都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
前々回に続き、北海道新聞社「マンガほっかいどう弁」を参考に、北海道弁を紹介しましょう。改めて見ると、私の年代でも聞いたことの無い言葉があります。方言が無くなっていくのは寂しい思いがします。
「さっちょん」札幌では独身者。「ちょん」はチョンガーの略。朝鮮語で「若い男」の意味。この場合は独り者という意味で、単身赴任者をさす。
「さっぱと」まったく、きれいに、の意味。全国共通語の「さっぱり」と似ている。
「さんか」山火と書く。山火事の役所用語。みなさんが北海道を旅行するときに、山中の道路わきに「山火注意」の看板を見つけると思います。
「さんぺじる」三平汁。北海道の代表料理。塩をふって数日置いた魚に野菜を加えた塩汁。「さんぺ」ともいう。
「したっけ」そうしたら。それじゃあ。「したっけねー」じゃあね、さよなら。
「したて」だって。「そうしたって」の上の部分が省略されたと考えられる。
「しっぱね」尻にはね上げた泥。語源は「尻はね」だろう。
「しのる」たわむ、反る、反り返る。
「しばれる」凍る。はなはだしい寒さ。縛られて動けないほどの寒さ。
「しゃごむ」全国共通語の「しゃがむ」のA音がO音に変化したもの。
「しゅう」本州から来た人の出身地に衆をつけて、南部衆、秋田衆などといった。
「しょうず」あずきのこと。小豆の音読み。
「すがもり」屋根の氷が融けて天井を伝わって室内に水漏れすること。
「すずこ」鮭の卵。筋子。ばらしたものは「イクラ」。「鈴子」と書いている店もある。
「すっかい」すっぱい、の意味。
「ずっぱり」たくさん、の意味。
「げれっぱ」最下位。「げっぱ」
「すとふ」ストーブ(英語)の訛り。「すとーふ」ともいう。
「すます」返済する。
「ずんぶ」随分。
「そうはち」カレイの一種。積丹半島以北の日本海岸、オホーツク海、噴火湾で獲れる。干物で食べる。北海道に来たら、居酒屋で食べてください。美味しいですよ。ホッケだけが北海道の魚じゃありませんよ。宗八と書く。
以上、サ行の言葉をかいつまんで、書いてみました。私自身聞いたことの無いものは書いていません。
したっけ。2009.06.30
またまた、それこそ漠然とした質問だよ。お前ら新聞を読んでるのか、テレビニュースを見てるのか?自分で「世界恐慌、年金問題、少子高齢化、リストラ、ワーキング・プアなど」などと書いときながら、「漠然とした不安」だって?それだけあったら、「歴然とした不安」って言うんだよ。日本語分かってんのか?
なんたって、オレら団塊の世代にとっちゃあ「年金問題」だよ。先頭に来るのは・・・。
社会保険事務所ってとこに行ったことあるかい?一回でも行ったことがある人なら全員頭にきているはずだ。
年金払いに行ったら、窓口の係りがちょいと揉めていて手があかない。五、六人も払いに来た人が並んで待っているのに、他のヤツラは知らん顔。私は係りが違いますって、平然とした顔してやがる。ついにオバちゃんが切れたね。「あんたら!金受け取るくらい誰でもできるべさ!」大声で叫んだよ。そしたら一斉に三、四人が机にぶつかりながら出てきたよ。オバちゃんに拍手喝采だよ。ヤツラの慌てようときたら喜劇的だったよ。民間なら集金に行くのが当たり前なのによ。
又あるとき、書類を提出に行ったときだよ。ここでも、窓口の係りが書類の不備でちょいと揉めていて手があかない。五、六人も提出に来た人が並んで待ってるのに、他のヤツラは知らん顔。オレにはオバちゃんのような勇気はないから、ぼさーっと座ってるヤツを睨み付けたら、慌てて出てきた。
オレらが一所懸命払った年金を、余ってるからって、ジャブジャブ使って誰も使わない施設作りやがって。余てんじゃねえんだよ。将来必要な金だってこたあ、分かってたはずじゃねえか。それを今あるからって、「使ったもん勝」見てえに使いやがって。そおいうのをオレらの社会じゃ「泥棒」っていうんだ。みんなでやれば「泥棒」になんねえのか?誰か捕まえて金取り戻してくれよ!お願いだよ!
