夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

パン生産のレベルアップを!

2009-12-12 06:41:18 | 私と福祉とであいの旅
 昨日は午前中ブルーベリーの枝の剪定作業を行って、午後から青森のカミサンが通うパン教室「麦の花」へ出かけた。夜6時30分からはボランティア会議があり、時間節約のために高速道路を往復した。
 目的はパン屋のメンバーさんの工賃を向上させるための外部講師を依頼するためである。これまでY先生には毎年3回ほど来所していただき指導を受けている。
 今回は県の補助事業があり、3月末までに4回の指導を受けることが条件。冬場のことでもあり、弘前と青森の往復だけでも大変な労力である。果たして引き受けていただけるか不安もあったが、当たって砕けろで誠心誠意説明を行った。するとすんなり引き受けてくれることになった。
 カミサンはパンを習っているが、膝を詰めながら現在の課題を先生に話すと結構間違いに気づくものである。
 現在パン工房で働くメンバーは16名で、平均工賃は12,000円(月額)である。これを何とか24,000円まで引き上げたいのであるが、いっぱいいっぱいでやっているとなかなかそのステップアップは難しい。しかし外部の資源とつながることによって、ようやく光明が見えることがある。目からうろこ的なアイデアが、一つ先に駒を進めてくれるのである。
 クロワッサンのパン生地を伸ばすのに苦労している現状の中で、先生から「パスタの機械があったらそれを使ったら簡単よ」というアドバイスがあった。そのほか会話を進めながらいくつかのポイントが整理され、何とかこの事業を県へ申請できそうな気分で帰宅した。
 メンバーの力がまたレベルアップされれば、いよいよメンバーさん主体のお店の開業も間近になりそうな気がしている。

近況

2009-12-11 14:31:21 | つれづれなるままに
 今月は行事がいっぱいあって、気が抜けない。そしてまだブルーベリー畑が冬支度が済んでいない。昨日もきょうも鼻水をすすりながら枝の選剪定作業をしているが、後2列がなかなかに進まない。これが終わると、ようやく雪囲いが出来るのだ。それにしても高々240本だが、一人でやるにはなかなかの240本でもある。トランジスタラジオを聴きながら、あははと笑いながらの作業でもある。
きょうは青森市に講師依頼をするために出かけ、夜はボランティア会「のれそれ雪とろけ隊」の結団式。明日は職員の歓送迎会と忘年会、13日は重症心身障害児を守る会の東北ブロック大会の実行委員会。14日から16日が、実家の母のお見舞いで新潟へ行き、17日はクリスマス会。19日、20日は広島からお客様がおいでになる。そのほか年末にかけては町会役員会や園内研修などがまだまだ続く。28日は餅つきを予定している。
 職員に賞与が支給できたことが唯一の喜びと安堵感である。

短歌/師走

2009-12-11 13:48:28 | 創作(etude)

 「師走」(しわす)とは、僧侶がお経を上げるために走り回るという説。あるいは「年果つ(としはつ)」が変化したという説。「四季の果てる」「四極」など。

 ・この年を一字で読めば格差かなヒルズもあればダンボールハウスあり

 ・この年も精一杯に暮らしおり出来不出来など問うこともなく

 ・十二月この世の機微はいとおかし出会いの日々の酸いも甘いも

 ・樹齢あり年輪の数を数えつつ広さ狭さに悲喜こもごもを

 ・啄木や賢治ほどには苦しまず残余の力を還暦に向け

ケアホーム改修工事に伴う入札実施

2009-12-10 07:29:44 | 私と福祉とであいの旅
 昨日はわが法人初めてのケアホーム「SEEDS(シーズ)」の改修工事を行う業者を決めるために、指名競争入札を実施した。指名競争業者4社が集まって、立会人の見守る中粛々と入札が実施され、法人が提示した落札額に最も近い最低価格提示業者に決定した。価格は12,800,000円だった。
 早速助成団体の財団に結果報告し、業者との契約許可が下りた。これからいよいよケアホームの改修工事がスタートし、来春早々に私達の希望だった重度障害者も地域で暮らせる温かな家庭がオープンすることになる。これからしばらくは、細部の準備に入り、3月早々に入居予定者の1週間の体験入居や地域住民への一般公開も計画されている。
 

