ぼくたちは昭和50年(“79)の、12月2日に入籍している。お互いの信条で結婚式は挙げずに、入籍だけは渋々だったが行った。双方の両親と兄弟姉妹だけの食事会になって、ささやかな門出を祝ってもらった。
それから34年間が経つという。振り返ると考えられないほどの夫婦の修羅場を潜り抜け、娘二人を新たな家族として迎え入れ、これまで娘たちの成長に伴走者のように連れ添って、そしてたくさんの方々の温かな支えの連続の中に私たち夫婦の34周年がある。希望していた90%のものが実現したような気がする。それはハンディキャップを負って生まれてきた娘たち二人を来春には安心して社会の花嫁として送り出すことができる。ケアホーム入居が決まっているからだ。
私たち夫婦は娘二人をあうんのショートスティに依頼して、盛岡への旅に出かけた。
盛岡市でレンタカーをチャーターして、先日一家で出かけた宮沢賢治の関連施設を見ることにした。先日は時間が少なくて「宮沢賢治記念館」だけしか見ることができなかった。盛岡市から片道30分程度で到着、今回は「宮沢賢治童話館」と「イーハトーブ館」を見ることができた。冬場の平日ということもあってか、家族連れが少しだけで比較的静かに鑑賞することができた。
それから34年間が経つという。振り返ると考えられないほどの夫婦の修羅場を潜り抜け、娘二人を新たな家族として迎え入れ、これまで娘たちの成長に伴走者のように連れ添って、そしてたくさんの方々の温かな支えの連続の中に私たち夫婦の34周年がある。希望していた90%のものが実現したような気がする。それはハンディキャップを負って生まれてきた娘たち二人を来春には安心して社会の花嫁として送り出すことができる。ケアホーム入居が決まっているからだ。
私たち夫婦は娘二人をあうんのショートスティに依頼して、盛岡への旅に出かけた。
盛岡市でレンタカーをチャーターして、先日一家で出かけた宮沢賢治の関連施設を見ることにした。先日は時間が少なくて「宮沢賢治記念館」だけしか見ることができなかった。盛岡市から片道30分程度で到着、今回は「宮沢賢治童話館」と「イーハトーブ館」を見ることができた。冬場の平日ということもあってか、家族連れが少しだけで比較的静かに鑑賞することができた。
私の記憶に成田さんご夫妻の腕にいたおくるみの中の赤ちゃんが、浮かんでくるようです。
あの日、あの時、今日のこの日を想像することは、勿論できないことでしたが、私自身も、私たちも夫婦も、数々の偶然と必然を繰り返しながら、時を重ね今日に至っています。
そして今あることに感謝をしています。素敵な旅の思い出を楽しみにしています!
ぼくたちの結婚、そしてその後の人生の原点は「宮沢賢治」その人の思想で、「世界中のすべての人々の幸福が実現しないと、私個人の幸福はない」ということ。そして実践として「雨ニモ負ケズ」があり、「デクノボー(木偶の棒)」と呼ばれるような人であり続けることの大切さがそこにあります。
「もう一度原点に戻ること」を私たち夫婦は自然な心の中で動いていました。