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小説『ヤメ検弁護士』

2012-04-02 10:29:43 | 短編小説

都月満夫

「オトウサン、遅いですね。七時の約束でしたわね。もう、八時ですよ。今夜はいらっしゃらないのかも知れませんね…。」

 家内が時計を見上げて呟いた。

私の名は只野親治。職業は俗に言う「ヤメ検」。「ヤメ検」とは、検事を定年又は退職して、弁護士登録をした者のことだ。

検事のほとんどは、司法修習を終了しているため、弁護士となる資格を有している。

私は検事を六十三歳で定年となり、自宅を事務所として開業した。仲間内でいう「タク弁」というやつだ。

「ヤメ検」は通常の場合、その経歴を生かして、刑事事件の弁護を得意とし、またそういう事件の依頼が多いのが特徴だ。

しかし、私は残された人生を、一般市民のために尽くしたい…と考えた。民事の依頼を受け、弱者の見方になりたい。我ながら少々青臭く、表立って言うのは恥ずかしい。

私は趣味というものがない。知っていることは法律だけという、情けない人間だ。

今は、二人の息子も独立し、家内と二人暮らしだ。何の役にも立たない亭主が、家でごろごろしていては、濡れ落ち葉扱いされかねない。そこで、弁護士開業となった次第だ。

本来、弁護士は専門分野を設けないのが常識だ。専門分野を設けると、依頼が偏ることになり、当然仕事が減少する。人口十七万人足らずの市(まち)では、なおさらだ。

私は定年退職した身であり、ことさら多くの依頼を求める必要がない。だからこそ、近年残業代未払い等の問題で、社会問題化している、労働問題に取り組みたいと思った。

大手ファーストフード直営店の店長が、過去二年分の未払い残業代と、慰謝料の支払いを求めた訴訟があった。東京地裁は、慰謝料請求を退けたが、四五〇万円の残業代支払いを命じた。二〇〇八年一月二八日のことだ。

この判決以来、一般社員のサービス残業等の裁判が、急増しているという。

とはいえ、私の住む地方の田園都市では、労働環境の狭さから、まだまだ泣き寝入りしているサラリーマンは大勢いるはずだ。

本来、労働法の目的は、労働者の賃金の支払い、最低賃金の設定など、労働者が気持よく働くための労働時間の制限や、有給休暇の設定を定めている。…にもかかわらず、個人が法的措置を取らなければならない状況だ。

政治が人材派遣等で雇用をアウトソーシングする仕組みを推進しながら、それを保護する仕組みを作らなかったことに問題がある。

今後、少子高齢化が加速していく。労働力の確保が、企業には死活問題となる。だからこそ、取り上げねばならない問題なのだ。

しかし、一人で力んでも、飛び込んでくる雀がいなくては、助けることは出来ない。

そこで、依頼者が気軽に相談に来てくれるように、『労働問題法律相談』の看板を掲げている。一時間の相談料は、平日昼間(一七時まで)は、五二五〇円、夜間土日は六三〇〇円をいただいている。