厚生労働大臣が桝添氏に代わってから、応対は大分良くなったけど、金は返ってこない。ないから減らす。受給年齢を上げる。それが納得できない。馬鹿なこと言ってないで、何とか考えろよ。払った人間がもらえないってのは、どう考えてもおかしいだろ。
前に十勝支庁に行ったら、税務課の通路いっぱいのダンボール箱の山だ。道職員に聞いたよ。「なんだこれ?」そしたら「自動車税の督促状です。」「アンタたちおかしいんじゃないの。これ印刷するのにいくら掛かるの。こんなに暇なのに集金に行ったほうが早いべさ。」「私たちお金扱えないんです。一軒一軒電話はしてるんですけど・・・」「集めるお金より、使ってるお金のほうが多いんじゃないの?」 車もないし、横領防止のために、お金は扱えないんだと・・・。そんな信用できない職員雇ってるのか、大事な税金使って。 それと、役人、公務員の退職金だよ。こいつは年金と全く逆の話だ。団塊の世代が退職の時期を迎えたので金が足りねえって、大事な時間使って会議して、特別会計、特殊債券だとよ。馬鹿なこと言うなよ。そんなこと今急に分かったことじゃねえし、なけりゃあ減らしゃあいいじゃねえか。子供でも分かるよ。お前らは、何の生産活動も、商業活動もしねえで、人様の税金ってヤツで給料貰ってんだぜ。こっちが不景気なのにそっちが景気いい訳ないだろう!一般企業なら倒産で、退職金どころか給料ももらえないってこと分かってんのか!
あんまりとぼけた質問するもんだから、興奮して、話しが長くなったじゃねえか。
血圧上がるからこの辺で止めるわ。
したっけ。
前回に続き、北海道新聞社「マンガほっかいどう弁」を参考に、北海道弁を紹介しましょう。
「かいべつ」キャベツ。キャベージが訛ったもの。「けべつ」「けんべつ」ともいう。
「がおる」疲れる。精根尽きる。「我を折る」が語源。
「がさえび」シャコのこと。寿司ネタとなっている。ガサゴソ這い回るえび。
「かしがる」傾く。
「がす」霧。オランダ語(空中に漂う気体)
「かぜる」仲間に入れる。
「かつける」責任を他人に転嫁する。罪を他人になすりつける。「かずける」ともいう。
「がっちゃき」痔。
「かっちゃく」ひっかく。かきむしる。
「かまどかえす」倒産する。「かまどかやす」ともいう。
「がめる」盗む。ごまかす。
「がんたれ」うすばか。しまりのないやつ。
「きかない」わんぱく。らんぼう。性格がきつい。
「きもやける」腹が立つ。いらいらする。
「くちばしがながい」後馳走をつくっていると、ひょっこりやってくること。
「けっぱる」頑張る。
「げれっぱ」最下位。「げっぱ」
「こく」言う。例:「嘘こくでねえ。」
「こごむ」かがむ。
「ごしょいも」じゃが芋。馬鈴薯。一株で五升も収穫があるから。
「こまい」小さい。居酒屋メニューの「こまい(干し魚)」は、こまいたらが語源。
「ごもくそ」ぶつぶつ不平を言う。
「こわい」疲れた。疲労感。
「ごんぼほる」だだをこねる。地中に細長く伸びるゴボウを掘るのは大変で始末におえない。
以上、カ行の言葉をかいつまんで、書いてみました。私自身聞いたことの無いものは書いていません。
したっけ。2009.06.29
先日ブログを見ていると「北海道の人はアイヌ語で会話している。自分たちが話しかけると、標準語になった・・・・。」というようなことが書かれていました。何処かの売店での話しらしいのですが、そんなことはありません。
現在アイヌ語は消滅しつつある言語で、話せるのは80歳以上のアイヌの方だそうです。研究者は、アイヌ語は文字を持ちませんので、レコーダーを持って訪問し、ローマ字で書き取り、辞典を作成しています。しかし、相手が高齢のためなかなか作業がはかどらないようです。人により発音や意味に多少の差異があり、大変なようです。
