夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

「日常生活用具給付決定通知書」来る

2008-09-14 07:11:04 | 福祉について
 9月10日付で「日常生活用具給付決定通知書」が昨日(13日)届いた。
 日常生活用具の名称は「入浴補助用具、移動・移乗支援用具」
基準額     90,000+54,300=144,300円
 公費負担額   81,000+48,870=129,870円
 利用者負担額   9,000+ 5,430= 14,430円 

 これは長女の入浴時のシャワーイス+浴槽に設置する電動型リフト+シャワーイスから電動リフト双方への移乗時に必要な移乗用具に給付されるものである。
 私の娘(32歳)の障害名は「脳性麻痺による座位保持困難な体幹機能障害」で身体障害者手帳の判定等級は1種2級である。現在体重は47㌔くらいでしょうか?食事の際には座位は何とか可能ですが、長時間になると前方や側方、後方に倒れ込んでしまいます。ただし移動はうつ伏せで這いながら(これはほとんど上半身だけの腕力で)約20メートル程度は軽く?移動が可能です。ただし、その時の本人の関心のあるものが進行方向になければそれは困難なことです。(好きなキーボードや絵本)
 我が家の娘たちですが、長女と次女の2名です。ふたりとも脳性麻痺による知的障害と肢体不自由があって、愛護手帳の判定は重度のAです。また次女は身体障害者手帳の判定は3級です。(いずれの判定も3歳児のもので、以後判定はありません)
 家の中では次女はなんとか危なげながらも歩いて自分の好きなピアノや音楽の聴ける場所へ移動は可能です。そのほかの日常生活動作能力は全部介助です。更衣脱着・排泄・食事喫食・移動など全部介助が必要であり、特にふたりともにトイレ介助すればほぼ成功しているのですが、そこに至る介助は必要となります。入浴は最近両親の体力低下と腰痛等の制限があり、両親がそろわないと入浴介助が難しい状態になりました。ことに浴室への移動、浴槽への入出は困難を極めています。入浴に要する時間は毎日1時間たっぷりかかります。二人で上半身と下半身を介助しないと、移動は困難です。
 両親もともに56歳となって、腰痛持ちです。健康保持のために最近は自転車での筋力アップを図る運動を心がけています。家内はこのところ膝の痛みが出始め、畳に正座が難しくなっています。という状態のために、娘たちの入浴補助用具の導入に踏み切ることにしました。
 その動機となったのは我があうんに隔週で来園しリハビリテーションの指導をお願いしている理学療法士であり、福祉用具プランナーでもある赤池P・Tとの出会いがあったからこそです。
 8月のお盆前に試験的に、電動式の入浴リフトとシャワーイス・トランスファーボードなどなどをTOTO社から提供いただいて、とても簡単にその機械器具の設置と操作ができることを感じました。そして何より娘たちの表情が、私が浴槽に一人で抱いて入れたり出したりするよりもリラックスしていたから気持ちが動いたのかも知れません。もちろん私や家内一人で入浴介助ができそうだと思ったこと、とても身体の負担が少ないことが決め手です。これから冬の寒い時期になるに連れて、ますます私たち介助者の身体の痛みが出やすい時期なのです。娘たちが寒い冬の間に気持ち良く眠れるのは、この入浴を睡眠前に行ってきたからです。可能な限り在宅生活を継続していくためには、介護負担の軽減の工夫が必要です。大げさな改修工事を行わなくても、今回のTOTO社の電動リフトは使用が可能でした。リフトの座面も冷たさを感じず、出し入れのスピードや音も静かで娘たちの表情も穏やかなのが何よりだと思います。
 電動型のリフトなどは市役所の日常生活用具では認められなかったことを聞いていましたので、今回の給付決定には本当に感謝しています。その立て役者はなんと言っても赤池P・Tであることは言うまでもありません。そしてこのことが同じ立場の人々にも知っていただき、ぜひ一人ひとりの障害が重たくても軽減する工夫によっては明るい明日の在宅生活があるのだということをお伝えしたいと思います。
 社会資源でもある福祉用具プランナーや理学療法士さん、そして日常生活用具給付事業などの制度活用を図りましょう。そのための福祉制度なのですから・・・。
 機器が我が家に来たら、写真などでまたご紹介します。

