団塊オヤジの短編小説goo

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都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖

都月満夫の短編小説集2

「羆霧(くまぎり)」
「容姿端麗」
「加奈子」
「知らない女」

都月満夫の短編小説集

「キヨシの帰省」
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」

「左官は宮中の位だった」について考える

2012-01-31 10:13:28 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

左官」とは建築物の壁塗りを仕事とする職人の事です。土やセメントなどの素材を塗ったり、砂壁や漆喰(しっくい)※仕上げたりなどの最終的な表面仕上げを仕事としています。

※漆喰・・・消石灰にふのりや苦汁(にがり)などを加え、糸屑・粘土(ねんど)などを配合して練ったもので日本独特の塗壁材料です。

Photo_2

「左官」が行う塗り工事を左官工事と言います。家を建てるとこの専門職はいろいろありますが、何故壁を塗る職人だけが特別な名前を持っているのでしょう。

宮中の建造物にも壁を塗りなおす修理は必要でした。しかし、奈良時代(710年-784年)律令制度下において、出来上がってしまった宮中には官位を持たないものは出入りできなかったのです。そこで、建築仕事を司る「木工寮(もくりょう)」に「木工属(もくのさかん)」という最下位の役職を新たに作り、それを彼らに与え宮中に入れたそうです。これが、現在の左官の語源だと言われています。ですから、左官は当て字なのです。

ぞく【属〔屬〕】

[音]ゾク(呉) ショク(漢) [訓]さかん

大辞泉

さ‐かん【左官】

《宮中を修理する職人に木工寮の(さかん)として出入りを許したところから》壁塗りを職業とする人。かべぬり。しゃかん。

大辞泉

大宝令官員令(養老令では職員令)においては、長官(かみ)・次官(すけ)・判官(じょう) ・主典(さかん)の四等官が定められ、官制の基礎となっていたそうです。(下記表参照)

大宝律令に至る律令編纂の起源は681年まで遡り、701年(大宝元年83日)、「大宝律令」として完成しました。

養老令(官位令)による四等官表

 官司

かみ

すけ

じょう

さかん

神祇官

(

ハク

)

(

タイ

)

(

)

(

ダイ

)

(

スケ

)

大史

(

タイサカン

)

(

ショウ

)

(

)

少祐

(

ショウジョウ

)

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「藍の歴史」について考える

2012-01-30 10:11:26 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

」は、その起源をエジプトに遡るといわれますが、世界のあちこちで、有史以前より自然発生的に、藍色を含む植物から、取り出されてきたというのが実態のようです。

Photo_3たとえばヨーロッパでは「ウォード(大青)」という藍が有史以前から使われてきましたが、イギリス、フランス、ドイツなどでは、6世紀頃から盛んに栽培され、16世紀には一大産業となっていました。しかし、そのヨーロッパの藍、「ウォードもインド藍(マメ科の植物)」の輸入が16世紀に始まると、徐々に衰え、18世紀にはほとんど姿を消してしまいます。

Photo_2 エジプトの藍の歴史は古く、テーベ古墳で発掘された紀元前2000年頃のミイラには、藍で染めた麻布が巻かれていたそうです。当時すでに藍はエジプトで栽培されており、その後インド・中国へと広がり、オーストラリアを除く全世界で栽培されたといわれています。

インドでの藍染紀元前2000年頃といわれており、この当時すでに製藍は輸送に便利なように固形化されていたといいます。紀元前1世紀には一部欧州へも輸出されていて、インド原産の青色染料として「インジカン(インドからきた)」と呼ぶようになったそうです。これが藍の代名詞「インジゴ」となったそうです。

中国の古書に藍が表れるようになったのは紀元前1世紀ころからで、荀子(じゅんし:前313ころ~前238ころの思想家)の「青は之を藍に取りて、藍よりも青し」との名言は誰でも知ってのとおりです。

中国では当初藍は薬用に用いられたそうです。葉は毒虫に刺されたときや腫物に貼用し、果実は中国で古くから漢方薬として解熱・解毒に服用されたそうです。その後染色用として用いられるようになったといわれています。