ということで、アイヌ語と北海道弁は全く別の言葉です。アイヌ語の影響を受けているかどうかは、否定も肯定もできませんが・・・。
北海道新聞社「マンガほっかいどう弁」を参考に、北海道弁を紹介しましょう。
「あかとり」寝具のシーツ、敷布のこと。肌着のことを言う場合もある。
「あきあじ」秋に川に上ってきた鮭。秋味。秋以外の鮭は、「ときしらず」
「あずましくない」ゆっくりしない。気持ちが落ち着かない。
「あっためる」隠しておく。盗む。(盗むというよりは、ちょっとと何処かに置く感じ。)
「あっぺ」反対。逆。「あっぺこっぺ」とも言う。
「あまされる」嫌われる。仲間はずれにされる。語源は余されるだろう。
「あめる」食べ物が変質する。例「このご飯すっぱいにおいするよ。」「あめてんだべ。」
「あんかおろす」どっしりと腰を落ち着ける。あんかは英語のアンカー(いかり)のこと。
「あんこ」もともとは、商店の少年店員のこと。転じて小学校上級生から中学生くらいの男の子。
「あんちゃ」「あんこ」より少し上の年齢層の男。
「いいふりこき」見栄っ張り。派手な人。
「いさばや」魚屋。魚の行商人。「五十集屋」と書く。
「いずい」目にゴミが入ってゴロゴロする感じ、又は着物が窮屈な感じを表す形容詞。
「いたましい」惜しい。もったいない。物だけでなく、人にも使う。「いたわしい」とも言う。
「いっちょうまえ」一人前の意味。漢字を当てると「一丁前」
「おがる」成長する。人以外に、動物、植物、毛髪などの成長にも使う。
「おぞい」粗末、劣っているという意味の形容詞。
「おっかない」怖い。恐ろしい。「おっかね」ともいう。北海道弁で「こわい」は別の意味になる。
「おん」家畜の雄のこと。「おんた」ともいう。雌のことは「めん」「めんた」という。
「おんこ」イチイの木のこと。
「おんちゃ」「おんちゃん」弟。次男以下の男の子。
以上、ア行の言葉をかいつまんで、書いてみました。今の子供たちには既に通じない言葉もあります。方言が無くなっていくのは寂しいですね。
したっけ。2009.06.28
アイヌ語はアイヌの人たちの独自の言葉です。このアイヌ語に触れる身近なものとして地名があります。アイヌ語の地名は北海道をはじめ、サハリン(樺太:カラフト)や千島列島、それに東北地方にもあります。たとえば、登別(ノボリベツ)や稚内(ワッカナイ)にも使われている「ペッ」や「ナイ」という言葉は、アイヌ語で「川」を意味しています。このことから、こうした地方には昔からアイヌ語を話す人たちが暮らしていたことがわかります。
しかし、それよりもっともっとたくさん見たり聞いたり使ったりする機会のあるアイヌ語は、地名です。アイヌ語の地名は、明治政府により漢字に置き換えられました。それも二文字という限定つきでした。ですから、本来の地名とは異なり、中抜けしていたり、頭尾だけに短縮されたものもあります。たとえば「登別」はもともと「ヌプル・ペッ」という発音で「濁った水」という意味。そのヌプル・ペッというアイヌ語を漢字で表現しようとして登別という字をあてたのです。ですから「登」という字や「別」という字にはもともと何の意味もありません。
このように「別」とか「内」、あるいは「尻」という字が終わりにつくところは、北海道の中ではまずアイヌ語の地名だとおもって間違いありません。「内」は「沢」を表す「ナイ」、「尻」は「土地」とか「山」とかを表す「シリ」に漢字をあてたものです。たとえば稚内(ワッカナイ)は、「ヤム・ワッカ・ナイ」がもともとの名前だといわれ、「冷たい・水の・川」の意。利尻(リシリ)は「リ・シリ」で「高い・山」の意です。