地区社会福祉協議会主催「敬老会」寸劇練習

2008-09-13 06:57:30 | 私と福祉とであいの旅
 昨夜であいの家あうんで夜7時から、地区社会福祉協議会主催で15日開催予定の「敬老会」のアトラクション「寸劇」練習第2回目が開催された。
 あうんスタッフはいわき地区の「ふれあいボランティア会」の会員登録しており、地域の社会資源の一つとして役立つこと、なじみになることを目標に今年も協力することになった。あ・うんの関係づくりである。
 脚本・演出・小道具・裏方全般はあうんで行い、敬老会前日の準備、後かたづけにも参加する予定である。小道具も昭和初期の白黒テレビや丸ちゃぶ台、ダイヤル式電話などを集めてきた。古き良き時代のお酒のお銚子、重箱なども役員の皆さんが集めてきた。
 昨年の敬老会の寸劇は「幻の大相撲岩木場所 栃錦・若乃花戦」であったが、今年は「昔の岩木(いわぎ)はいかったっきゃの」である。
 あらすじは第4幕で「となりぐみ」がテーマである。第1幕は回覧板を回しながら、情報交換をする隣人たちの姿。第2幕は貸し借りの生活で、テレビも普及し始めたとはいえ隣組には1件だけ。したがって見たい番組を見せてもらいにやってくる。晩ご飯のテーブルは丸いちゃぶ台で、一家全員が楽しく戴いている。そこに隣組の人たちがみそを貸してとか、ご飯を貸してなどと来たり、お風呂も貸してとにぎやかである。
 第3幕は地域の安全をみんなで守るがテーマで、この当時は消火活動などもみんなで協力した。バケツリレーをする住民の姿がそこにある。そしてこそ泥を捕まえる住民の姿である。
 第4幕みんなで娯楽。弘前の春の娯楽は農繁期前の「弘前城公園の桜祭り」と「観桜会」にみんなで一張羅の着物を着て出かけ交流する姿である。こうして、人と人が寄り合い、助け合い、理解し合って暮らす原風景があったことを、50年前には30代以上の75歳以上の敬老会参加者に見てもらって、思い出して欲しかったのである。そして何よりも現在の時代の「地域福祉」のテーマがそこにあるのだということを伝えたいのである。地区社会福祉協議会役員のテーマではないかと思った。

