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小説「愛が牙を剥く」

2010-08-12 07:14:46 | 短編小説

               都月満夫

 

 

女は拳を振り上げる夫の足元で、震えていた。屈み込んだまま、怯えていた。女の視線は、薄暗い部屋を漂い、愛を探していた。

男は屈み込む妻の前に立ち、震えていた。拳を振り上げる自分に、怯えていた。男の脳裏に、過去の記憶が蘇っていた。

 

女は自動車販売会社の、営業部に勤務している。職場はショールームで、修理の受付、接客、簡単な事務処理等が仕事である。

女は開業以来の美人と言われた。古い言い方だが、年配の上司からは、才色兼備と言われている。他の女性社員は、タイトスカートの制服で仕事をしている。しかし、女はパンツスーツの制服を、選んで着ている。工場との行き来に行動的だから、という理由だ。

細身のパンツは、女の小振りな引き締まった尻を、キリっと持ち上げている。

年配の上司は、女をショールームの看板娘と言う。特別セールの期間は、アトラクションレディーとして大活躍である。

彼女が入社以来、来店者は増加し、売上も尻上がりであった。上司の目尻は、売上とは逆に、下がりっ放しだ。

女を目当てに、わざわざコーヒーを飲みに来る、不届きな客も多数いる。それも、山の賑わいといったところだ。

これだけの美人は、女性客には案外嫌われるものだ。女性は女に厳しい。しかし、パンツスーツは、女同士の嫉妬と嫌悪感を払拭しているようだ。女の俊敏な動作と手際の良さは、同性にも爽やかに映るようだ。

 

 男は高校を卒業し整備工となった。彼は優秀だった。整備の資格に次々と合格した。整備の技術も高く、客にも好かれていた。男は将来、営業の仕事に就くことを望んでいた。

その頃から、客のデータを集めデータベース化していた。客の年齢、生年月日、性格、自動車の好み、勤務先での仕事内容、評価、家族構成、家族の生年月日まで、自分の知りえる全てのデータを集めた。勿論、顧客の自動車の整備データも個人的に記録し、データベース化して管理していた。

客との何気ない会話の中に、巧みに質問を交えながら情報を集める。

男は決して話し上手ではない。しかし、それが反って客の心を開かせ、情報がこぼれやすくしているようだ。

客から聞き出した情報を会話に交えることで、新たな情報を聞き出す。情報は、男の口と耳があれば無限大に増えていく。男は焦ることなく、少しずつ情報を積み重ねていく。

客は男に任せておけば、最高の状態の自動車に乗っていられるのだ。

 当然のように男を指名して、整備を依頼する客は増えていった。

 やがて、男は念願の営業に配属になった。整備工時代に蒔き続けた種は、このとき芽を出し、成績となって開花した。

それでも、男は種をまき続ける。顧客の記念日、誕生日などには、カードや電話で祝福した。ささやかな思いやりは人の心を打つ。

客は感激し、新たな客を、男に紹介してくれる。たっぷりの情報を添えて…。

 

女は男が整備工のときから、好意を持っていた。男の整備には優しさがある。出来上がりには思いやりがある。何処がどうといわれると困るが、とにかく、そう感じる。男が整備した自動車を、客に引き渡すときには、安心感がある。自信を持って「ありがとうございました。」と送り出せる。

 

男は入社したときから、女に興味を持っていた。仕事ぶりも、テキパキとしていて、気持ちが良い。出される指示も的を射て、仕事がやりやすい。何より男を惹きつけたのは、女が退社のときに、頭を振り、長い髪をほどく仕草だ。素敵な大人の女がそこにいた。綺麗だ…。

 

上司は、二人の様子に勘付いていた。互いを見つめる視線が熱い。互いの会話が何処となくぎこちない。ショールームの花と、営業の花が実を結べないでいるもどかしさ…。

見かねた上司は、一肌脱ぐことにした。二人を招待し、一席設けた。

 女、二十九歳。男、二十四歳。年齢差が互いの壁であったとわかった。二人はすぐに打ち解け、上司はそそくさと席を立った。

二人は、その後スナックで、六年間の想いを打ち明けた。想いが通じたことで、もう充分だった。無駄な時間は必要なかった。気心は同じ職場で知り尽くしている。

二人はすぐに互いの愛を確認しあった。

 女は、細身の服装の下に、想像もできないほど豊満な身体を隠していた。

 男は、整備工時代の名残であろうか、節くれ立った指をしていた。

女は子を愛す母のように、男の体を抱き寄せた。男は母に甘える赤子のように、女の乳首を口に含んだ。男のゴツゴツした指が、女の柔らかい肌を滑り降りる。二人の想いは、積乱雲のように急速に膨れ上がり、チカチカと光りを放った。やがてそれは閃光となり、冬の稲妻となって、二人の体を突き抜けた。