このほかにも語源を調べて行くといろいろと面白いことがわかります。襟裳岬の「エリモ」は「エンルム」が語源で「岬」のこと。つまり襟裳岬は「みさき岬」ということになりますね。知床岬の「しれとこ」は「シリ・エトコ」「土地の・突出部」で、要するに「岬」のことであり、これもまた「みさき岬」になります。千歳空港の千歳は、アイヌ語の地名ではありません。ここはもともと「シ・コッ」「大きな・沢」と呼ばれていたのですが、「シコッ」は「死骨」につながって縁起が悪いというので、江戸時代におめでたい「千歳」という名に変えたのだそうです。「シコッ」というもとの地名は、いまでも支笏湖の名前で残っています。自分たちで漢字に置き換えて、縁起が悪いとは、何という言い草でしょう。
札幌に「月寒」というところがあり、いまは「ツキサム」と読んでいますが、昔は「チキサプ」という名前のところでした。「チキサプ」が「ツキサップ」になり、それに月寒という漢字をあてたら、漢字に引かれて呼び方が「ツキサム」になってしまったのです。また「屈斜路湖」は「クッチャロ」という地名からつけられた名ですが、この「クッチャロ」というのは「湖が川になって流れ出す出口」のことです。そこにあった村が有名だったので、この湖全体を和人が「くっしゃろ」と呼ぶことにしたのでした。
アイヌ語は意外なほどみなさんがふだん耳にしている言葉です。たとえば、貝殻をおなかに乗せて割る動物園の人気者「ラッコ」は、みなさんよくごぞんじですね。このラッコという言葉はアイヌ語なのです。それからクリスマスにサンタクロースがソリを引かせてやってくる赤鼻の「トナカイ」。これも北欧の言葉だと思うかもしれませんが、れっきとした樺太のアイヌ語なのです。お酒を飲む人には居酒屋でお馴染の「シシャモ」。これも「スサム」というアイヌ語からきています。スサムという魚の名はもと「スス・ハム」の縮まった形で「柳の葉」という意味です。シシャモはちょうど柳の葉みたいにみえるでしょう。アイヌの民話に、「柳の葉が川に落ちて魚になった。その魚を食べて空腹を満たした。」という話しがあります。
その他の地名
石狩川「イシカリペツ」:曲がりくねった川
歌志内「オタウシナイ」:砂の多い川
大楽毛「オタノシケ」:砂浜の中央
小樽「オタルナイ」:砂の多い川
札幌「サットポロ」:乾いた広大な土地
空知「ソーラプチペ」:滝のかかる川
洞爺湖「トヤ」:湖畔
美利河「ピリカペツ」:美しい川
富良野「フラヌイ」:臭気をもつ川
登別「ヌプルペツ」:色の濃い川
摩周湖「マシュウントウ」:カモメの沼
室蘭「モルエラン」:緩やかな坂
知床「シリエトク」:地の果て
白糠「シラリカ」:湖のあふれるところ
支笏湖「シコットウ」:川の湖
帯広「オペレペレケフ」:川尻が分かれ分かれする川
釧路とか十勝とかいった大きな地名は、それが本来どこにつけられていた名前なのかがはっきりせず、おまけにもとの語形がよくわからないので、いまだに語源に関しては定説がないのです。
アイヌ語は文字を持たない言語です、その発音をローマ字やカタカナに直して表示しています。また、言語には濁音がないため半濁音表記しています。濁音がたいためB・D・G・JそしてF・Q・X・Zで始まる言語がありません。
では何故アイヌの人たちは文字をもたなかったのでしょう。
文字の起源は商業取引にあって、品名、数量、生産地、売主、渡主、買主、日時などを確実に記録することで、正確を計ることにあったと言われています。
文章は実態を象徴しますが、逆に書き残したい当人にとっては、不要な部分を削除することができます。大意で自分に都合の良い様に、時には優位な描写も可能であります。それをもって自らの証拠、証明とすることもでき、さらには、人の心を傷つける恐ろしい道具ともなりえるのです。