夏は庭の草むしり、冬は除雪の合間に、忙しくない程度の相談者が訪ねてくる。この二年余りで、数件の訴訟も扱い、期待に応えられた。納得の日々だと自負している。

今夜も、残業代未払いの件で、相談者が訪ねて来る。私は食卓の椅子に腰掛け、新聞を読みながらお茶を飲んでいる。向かいには食事の片づけを終えた家内が座っている。

ピンポ~ン。チャイムが鳴った。

「おっ、来た。今夜も残業だったか…。」

私は、そう呟いて玄関に向かった。

「遅くなって申し訳ありません。仕事が終わらなくて…。」

男が下げた頭から、白いものが落ちた。

「お、降ってきたか…。なぁに、気にすることはない。さっ、早く上がりな…。」

「失礼します。」

男は雪をほろい、靴を丁寧に揃えた。寝不足のせいか、目蓋は赤く腫れていた。

「仕事で遅くなったんだ。気にすることはない。さっ、こっちのソファーに座りな…。」

 事務所といっても、片隅にパソコンが置いてあり、書棚に法律書があるだけの居間だ。

 男は、膝を揃えて座った。私を見る男の目は、捨てられた子犬のように怯えている。

「なんも、緊張することはないさ。ただのオヤジだと思って…。カアサン、お茶…。」

 男はひとつ深呼吸をして、口を開いた。

「あの、只野…先生。何から話せば…。」

「何からでもいいさ。話したいことから話せば…。あるんだろう、なんぼでも…。」

「あ、はい…。電話でお話したとおり、名前は小塚礼三、現在三三歳です。市内のM商業高校を卒業後、N農産株式会社に入社し、現在に至っています。」

 小塚礼三と名乗った男は、少し落ち着いたようで、コリをほぐすように首を回した。

「N農産といえば、市内では肥料、飼料を扱う老舗だ。経営状態も悪くない…。」

「ええ…、社長は三代目、専務は先代の末弟です。経理の部長は社長の弟、販売部門の部長は社長の従兄という同族会社です。社長はほとんど仕事をしません。毎日奥さんと出歩いています。弟は見栄っ張りで遊び好き。私用の付き合いゴルフ、飲み代も経費で落としています。従兄は奥さんが日舞の師匠で、昼間から、その送り迎えに忙しい。私が入社した頃は、専務以外は四十代前半。専務が五十半ばでした。先代からの専務の顔で、何とかお客をつなぎとめているという状態です。」

「N農産の専務といえば、市内の名士たちと交友関係の広い著名人だ。」

 そこで、家内がお茶を持ってきた。

「さ、どうぞ…。」

 家内はお茶を出し、食卓の椅子に戻り腰掛けた。お多福の置物のようだ。こっちも狸の置物みたいな風体だ。人の事は言えない。

「ああ、家内は長いこと検事の妻をやってきた。守秘義務は心得ているから、気にしなくてもいい…。さ、熱いうちに飲みな…。」

 小塚は湯呑で両手を温め、お茶を飲んだ。

「私が入社したころは、従業員も五十人ほどいましたが、今は三十人ほどです。入社した頃、私は配送業務が担当でした。得意先を走り回っていました。」

「その頃は、今よりは景気がよかったからなあ…。仕事は楽しかったか?」

「ええ、まあ…。二十三歳のときに経理部に転属になりました。私は商業高校卒業ですから…。経理といっても、庶務から請求業務、雑用全般ですが…。部長の下に課長がいましたが、これも遠い親戚で、あまり仕事はしません。当時、五十六歳でした。女性が三人いました…。その中で、年長の女性が定年で辞めたので、私が後任という形でした。」

「仕事をしない連中が勢揃いだな。」

「…で、私が転属になってすぐにパソコンを導入しました。機械さえ買えばいい程度の知識で、導入されたので…、正直大変でした。」

「そういう連中が、まだいたのか…。」

「はい。一年間は、仕事を覚えるのと、パソコンの導入が重なって大変でした。残業が本給を超えるほどでした。課長は、オレはパソコンができないと言って触りません。ですから、雑用のような仕事をしていました。」

「それでよく課長が務まるな…。で、その頃は、まだ残業代は支払われていたんだな。」

「はい。それから、パソコンへの移行も終わり、落ち着いてから、結婚しました。二五歳のときです。毎晩一緒に残業をしていた女性の一人です。そのときはパソコンがあるからといって、人員の補充はされませんでした。課長はパソコンに触りませんから、当然、私の仕事量は増え、また残業をするようになりました。その頃から、売り上げも落ち始め、残業をするなと言われるようになりました。」

「するなと言われても、困るよな…。」

「はい、しないわけにはいきません。それで二六歳のとき、課長に任命されました。」

「前の課長はどうした?辞めたのか?」

「いいえ、いました。通常の人事は四月でしたが、私が任命されたのは九月でした。そのときこう言われました。課長は管理職だから今後残業は出ないと…。しかも、これまでなかった三課長という役職でした。」

「何だい?その三課長っていうのは…。」

「私もすぐに尋ねました。部長はこういいました。君はまだ若いから、課長を三段階にした。つまり、もともとの課長は一課長で、役職手当も三段階にしたというのです。明らかに、残業を支払わないための口実です。」

「そうだろうな。…で、どうした。」

「その頃、子供…、娘が産まれたばかりでしたので、強く抗議もできず、残業を続けていました。私が二十七歳のとき、課長が辞め、二課長に昇進しました。昇進といっても、僅かばかり手当てが増えただけで、この時も、人員の補充はされませんでした。残業代が支払われませんから、女性社員には残業を頼めません。おまけに、私は雑用まで…。」