Photo_4 アメリカにはアメリカ原産の「ナンバンコマツナギ(別名アメリカ藍)」が自生していました。

藍の染色布はガラガラ蛇等の爬虫類の嫌う臭いを持っており、200年前よりアメリカではカウボーイたちが藍の葉をジーンズの染色に用いたのもこのためであるといわれています。意外にもジーンズの青が藍の仲間だったのです。そのジーンズも現在は殆ど人造藍で染色されており、世界中の若者を中心に愛用されています。

日本には飛鳥時代に中国から持ち込まれたといわれています。飛鳥時代とは、崇峻天皇5年(592 年)から和銅3年(710年)の118年間にかけて飛鳥に宮・都が置かれていた時代をさします。

藍染は古くは夏季だけの染色でした。藍は刈り取ってすぐに用いられ、葉を直接桶などに仕込んで「藍建て」して染色したものと思われます。

あい-だて【藍建て】

藍染めで、水に溶解しない藍玉(あいだま)をアルカリ溶液で還元させ、水に溶ける白藍(しろあい)にし、染色できる状態にすること。

大辞泉

室町時代には、「藍甕(あいがめ)」を土中に埋めて保温し、火壷を設け加温する藍建の方法が発明され、また藍草を発酵させて蒅(すくも)を作り出し、夏場だけでなく年間を通じて染色できるようになり、現在の藍染の手法はこの当時に確立されたといわれます。

Photo_5青縞(あおじま)」は、江戸時代後期 (天明年間)に騎西周辺の農家の副業として始まった藍染めの綿織物です。糸を染めた後布に織り上げるため、糸の染めむらによって縞柄のように見えることからこう呼ばれています。青縞の生産は、北埼玉地方の羽生、加須、行田が中心で、野良着をはじめ、足袋の表地などにも用いられてきました。農業の機械化に伴い需要が激減し、現在は数軒で技術を伝えるのみとなっているそうです。

Photo

したっけ。

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「藍」について考える

2012-01-29 09:54:49 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「藍」とは、ある種の植物の中に含まれている成分が変化して生じた、藍色の色素を含む染料のことです。

また、それを生み出す植物のことや、色のことをいいます。藍の色素は、「インジゴ(インジゴチン)」と呼ばれ、これを繊維に染めつけることで、藍色の染色ができます。

「インジゴ」とは、本来はインドで栽培されている藍植物からとれる天然藍(インド藍)のことを指し、「インドからきたもの」というのが本来の意味ですが、その中に含まれる色素の物質名ともなっています。

あい〔あゐ〕【藍】

1 タデ科の一年草。高さ5080センチ。茎は紅紫色で、葉は長楕円形。秋、穂状に赤い小花をつける。葉・茎から藍染めの染料をとり、京都・大坂・阿波が産地として知られた。果実は漢方で解熱・解毒に使う。古く中国から渡来したとされる。たであい。あいたで。《季花=秋》「この村に減りし土蔵やの花/秋郷」

2 濃青色の天然染料の一。1や木藍(きあい)などの葉や幹から得られる。インジゴ。

3 藍色(あいいろ)

大辞泉

「青は藍より出でて藍より青し」ということわざがありますが、藍染めの青い色は、「JAPAN BLUE」として世界に知られるほど深く鮮やかな日本の色なのです。

Photo_2 日本では、「蓼藍(たであい)」というタデ科の植物から藍が作られています。藍染めは、古くから行われていたと思われるが、近世になって木綿が広がったことに伴って、全国で盛んにタデアイが栽培され、染められるようになった。江戸時代には、「阿波の国(現在の徳島県)」が最大の生産地であった。

阿波藍」の起源は平安時代、徳島の山岳地帯で阿波忌部(いんべ)氏が織った荒妙(あらたえ)という布を染めるために、栽培が始まったと伝えられています。

最古の資料は『見性寺記録』というもので、その中には「宝治元年(1247年)」に藍住町の見性寺という寺を開基した「翠桂(すいけい)和尚」が、そのころ寺のあった美馬郡岩倉(現在の美馬市脇町)で藍を栽培して衣を染めたと記されているそうです。