 

間もなく、二人は結婚した。上司の計らいで、女は職場に残り、仕事を続けることになった。

上司は、売上を維持するために、女がいなくなることを恐れた。出来るだけ便宜をはかり、残業もなくした。

 女は、上司の温かい思いやりに感謝し、結婚前と変わらぬ仕事ぶりで応えた。

男は、想いを伝えてくれた上司の下で、期待に応えるべく、一層売上に励んだ。

 

女は食事を作り、部屋で夫の帰りを待っている。自分が思い描いていたままの、結婚生活であった。やがて夫が帰って来る。自分の未熟な料理を、夫は美味しいといって食べてくれる。幸せな日々であった。

男は懸命に仕事をし、妻の待つ温かい部屋に帰っていく。妻の精一杯の手料理が、自分を迎えてくれる。満足な日々であった。

二人の職場は、正月を除き無休のため、休みが一緒になることは、月に一度あるかないかであった。そんな日は、二人で外食をすることにしていた。

男が休みの日は、自分が食事を作って、妻を待っている。料理は得意だと思っている。

男は客との夜の付き合いはしない。妻との関係を一番に考えている。二人を見てきた客たちも、理解している。男は酒を飲むが、酔っ払いは大嫌いであった。客の酔っ払った姿など、絶対に見たくはなかった。

男にも、女にも、何の不満もあるはずがない日々が積み重なっていく。

 

ある日、女は少し疲れていた。その日は、「春のキャンペーン」でとても忙しかった。

夫に、「ショールームで接客に追われていて遅くなる。」、と帰り際に言われた。

料理をするには疲れすぎていた。夫の大好きなメンチカツを、スーパーの惣菜コーナーで買った。夫は何件か成約があったようだったので、ビールも買った。

部屋に帰り、添え物のサラダやパスタなどを作り、夫の帰りを待っていた。料理を作っている間に、疲れも忘れてしまった。

今夜は、「成約祝い」で乾杯しよう。女は疲れて帰ってくる夫を待っていた。夫を労う言葉を探しながら…。

 

「お疲れさま…。今日は忙しくて、大変だったわね。ご苦労様でした。成約、何件…。」

女は夫に寄り添い、テーブルへ向かった。

夫の視線が、テーブルのメンチカツを見つけて、立ち止まった。

「なんだ、これは…。」

夫が、小さな声で言った。

「ゴメン、今日…、疲れちゃったから、買って来ちゃった。」

女は、アナタの大好きな「メンチカツ」よ…、と言おうとした。

「こんな物が、食えるか!」

聞いたことのない、夫の大声であった。

「お前はオレになんて約束した。料理は得意ではないけど、毎日、アナタのために手料理を作ると言っただろう。忘れたのか!」

「ごめんなさい。そうだけど…、疲れていたもんだから…。」

夫の顔つきは尋常ではなかった。女は、初めての経験に、体が硬直し、言葉を失った。

 

ちょっとした沈黙の後、男は我に返った。

「あっ…、ゴメン。大声出して悪かった。でも、約束は破らないで欲しい…。」

男は、女の約束どおりの手料理でなかったことで、我を失ってしまったことを詫びた。

女は、夫がこれほど自分の手料理にこだわっていたことに驚いた。

「二度と惣菜は買うな。疲れたなら、何もなくてもいい。目玉焼き一つでいいんだ…。」

男は呟くように言った。

その夜、男は優しかった。いつも以上に優しかった。大声を出したことを謝りながら、涙を流した。女の体に温かい涙が落ちた。男の舌は、落ちた涙を舐め続けた。

女は、自分が夫との約束を破ったことを、後悔しながら、頂点に達した。

 

平穏な日々が続き、女はメンチカツを買った日のことなど、すっかり忘れていた。

夏の暑い日、近所の小学校の柏林の蝉が、煩いほど鳴いている。蝉には、夏の日の数日間しか、恋の時間がないという。仕方がないか…。女はそう思い、蝉の声を聞いていた。

その日は女の休日であった。

女の化粧っ気のない顔から吹き出る汗は、首をつたい、胸元に流れ落ちる。女はタオルをTシャツの襟首から押し込み汗を拭う。

扇風機から送られる風は、暑さを解消してはくれない。女はぼんやりと蝉の声を聞いている。

…、今日は冷麦でも作ろうか。

 

