今日、月刊『WILL』の六月号を手に入れて蒟蒻問答を読んでみて驚いた。
(註:蒟蒻問答というのは堤堯と久保絋之の対談ページ)
所々に、福田恆存さんの言葉が引用されている。
以下、その箇所を掲載。
久保:福田恆存が「(アメリカ人は)全てが文明の高度化と文化の未成熟という矛盾に基づくインファンテリズム(子どもっぽい行動・幼児性)から説明できる」と言ったことがあります。文化の蓄積によるデリカシーというものがまったくないでしょう。・・・
久保:そもそもパワーポリティックス(権力政治)の世界では、それが当り前なんですよ。福田恆存は「日本のインテリは政治を道徳的に見るので、国際政治の冷酷さに無知だ」と言っていましたがね。
久保:ガリバー帝国アメリカに戦争を仕掛けて敵うわけがない。それよりはアメリカの情けにすがろう、などといった小泉流のメカケ根性を捨て、短期戦であろうが「アメリカと戦って限定的な勝利を得る秘策」を練ることで日米安保という鏡をぶち割るべきじゃありませんか。これはことさらアメリカと事を構えようというのではない。しかし、そういう気概が日本になければ、アメリカだって日本を一人前と見なさないし、日米同盟なんて成立しようもないのです。福田恆存が「アメリカと仲良く付き合っていくための前提として、日本人の国家意識を取り戻せ」と言ったのはそういった意味からです。
(註:原文では「福田恒存」となっていましたが、ここでは「福田恆存」に改めました)
ちかごろ雑誌や書籍などで福田先生のお名前を見かけることが多くなったが、『WILL』にも登場するとは。
そういえば、久保さんはかつて産経新聞の「久保紘之の天下不穏」というコラムで何度も福田先生の言葉を引用していた。
久保紘之さんは福田先生と直接関係があったのだろうか。
私はその辺の事情をよく知らない。
ところで、上記三つの福田先生の言葉は何処からの引用なのだろう。
一番下は「久保紘之の天下不穏」でも引用されていた。
二つ目はどこかでみたことがある気がするが、一番上のものは記憶にない。
いづれも出典がわからない。『日米兩國民に訴へる』だろうか。
あるいは、久保さんが個人的に聴いたものだろうか。
御存知の方御教示いただけると幸いです。
さて、福田先生の御意見にはまったく同意の至りである。
「日本のインテリは政治を道徳的に見るので、国際政治の冷酷さに無知だ」という言葉は今も全く通用する。
日本の評論家に是非とも聴かせたい言葉だ。
アメリカの幼児性についても鋭い指摘だと思う。
ところで、私は反米主義者ではないが親米でもない。
ただし、最近は政治的に観るとアメリカには腹が立つ事が多々ある。
私だけではなく最近では保守派言論人からもアメリカを批判する声があがっている。
でも、そういう人でもハンバーガーは好きだのスターバックスにも良く行くだとの言っている。
ここに私とそれらの人との間に意識の乖離がある。
というのも、私が生まれたのは昭和六十年で幼年期にジャパン・アズ・ナンバーワンと謂われる時代を過ごした。
生まれながらに周りにモノはあふれていたし、日本製品の品質は世界一だと謂われていた。(今でもそうだろうが)
食べ物も日本のものが一番美味しいと言われて育ってきた。
じじつ、アメリカのドラマや映画で見る食べ物は不味そうだった。
何が言いたいかというと、私には生れながらにしてアメリカに対する幻想や憧れがまったくといっていいほど無いということだ。
そもそも憧れる理由がなかった。
女性だって今も昔も日本女性がもっとも美しいと思う。(これは好みの問題であろうが)
一方、私の親の世代はアメリカに憧れを持ってそだってきた世代だと思う。
私の母などは「子供の頃映画といえばアメリカ映画でなんて素敵な国なのだろうと思った。日本映画などダサくて見れなかった」と当時を回想する。