アイヌの人々は、文字を発明や工夫、借用や応用をしなかったのは、それを必要とする社会体制(例えば、国家や政治など)になかったからです。相手に対し、虚偽や隠ぺいなどを一切排除し、何事にも公明正大でした。常に真摯な態度で相互に対応し、協力し合うことの必要な社会でありました。ですから文字の誕生はなく借用の需要もまったく不要であったのです。
したっけ。
昨日のブログに「ピーカン」の由来は、ピースの缶の青から来ていと書きましたが、諸説あるようです。
単純に、ピーカピカーのカンカン照りからとか、カメラのピントが合いやすく、ピントが完全でピーカン。まだまだありそうです。
昨日の帯広はまさにピーカンで31.1度もあったんですよ。
昨日の新聞に、知床の蝦夷鹿が増えすぎて、生態系を壊しかねないので困っているという記事が載っていました。捕獲はしているのですが、目標頭数には全く達していないので、捕獲方法を再検討する、という記事です。何ぼ頑張っても、鹿に無視されている。鹿にシカトされているってことです。
私はこれまで正業で生きてきたので、賭博には詳しくありませんが・・・。これは花札の図案から来ているそうです。札の中には鹿の絵で十点を表しているものがあります。この絵は鹿がぷいっと横を向いていて、人の呼びかけを無視しているように見えます。これから「鹿十(しかとう)」で「シカト」に転じたのだそうです。
「ヤクザ」という言葉も、花札の「おいちょカブ」という遊びが語源です。「おいちょカブ」は手札を合計し、その1の位を競うゲームです。最強は9(カブ)なのですが、8月のススキ、9月の菊、3月の桜の3枚が揃うと、一見、絵柄的には大変は華やかなのですが、しかしその合計は20となり、1の位は「0」なので最弱・最悪の手です。こうしたことから、「ハデだが世の中の役にはたたない」ということから「八九三」になったそうです。他に役に立たない。役が座っている「役座」との説もあります。
この他にも純粋には花札用語ではありませんが少々頭の血のめぐりがわるい人間を「ボンクラ」などといいますが、これは漢字になおすと「盆暗」 盆は博打場のことであり、ここで目端が利かず負けてばかりの人間をさす言葉です。
他にも、優れた人やものを形容するのに「ぴか一」という言葉を使いますが、これは「光一」という花札の役の名前だそうです。7枚の手札のうち、1枚だけ光り物(20点札)で残りがカス札ばかりの役なのですが、ここから他のものから1つ頭が抜けていることをこう呼ぶようになったのです。
ある特定の人たちの隠語が、一般化して使用されているって面白いですね。
したっけ。
沼は昔、隣町まで広がっていました。水鳥もすみ、コイ、フナ、たくさんの魚がいて、人々は丸木舟に乗って漁をしていました。
ある年、日高静内の染退人(シブチャリアイヌ)が十勝に攻め込んできた。腹を減らした彼らは、昔から鳥類の飛来が多く、絶好の猟場であったこの沼で鴨をとっていた。そこを十勝アイヌに囲まれ、激烈な闘争の後全滅し、死体から流れ出る血が沼を赤く染めた。そのためチョマトー(赤い血の沼)と呼ばれるようになったという。
チョマトー沼の由来については、この他にも北見アイヌとの争いによるものもある。またチョマトーの意味も、「悪霊潜む沼」「悪い沼」「腐敗せる沼」など諸説ある。
200年以上も昔、北見アイヌ(一説は日高アイヌ)が宝物や美しい女性をさらおうと、十勝アイヌのを攻めにきた。初めは劣勢だった十勝アイヌが、神に祈りをささげると状況は一変する。北見アイヌはチョマトーに逃げ込み、水鳥を捕まえて空腹を満たしていると、知らない間に十勝勢に囲まれ、最後は沼に飛び込んだ。
このとき戦いの先頭に立った十勝アイヌのカネムスエが、後に帯広に開拓の鍬を入れる「晩成社」幹部・鈴木銃太郎の妻コカトアンの先祖であるという。