男はネクタイを緩め、汗で濡れたYシャツの襟を広げながら、玄関のドアを押した。

気怠そうな様子で自分を迎えた妻の顔を見るなり、男の顔色が変わった。

女はハッと顔を両手で挟んだ。

「ごめんなさい!暑かったんで、つい…。」

「黙れ!暑いのは、お前だけじゃない。お前はオレに何と言った。私はいつまでも、アナタのために、化粧をする女でいたい。そう言ったよな。言ったよな。」

男は女の髪を鷲掴みにして、女を化粧台の前の椅子に座らせた。

「この顔で、この暑いのに働いてきたオレを迎えたんだ。よくみて見ろ。」

女が顔を上げると、素顔の自分が惨めに映っていた。振り向くと、夫の手が女の頬を打った。女は椅子から床に転げ落ちた。

その夜も、男は優しかった。女に謝り続けた。「悪いのはお前だ。お前が約束を破ったから…。」そう言いながら、謝り続けた。女の頬をさすり、子供を諭すように謝り続けた。

女は自分が悪かったと思った。夫を怒らせたのは自分だと思った。後悔が胸を溢れ、激しく嗚咽を繰り返し、女も謝り続けた。

次の日、男は妻が前から欲しがっていた、ブランド品のバッグを買った。そして、「昨夜のことは許してくれ。」と、妻に謝った。

女は、夫の優しさに涙が落ちた。こんなに優しい夫を裏切ることなど、二度とするまいと、誓った。

 

それから間もなく、女は微かな物音に怯える自分を自覚し始めた。それが何故なのか、何に対してなのかは解らない。

それが不安となり、あの日の恐怖に辿り着くのには、それほど時間はかからなかった。

夫の目がフラッシュバックする。夫の怒鳴り声が聞こえる。何故…。あれは、自分が悪かった。夫は謝ってくれた。今は優しくしてくれている。平穏な日々である。

女は、この平穏の中に、何か途轍もない恐怖が芽生えていることに気づいてはいない。

毎日、夫が帰ってくるのが恐い。何事もなく眠りに就く安堵感。当たり前の一日が終わるだけ…。夫は、もうあんなことはしないと約束した。

女の心とは裏腹に、秋の日は静かに過ぎていく。冷たい冬に、確実に近づいていく。

 

女は最近、夫との愛の交換に違和感を抱いていた。以前とはどこか違う息苦しさを感じていた。

それを女は自分のせいだと思っていた。たった二度の、夫の態度に怯えている自分がおかしいのだと思っていた。以前のように受け入れればいいのだ。ただそれだけだと、自分に言い聞かせた。

だが、夫の行為は、夜毎激しさを増し、拒絶さえ許さない。それは、女にとって、ベッドの上で、レイプされているも同然だった。

 

会社では、優しい同僚、有能な営業マンである。上司は、女に向かって言った。

「最近、痩せたんじゃないかい。仲がいいのも、ほどほどにしなさいよ。」

よくある、下品なジョークである。この状況では上司に相談はできない。ましてや、同性の友人になど絶対に話したくはない。

女は一人、孤独と屈辱の淵に、渦を巻いて沈んでいくのを感じていた。

 

女はその日、帰宅してから、何も手がつかなかった。灯りも点けずに、ぼんやりと座っていた。もうこれ以上沈んだら、水面に揺れる、微かな光りさえも見えなくなる。絶望の底には落ちたくない。今夜言わなければ…。

女は思考する力さえもなく、言わなければ…と、念仏のように、呟いていた。

 

男は玄関のドアを押した。灯りのない部屋に、座り込む妻が見えた。

「何をやってるんだ!」

女は、夫の怒鳴り声に、びくりと顔を上げた。精一杯の気力を振り絞り、震える声で言った。

「あなた、もうやめて…。あんなこと、もう嫌っ。耐えられない…。」

「煩い。オレがお前を愛することの、どこが悪い。バカヤロー!」

男の拳が、女の腹をえぐった。

「うっ、やめて…、お願い、許して…。」

そう呻き、叫ぶ妻の声は、母の声だった。

「許さん!」

そう怒鳴る男の声は、酔っ払った父の声であった。

少年は目を瞑り、耳を塞いだ。「いつか、母を殴る父を、絞め殺そう。」と思っていた。

男の太い指に力が入る。細い首は、簡単に潰れた。女は壁に背をもたれ、ズルズルと崩れ落ちた。

 

