷い込む」「カルト宗教を描く」「邪悪なものの権化のような存在を描く」「子どもの頃の初恋相手を思い続ける」「ものを書く人間の成長を描く」……といった、これまで村上春樹が追究してきたテーマをこの作品に注ぎ込んでいるからです。
 ただし、だからよい作品になっているかどうかは断定できません。これまで追究してきたテーマを注ぎ込んでいるからこそ、一度読んだ話をまた読むような既視感もないわけではありません。読んでいて面白くて一気に読まされましたが、最後まで読んでみると、「これで終わりなの?」という物足りなさはかなり残りました。
 村上春樹作品はどれも「謎が解き明かされない」ことが多いのは確かですが(→これに関しては私と千田洋幸さんの共編著 『村上春樹と一九八〇年代』 の中で書いたことがありますのでそちらを参照してください)
、それにしても、この作品には他の作品以上の物足りなさが残りました。『ねじまき鳥クロニクル』のときのように、後から書き足されるという可能性もあります。
          
 その点も含めて、いずれこの作品に対する私の考えを論文化してみたいと思っています。



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