忙中に牛糞あり

2008-09-12 07:02:15 | つれづれなるままに
 「忙中に閑あり」という言葉があるとすれば、私には「超大忙中」「大忙中」中忙中」「小忙中」があると感じるときがある。昨日はそのランクの中では、「中忙中」だったかな?という感じである。
 今週は昨夜からの地区社会福祉協議会の役員さんたちが、敬老会のアトラクションとして寸劇を演出することになっている。脚本といっても台詞が言えない人ばかりなので、小道具などで補わなければならない。その準備に奔走し、昨夜は身振り手振りを指導した。敬老会は15日、17日から22日までが韓国ソウル市のお客様が来訪しスティ。21日はその宋先生の記念講演を組んだ「ソーシャルワークセミナー」の開催は事務局の仕事が気が抜けない。25日にはパン工房のリフォーム工事の入札があり、その間に10月12日~2日間の「すずきゆきおさんの絵画展+あうん文化祭」の案内はがきが刷り上がってくるのでその郵送準備。ポスターやチラシも掲示、配布しての準備活動だ。
 そんな中今月中にどうしてもやっておかなければならないのが、高舘山の小麦畑の準備作業。通所者のIさんとKさんの二人に手伝ってもらって、コウモリの糞とか、貝の化石の粉末を蒔いて、昨日からはいよいよ牛糞を畑に蒔くのだ。これがまた、発酵済みのものではなくて、まだ生に近いので匂いも強烈である。有機肥料なのだからそういうことなのだ。昨日はスタッフにも依頼してこれを片づける約束だった。ところがスケジュールは突然狂い出す。スタッフの一人が病欠して、その穴埋めに他のスタッフが入り、そこになだれ込む、他施設の入所者の活動指導である「パソコン練習」。結局私が午前中残って対応することになった。そして1時間ほどすると、今度は突然の緊急電話。「H警察署の警官がパトカーでゆいまあるに来ているので対応して・・・」。何ごとならんとおっとり刀で駆けつけると、駐在さんと本署の女性警官が「ゆいまある」でパンを食べていた。どうしたのかを聞けば、昨日午後4時過ぎにこの界隈を下校途中の小学5年生の女児が、不審者に触られたということだった。良く聞いて行くとどうもそれは、わが「あうん」の放課後利用の中学1年生男児のことのようであった。いろいろ行動や服装の特徴、そして担当スタッフの証言をつきあわせると間違いなくその児童のことで、これは困ったことになったと思うのである。まず自閉症と知的障害についての講義を警察官に始めた。「この子は変質者などではなく、自閉症と知的な障害を持った養護学校に通うお子さんである。私たちが放課後お預かりをして安全に配慮したり様々な支援をしていること。そして自閉症はようやく最近明確になってきた障害であり、まだ未解明の分野でもある。そして視覚優位という特徴と、オウム返しの対話能力、固執する行動特性などがあって・・・。」「いずれにしても、このお子さんはその女の子が可愛いと思ったわけであって、匂いをかいだりするだけで、押し倒してというような行動までは・・」「私たちの仕事は障害のある人たちが地域で暮らせるように、社会的なルールなども身につけさせるのが仕事なのです。その間には間違いを起こす子もいるが、それを間違いだということを教えて行こうとしているのです。どうかもう少し私たちとこの子どもに、その教育の時間を与えてください」と懇願していた。二人の警官は何とかそれを理解してくれたようだった。このことを負の経験ではなく、プラスの機会としてとらえて行こうとスタッフに話していた。こういうことがあったからこそこの警察官とも面識ができ、障害者のことを理解していただく機会が恵まれたと考えればいいのだ。
 お昼はなんだか何を食ったのかすらわからない感じで進んだ。

 それにしてもこのところの陽気は、極端すぎる。雨が強く降ったかと思えば、今度は猛烈な暑さである。午後2時頃の日差しはとってもきつくて、あっという間に汗が滝のようである。30分作業を行っては、一息入れる感じである。牛糞を蒔く作業を午前中通所のKさんがやったが、結局匂いが強烈でウン地のイメージが強くて具合が悪いと挫折したらしい。スタッフKさんと約2時間まさに糞戦?・もしくは糞闘?して何とか1日目を終えた。きょうは残りの処理である。こんな牛糞にも、昆虫はたくさん魅力を感じて寄ってくる。美しいアゲハチョウなどがそれであり、コオロギなどもどんどん牛糞たい肥の藁の中に潜り込んでいた。
 きょうはできれば小忙中であって欲しい。

