都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
しゃぶしゃぶは日本料理であるが、起源については諸説あるようです。
元の時代、フビライ・ハーンの食膳大医(王の食膳を管理する食官の長)である忽思慧(こつしけい:1330年『飲膳正要』を著わす)の考案によるとされる北京の火鍋料理に「?羊肉(シュワンヤンロウ, ピンイン:shuàn yáng ròu)」という羊肉のしゃぶしゃぶ料理があったそうです。
鳥取市出身で民芸運動の指導者であった吉田璋也(よしだ しょうや:1898年 - 1972年9月13日)が、戦後 京都十二段家(じゅうにだんや)で戦時中に軍医として赴任していた北京の料理を我が国に伝え、羊肉を牛肉に替え、柳宗悦や河井寛次郎等の助言を得て今日の形となったという。
「十二段家(京都市東山区祇園町南側570-128)」は日本で最初にしゃぶしゃぶを始めたといわれています。京都祇園の中にあり、純和風の落ち着いたお座敷でしゃぶしゃぶをお召し上がりいただけるそうです。
ただ、中国の鍋料理である火鍋に用いられる食材は、日本のしゃぶしゃぶのように、すぐに火が通るものばかりではなく、しばらく煮込む必要がある食材も多いそうです。
なお、吉田璋也によるしゃぶしゃぶの原型「牛肉のすすぎ鍋」は、鳥取市の「たくみ割烹(鳥取市栄町652)」で供されているそうです。
「しゃぶしゃぶ」の名称は、1952年(昭和27年)に大阪の「スエヒロ(大阪市北区曾根崎新地1丁目)」が、自店の料理として出すときに命名したもので、これが始まりとされています。しゃぶしゃぶして食べるからという、実に日本人的な発想です。
1955年(昭和30年)に商標登録されているが、スエヒロが商標登録したのは「しゃぶしゃぶ」ではなく、「肉のしゃぶしゃぶ」で、「しゃぶしゃぶ」という言葉を、どの店でも使えるようにとの当時の社長の配慮だという。しゃぶしゃぶ専用の調理鍋の中央にある柱状の突起は、開発当時上にふたがあり、その開閉で炭の火力を調整したという技術の名残であるそうです。
北海道ではタコを用いた「たこしゃぶ」や羊肉を用いた「ラムしゃぶ」、キンキ(キチジ)を用いた「キンキのしゃぶしゃぶ」などがあります。
したっけ。