夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

グルメの旅~岩手牛(菜園)ステーキハウス

2009-12-04 16:45:29 | つれづれなるままに
 ぼくたちの結婚人生は「グルメの旅」でスタートしている。
 東京晴海ふ頭からサンフラワー丸に乗って、船旅をした。「三重県鳥羽・賢島」そして伊勢神宮~蒲郡~名古屋。カミサンは蓄えてきた金で、ぼくは現在も世話になり続けている、かつての同僚で先輩Kさんから大枚をお借りしての旅だった。
 そして今回の34周年記念の夜は、盛岡駅前の「ホテルメトロポリタンNEW WING」にチェックインし、「わかな」というステーキハウスに出かけ、岩手牛を目の前で焼いてくれるという落ち着いた雰囲気のカウンターに腰を据えた。
 東京から来たという若いカップルが右手のコーナーで一人のコックがつき、楽しく言葉を交わしている。そしてわたしたちは窓越しに見える夜更けの盛岡市を横目にして、目の前で「みちのく」というコースの海の幸であるお魚や帆立貝、イカなど熱々をいただいていくというこれ以上ない晩御飯をいただいた。そして究極の岩手牛がまた巧みな包丁さばきで焼かれていくのを見ながら、カミサンとお疲れ様の乾杯を交わした。いろんな夫婦の人生の年輪は、言葉となって軽々に沸いてこなかった。あるのはお互いの胸に深く沈殿している、酸いも甘いも交じり合った郷愁のようなものであった。だからこそ、この酒や料理が美味しく感じられるのかもしれないと、言葉もなく思っていた。
 おなかも膨らんで来て、余韻を楽しみながら盛岡市内を歩くことにした。さすがに夜風は冷たく感じられたが、ほろ酔い気分の肌にはちょうどよい感覚だった。少し歩くと旧盛岡城・現岩手公園のお堀と石垣が目の前にあった。桜の古木が石垣の上にそびえ、春の桜の開花期にはさぞかし美しく映えることだろと思われた。ふと口ずさむのは「荒城の月」だ。
 私たちは次に古典タンゴの生演奏の店「アンサンブル」を目指した。トリオによる生演奏(バンドネオン・バイオリン・ピアノ)でシャンソン、映画音楽などを楽しむ計画だった。しかしようやく店にたどり着いたが、結局久慈市に演奏者が出かけたということで、諦めて店を出なければならなかった。
 盛岡市内には古い「映画館通り」盛岡中劇1~2・盛岡東宝・ピカデリー・ルミエール・1~2・フォーラムという映画館が集まっているらしい。しかし、今回の滞在期間ではいかにも中途半端なので、結局本屋さんをうろついて河合隼雄の「日本人という病」なる書籍を買い求めてホテルに戻った。
 入浴を済ませ結局室内の冷蔵庫から酒を取り出して、クリントイーストウッドの出演する映画を見ながらいつの間にか眠りの淵にあった。
(写真は童話館の「セロ弾きゴーシュ」の人形)

結婚34周年記念のグルメ旅  その1 賢治童話館へ

2009-12-04 07:41:12 | つれづれなるままに
 ぼくたちは昭和50年(“79)の、12月2日に入籍している。お互いの信条で結婚式は挙げずに、入籍だけは渋々だったが行った。双方の両親と兄弟姉妹だけの食事会になって、ささやかな門出を祝ってもらった。
 それから34年間が経つという。振り返ると考えられないほどの夫婦の修羅場を潜り抜け、娘二人を新たな家族として迎え入れ、これまで娘たちの成長に伴走者のように連れ添って、そしてたくさんの方々の温かな支えの連続の中に私たち夫婦の34周年がある。希望していた90%のものが実現したような気がする。それはハンディキャップを負って生まれてきた娘たち二人を来春には安心して社会の花嫁として送り出すことができる。ケアホーム入居が決まっているからだ。
 私たち夫婦は娘二人をあうんのショートスティに依頼して、盛岡への旅に出かけた。
 盛岡市でレンタカーをチャーターして、先日一家で出かけた宮沢賢治の関連施設を見ることにした。先日は時間が少なくて「宮沢賢治記念館」だけしか見ることができなかった。盛岡市から片道30分程度で到着、今回は「宮沢賢治童話館」と「イーハトーブ館」を見ることができた。冬場の平日ということもあってか、家族連れが少しだけで比較的静かに鑑賞することができた。