その後、藍づくりは吉野川の下流域に広がっていきました。文安2年(1445年)1月から翌年1月までの1年余りの入船及び関銭賦課の記録『兵庫北関入船納帳』には、文安2年(1445年)に大量の葉藍が阿波から兵庫の港に荷揚げされたと記録が残っているそうです。

庶民の染料として、大量に作られていた日本の天然藍も、江戸時代末期には色素含有量の多いインド藍が輸入され、明治になると、ドイツで開発された合成インジゴの輸入も増えたため、その生産量は激減しました。

また、第二次世界大戦でその栽培が禁止されたために、藍の生産は途絶える寸前まで行った。しかしながら、徳島の「藍師」が、戦争中も種を守り、副業をしながらも藍作りを続けきたことで、現在でもその伝統が生き続けているそうです。

ヨーロッパの「ウォード」が18世紀に途絶えたのとは対照的です。

そして、人々の生活が豊かになったことで、天然染料による染色が見直され、手作り独特の暖かさを人が求めだしたということで、藍も見直されてきています。

 日本の藍は、「蓼藍(たであい)」の葉を、発酵により堆肥状にすることで作られPhoto_4ている。現在徳島で実際に行われている過程はだいたい次のようなものだそうです。

      葉を刈り取り、1cm程度に刻みます。

      扇風機で送風し、茎と葉に分けます。

      乾燥した葉を、土間のある建物の中で発酵させ、「蒅(すくも)」と呼ばれる染料にします。 その場所は、寝床と呼ばれます。

      発酵は100日間ほどかかります。その間、34日ごとに水をやり、「切り返し」と呼ばれる混ぜ合わす作業を行います。「蒅」を作る人のことを「藍師」と呼びます。「蒅」作りで重要なのは、与える水の量と発酵の温Photo_3度だそうです。

      「切り返し」を行ったあと、保温をする必要があれば、筵(むしろ)をかけておくそうです。

      できあがった「蒅」は、俵につめて、全国の染色家のもとへ発送されるそうです。

Photo

したっけ。

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「第49回おびひろ氷まつり」について考える

2012-01-28 09:52:41 | 写真

    たまには写真でも載せようかと、昨日(27日)開幕の「第49回おびひろ氷まつり」の会場を取材に出かけました。氷点下4度の気温の中、鼻水がしばれそうなので、早々に引き上げてきました。

 201201271

あんな寒さの中、駐車場は満車でした。ところが見物している人はまばらで、会場内に設置された休憩所(暖房あり)に人がいっぱいでした。やっぱりみんな寒かったんですね。

今年のテーマは「幸福」で、帯広市の旧幸福駅の雪像がありました。

20120127003

これは、今は廃線となった広尾線に、「愛国駅」と「幸福駅」があり「愛の国から幸福へ(芹洋子)」という歌が流行ったことがあるので覚えている人もいるかもしれません。今も二つの駅舎は観光施設として残っていま20120127004_3す。20120127002_2

20120127001_2

 

氷像はまだ作業中でしたので、形のあるものだけ撮影してきました。

20120127005

 

20120127006_2

北海道では、今は各地で、氷と雪のお祭の時期なのです。

日本一寒い町「陸別町」では「しばれフェスティバル」。「マイナス30度を体験しませんか?」がうたい文句・・・。

嫌です!