民主党ほか県連への陳情活動

2009-12-10 07:02:08 | 私と福祉とであいの旅
 青森県重症心身障害児(者)を守る会が12月7日、「青森県地域医療圏等の地域医療再生計画の採択に関する要望書」を民主党青森県支部連合会ならびに自民、公明両党にも要望書を提出した。悪天候の吹雪の朝、谷川会長(青森市)ほか事務局のOさん(十和田市)、S園にお嬢さんを入所させているHさん(黒石市)、そして私(弘前市)の4人で県庁障害福祉課職員2名に引率されて、各派を回って説明と要望書を手渡した。
 この要望書は一度青森県知事から自由民主党へ要望書を提出されたものであるが、政権交代により事業仕分けが進む中、もう一度民主党へ採択について陳情する必要があったからである。
 具体的な課題は、青森県の重症児者が頼りとする医療・福祉施設に石が欠員となる状況が昨年来続いており、周産期医療からライフステージを通じての絵養育体制の基盤を磐石にしてほしいという要望書である。また、県立施設や国立医療機関での財政状況の悪化に伴っての経営の効率化は、医療スタッフを削減したり、入院患者をより採算ベースに乗せやすい対象者に傾き、結果重症児者の緊急時等の短期間預託するベッドが不足するなど、在宅の介護者の危機感をあおる状況が続いている。医療の高度化により、重篤な重症児者(気管切開や人口呼吸器の必要な乳児)等もNICU退院後は母親が中心になって養育しているのが実情である。医療や、教育、福祉など専門的な機関によるそういう在宅を中心とする介護家庭への相談支援を初めとして必要性が高まっている。
 10年間にもわたり県守る会も障害者施策検討会議で「総合リハビリテーション構想」を練りながら、結局財政的な危機が続く中雲散霧消して現在に至っている。
 重症心身障害児(者)の安心安全な障害設計と支援環境が整備磐石となってこそ、人間の命を根幹とした理念の「ノーマライゼーションの夜明け」が初めて私たちの元に訪れるのではないだろうか。

健康診断

2009-12-09 06:51:33 | つれづれなるままに
 昨日は一年で一度の健康診断日。S内科小児科へ家内と行きました。今はインフルエンザの第二波が押し寄せているらしく、朝から駐車場も病院の待合室も立すいの余地もありません。結局健康診断が終えるまで2時間30分ほどかかり、ドクターの説明を受けて終了です。
 検査の内容は血液検査、血圧、心電図、胸部XP、胃カメラ、視力、聴力、身長、体重、腹囲測定と結構なコースです。このほか大腸検査は検便があり、当日わかるものは、先生が説明してくれます。健康診断で一番厄介なのは、前日からの絶食と胃カメラです。時間はたった3分程度なのですが、口から胃に入るまでが力が入ります。今は昔と違って管もかなり細くはなっているようですが、それでも口から異物をいの中に入れるのは至難の業です。カラーのカメラなので、目の前にテレビがあって実況中継をしてくれます。「これは十二指腸だよ。ここは幽門部」なんて説明しながら、「胃潰瘍の直りかけがあるなあ・・・何か感じなかった?」って問われたってこちらもマウスピースのようなものをかまされているのだから、返事のしようがありません。そうしてようやく胃カメラが口元から抜けると、本当にさっぱりします。「dah dah da-suko dah dah・・・・」
 先生の部屋ですぐさまカラーのいの内部写真を見せられて、薬を服用したほうがいいとのご託宣でした。後は血液検査や検便結果を待って、個別に結果が送られてきます。
 健康な一年を送るためには、この程度の検査はよしとしていかなければならないのだとドクターや看護師さんにも感謝です。それにしても、いたいけな子どもたちのインフルエンザ騒ぎは、果てしない戦いですね。若いご両親の奮闘が空気で伝わってきます。われわれも小児科には大変お世話になった時代がありました。冬になると必ず病院通いでしたから・・・。そういう意味では今は、強くなったんだなと思います。さあよい年を迎えられますように!間もなくクリスマス、そして年越しですね。すす払いと餅つきをして、新年を迎えます。

