夢発電所

21世紀の新型燃料では、夢や想像力、開発・企画力、抱腹絶倒力、人間関係力などは新たなエネルギー資源として無尽蔵です。

雨降って地固まる~歴史の旅

2011-09-19 09:29:23 | 私と福祉とであいの旅
9月18日(日)


 それにしてもどうだろう・・・。宮原一行「レラの会」が弘前に来てからというもの、土砂降りの雨が続いている。どうやらそれぞれの告白によれば、雨男と雨女が集合したらしい。
 そういうわけで、この日の活動内容は大きく急旋回して、宮原さんといえば「古代からの歴史」というラインを思い、「弘前市藤田記念庭園の考古館」を訪問することにした。あいにくの雨にはちがいないが、物事というものは考え方一つにより大きく気分がマイナスにもプラスにも左右する。村上和雄さんの考え方にこのところ共感している自分としては、可能な限りプラス思考で楽しくいきたいと思っている。この雨があるからこそ、違う活動や体験もできるに違いないのだから・・・。
 まずは「腹ごしらえ」ということで、映画「津軽百年食堂」のモデルの一つの和徳町にある「三忠食堂」を目指したのだが、この日は定休日だった。そこで中華料理の「新雅食堂」に迂回する。
 この店は安さとうまさが同居していて、さらにはあまり知られていないのかいつも空いているのが救いでもある。だが私はこの店の味が好きだ。
 ラーメンをとも思ったが、どういうわけかみなさんご飯ものを注文している。

 食後予定の「藤田記念庭園考古館」を訪問した。縄文時代の土器や石器など興味深く見学した。
 遺跡などでは秋田県鹿角市のストーンサークルに匹敵する青森県は青森市の「小牧野ストーンサークル」、弘前市の「大森 勝山遺跡」などが上げられるが、「砂沢遺跡」(弥生時代)では最古の水田跡遺跡が発見されている。更にここでは土偶が上体と下腿が別々に発見され、9年ぶりに接合された土偶としても有名である。

 この考古館から足を延ばして、田舎館村にある弥生時代といわれる水田遺跡を見学に行った。弘前市の考古館と違って、ここでは自由に写真撮影もできるし、触ったりできる壺や実際に同じ地面を歩ける「水田跡」があって感激した。

 


 この時代の人の足形から推定した身長は150センチくらいで、足の大きさも最大25センチであった。水田の大きさが今に比べて小さい理由は、今のような苗を植えるのではなく、籾(もみ)を蒔いたということ。もう一つは水田面積が小さいと、水温が上がりやすいこと。一人で収穫するのに便利なことなどがあった。
 宮原説によれば、この時代は今よりも気温は高かったのではないかという。

 最後に田舎館村役場の天守部分から見える「田んぼアート」を見に行った。


 今年は「竹取物語」が水田を飾っていたが、間もなく収穫されるのでタイミングとしてはちょうどいい時期だったのかもしれない。

 こうして雨の二日間が有意義に過ごせることができたのであるが、いつもお別れはつらく寂しいものである。今度の再会を約して、レラの会のメンバーとお別れしたのである。



札幌市 レラの会

2011-09-19 06:24:37 | 私と福祉とであいの旅
9月17日~18日

 今年もレラの会の宮原さん・城越さん・五十嵐さん(学生)・林さん(学生)の4名が弘前抱民舎を訪ねてくれました。今年は宮原さんと城越さんとは、我々の北海道旅行の際にお目にかかったので2回目の再会です。

 「レラ」とはアイヌの言葉で「風」という意味だそうです。

 レラは人と人のつながりを大事にし、フォーラムや交流会や旅行など新しい企画を自分たちの力で手作りで作っていくサークル。また農業・歴史・文化を柱に実践型の学びをしています。その中で自分自身が成長し、生きていく力をつけています。大学生だけでなく、高校生、社会人と年齢を超えた人との交流をし、出会いの場を作っています。(語り部屋・レラから)

 札幌で再会して、家内と4人で炭素いいひとときを過ごさせていただいたのですが、この時にお話を伺ったのだ「原発と放射能」についてでした。札幌や函館では、こういうたいとるの学習会が催されて居るとのことでしたし、資料もたくさんいただきました。これまで私は原発について具体的な学習をしてきませんでしたし、その問題について何も知りませんでした。今回のレラの会の弘前抱民舎訪問のついでに宮原さんから「原発と放射能について」をお話しして欲しいと依頼したのでした。

 9月17日(土)13:31
 
 4人のメンバーと弘前駅で再会しましたが、皆さん元気そうでした。
 我が法人の活動をずっと見守ってくださっていた宮原さんと城越さんは、まだパン屋conaを見ていなかったので、はじめにそこを案内しました。

 畑などを案内したあと、岩木山神社の下側にある「三本柳温泉」に案内し入浴して頂きました。ここは温泉が比較的おとなしい泉質なので、四人には良かったようです。 
 PM6時30分からBBQと宮原さんの放射能の話です。約20名が参加して交流をはかりました。
 宮原さんのお話に合わせて、大間町の大間原発の開発にただひとり反対した農家の熊谷あさ子さん(故人)の生き方を絵本にしたものを城越さんが朗読してくれました。たった一人で大間原発の炉心部分に当たるという場所に持つ畑を死守して、原発ができるのを阻止ているという勇気と根性、その生き方の壮絶さに驚嘆させられました。

 宮原さんのお話は3時間にも及び、まだまだ話し足りないようでしたが私たち初心者にはショックな連続でした。初心者というよりも、言い換えれば無関心だった者と言ったほうが良いのでしょうか。
 日本社会は2つも原子爆弾を落とされたという忘れえない記憶と被害を持っている国家でありながら、便利な生活と経済的な発展だけを追い求めてきました。今回の福島原発事故はチェルノブイリ原発事故をはるかに凌ぐ規模の事故ですが、1984年のソ連のこの事故が今25年経ってどのような悲惨な状況になっているのかのお話を聞き、これから10年後の福島県の子供たちを始めとする放射能禍が心配となるお話でもありました。一番の問題点としては、そういう悲惨な歴史を持つ日本で原発54基もあるという事実です。そして日本列島の海沿いに原子力発電所が設置され地震列島と言われる日本が、これからどういう経路をたどろうとしているのかを考えるだけでも悩ましき問題なのです。私たちの住む青森県には六ヶ所村があり、大間町にも開発計画が進んで来たのですから、青森県民として今回の福島原発事故は不安だけが増幅する現在です。
 そういう意味では知らされない事実があまりにも多い情報大国日本なのです。
 もう一度日本の未来と安全について、私たちのできることを考えていく時が来たと思いました。