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日本の奇祭4「黒石寺蘇民祭」

2013年08月05日 | 国内旅行

一年を通して日本全国の各市町村で何らかのお祭りが必ずあります。

故郷を思うとき、まず思い出されるのが祭りではないでしょうか?

 

ただ世の中には、地元の人には普通で真剣なんだけれど、

外部の人から見ると摩訶不思議な世界に見えてしまう祭りがあります。

これを世の人は「奇祭」と呼びます。

 

奇祭とは、独特の習俗を持った、風変わりな祭りのことと解説されています。

 

これを、人によっては「とんまつり(トンマな祭)」

「トンデモ祭」とも呼んでいるようで、

奇祭に関する関連書物も数多く出版されています。

よく取り上げられるのは、視覚的にインパクトがある祭り

(性器をかたどった神輿を担ぐ祭りなど)がよく話題になりますが、

ほかにも火を使った祭りや裸祭り、地元の人でさえ起源を知らない祭りや、

開催日が不明な祭りなど、謎に包まれた祭りはたくさんあるようです。

 

これから数回に渡って奇祭を特集していきます。

その多彩さに驚くとともに、祭りは日本人の心と言われるゆえんが、

祭りの中に詰まっていることが理解できるでしょう。

 

特に言う必要はないと思いますが、

以下にふざけて見えようと馬鹿にしているように見えようと、

れっきとした郷土芸能であり、

日本の無形民俗文化財だということは間違いありません。

 

今回は、岩手県奥州市の黒石寺蘇民祭です。

 

黒石寺蘇民祭(黒石寺:岩手県奥州市)

 

旧暦1月7日夜から翌暁にかけて行われる蘇民祭は、

厳寒積雪の中で行われる裸の夜祭りで、

修験道の性格をもった寺のなごりを残しています。

 

蘇民祭は、薬師信仰千古の歴史にのっとり、

五穀豊穣と災厄祓いを願って、裸参り、柴燈木登、別当登、

鬼子登と続き、祭りのクライマックス・蘇民袋争奪戦に至る

水と炎の織りなす勇壮な裸祭りです。

 

江戸時代後期に傑出した紀行文を多数残した旅行家・菅江真澄は、

蘇民祭を見て「世に珍しきあらがい祭りなり」と記しています。

現在、国から記録保存すべき無形民俗文化財に指定され、

黒石寺・藤波洋香住職が主催し、

黒石寺蘇民祭保存協力会青年部が祭りを取り仕切っています。

 

[黒石寺]

 

 

岩手県水沢市にある黒石寺は、天台宗の古刹で「くろいしでら」ともいいます。

山号は妙見山。729年(天平元年)行基菩薩の開基で、

当初は東光山薬師寺と称しましたが、

延暦年間の蝦夷征伐の戦火に遭って寺は消失しました。

 

807年(大同2年)飛騨の工匠が方七間の薬師堂を再建し、

849年(嘉祥2年)慈覚大師円仁が復興して妙見山黒石寺と改名しました。

最盛期には伽藍48宇を数えたといわれる黒石寺も、

1261年(弘長元年)の野火、1590年(天正18年)の兵火、

1840年(天保11年)の祭火に見舞われ、

1881年(明治14年)にも火災に遭って伽藍一切を消失しました。

 

現在の本堂と庫裏は、1884年(明治17年)に再建されたものです。

本尊は薬師如来座像で、胎内に862年(貞観4年)に作成された造像記があり、

古代東北の仏教信仰を伝える貴重な作例となっています。

薬師如来坐像は、1957年(昭和32年)国の重要文化財に指定されました。

 

蘇民祭はその名のとおり蘇民将来を祭り、

五穀豊穣、家内安全を祈願する祭りです。

岩手県には水沢市(現奥州市)のほかにもいくつもの場所で、

この時期に蘇民祭が行われており、

岩手県全体の蘇民祭が国の無形民俗文化財に指定されています。

 

[蘇民祭]

 

蘇民将来とは護符の一種です。

晴明判(魔除けの星象吼)や<蘇民将来子孫>などの文字を記した

六角柱または八角柱の短い棒で、

房状の飾りや紐をつけて帯に結び下げるようになったものもあります。

 

正月に、牛頭天王と縁の深い京都の八坂神社はじめ、

信濃国分寺八日堂、愛知の津島神社、

新発田の天王社など各地の社寺で祀られます。

 

また岩手の黒石寺薬師堂では、

正月7日に蘇民祭といって数百本の六角形のヌルデの木が入った蘇民袋を

裸の男たちが東西に分かれて奪い合う行事があり、

これを得た者はその年幸運であるといいます。

 

蘇民将来には、紙や板の札に<蘇民将来子孫之門>とか

<蘇民将来子孫繁昌也>と書いて家の戸口に貼って魔除けとしたり、

畑に立てて虫除けとする風習もあります。

《備後国風土記》には、旅に出た武塔神(素戔嗚尊)が宿を請うたところ、

裕福な弟の巨旦将来はことわったが、

貧しい兄の蘇民将来は宿にとめ歓待したため、

茅の輪の護符を腰につけるように教えられ疾病を免れたと語られています。

 

 

[ふんどし奨励]

 

黒石寺蘇民祭の裸男たちは、みな白の六尺褌です。

並幅(約35㎝)の晒木綿を半幅に折り、前袋式に縮めています。

水こ褌と同じ長さの人もいれば、

横廻しを幾重にも重ねている人もいて統一されていません。

激しい揉み合いがあるので、西大寺会陽のように前垂れ式だと緩みやすいので、

前袋式に締めるのが正解だそうです。

 