したっけ。

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「喜びもひとしお・ひとしおって何?」について考える

2012-01-27 09:56:10 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Photo_2 結婚式などで、「今回、このような姿を見て、喜びもひとしおです。」などと両親が挨拶しているのを聞いたことがあると思います。

ひとしお」とは何でしょう。「ひとしお」その意味は、「喜びもひとしお・・・」というように嬉しいことがあると、そのことに喜びの気持ちに染められるということです。

その「ひとしお」は漢字表記ではどのように書くかと言えば、「一塩」と「塩」を用いるのかと思ってしまいますが、「塩」ではなく「入」と書いて、「一入(ひとしお)」と読むのです。

どうして、そうなったかと言えば、その「一入」とは、「一回入れる」という意味です。

Photo_3 何を何に入れるかとなれば、それは生地を染料に入れるということなのです。これは飛鳥時代以前から日本に伝わる、布を藍で染める工程に由来しているそうなのです。

つまり、「ひとしお」とは染物に由来する言葉なのです。

特に、藍染めの作業では、布地を何回も「藍瓶(あいがめ)」につけることで、濃い藍色に染まっていくのだが、そのように藍瓶に生地を入れていき、1回入れることを「ひとしお」と呼んだそうです。

また、二回つけることは「再入(ふたしお)」、何回も色濃く染め上げることは「八入(やしお)」「百入(ももしお)」「千入(ちしお)」「八千入(やちしお)」といったそうです。

一回つける毎に色が濃くなり鮮やかさが増すことになります。つまり「一入」ごとに、どんどん鮮やかさもきわまっていくことから、気持ちの度合いが一段と増すときに使われるようになりました。

「ひとしお」は「ひと際」などを意味する「副詞」として、用いられるようになったのは平安時代頃からだそうです。

漢字で「一入」と書くのは、染め物を入れる意味からの当て字だそうです。

ひと‐しお〔‐しほ〕【一▽入】

2が原義》

1 ほかの場合より程度が一段と増すこと。多く副詞的に用いる。いっそう。ひときわ。「苦戦の末の優勝だけに喜びもだ」「懐しさがつのる」

2 染め物を染め汁の中に1回つけること。

再入(ふたしほ)の紅よりもなほ深し」〈太平記・三六〉

大辞泉

回数の意味で用いる「しお(しほ)」は「上代(6世紀末から奈良時代まで)」から見られる語で、語源は「湿らす」「濡れる」などを意味する「霑る(しおる)」か「潮時」などの「しお」ではないかと推測されているようですが未詳とされています。

しお・る【霑る】

①[動ラ四]濡らす。しめらす。 「公卿・殿上人皆涙を流し、袖を・らぬはなかりけり」〈保元・上〉②[動ラ下二]濡れる。しめる。 「いくよわれ浪に・れて貴船川袖に玉散るもの思ふらむ」〈新古今・恋二〉

大辞泉

藍染といえば、「出藍の誉れ(しゅつらんのほまれ)」という言葉があります。藍の葉から取った染料の青は、元の藍よりも美しいことから、弟子が師よりも勝ることをいいます。

「青は藍より出でて藍よりも青し」という表現も同じ意味です。

もともとは、弟子でも努力すれば師匠を超えることが出来るという教えのようです。

なお、結婚式での喜びは、二回目、三回目と増していくという意味ではありません。

Photo

したっけ。

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「漢数字の大和言葉読み」について考える

2012-01-26 09:48:13 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

漢数字と大和言葉

 

大和言葉

古語

現代

意味

ひと

ひとつ

ひとつ

1

ふた

ふたつ

ふたつ

2

みつ

みっつ

3

よつ

よっつ

4

いつ

いつつ

いつつ

5

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「猫なで声は猫の声?」について考える

2012-01-25 11:03:01 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Photo_2 人におねだりしたり、甘えたりするときに出す声を「猫なで声」といいます。多くは女性が男性に対して使うようです。

