音楽は語るなかれ

音楽に関する戯れ言です。

スーパー・ジャイアンツ (ブラインド・フェイス/1969年)

2011-11-24 | ロック (イギリス)


人の出会いというのは時として本人の意思とは別に面白い方向に進展することがあるものだが、その点においてはミュージシャンという人種も、我々に聞こえてくる部分だけに限っていえば、どうも同じようだ。それを象徴しているのがこのブラインド・フェイスであり、同時にたった1枚残したこの作品である。このバンドに関しては未だに賛否両論が多い。でも多分それはリアルタイムで聴くことの出来た方々の特権であり、私の世代、つまりは、ヤードバーズもクリームも、「いとしのレイラ」も一緒に入ってきてしまった年代層には残念ながら全くそんな贅沢なことをいう権利はなく、もうこのアルバムを聴くことができるということだけで「贅沢な時間」なのだから。ブラインド・フェイスは、クリームにいたエリック・クラプトン(g)とジンジャー・ベイカー(ds)、元トラフィックのステーヴ・ウィンウッド(vo,key,g,b)、それにリック・グレッチ(b)という日本では無名だったが実力派のベーシストが加わったが、当時、スーパー・グループと呼ばれ、その期待はとどまることを知らなかったと聞いている。

当時のファンはこのバンドに一体どんな事を期待していたんだろうかと最近になって思うところが多い。恐らく、多くはクリームの再来だったのだろうか、でもだとしたら相当裏切られただろうなというのが、この作品を最初にその他クラプトンのアルバムと一緒に聴いたときに私の偽ざる感想であった。そう、私が聴いた年代でも自分自身の感想ではなく、音楽界全体のことを代して述べてしまっていることが恐い。そしてそれはこのバンド名「盲目的な信頼」についても、明らかに過度な期待を「皮肉」として返したメンバーの計らいだと言われている。この作品は1969年5月に発表され、すぐにこのメンバーで演奏活動を開始し1969年6月、ロンドンのハイドパークが皮切りだったが、この時はなんと無料だったこともあり10万に膨れ上がった。その後7月のマディソン・スクエアーを皮切りに1ヶ月かけて全米ツアーを行い、その後はあっけなく解散してしまった。そのライブ演奏活動にも現れている様に、ステーヴ・ウィンウッドがステージでもキーボードを前面に出して(ヴォーカルなんだから当然かも知れないが)演奏している。(我々の世代だと、レコードもだが、このライヴ映像も既に見ることが可能だったので、ジンジャー・ベイカーが前に出ている映像も多かった)また、不思議とスティーヴのヴォーカルはクラプトンと似ていて、レコードでは最初クラプトンが歌っているのかと思った程である。このアルバムでは半分をスティーヴが書いているが、特に"Had To Cry Today"と ”Can't Find My Way Home”では、クラプトンとスティーヴのギター共演は素晴らしく、そこにキーボードもかぶさって録音しているが、当時のステージではキーボード(最近の復活ステージではギターが多い)で、クラプトンはなんとテレキャスターであの音を出している。そして後々、クラプトンの十八番にもなる名曲"Presence Of The Lord"はこのアルバムの入っているのである。そしてこの時代において、全くサイケの香りすらさせないところに、このバンドがスーパーセッションだった事を裏付けるものがある。やはりこの作品は名盤だ。

アルバムを一枚出して解散というのが伝説を作るというのは、どうも、このバンドから始まったのではないかと思う程である。そして面白いことに当時、リアルで「裏切られた」という方々も皆挙って「名盤」だという。私もこの作品があったからこそ、クラプトンは「デレク&ドミノズ」に、そして「461オーシャン・ブールバード」に繋ぐことが出来た。途中、ヘロイン中毒で苦しむが、その立ち直る布石を作ってあったからこそ道が開け、当代一のロックギタリストになったのである。


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