伝説で血に染まった沼、チョマトー。語源はアイヌ語の「チ・ホマ」(害を受ける)からきているといわれる。トーはアイヌ語で沼のことです。
恐れ多い沼とされてきたが、昔からこの場所で生活してきたアイヌたちの受け止め方は異なります。
そもそも沼は、アイヌにとって神聖なもの。エカシやフチ(おじいさん、おばあさんの尊称)たちは、この沼を「トウカムイ」(神のいる沼:カムイ=神)と呼んだ。ある長老は「日高であろうと、北見であろうと、アイヌが神聖な沼に死体を投げるわけはない。でなければ、あんなに青々とした美しい草は生えないと聞いた」という。
かつて西12条から西17条、国道38号(私の子供の頃は石狩通りといっていた)から十勝川の手前までの区域は、十勝アイヌ最大の集落「伏古コタン」だった。
明治政府により強制的に集められた居住地。「伏古(ふしこ)」とは、アイヌ語の「フシユ・ペッ」(古い川)の意味です。アイヌ語の「コタン」は、村、集落のことです。
明治時代になって、和人(本州人)により開拓が進められ、川魚漁、鹿猟、伐採などを禁止されました。
明治政府による同化政策(和人と同じ生活を強いる)により歌や踊りの機会も無くなり、文字を持たないアイヌ文化は次第に消えていきました。
沼は、今よりはるかに広がり、南側にはアイヌのチセ(家)がいくつも並ぶ高台があった。1916年(大正5年)には沼南側に伏古神社が建立され、夏になると盛大に祭りが開かれた。居住地の中央に位置したチョマトーは、人々にとって精神的なよりどころになっていった。
現在はその一部(1,730平方メートル)しか残っていないが、かつては周囲25町歩(約2,500平方メートル)もある大きな沼であった。安政5年(1858年)にここを訪れた松浦武四郎は「十勝日誌」に、川かと思うような大きな沼があったと記している。
このような伝承があることから、1927(昭和2)年には帯広史跡保存会が「チョマトー古戦場」の標柱を建立しました。1950年代にはアイヌの歌(ウポポ)を残すため「十勝アイヌウポポ愛好会」がたちあげられました。その頃はアイヌの人たちへの偏見や差別が厳しい時代でした。その後、1960(昭和35)年にはチホマトー慰霊碑建設委員会によって慰霊碑が建立されました。また、2004(平成16)年の道路の直線化に伴う埋め立ての際に新しく記念碑が建てられました。
ここでは1973(昭和48)年以降、ウタリ協会帯広支部が中心になって、チョマトー祭がおこなわれています。
又、その努力が認められ「アイヌ古式舞踊」は、今年(2009年)9月には、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されることも予定されています。
私が子供の頃、父に連れられて、よく鮒を釣りに行きました。湧き水のとても綺麗な沼でした。そのうち谷地(湿地帯)だった周囲に家が建ち始め、沼は見る見るうちに萎んでいきました。家屋が密集してくると周辺住民から、汚いだとか、蚊が出る、道路が曲がりくねっていて危ない等の苦情が寄せられるようになりました。
もともと、そこに沼があったのですから、蚊が出るのも、道路が曲がっているのも承知のはずです。汚いのは、自分たちが汚したからです。
どうして、遺跡、史跡等を大切に出来ないのでしょうか。アイヌの人たちのものだからでしょうか。私には、いまだにアイヌの人たちに対する偏見、差別意識があるように思えてなりません。
それにしても、国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に登録されるまで守り続けたアイヌの人たちには、頭が下がります。
現在は埋め立てて道路を作ったため、池のようになっています。
したっけ。