人が育つ条件

2008-09-11 07:34:33 | つれづれなるままに
 人が育つ条件があるのだろう。その一つとして、かなり前に軍神といわれた山本五十六の言葉を思い起こす。山本は私の故郷長岡市の出身である。
 「やってみて 言って聞かせて させてみて ほめてやらねば 人は動かじ」
 言うだけしかないリーダーシップは誰にでもできるが、こうすればできるという見本をまずリーダーが示すことが、後からやる人の気持ちを奮い立たせるのだ。私はよく何かを為そうとするときに、問題だけを並べ立てる部類の人をよく見かけがっかりする。「失敗は成功の母」ともいうが、何故失敗したのかがわからなかったら、痛い思いをしなかったら、自転車にだって乗れやしない。
 私はこの時、老人ホーム時代のことを思い出す。33年前の特別養護老人ホームは、「生活の場」だといいながら収容の場を感じさせる環境がそこにあった。食事の時間は夕食が午後4時台、ベッドで食事も排泄も娯楽も全てやっていた。ひたすら寮母さんを待つ生活がそこにあった。だからナースコールがとんでもなく多く鳴った。自分ですることが少なかった。すべて職員にお任せの生活がそこに展開した。ここは病院だろうかと思ったことがあった。
 「生活の場に変えよう」と提案した。最初が「食事をベッドではなく食堂で」だった。そのために車いすも増やし、ベッドの高さを低くした。移動バーを取り付け、三食(朝・昼・夕)バイキングをスタッフと一緒に計画した。おむつはずしをするために、お年寄り個々の排泄特徴を調査した。データ集めだ。こうすることで初めてリハビリテーションの目標ができはじめた。しかし、施設長や看護師、お年寄りの一部からは猛反対にあった。しかし、3ヶ月だけやらせてくれと頼み込んだ。ここで大切なことは準備と辛抱である。ステージに人を立たせることのイメージづくりが必要なのだ。「誰々さんの場合は・・・」を一人ずつ考えていくことだ。何よりも最初に大変なことは、何年も続けた仕事のスタイルを変革することの大変さを、スタッフ自らが大変だと思い込んでいることだった。せっかく慣れている仕事の手順をもう一度、組み立てることの面倒くささが反対の原因だった。この施設の本来の目標はなんだったのか。終の棲家なのだろうか?人生の終末期をどのように過ごさせてあげるのが幸福なのか?そういうことを一つずつ議論して、初めて価値観が生まれるのだ。
 お年寄りの生活歴を学んだ。その再現を実現した。そのことで、お年寄りの生き様や内側にある自信を引き出すことができた。園庭の芝生をはいで畑にした。お年寄りに野菜を作ってもらってみんなで育てた。房卒中後遺症(片麻痺)者の料理教室や文化刺繍クラブを開催した。洗濯物の下着を年寄りに洗ってもらった(洗濯クラブ)採れた野菜で漬け物をつけてもらった。そうすることによって、お年寄りが初めて教える側に回ることができた。音楽クラブも行った。自治会を作った。こうして初めてお年寄りが動き出したのだ。寝間着を着て終日ベッドで過ごしたあの無目的な、早くお迎えが来ないかと云っていたお年寄りたちが、ようやく自分の目標を持ち始めたのだ。おむつの使用者が3分の1に減り、床ずれも消え、家に帰れる人も出てきた。
「生きてきて良かった」「ここに来てよかった」「あんたに会えて良かった」そういう言葉を聞くためには、私たちは何をすればよいのかを究明する必要があるのだ。
 職員だって、これだけお年寄りが変わり始めれば、自分たちの専門性のあるべき姿に気付き始めるのだ。問題は何もやらないことだ。ただコピーすることだ。よく見ないことだ。自分でやってみないことだ。やったことの中から何かをつかもうとしないことだ。どのようにやればできるようになるのかを示さないことだ。
 私の原点はここにもあった。実践の中に道はできるのだとあらためて思っているこのごろである。
 
 
 

畑も自転車で

2008-09-10 06:56:44 | つれづれなるままに
 昨日もカミさんと自転車で畑に草取りに出かけました。最近の朝の涼しいこと!半袖で出かけたので、少し後悔しています。それでも、自転車で走ると、車では見たりすることのできない光景が目に飛び込んで嬉しいですね。よその畑の様子や、早朝の人々の動きなどが、とても新鮮です。虫の鳴き声や、小鳥たちの鳴き声も耳にできます。みそ汁やおかずを作っている台所の匂いもお腹を刺激します。
 約1時間草取りをすれば、汗びっしょりです。オクラが私の身長を超えて花をまだたくさんつけています。ピーマンもツルムラサキも元気です。里芋も大きく成長して来て、嬉しくなります。それにしても草の何と元気のいいこと。
 秋まきの野菜を何にしようかと迷っている内に少し遅くなっています。畑が道路のそばにあるために、お世話になっているTさんが車を止め雑談が始まります。
 
