そのころ、世に数まへられぬ古教授ありけり。

この翁 行方定めず ふらふらと 右へ左へ 往きつ戻りつ

2月25日(火)天保老人

2014年02月25日 | 校長は日々是口実

  せわしないことである。なんだか四六時中走っていろ…みたいな状況になってきた。もはや我ら、天保老人と化してきた感があるか。天保銭を付けられたら、そりゃエリートだろうがなあ。

  はいはい、私めが全部やらせていただきます…と引き受けたのはよいけれど、個人のエフォートの限界を、もう超えてしまったような気がする。高校の校長と、いわば万般個人営業の大学教授と、ただの事務局員と、顔を使い分けなければならないが、かててくわえてこの度は予備役召集である。正直、鬱屈してきた。この歳で三八銃担ぐのはつらい。あ、そっち方面では、おいらは一応将校だった。K教授にいただいたナンブ拳銃を持参すればよろしかろうて。軍刀はないけんね。とにかく、人を遣うのが苦手なのがいけないのだろう。簡単に言えば、器が小さいということである。

  手につくことと、つかないことがある。つかないことは、いつまでもつかない。高校の将来計画の進捗状況の報告書なんかあなた、あっという間にでっち上げることができたわいな。校長の任期は今年の9月20日までだから、あんまり責任は持てないが、それならそうと私の立場で、割れて砕けて裂けて散るかも…みたいなことも書いておけるわけだ。もともと八代将軍(私しゃ第8代校長先生なのだ)、暴れん坊だった!

  世捨て人になるにせよ、それには経済的基盤というものが必要だろう。カードの使い過ぎだと同居人に叱られた。新幹線代を、毎回カードで立て替え払いさせられているしなあ。しかも、例えばもしも東京駅から乗った場合、乗り換え駅までの分は支給されないから、アホらしいことこの上もない。誰が乗り換え駅まで普通電車で移動して新幹線に乗るかよ。しかし、立て替えた交通費は、本当に清算されているのかしら? ついぞ確認したことはない。

  亡父は私の歳には、とっくに定年退職を迎えていた。そう考えると、まことに過酷な世の中になったものよ。