啄木新婚の家

2009-12-06 10:14:31 | つれづれなるままに
 僕たちはのんびりと朝食を、NEW WINGホテルのレストランで済ませた。バイキング食だから、いつも旅先では食べ過ぎに注意しなければならない。私は朝はどうしても和食が定番で、納豆と味噌汁が欲しい。ホテルに泊まった時くらい違うものを食べたらと言われても、体が欲しているのだから仕方がない。野菜と少しずつ食べたいおかずを皿につけて、満足している。ご飯も「ひとめぼれ」という種類で、おいしく感じられた。何よりもそこで立ち働くシェフが笑顔で、これも食べてみませんかという声かけがうれしい。
 僕たちはそれからホテルを後にして、でんでんむし号という100円バスにのって3つ目の駅「啄木新婚の家前」まで乗車した。いつも自家用車のことが多いので、公共バスに乗ると、たちまちお金の支払い方などに戸惑ってしまう。第一整理券が100円バスなのだから必要ないのに、そこまで頭が回らないのだ。バス停から歩いて2分程度の場所に啄木新婚の家があった。(写真)
 中にあがると、部屋は10畳が1室、8畳が1室、6畳が2室、4畳半が1室、3畳が1室の計6室で、家族は啄木の両親と妹、そして啄木夫妻である。啄木夫妻は4畳半で、8畳間に両親と妹が起居していたという。
 啄木は20歳で結婚して、この家には3ヶ月しか暮らさなかったらしい。そして結婚式は自宅で友人に囲まれて行う予定だったというが、その夜ついに啄木はその場に現れず、怒った友人は離婚を勧めたという。啄木の人生は26歳までであり、その間に15歳からの恋人節子を妻に娶っている。啄木も節子婦人も結核で早く逝去したが、残された一粒種の長男はその後どのように成長して行ったのだろうか。 
 そういう意味ではこの家が、今も残っているのが不思議なくらいである。 

価値あるもの

2009-12-05 07:29:15 | 創作(etude)
 
 我が家の茶箪笥の歴史に
 ひときわ場所を占拠し
 いつまでも
 変わらずに座り続けている
 寿司屋の銘々茶碗 
 
 備前だの
 古伊万里だの
 ブランド品は
 陶器もガラスも
 みな短命である
 
 華奢なつくりのせいなのだろうか
 それとも
 高価なものだから緊張するのだろうか
 いずれにしても
 安い陶器やグラスは
 壊れもしないで
 相変わらず
 触れられる機会も少なく
 そこに鎮座ましましている

 私たち人間も
 偉ぶらず
 かしこまらず
 粋がらず
 リラックスして
 鼻毛を抜きながらあの
 ゲップや放屁をしながらあの
 漬物をかじりながら茶を飲んで
 縁側話を楽しむってえところが
 とっても気持ちいい
 少し下品で
 少し助べえで
 暮らすのが
 長生きのコツかも知れません 

