9月2日(金)
朝、弘前大学の李教授から電話があり、ねぷたの際に貸した灯篭の返却に来るとのこと。そして先日の野田村の社協宣告後の対応について話があった。何やら午後から弘前市との話し合いが持たれるのでいけないかという知らせだった。私はあいにく同じ時間帯に業者との約束があり、行けそうもないので李教授に一任した。
10:40頃李教授と日野口、南部両君が同行し、ネプタの灯篭を返していただいた。
午後のメールで、李教授から弘前市との話し合いの結果が知らされた。結論は今後も市が定期便を出すことになったとのこと。
以下がそのメールの内容である。
「8月31日野田村社会福祉協議会(職員)から提示された内容の確認と、野田村災害復興ボランティアセンターの正式な発表として、9月5日から県外からのボランティアの受付を休止するというお知らせがあったことを報告しました。
その後、(市担当者との話し合いで)今後の(「チームオール弘前」の)方向性に関して、話し合われ、以下の内容が確認されました。
基本的には、弘前市からの提案で、今後もボランティア活動を継続する。例えば、押し花やパッチワーク教室、子育てサークル、木のおもちゃなどなど、弘前市の市民団体からの提案を野田村に提案して、一緒に作業をしながら話をしたり、お茶を提供したりするボランティア活動を行う。
一般市民や学生は、そのような活動を補助したり、その場を野田村の方々と共有したりすることで、今まで通りに参加する。
このような活動を「チーム・オール弘前」として継続する。
バスの経費を市が負担し、市民の募集を市ボランティア支援センター、学生の募集を弘前大学人文学部ボランティアセンター、当日のバスの事務局を学生事務局と教員事務局が担当する。以上が主な決定事項です。
ボランティアの内容は、瓦礫撤去から共同作業や癒し、傾聴、子育て支援活動など大きく変わりますが、チーム・オール弘前の運営の仕組みは維持することになりましたので、今後も是非引き続きご協力くださるようにお願いいたします。また、弘前市の様々な市民団体と協働することになると思いますので、バライティ―に富んだ活動や経験ができると思います。
なるべく早く実施できるように調整しますので、楽しみにしてください。」
とりあえずこの結果を9日の弘前大学のVc実行委員会で協議し、今後の活動方向がさらに具体化されるのだと思う。何はともあれ、定期便復活が嬉しいことである。最悪の場合は、個人で野田村集合にしなければならないことも想定したのである。それは定期便というバスがあるからこそ、担保される安全の補償問題でもあった。
弘前市の英断に感謝したい!
私たちは単に野田村の復興支援をしているだけではない。それはこれから弘前市が体制として整備して置かなければならない、最悪の場合のシナリオである。それを野田村という被災地の皆さんを支援しながらも学ばせていただいても居るのだと思う。
意識ある市民がいざというときに結集して、協働することの大切さを今回ほど痛切に必要なこと、大切な力だと思った。少なくとも、官、学、市民が共同した日本でも極めて稀な例ではないだろうか。
私たちが「東日本大震災」を通じて、20回余りの活動経過の中で体験したこと。それはまさに日々実践の中から学ぶ、連帯のあり方ではなかったのだろうか。そこで少なくとも多くの参加者が共感し、共に力を合わせて達成した復興なのだ。学生たちもこの体験を通じて、社会で発揮できるであろう力と勇気は、尊い体験としていつの日か花開く時が来ることを信じている。
私たちは単に瓦礫撤去が終えればそれで使命が終わりだと思ってはいない。野田村の人々との本来の対等な関係での交流が持てる日まで続けたいと思っているのである。
※「ベゴ道」とは野田村の塩を牛(ベゴ)につけて、盛岡市などに往き来し運搬したその道を言う。
朝、弘前大学の李教授から電話があり、ねぷたの際に貸した灯篭の返却に来るとのこと。そして先日の野田村の社協宣告後の対応について話があった。何やら午後から弘前市との話し合いが持たれるのでいけないかという知らせだった。私はあいにく同じ時間帯に業者との約束があり、行けそうもないので李教授に一任した。
10:40頃李教授と日野口、南部両君が同行し、ネプタの灯篭を返していただいた。
午後のメールで、李教授から弘前市との話し合いの結果が知らされた。結論は今後も市が定期便を出すことになったとのこと。
以下がそのメールの内容である。
「8月31日野田村社会福祉協議会(職員)から提示された内容の確認と、野田村災害復興ボランティアセンターの正式な発表として、9月5日から県外からのボランティアの受付を休止するというお知らせがあったことを報告しました。
その後、(市担当者との話し合いで)今後の(「チームオール弘前」の)方向性に関して、話し合われ、以下の内容が確認されました。
基本的には、弘前市からの提案で、今後もボランティア活動を継続する。例えば、押し花やパッチワーク教室、子育てサークル、木のおもちゃなどなど、弘前市の市民団体からの提案を野田村に提案して、一緒に作業をしながら話をしたり、お茶を提供したりするボランティア活動を行う。
一般市民や学生は、そのような活動を補助したり、その場を野田村の方々と共有したりすることで、今まで通りに参加する。
このような活動を「チーム・オール弘前」として継続する。
バスの経費を市が負担し、市民の募集を市ボランティア支援センター、学生の募集を弘前大学人文学部ボランティアセンター、当日のバスの事務局を学生事務局と教員事務局が担当する。以上が主な決定事項です。
ボランティアの内容は、瓦礫撤去から共同作業や癒し、傾聴、子育て支援活動など大きく変わりますが、チーム・オール弘前の運営の仕組みは維持することになりましたので、今後も是非引き続きご協力くださるようにお願いいたします。また、弘前市の様々な市民団体と協働することになると思いますので、バライティ―に富んだ活動や経験ができると思います。
なるべく早く実施できるように調整しますので、楽しみにしてください。」
とりあえずこの結果を9日の弘前大学のVc実行委員会で協議し、今後の活動方向がさらに具体化されるのだと思う。何はともあれ、定期便復活が嬉しいことである。最悪の場合は、個人で野田村集合にしなければならないことも想定したのである。それは定期便というバスがあるからこそ、担保される安全の補償問題でもあった。
弘前市の英断に感謝したい!
私たちは単に野田村の復興支援をしているだけではない。それはこれから弘前市が体制として整備して置かなければならない、最悪の場合のシナリオである。それを野田村という被災地の皆さんを支援しながらも学ばせていただいても居るのだと思う。
意識ある市民がいざというときに結集して、協働することの大切さを今回ほど痛切に必要なこと、大切な力だと思った。少なくとも、官、学、市民が共同した日本でも極めて稀な例ではないだろうか。
私たちが「東日本大震災」を通じて、20回余りの活動経過の中で体験したこと。それはまさに日々実践の中から学ぶ、連帯のあり方ではなかったのだろうか。そこで少なくとも多くの参加者が共感し、共に力を合わせて達成した復興なのだ。学生たちもこの体験を通じて、社会で発揮できるであろう力と勇気は、尊い体験としていつの日か花開く時が来ることを信じている。
私たちは単に瓦礫撤去が終えればそれで使命が終わりだと思ってはいない。野田村の人々との本来の対等な関係での交流が持てる日まで続けたいと思っているのである。
※「ベゴ道」とは野田村の塩を牛(ベゴ)につけて、盛岡市などに往き来し運搬したその道を言う。