「猫なで声」とはわかっていても、ついつい乗ってしまうのが男のだらしのないところと反省しています。

夜の世界では、ホステスばかりかホストまで「猫なで声」で女性客にお小遣いをせがんでいるかもしれません。

この「猫なで声」、もちろん「猫」が関係していることは明白です。

「猫」はわがままで甘えん坊な生きものだといわれます。だから、「猫」が飼い主に対して出すような甘い声を「猫なで声」というのでしょうか。

Photo_3 それも一説かもしれませんが、むしろ「猫なで声」は、「猫」をなでるときの「人間の声」からきているのです。

「あ~ら、かわいいミーちゃん、いい子ねえ・・・。ほんとうにかわいい?」

どんなに怖いおばさん(おじさん)でも、愛猫に対しては、背筋が寒くなるような「猫なで声」になります。

ねこなで‐ごえ【猫撫で声】

猫が人になでられたときに発するような、きげんを取るためのやさしくこびる声。「で頼み込む」

大辞泉

ねこなで‐ごえ【猫撫で声】 ゴエ

猫をなでるように、当りをやわらかく発する声。相手をなつかせようとする時の声。一説に、猫が人になでられた時に出す声とも。「―で話しかける」

広辞苑

ねこなでごえ[ごゑ] 5 【猫撫で声】

猫を撫でたときのような、やさしくこびを含んだ甘ったるい声。

で呼びかける

大辞林

辞書によっては、「猫の声」と「人間の声」の両方ありますが、「人間の声」のほうが優勢のようです。

犬好きの人から苦情が来そうですが、なぜか「犬なで声」とは言いません。

Photo

したっけ。

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「鮃の語源」について考える

2012-01-24 09:59:31 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

「ヒラメ」は漢字では、「鮃」・「平目」・「比目魚」などと表記されます。

今は「ヒラメ」のことを表す「比目魚」ですが、実は「ひもくぎょ」と読んで、中国に古くからある伝説上の魚なのです。この魚、目が片方に一つしかありません。そのため左右片方に目がある雌雄が二匹並んで初めて泳ぐことが出来るのだそうです。

この様子は、仲のよい夫婦に喩えられるそうです。

これと似たものに、中国に古くからある伝説に「比翼の鳥(ひよくのとり)」というのがあります。「比翼の鳥」は雄と雌それぞれ翼と目を1つずつしか持っていません。お互いの片割れを探して一体となった時、初めて大空高く舞い上がることができるといわれます。夫婦和合の象徴として、古くから知られている伝説の鳥です。

古くは、あまり「ヒラメ」を区別せず、「カレイ」のひとつのように思われていたので、「比目魚」は「カレイ」も「ヒラメ」も指すのですが、今では、「ヒラメ」の表記に使われることが多くなったようです。

比目魚

かれい。ひらめ。畿内西国ともに、かれいと称す。江戸にては大なる物をひらめ、小なる物をかれいと呼。然とも類同じくして種異也(後略)

『物類称呼』1775年)-江戸中期の方言辞典-

Photo_3 このように江戸時代、江戸以外では「ヒラメ」と「カレイ」を分けていなかったようです。

『図説有用魚類千種(田中茂穂)』(1955年)の「ヒラメ」の項で、「東京及び其付近ではヒラメと云ふが、日本全国に亘って験べて見ると、ヒラメの言葉を使う地方は他に殆どなく、何れの地でもカレイ又はカレと言ってゐる」と書いているそうです。

「ヒラメ」の名は中世末期ごろから見られるそうです。

その語源の一つは、平らな体に目が二つ並んでいることから、「平目」とする説があります。

また、片平に目が並んでいるので、「比目魚」の意味だとする説もあります。

さらに、古語では「平らなさま」を「ひらめ」というそうで、そのまま「平らな魚」のことだとも言われます。「メ」は「ヤマメ」、「アイナメ」のように「魚(メ)」の意味だそうです。

ひら‐め【平め/平目】

[名・形動ナリ]1 比較的平たいこと。また、そのさま。 「なる皿の中に」〈滑・膝栗毛・五〉2平板であること。また、そのさま。 「我が分際より言葉をもに人に使ひ」〈仮・他我身の上・一〉

ひら‐め【平目/比=目=魚/×鮃】

カレイ目ヒラメ科の海水魚。全長約80センチ。体は長楕円形で側扁が著しく、両眼が頭部の左側に集まっており、砂泥底に横たわる。有眼側は暗褐色に黒褐色と白色の斑紋が散在し、無眼側は白色。周囲の色に応じて体色変化する。口は大きい。美味。《季冬》