グルメの旅~岩手牛(菜園)ステーキハウス

2009-12-04 16:45:29 | つれづれなるままに
 ぼくたちの結婚人生は「グルメの旅」でスタートしている。
 東京晴海ふ頭からサンフラワー丸に乗って、船旅をした。「三重県鳥羽・賢島」そして伊勢神宮~蒲郡~名古屋。カミサンは蓄えてきた金で、ぼくは現在も世話になり続けている、かつての同僚で先輩Kさんから大枚をお借りしての旅だった。
 そして今回の34周年記念の夜は、盛岡駅前の「ホテルメトロポリタンNEW WING」にチェックインし、「わかな」というステーキハウスに出かけ、岩手牛を目の前で焼いてくれるという落ち着いた雰囲気のカウンターに腰を据えた。
 東京から来たという若いカップルが右手のコーナーで一人のコックがつき、楽しく言葉を交わしている。そしてわたしたちは窓越しに見える夜更けの盛岡市を横目にして、目の前で「みちのく」というコースの海の幸であるお魚や帆立貝、イカなど熱々をいただいていくというこれ以上ない晩御飯をいただいた。そして究極の岩手牛がまた巧みな包丁さばきで焼かれていくのを見ながら、カミサンとお疲れ様の乾杯を交わした。いろんな夫婦の人生の年輪は、言葉となって軽々に沸いてこなかった。あるのはお互いの胸に深く沈殿している、酸いも甘いも交じり合った郷愁のようなものであった。だからこそ、この酒や料理が美味しく感じられるのかもしれないと、言葉もなく思っていた。
 おなかも膨らんで来て、余韻を楽しみながら盛岡市内を歩くことにした。さすがに夜風は冷たく感じられたが、ほろ酔い気分の肌にはちょうどよい感覚だった。少し歩くと旧盛岡城・現岩手公園のお堀と石垣が目の前にあった。桜の古木が石垣の上にそびえ、春の桜の開花期にはさぞかし美しく映えることだろと思われた。ふと口ずさむのは「荒城の月」だ。
 私たちは次に古典タンゴの生演奏の店「アンサンブル」を目指した。トリオによる生演奏(バンドネオン・バイオリン・ピアノ)でシャンソン、映画音楽などを楽しむ計画だった。しかしようやく店にたどり着いたが、結局久慈市に演奏者が出かけたということで、諦めて店を出なければならなかった。
 盛岡市内には古い「映画館通り」盛岡中劇1~2・盛岡東宝・ピカデリー・ルミエール・1~2・フォーラムという映画館が集まっているらしい。しかし、今回の滞在期間ではいかにも中途半端なので、結局本屋さんをうろついて河合隼雄の「日本人という病」なる書籍を買い求めてホテルに戻った。
 入浴を済ませ結局室内の冷蔵庫から酒を取り出して、クリントイーストウッドの出演する映画を見ながらいつの間にか眠りの淵にあった。
(写真は童話館の「セロ弾きゴーシュ」の人形)

結婚34周年記念のグルメ旅  その1 賢治童話館へ

2009-12-04 07:41:12 | つれづれなるままに
 ぼくたちは昭和50年(“79)の、12月2日に入籍している。お互いの信条で結婚式は挙げずに、入籍だけは渋々だったが行った。双方の両親と兄弟姉妹だけの食事会になって、ささやかな門出を祝ってもらった。
 それから34年間が経つという。振り返ると考えられないほどの夫婦の修羅場を潜り抜け、娘二人を新たな家族として迎え入れ、これまで娘たちの成長に伴走者のように連れ添って、そしてたくさんの方々の温かな支えの連続の中に私たち夫婦の34周年がある。希望していた90%のものが実現したような気がする。それはハンディキャップを負って生まれてきた娘たち二人を来春には安心して社会の花嫁として送り出すことができる。ケアホーム入居が決まっているからだ。
 私たち夫婦は娘二人をあうんのショートスティに依頼して、盛岡への旅に出かけた。
 盛岡市でレンタカーをチャーターして、先日一家で出かけた宮沢賢治の関連施設を見ることにした。先日は時間が少なくて「宮沢賢治記念館」だけしか見ることができなかった。盛岡市から片道30分程度で到着、今回は「宮沢賢治童話館」と「イーハトーブ館」を見ることができた。冬場の平日ということもあってか、家族連れが少しだけで比較的静かに鑑賞することができた。