音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

キャラバンサライ (サンタナ/1972年)

2011-11-23 | ロック (アメリカ)


サンタナというミュージシャンには然程影響を受けてはいないのだが、実は、大変尊敬しているミュージシャンの一人である。それは、いつもこの人、カルロス・サンタナの体の何処かに宿っていると思われる、飽くなき「サウンドの追求」の真摯な姿勢である。それはもしかしたら、彼のミュージシャンとしての出自にあるのかもしれない。60年代洋楽ファンならご存知の様に、彼はあのウッド・ストック当時、全くの無名でレコードの1枚すら出していなかったにも関わらず、大抜擢された(正確には1966年にシスコでブルースのバンド・サンタナとしては活動していた)。そして、話題となり注目される様になった訳だが、未だに、その恩をプロモーターやファンに返し続けているのではないか。真面目な彼の姿勢にそう思っているし尊敬もしている。

サンタナの音楽姿勢で面白いのは、基本、ラテン・ロックという部分であるが、そこに固執はしていない。また、「サンタナ」名でバンド形式を組んでいるがそのメンバーにも形態にも拘っていない。そしてこの第4作めにあたるこの作品からその姿勢は一層強くなったといえると思うが、それにはデイヴ・ブラウン、マイケル・カラベロといったオリジナル・メンバーの脱退があったからかもしれない。同時にサンタナはこの作品から(長い意味では一時的に)ポップ路線と決別をすることとなった。この作品では10曲中7曲はインストであるし、これは後々にそう呼ばれるフュージョンという領域の音楽をこの時点で完成させていて、"Song of the Wind"のギターフレーズはかの有名ギタリストが真似をしている元になっている(余談だが、この時点にフュージョンという音楽分別はしていないのに後世の評論ではこの時代にもこの言葉が使われていたりして遺憾だ)。また"All the Love of the Universe"では、既にベースはエレキでチョッパー奏法(そもそもこれはロックンロールの頃からウッドべースの奏法にあったもの)もやっていて、ジャコパスやスタンリーなんかよりも早い。アルバムのタイトルになっているキャラバンサライとは、隊商のための取り引きや宿泊施設のことであるが、一方でこの収録作品の曲名はどれも、人間の生命と宇宙空間とを関連付けたタイトルが付されており、これはサンタナ自身の音楽変化を表しているといえる。ここまでの音楽をキャラバンサライに於いてリフレッシュして、今後の隊商の出発にする、そんなメッセージであろう。私の音楽試聴経験でいうと、まだサンタナはリアルタイムでなく、この作品はプログレの流れもあって聴いていた。当時、ピンクフロイドの「狂気」などと同じ感覚で聴いていたから、矢鱈とストレートに入って来ていたし、やはりラテンのリズムは強烈だった。どうしてもサンタナというと「天の守護神」が名盤になっているが、彼のその後の音楽変遷を理解する上においては、この作品は絶対抑えておかなくてはいけないし、いや、そんな難しいことを言わなくても音楽好きで「天の守護神」が気に入った方には併せてこちらも聴いて頂きたい。

私はエセ・オーディオ・ファンだから詳しいことはよくわからないが、レコード時代のコレクターによると、この作品は後々の「サラウンド」だそうな。アナログでそれが楽しめる貴重な一枚らしく友人でも所有している人が多い。それと残念なのはニール・ショーン。弱冠17歳でサンタナのセカンドギタリストとして参加、カルロス・サンタナと二枚看板になっていたが、彼はこの作品でサンタナを去ってしまう。で、ジャーニー? ジャーニーが悪いといっているのでは無いが不思議だし、結構ギタリストとしては逸材だったし、またジャーニー解散後の彼の変遷を考えると、この脱退とジャーニーの結成(収入はかなり多かっただろうが)は彼の音楽人生においては回り道だったのでは?


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