 昨日は高舘山の畑でメンバーさんとスタッフで、小麦を蒔く準備のために汗しました。作付け面積を決めて、メンバーさんの仕事をやりやすくするためにビニールテープを張ってその中に肥料を入れるようにしました。一人ひとりの仕事の進め方や性格などがそこには現れます。ゆっくりと丁寧に作業を進める人、かなり軽快に肥料を蒔いてあっという間に終える人など様々でした。ま、人の生き方なんてそんなもんだろうなと思いながら、鳶のピーヒョロロという鳴き声や、小鳥たちのさえずりに耳を澄ませながら楽しんで作業をしていました。
 ちなみに肥料や有機肥料で、「グアノ」というコウモリの糞と名前は忘れたのですが「貝の化石」の粉です。窒素・リン酸・カリの3拍子がそろうのだそうです。
 きょうは後3分の1作業をして、午後からは牛糞蒔きです。メンバーさんが「おれはやらないぞー!」と叫んでいます。

 午後3時。メンバーさんのご帰還です。送った後で、今度はこの高舘山から10分ほど離れた「いきいきファーム」でのブルーベリーへの灌水作業です。今週は天気が良くて雨が期待できないので、丁寧に灌水作業をしました。新しい枝が次々に出て、緑の葉をそよがせています。
 それにしてもまだまだやるべき仕事が見えてきて、「何をやっているんだろうナー俺は・・・」と思っています。
 
 きょうは午前中に看板屋さんと打ち合わせをして、それから見学者のお相手をします。午後からは明日の夜の、地区社会福祉協議会の役員さんたちのアトラクション練習の支援です。寸劇の役割分担やナレーションができていません。今回は紙粘土で人形劇を日頃からやっているスタッフの協力で、鰺の開きやバナナなどが完成しています。あとは消火訓練用のバケツの製作です。
 こういう活動が実はとても地域の人々との信頼関係づくりには役立つのです。だから気合いを入れてやります。

 昨日は韓国の宋サンからメールが来て、いよいよ10日には出発されるとのこと。北海道を皮切りに青森での交流の旅の始まりです。あわただしい9月の始まりです。

サイクリング

2008-09-09 08:31:19 | 趣味(渓流釣り・フォーク)
 一昨日は久しぶりの仕事のオフ。快晴のやや暑い日差しの天候。2台の自転車を車に詰め込み、カミさんとサイクリングに出かけました。行き先は黒石市の浅瀬石川サイクリングロード、往復20㎞。基点となるポイントから温湯温泉がゴール目標です。川沿いに設けられたこのサイクリングロードは、以前サイクリング協会で走った道です。温湯温泉まではゆっくりとした上り坂が続きます。カミさんは先日の青森市での経験が功を奏して、順調にペダルを踏んでいます。草が伸び道路が狭くなっていました。萩の花やアザミの花が咲き始め、りんご畑のりんごも玉伸びも順調で色づいています。稲穂も黄色に頭を垂れて黄金色に変わりつつあります。しっかりとした秋を感じさせてくれます。トンボも空を群れていました。サイクリングロードは温湯温泉前の橋で終点を迎え、その橋を横切ってからは一般道を緩やかな上り坂を走って5分で目的地の「津軽伝承工芸館」が見えました。基点から約40分で到着休憩し、ほっと一息汗を拭きました。
復路は幾分下り坂気分で、結構快適なダウンロードです。マイカーのあるゴールラインに到着すると、すっかりお腹も空いていました。今度はまた別のサイクリングロードを開拓したいと思いました。
 有酸素運動をする快適さと、目的の達成感は最高でした!今がサイクリングの季節としては最高なんだと思います。