蘇民祭の創生期にはふんどしを締めていましたが、

激しい争奪戦で横廻しを強く引かれて内臓破裂で死亡した事故があり、

それ以来素裸となったいきさつがあったといわれます。

素裸の習俗は相当長く続いてようですが、明治になって素裸が禁止されました。

現在、観光化されて多くの見物客が訪れるようになり、

ふんどし着用が義務づけられています。

 

蘇民祭は、ふんどし男のほか、

上半身だけ裸で下半身はズボンをはいている男もおり、

かなりまちまちないでたちです。足には黒足袋に草蛙か地下足袋を履いています。鉢巻はしていません。

 

[祭りの概要]

 

1.裸参り(夏祭り又は祈願祭)

 

午後10時から厄年連中、一般祈願者、善男善女が角燈と呼ぶ提灯を持ち、

雪を踏みしだいて瑠璃壺川(山内川)に入り、

水垢離をして身を浄め、「ジャッソー・ジャヤサ」の掛け声で、

薬師堂、妙見堂を巡り、五穀豊穣、災厄消除の祈願を行います。

 

 

これを三度繰り返します。

ふんどしをしている人も三度目の水垢離には

ふんどしを外すのが作法だったようです。

 

ジャッソーは「邪正・邪を正す」、

ジョヤサは「常屋作・とこしえの住まいを作る」という意味だといいます。

 

 

「夏祭り」という呼称は、古くは女性の参加の折、

下着1枚の着用を認めたことから夏姿で参るという意味だといいます。

明治になって男も素裸禁止となり、夏祭りの言葉が定着しました。

 

2.柴燈木登

 

午後11時30分から鐘の合図で行列をつくり腰をかがめて、

「イヨーイヨー」の掛け声、柴、たきつけ、ごま殻、塩をもって進みます。

堂前に生松割木を井桁に積み上げます。

若者たちは裸になり、

柴燈木の上に登って火の粉をあびながら山内節(山内とは木炭を作ること、

またはそれを生業とする人)をうたい気勢をあげます。

 

 

  ジャッソウ ジョヤサ ジャッソウ ジョヤサ(以下「掛け声」)

(1)ハァー 揃た揃たよ 皆様揃た 秋の出穂より なおよく揃た(掛け声)

(2)ハァー 場所だ場所だ 山内場所だ 上は妙見 その下薬師(掛け声)

(3)ハァー 場所だ場所だ 山内場所だ 奥は大師の ありゃ座禅石(掛け声)

(4)ハァー 一度ござれや 山内訳し 五穀豊穣 ありゃ守り神(掛け声)

(5)ハァー 柴燈木登りゃ 別当登り 鬼子登りて ありゃ夜が明ける(掛け声)

 

 

3.別当登

 

翌午前2時から別当(住職)と蘇民袋を捧げ持った総代が守護役に前後を守られ、

法螺貝、太鼓などを従えて進みます。

薬師堂に登ると護摩をたいて厄払いと五穀豊穣を加持祈祷します。

 

4.鬼子登

 

午前3時半から儀式の主要な役割を果たす「役付き」たちは

寺務所の井戸で素裸で水垢離をとり、身を浄めます。

鬼子は7歳の男子2名で、麻衣をつけ、鬼面を逆さに背負い、

丈夫な人におぶさり、午前4時から庫裏を出発して薬師堂に登ります。

 

5.蘇民袋争奪

 

薬師堂では早くからいい場所に陣取った裸男たちが

「ジャッソージャッソー」と景気のいい掛け声をかけ、盛り上がっています。

特に外陣と内陣の間に立てられた格子が特等席で、

裸男たちがとりついて溢れ、見物客も群がっています。

午前4時30分頃から小間木(蘇民将来=護符)を入れた

蘇民袋の争奪戦が始まります。

 

 

蘇民袋は麻布でできており、その中に小間木と呼ばれる

長さ1寸(約3㎝)の六角形の護符が五升升山盛り分入っています。

小間木は桂の木の一年目の若枝で作ります。

六つの面には蘇民、将来、子孫、門戸、☆、黒石寺が印されています。

麻袋は素裸の小刀を持つ親方により切り裂かれ、小間木が床にばらまかれます。

裸の群衆が群がり、堂内は熱気に包まれ、騒然となります。

 

裸男のみならず見物人の多くも混じり、40~50分ほど揉み合いが続きます。

1個の空の蘇民袋を求め、揉み合いは堂外へ移り、雪の田んぼの中まで続きます。

将棋倒しになったまま空の麻袋の締め口をしっかと握っている人から

順番に取り主(1人)、準取り主(若干人)及び参加賞が審判員によって判定され、

各人の口の中に取札と呼ばれる木札が押し込まれます。

激しい揉み合いの中でふんどしが外れ下半身があらわになる者もいます。

争奪戦の最中は、裸男たちは寒さを感じることはありませんが、

戦いが終わると熱気も醒め、急に寒くなり、全身に震えがくるといいます。

 

 

午前7時頃から警備本部において、取札と交換に取主、

準取主の表彰、参加賞(紙のお札とお守り、

蘇民袋を裁断した布切れなど)の授与が住職などにより行われ、祭りが終了します。

小間木を取った人や蘇民袋の切れ端を持っている者は、

災厄をまぬがれると信じられています。

 

 

【交通アクセス】

電車:東北新幹線「水沢」駅よりバスで30分、車で20分。

   東北新幹線「水沢江差」駅より車で15分。

車 :東北自動車道「水沢IC」より約25分。

   東北自動車道「平泉前沢IC」より約20分。

 

いかがでしたか。

祭りには底知れない魅力と気分を高揚させる何かがあります。

長年にわたって受け継がれてきた祭りには、

理屈では割り切れない人々の思いが詰まっているように思います。

たかが祭り、されど祭りといったところでしょうか?