雪の降り積もる屋根の下で、男は頭を抱えていた。暗い部屋は、男の後悔が満ち溢れ、漆黒の闇で埋め尽くされた。

女の体は、自宅から四百メートル離れた、雑木林にあった。

舞い落ちる雪は、女の顔の上で融けることはない。白い雪が一片、一片積み重なっていく。朝までには、そこに女の体があることなど、誰も気づくことはなくなるだろう。

女はそこで、静かに春を待ち続ける。

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9 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
小説でなければ起きない事件ですね。 (こっこ)
2010-08-12 10:55:11
小説でなければ起きない事件ですね。
現実に起こったらとんでもない事件です。
妥協を許せない、潔癖すぎる、
そのような「人」は、
生涯のパートナーにはなり得ません。
返信する
こっこさん、このような事件が現実に起きているの... (都月満夫)
2010-08-12 11:50:54
こっこさん、このような事件が現実に起きているのです。私はDVの被害者、加害者のデーだを出来うる限り集めました。そしてこんな事件は二度と起こって欲しくないとの思いで書きました。データ集めてから書き上げるまで3年かかりました。私にとっては異例のことです。それだけテーマが重く、時間がかかったのです。
したっけ。
返信する
このような事件は実際にはごまんとあると思う (みゆきママちゃん)
2010-08-12 21:34:59
このような事件は実際にはごまんとあると思う
殺人事件
つい・・・かっとして
その、かっとしては我を忘れて
気づけばそこに変わり果てた・・・・。
返信する
都月さん、こんにちは~! (かずさん)
2010-08-16 17:23:53
都月さん、こんにちは~!
情景詩のように言葉が流れ、映像として最後の姿が更に痛ましく残ります。
DVで人を殺める夫婦がニュースとなって久しく、その陰で公的専門家がケース毎に頭を痛めている現実・・・。
「夫婦って何か?」を考えさせられました。
今、言える事は、私達夫婦にとって、「子供は鎹(かずがい)です!それだけで必死」です。
んでば、まだ~!
返信する
衝撃的な出だしですね (沙羅双樹)
2010-09-05 19:34:46
衝撃的な出だしですね
DVは、今や社会問題化している中で、この作品のよう
なケースは、決して珍しいものではないのではないでし
ょうか
最後の結末は、あまりに悲惨で、「女」がどんな思いで
死んでいったのか、推し測るに余りあります

幸いにも、私の家庭を含めて親族の家庭のなかでもDV
発生はしていません
もちろん私が結婚して以来これまで、もちろん家内にも
また、子供たちにも、手を上げたことはありません

しかし、これまでの現実の生活のなかで、この作品に出
てくる「男」のように、なにかたわいもないことに腹を
立てて、大きな声をだしてしまったことは、いっぱいあ
りました

本当にたわいもないこと、しかし冷静になって考えた時
やはり自分の側に原因があったことに気づいて、どうし
てその時冷静になって許す心が持てなかったのか、その
たびに、反省というか、そんなことで怒ってしまった自
分の弱さを恥じていました

そんな時の家内や子供たちの恐怖心や、私に対する疑念
を思うと、本当に申し訳なく、しかしいかんとも取り返
しがつかなく、いまさらながらつらい思いをしています

そのな私でも、一緒にいてくれた家内には、本当に感謝
以外のなにものもありません

せっかく、苦労して3年の歳月をかけて練り上げた作品
です
DVを受けてしまっている立場の人間の心理、苦しみ、
哀しみ、恐怖心、DVしてしまっている立場の人間の恐
怖心、苦しみ、そしてDVを受けていても、相手の人間
と離れられない心の葛藤の描写を、次の作品があるとす
れば、ぜひ期待したいと思っています

また、よけいなコメントしてしまい申し訳ありません


返信する
舞い落ちる雪は、女の顔の上で融ける事は、ない・・ (monarda)
2013-04-11 13:36:58
舞い落ちる雪は、女の顔の上で融ける事は、ない・・
静かに春を待ち続ける・・悲しいです 「愛が、牙を剥く」 DVで苦しんでいる夫婦・恋人たくさんいますね。
ご縁が、あった男と女最初からそうでは、なかった筈
亡夫は、そのような事に無縁の人でした。考えさせられる問題です.
返信する
★monardaさん★ (都月満夫)
2013-04-11 14:03:54
★monardaさん★
小説を読んでいただいてありがとうございます。
悲しいですね。この事件はうちの近所で起きました・・・。
したっけ。
返信する
Unknown (由美太っ)
2014-10-16 12:54:36
ほんの些細な事から・・・とゾクっとしました。。。
返信する
★由美太っさん★ (都月満夫)
2014-10-16 13:29:40
そうですか。
怖いですよね。
読んでくれてありがとう^^
したっけ。
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