高度経済成長期はアメリカに追いつけ追い越せの時代だったから、アメリカが様々な意味でお手本だったし、じじつ物資は溢れ、音楽や映画などの文化も盛んだったアメリカに憧れるのは当然のことだったのだろう。
そういう時代を生きた人がいま社会の中核にいるので日本は今だにアメリカに対する幻想や憧れが抜けきっていない。
アメリカを批判する人も憧れをまだまだ捨てきれないとみえる。
いま「私の親の世代」と言ったが、私の世代にもアメリカに憧れを抱いている人もいると思う。
日本人が西欧に憧れを抱くのは明治以降ずっとそうであるし、ついでに言えば明治以前のそれは支那だった。
それでも少なからず、私の上の世代と私より下の世代ではアメリカ観に相違があると思う。
私が単に「国粋主義者」だから他国に憧れを抱かないというわけではなかろう。
日本の経済成長が大きく関連していると思う。
この辺、若い人にいろいろ尋ねてみたい。
だから、実は反米だの親米だのという括りもあまりよく理解出来ない。
初めから殊更アメリカに興味があるわけではないからだ。
アメリカだろうが支那だろうが朝鮮だろうがロシヤだろうが筋の通っていないことには反撥するだけで、
それを反米だの反中だの嫌韓だのと言われるのは心外である。
とまれ、日本人はなんでもアメリカの真似ばかりしているように思う。
ナイナイの岡村隆史もラジオでことあるごとに「日本人はなんでもアメリカの真似ばっかりですよ!」と言っている。
先日も日本の禁煙が強化されたのもアメリカの真似だと怒りをぶつけていた。
禁煙の話はアメリカの真似なのか知らないが、「アメリカの真似ばかり」というのは我が意を得たりといったところだ。
私はどの国とも基本的に仲良くやってゆきたいと思う。
民間レヴェルでは尚更だ。
だからこそ、福田恆存先生が仰ったように「アメリカと仲良く付き合っていくための前提として、日本人の国家意識を取り戻」すことが大切だと思うのである。
(なんか、無理矢理まとめたね。)
(註:蒟蒻問答というのは堤堯と久保絋之の対談ページ)
所々に、福田恆存さんの言葉が引用されている。
以下、その箇所を掲載。
久保:福田恆存が「(アメリカ人は)全てが文明の高度化と文化の未成熟という矛盾に基づくインファンテリズム(子どもっぽい行動・幼児性)から説明できる」と言ったことがあります。文化の蓄積によるデリカシーというものがまったくないでしょう。・・・
久保:そもそもパワーポリティックス(権力政治)の世界では、それが当り前なんですよ。福田恆存は「日本のインテリは政治を道徳的に見るので、国際政治の冷酷さに無知だ」と言っていましたがね。
久保:ガリバー帝国アメリカに戦争を仕掛けて敵うわけがない。それよりはアメリカの情けにすがろう、などといった小泉流のメカケ根性を捨て、短期戦であろうが「アメリカと戦って限定的な勝利を得る秘策」を練ることで日米安保という鏡をぶち割るべきじゃありませんか。これはことさらアメリカと事を構えようというのではない。しかし、そういう気概が日本になければ、アメリカだって日本を一人前と見なさないし、日米同盟なんて成立しようもないのです。福田恆存が「アメリカと仲良く付き合っていくための前提として、日本人の国家意識を取り戻せ」と言ったのはそういった意味からです。
(註:原文では「福田恒存」となっていましたが、ここでは「福田恆存」に改めました)
ちかごろ雑誌や書籍などで福田先生のお名前を見かけることが多くなったが、『WILL』にも登場するとは。
そういえば、久保さんはかつて産経新聞の「久保紘之の天下不穏」というコラムで何度も福田先生の言葉を引用していた。
久保紘之さんは福田先生と直接関係があったのだろうか。
私はその辺の事情をよく知らない。
ところで、上記三つの福田先生の言葉は何処からの引用なのだろう。
一番下は「久保紘之の天下不穏」でも引用されていた。