「ん…。ますます大変になったって訳だ。」

「はい。それからは、毎晩一二時前後まで仕事でした。毎晩です…。」

「子供だって、かわいい盛りだべ…。」

「はい…。でも、娘の顔もろくに見られない日々でした。去年の夏です。勤務中にズボンの股間が血で赤くなりました。何が起こったか分かりませんでした。トイレで見ると、陰嚢の血管から出血していました。すぐに早退して泌尿器科に行きました。その病院で、これは皮膚科だといわれ、すぐにそちらに回りました。そこで、若い女性看護師が、私の股間をゴム手袋で持ち上げ、老医師は拡大鏡で覗き込みました。老医師は首をひねり、君はどんな生活をしているのか…と訊ねました。これは陰嚢被角血管腫(いんのうひかくけっかんしゅ)といって、老人の病気だと言うのです。血豆のようなものが沢山出来ていて破裂出血していました。生活を規則正しく改めるしかない…と、塗り薬を処方されました。」

 小塚は天井を仰ぎ、唇をへの字に結んだ。

「そうか…。」

 私は言葉を挟もうとした。小塚はそれを拒むように視線を戻し、への字口を解いた。

「まだあります。秋口に、耳に激痛が走り、耳鼻咽喉科に行きました。そこで、医師に糖尿病はあるかと訊ねられました。私はないと答えました。医師は信じられないといった顔で病名を告げました。真菌性中耳炎です。つまり、カビが原因だというのです。稀に糖尿病患者や衰弱した老人に発症するというのです。完治には三ヶ月かかりました。カビに耐性が出来てしまうと慢性化するからです。まだあります。先生、本当に疲れたら、車のアクセルも踏めなくなるんです。目は開いていても、脳が眠っているのです。怖いです。自分が、目覚めているか眠っているか判らない状態で、運転していたんです。妻は人を増やして貰わないと、倒れちゃう…と心配しました。私も不安になって、部長に増員を申し出ました。しかし、却下されました。仕事が遅延なく行われているから必要ない…ですよ。しかも、自分は昔、徹夜麻雀をしても仕事をしていたなどと…。仕事と麻雀が一緒になりますか、先生?」

小塚は、私に同意を求めるように言った。

「二週間ほど前です。帰宅して夜中に入浴中でした。妻がパジャマ姿のまま浴槽に飛び込んできました。私は眠っていたのです。妻は泣きじゃくりました。もういいよ…、パパ。仕事辞めようよ。何とかなるよ。このままだと、死んじゃうよ。私と娘を置いて死なないで…。私はこの不景気の中で、転職もままならないと、頑張ってきました。しかし、過労死という言葉が、私の頭を後ろから殴りました。湯船で私の背筋は凍りつきました。妻の体温だけが温かくて、震えが止まりませんでした。」

「それで転職を決意して、未払い賃金の相談に来たんだな。ゆるくなかったべ…。」

 その時、今まで黙って聞いていた家内が、思わず口を開いた。

「まだ、若いのに体を壊しちゃ、元も子もないよ。奥さんの気持は、痛いほどわかるね。そんな会社は辞めたほうがいいよ。」

「カアサンは黙っていなさい。」

「はい…。ごめんなさいね。ついつい…。」

 家内は首をすくめ、お茶を注いだ。

「よし、話はわかった。世間では老舗だなんていっても、見ると聞くとじゃ大違いだ。課長は管理職だというのはよくある口実だ。確かに、労働基準法上は、管理監督者には残業代は支払わなくてもいいと定めてある。しかし、出退勤が管理されていて、人事権のないものを管理監督者とは言えない。私に任せなさい。大丈夫、何とかなるべ…。」

私は簡単に考えていた。

「そんなに難しくはない話だ。それだけの会社だ。当然タイムカードはあるだろう?」

「いいえ、ありません。」

「ない?勤怠管理はどうしていた。」

「出勤簿に印鑑を押していました。」

「残業は?」

「申請用紙で自主申告でした。労働基準監督署から何度も言われましたが…。金がない。カード代、電気代もかかる。会社の経営もしたことのない人間に何がわかる…と部長は言って、取り付く島もありません。」

「それじゃ、労働審判じゃダメだな。」

「労働審判?」

「ああ、個別の労働紛争を、原則として三回以内の審理で調停する手続きなんだが、そんな人間が役員では無理だな。老舗が聞いてあきれる。訴訟になると少し金がかかるが、いいかな…。」

「あ、はい…。あの、どれくらい…。」

「たとえば、経済的利益、すなわち、お前さんの未払い賃金が三〇〇万円以下だと、着手金は八・四パーセント。報酬金が一六・八パーセントだ。経済的利益がこれより多くなると、割合は減っていくんだけどな…。」