大辞泉

結局は、諸説あってわかりません。

「平目」の旬は冬だそうです。これを「寒平目」とも言うそうです。3月に入ると、身がやせてきて猫さえまたぐと言う意味から、春の平目は「猫またぎ」とも言われています。

知恵のなさ 四月平目の 刺身なり」という川柳も詠まれています。

Photo_2 ヒラメは何故高級魚なのでしょう。

その秘密も顔の向きにあるそうです。日本の魚料理の基本は料理を出すとき、頭を左に向けます。これが高級魚とされている理由の一つだそうです。「ヒラメ」は、はじめから左を向いていますから・・・。

Photo

したっけ。

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「鰈の語源」について考える

2012-01-23 10:00:38 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

中国の伝説によると、もともとカレイは両面黒かったのが二つに裂けてしまい、目のあるほうが目無しのまま漂っている片身を探して泳いでいるのだそうです。

運よく片割れに巡り会えたカレイは、寄り添って末長く幸せに暮らせるというのです。

なんとも可哀相な話ではありませんか。

カレイの語源は、この「片割れ魚(カタワレ-イオ)」から由来しているというのです。そうなると、我々が食べた残りの半身は、一緒になる機会を失い片身の「目の無い鰈」が、それとは知らず相方を捜して海の底を彷徨していることになります。

「半月」のことを「片割れ月」というのと同じだとする、この説は話としては非常に面白く哀れでさえありますが、もちろん俗説です。

カレイの古名は、「カラエヒ」が転訛して「カレヒ」になった、と言われています。

平安中期の本『本草和名』にも、「加良衣比(からえひ)」とあるそうです。

「カラエヒ」の「エヒ」は魚の「エイ」のことで、体形が似ていることで、「カレイ」が「エイ」の一種だと考えられていたようです。

カラ」は「枯れる」の意味で、体の色が「枯葉」に似ていることによると考えられているそうです。

漢字の「鰈(かれい)」も、薄くて平らという意味の「」の文字が使われています。

Photo_2 また、「カラエヒ」を「唐エイ」、つまり外国のエイ、の意味とする説もありますが、これも間違いです。

「左ヒラメに右カレイ」という言葉がありますが、腹を手前にして「左に目があるのがヒラメ」、「右に目があるのがカレイ」の意味です。しかし、「マガレイ」は左に目があるそうです。

Photo_3 ちなみに、孵化したばかりの稚魚は、普通の魚のように左右に目があります。成長過程で片側に寄っていきます。

Photo

したっけ。

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「地震・雷・火事・親父。何故親父が出てくる」について考える

2012-01-22 09:55:08 | 雑学・豆知識・うんちく・小ネタ

Photo_2 古来、日本人の恐ろしいものは「地震・雷・火事・親父」と相場が決まっています。これは「恐ろしいもの」を順番に並べたものですが、最後の「親父」は不自然な気がしませんか。

「地震・雷・火事」までは災害ですが、突然「親父」は腑に落ちません。一家の主人たる「親父」を災害扱いするわけがありません。

元々この「オヤジ」は父親の事ではなく「大山風(おおやまじ)」のことだったのです。「大山風」とは台風のことだそうです。

それがいつのまにか「親父」となってしまったのが真相のようです。だから、本当の意味は「地震・雷・火事・台風」で、全部災害なのです

やま‐じ【山風】-日本国語大辞典

〔名〕夏から秋にかけて、山から吹きおろす風。《季・夏‐秋》*古今秘註抄〔南北朝頃〕一〇「やまし〈略〉異説にはやましとて風の名なり。

父親が家庭内で絶対的な権力を持っていた封建時代ならまだしも、現代の父親では恐ろしくはありません。

オヤジの権力も地に落ちました。

      「大山(おおやまじ)」を「大山」と記述している場合がありますが、「大山嵐」はどの辞書にも見当たりません。

冬は火を使う機会が多く、空気も乾燥しています。くれぐれも火の元にはご注意ください。

Photo

したっけ。

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倉内佐知子

「涅槃歌 朗読する島 今、野生の心臓に 他16篇(22世紀アート) 倉内 佐知子 22世紀アート」

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