二つ目はどこかでみたことがある気がするが、一番上のものは記憶にない。
いづれも出典がわからない。『日米兩國民に訴へる』だろうか。
あるいは、久保さんが個人的に聴いたものだろうか。
御存知の方御教示いただけると幸いです。
さて、福田先生の御意見にはまったく同意の至りである。
「日本のインテリは政治を道徳的に見るので、国際政治の冷酷さに無知だ」という言葉は今も全く通用する。
日本の評論家に是非とも聴かせたい言葉だ。
アメリカの幼児性についても鋭い指摘だと思う。
ところで、私は反米主義者ではないが親米でもない。
ただし、最近は政治的に観るとアメリカには腹が立つ事が多々ある。
私だけではなく最近では保守派言論人からもアメリカを批判する声があがっている。
でも、そういう人でもハンバーガーは好きだのスターバックスにも良く行くだとの言っている。
ここに私とそれらの人との間に意識の乖離がある。
というのも、私が生まれたのは昭和六十年で幼年期にジャパン・アズ・ナンバーワンと謂われる時代を過ごした。
生まれながらに周りにモノはあふれていたし、日本製品の品質は世界一だと謂われていた。(今でもそうだろうが)
食べ物も日本のものが一番美味しいと言われて育ってきた。
じじつ、アメリカのドラマや映画で見る食べ物は不味そうだった。
何が言いたいかというと、私には生れながらにしてアメリカに対する幻想や憧れがまったくといっていいほど無いということだ。
そもそも憧れる理由がなかった。
女性だって今も昔も日本女性がもっとも美しいと思う。(これは好みの問題であろうが)
一方、私の親の世代はアメリカに憧れを持ってそだってきた世代だと思う。
私の母などは「子供の頃映画といえばアメリカ映画でなんて素敵な国なのだろうと思った。日本映画などダサくて見れなかった」と当時を回想する。
高度経済成長期はアメリカに追いつけ追い越せの時代だったから、アメリカが様々な意味でお手本だったし、じじつ物資は溢れ、音楽や映画などの文化も盛んだったアメリカに憧れるのは当然のことだったのだろう。
そういう時代を生きた人がいま社会の中核にいるので日本は今だにアメリカに対する幻想や憧れが抜けきっていない。
アメリカを批判する人も憧れをまだまだ捨てきれないとみえる。
いま「私の親の世代」と言ったが、私の世代にもアメリカに憧れを抱いている人もいると思う。
日本人が西欧に憧れを抱くのは明治以降ずっとそうであるし、ついでに言えば明治以前のそれは支那だった。
それでも少なからず、私の上の世代と私より下の世代ではアメリカ観に相違があると思う。
私が単に「国粋主義者」だから他国に憧れを抱かないというわけではなかろう。
日本の経済成長が大きく関連していると思う。
この辺、若い人にいろいろ尋ねてみたい。
だから、実は反米だの親米だのという括りもあまりよく理解出来ない。
初めから殊更アメリカに興味があるわけではないからだ。
アメリカだろうが支那だろうが朝鮮だろうがロシヤだろうが筋の通っていないことには反撥するだけで、
それを反米だの反中だの嫌韓だのと言われるのは心外である。
とまれ、日本人はなんでもアメリカの真似ばかりしているように思う。
ナイナイの岡村隆史もラジオでことあるごとに「日本人はなんでもアメリカの真似ばっかりですよ!」と言っている。
先日も日本の禁煙が強化されたのもアメリカの真似だと怒りをぶつけていた。
禁煙の話はアメリカの真似なのか知らないが、「アメリカの真似ばかり」というのは我が意を得たりといったところだ。
私はどの国とも基本的に仲良くやってゆきたいと思う。
民間レヴェルでは尚更だ。
だからこそ、福田恆存先生が仰ったように「アメリカと仲良く付き合っていくための前提として、日本人の国家意識を取り戻」すことが大切だと思うのである。
(なんか、無理矢理まとめたね。)