都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
日本に拍手(はくしゅ)という習慣が伝わったのは明治になってからですが、日本に手を叩くという習慣がまったくなかったわけではありません。
神社にお参りしたときに打つ拍手(かしわで)がありました。これは、なんと3世紀後半に中国で書かれた『魏志倭人伝』にも記述があるのだそうです。
魏志倭人伝には、倭人(後の日本人)の邪馬台国などの風習として、「見大人所敬 但搏手以當脆拝」と記され、貴人に対し手を打つことを以て跪いて拝礼することに代えていたとされており、当時は人に対しても拍手を行っていたことがわかる。
古代には、人でも神でも貴いものに対して拍手をしていたのが、人に対しては行われなくなり、神に対するものだけが残ったということになる。
なお古代人は、相手に対して挨拶する時、手の中に武器を持っていない事を示すために、パンパンと拍手を打って、敵意の無いことを示すことで、相手への敬意をあらわしたという説もある。
ウィキペディア
「見大人所敬 但搏手以當脆拝」
身分の高い人が尊敬される作法を見ると、ただ手を打つだけで、中国の跪拝(ぎはい)の代わりとする。
では、何故神社にお参りするときに拍手を打つのでしょうか。これは、簡単に言えば、神様の部屋をノックする行為なのです。つまり、自分が神様の前にやってきたので、チョトこっちを向いてくださいという、呼びかけと言うわけです。
居酒屋で中居さんを呼ぶときのようなつもりで手を叩いてはバチがあたりそうですが、目的はあまり変わらないと思います。
因みに、拍手(はくしゅ、かしわで)とは、神道の祭祀や、神社・神棚など神に拝する際に行う行為である。また、開手(ひらて)ともいうそうです。
現代の参拝で行われる「二拝二拍手一拝」など、3回以下のものは「短拍手(みじかて)」と呼ばれるようです。
かしわ‐で【柏手/拍手】
《「柏手」は「拍手」の誤写か》神道において、神を拝むとき、両の手のひらを打って音を立てる礼拝作法。
大辞泉
「柏手」ともかかれることもあるようですが、間違いです。
したっけ。