雨の日曜日

2008-09-07 07:00:24 | つれづれなるままに
 なんだかとっても眠たくて、昨夜は早々と布団に入りました。実はカミさんの妹夫婦がお盆休みをこの時期に取るためにやって来ています。今朝は明け方3時にはカミさんがイベントが2つも入っていて、早番でパンを焼きに出かけました。長女はなかなか寝付けないのか布団の上を動き回り、朝方になってようやく眠ってくれました。私は結局3時30分には起きて、一仕事しました。
 明け方にはもう雨がしとしと降っていて、せっかくのきょうの日曜日も残念ながら室内で過ごすことになりそうです。昨日はそれでも何度か自転車に乗って動くことができましたので、明日の公休日もまた早朝サイクリングに挑戦の予定です。
 ブルーベリーもこの雨のおかげで、きょうは水やりに行かなくてもよさそうです。天気予報では来週はずっと天気が良さそうです。最高気温も24℃から25℃くらいで、最低気温も15℃くらいまで下がりそうです。徐々に秋めいて来ました。コオロギと鈴虫の合唱が、心を静めてくれます。今週は畑の作業も佳境となります。
 今月間もなくのソーシャルワークセミナーの開催と韓国からのお客様の接待。そして工事の入札が25日、来月の絵画展と文化祭の開催に向けて、案内状発送とポスターの掲示やチラシ配布もこれからです。
 12月は公民館の自主事業で、はせくらみゆきさんの記念講演会とクリスマスワークショップ開催事業が12月7日にあります。弘前市ボランティアデイも同時並行で開催されます。今のうちに少しのんびり休みたい心境です。

小麦作付け準備

2008-09-06 06:51:51 | いきいきファーム
 9月に入りいよいよ秋も本格化してきました。稲穂も今年は順調なのか、頭を垂れて来ました。萩の花も咲き始めています。りんごも色づきよく、すでにあちこちの無人販売所で「キオウ」という黄色のりんごが3コで100円くらいで売られています。これからは「サンつがる」が出回るようです。
 さて私たちのブルーベリーは本当によく成長が進んで、来年の収穫がとても楽しみになってきました。いくらか収穫の果実を食べると、実の大きさはやや小さめですが甘さと酸味もバランス良くてとても評判が良いです。
 そして、これから小麦の作付けをすることになります。こちらはこの畑ではなくて、車で10分程度の高舘山という場所の畑をお借りしています。元は林檎畑だったところで、5反歩(1500坪)あります。
 しらとり農場のオーナーから有機農法を教えていただいていますので、昨日は酪農を営む東岩木山の唐牛(かろうじ)さんというお宅を訪ねて、「牛糞たい肥」をダンプで2回分いただいてきました。唐牛さんの農場では乳牛が40頭ほどもいて、たい肥がたくさん出るのです。これを蒔き、そのほか貝殻の粉(蛎殻)やコウモリの糞などを蒔いて、窒素リンサン・カリがバランス良く土を活性化してくれるはずです。
 来年の夏には収穫が期待されます。自家製の小麦で焼くパンの味がとても楽しみです。
 牛糞たい肥は2トンで6千円くらいで販売されていますが、唐牛さんがいくらでも持って行けというありがたいお言葉に甘えて、無料でいただくことになりました。写真はたい肥をショベルでダンプにつけていただいている場面です。
 私とスタッフ2人でたい肥の臭いを放ちながら畑まで運搬して、体中がこのたい肥の臭いでいっぱいになりました。でも、こういう温かな人情を感じると、とってもこの臭いも心地よくなるから不思議ですね。

美味しい水

2008-09-03 07:18:43 | つれづれなるままに
 津軽は温泉の多いことと、清水があちこちに湧いていることでも有名です。そのことで人々はたくさんの恩恵を受けています。私の住んでいる町会にも湧き水があって、生活に使われています。それに旧岩木町一町田地区には、有名な芹畑もあります。これもひとえに岩木山と雪があるからこその副産物かも知れません。
 このところ普段は行き着けないコースを車で走っていて、ふと気付いたことがあります。ニッカウヰスキーの会社脇になんだか人が毎朝群れているのです。何をしているんだろうかと思って注視してみていると、ペットボトルなどをたくさん持った人々がそこで水を汲んでいるのです。試しに私はその人々のいなくなった後で、コップに水を汲んで飲んでみました。とっても冷たくてまろやか、そして柔らかなお水でした。早速私もペットボトルに汲んできて、珈琲や焼酎割にして飲み始めています。職場でもスタッフがそコを訪れているようです。酒屋さんが汲んでいる井戸水を、この場所で住民にサービスしているのだそうです。草刈りやゴミ拾いなどをして、この場所を住民の人たちも大切に使っているのがわかります。楽しみが一つ増えたような気分です。