「先生、負けた場合は…。」

「心配することはない。負けるような話は引き受けない。着手金を無駄にはしないさ。」

 …、とは言ったが、タイムカードがないのでは、残業時間を示す証拠がない。このままでは会社を訴えても、水掛け論になる。

「その出勤簿に、退社時間のメモはしていなかったか?」

「いいえ、出勤の時に、印鑑だけです。」

「業務日誌のようなものは?」

 小塚は力なく首を横に振った。

「日記はつけていなかったか?手帳のメモでもいい。奥さんのでもいいんだが…。」

「日記なんか…、書く気力もありませんでした。妻も育児で疲れていましたから…。」

 小塚の充血した目に浮かんだ涙は、血のように見えた。それは頬を伝い落ち、テーブルの上で丸い粒となって震えた。

 …、こいつは困った。証拠がなければ、戦えない。考える時間がほしい。

「話はわかった。後日、また連絡する…。」

…、何とか策を考えてやらねばならない。

 小塚は、冷めたお茶を飲み干し、立ち上がった。彼の首は力を失い、頭が前に落ちた。

「やっぱり、ダメですか…。連絡しなければ叱られるので…。」

 そう言うと、小塚は携帯電話を取り出し、手馴れた動作でメールを送った。

 …、ん。その瞬間、私は閃いた。

「そいつは、奥さんに送ったのか?」

「はい、毎日、帰宅メールを…。」

「毎日…、それだ。その履歴は証拠になる。奥さんに感謝しな。まずは…、内容証明郵便で請求だ。明日の朝は、雪もあがるべ…。」

 小塚の、ゴム風船のように張り詰めていた顔は、空気が抜けたように笑みで崩れた。

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8 コメント

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世のサラリーマンの泣き所、課長職以上残業代でず... (メルポポ)
2012-04-02 14:02:33
世のサラリーマンの泣き所、課長職以上残業代でず・・・
返信する
あぁ~毎日メールしててよかった~!(^^)! (きままなマーシャ)
2012-04-02 15:00:35
あぁ~毎日メールしててよかった~!(^^)!
こんなことに役立つなんて(*^_^*)
返信する
★メルポポさん★ (都月満夫)
2012-04-02 17:20:03
★メルポポさん★
そうですね。世のサラリーマンは課長以上残業代が出ないと思っていますが、案外そうでもないようです・・・。
したっけ。
返信する
★きままなマーシャさん★ (都月満夫)
2012-04-02 17:22:14
★きままなマーシャさん★
そうですね。しかし、サービス残業などという言葉がある社会はなくなって欲しいですね^^
したっけ。
返信する
都月さん   こんばんは♪ (柴犬ケイ)
2012-04-02 22:00:08
都月さん   こんばんは♪

いつもありがとうございます♪

サービス残業良く聞きますね。
ファーストフーズで店長とは名ばかりで
残業代も払わずにこき使っていつから
経営者のモラルが変わったんでしょうね。
返信する
★柴犬ケイさん★ (都月満夫)
2012-04-03 09:52:22
★柴犬ケイさん★
そうですね。名ばかりの役職で残業代を逃れようなんてことは許されません。
したっけ。
返信する
おひさしぶりです (沙羅双樹)
2012-05-24 20:04:37
おひさしぶりです

何か、昔を思いだしました

前の会社で、私も「課長」、「部次長」をやっていました
当然残業手当はつきません
しかし、毎日遅くまで仕事しないと、とてもこなせない
量の仕事で、よくて晩飯は、(当時)久米ひろしの
ニュースステーションを見ながらでした

部下が、私の仕事を手伝って、残業になると
「課長」である私の責任として、いつも社長にドヤされ
結局、私が仕事をかぶっていました

人間的な生活とは、とても言えない状況で
妻や子供たちにも、つらい思いをさせてしまっていると
結局その会社をやめることにしました

給料は下がりましたが
今は、家族と人間的な生活ができています

返信する
★沙羅双樹さん★ (都月満夫)
2012-05-25 09:17:08
★沙羅双樹さん★
そういう生活を強いられている人は大勢いますね。こういう人たちによってある種支えられているのかもしれません。この話しは私の実体験です。もっとひどいこともあったのですが書いても理解してもらえないと思います。
人間的な生活はお金では買えませんね^^
したっけ。
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