都月満夫の絵手紙ひろば💖一語一絵💖
都月満夫の短編小説集
「出雲の神様の縁結び」
「ケンちゃんが惚れた女」
「惚れた女が死んだ夜」
「羆撃ち(くまうち)・私の爺さんの話」
「郭公の家」
「クラスメイト」
「白い女」
「逢縁機縁」
「人殺し」
「春の大雪」
「人魚を食った女」
「叫夢 -SCREAM-」
「ヤメ検弁護士」
「十八年目の恋」
「特別失踪者殺人事件」(退屈刑事2)
「ママは外国人」
「タクシーで…」(ドーナツ屋3)
「寿司屋で…」(ドーナツ屋2)
「退屈刑事(たいくつでか)」
「愛が牙を剥く」
「恋愛詐欺師」
「ドーナツ屋で…」>
「桜の木」
「潤子のパンツ」
「出産請負会社」
「闇の中」
「桜・咲爛(さくら・さくらん)」
「しあわせと云う名の猫」
「蜃気楼の時計」
「鰯雲が流れる午後」
「イヴが微笑んだ日」
「桜の花が咲いた夜」
「紅葉のように燃えた夜」
「草原の対決」【児童】
「おとうさんのただいま」【児童】
「七夕・隣の客」(第一部)
「七夕・隣の客」(第二部)
「桜の花が散った夜」
今回は、「観音様」を描きました。
毎日叔母さんの家に通って、片付けをしながら遺影を見ていたら、観音様が描きたくなりました。
不思議な気分です。
観音さまっていったいなんでしょうかね。そもそも観音さまの教えとはどのようなものなのでしょうか。日頃とても多くの方々からそんなご質問を頂き、私もあらためて考える機会が多くございます。しかし、考えれば考えるほどに観音さまのお姿がいくつも浮かんできて私も困っているのです。「60年近くも仏道にありながらいまだにそんなことを言っているのか」と皆さまからお叱りを受けるかもしれませんね。といいますのも、観音さまには決まったお姿がないのです。
観音さまの教えは『法華経(※1)』と『般若心経(※2)』という経典に主に説かれています。『法華経』では観世音菩薩、『般若心経』では観自在菩薩と訳されていますが、いずれも同じ観音さまのことです。
「音を観る」と書いて観音さま。音とは世の中のすべてをあらわし、観音さまとは見えるもの、聞こえないものも自在に見聞きして救いの手を差し伸べてくださるという意味です。 また、観音さまの「観」は主観、つまり自分自身の心をあらわします。「音」は客観、これは周囲や他人のことですね。つまり、観音という言葉には「私とあなた」という意味もあります。
私たちは主観を通して物事を見ています。向かい合った相手がどのような事を考えているのか、自分は周囲からどのように思われているのか。人間は皆、観音の世界に生きているんですね。ただ、私たちは目に見えるものに影響されがちで、他人の心やこの世の真理までをもはっきりと「観る」ことはできません。そこへいくと観音さまは大らかな視野で偏りなく自由自在にこの世界を観ておられます。これが『般若心経』に記されている「観自在」の意味です。私たちは言うなれば「観不自在」といったところでしょうか。
※1 法華経 : 正式には『妙法蓮華経』 ※2 般若心経 : 正式には『般若波羅蜜多心経』 |
したっけ。
師匠は「鯉のぼり」を描いてきました。
師匠の子どもたちが小さいときに両親は孫のために立派な五月人形を買ってくれたそうです。
しかし、子どもたちは鯉のぼりが欲しいと言ったそうです。
鯉のぼりは買わなかったそうです。
私が子どもの頃は、鯉のぼりをあげましたが、私の子どもには上げていません。
師匠! 鯉のぼりは住宅事情が難しい時代になっていましたからね。
歴舟川 そよぐ400匹 こどもの日 笑顔と歓声 十勝毎日新聞 2024.05.05 【大樹】「歴舟川清流鯉(こい)のぼり」が開かれている大樹町の歴舟川河川敷で 5日、こどもの日に合わせ たミニイベントが行われ た。雄大にそよぐ400匹 のこいのぼりの下、子ども たちの笑顔があふれた。 町と町観光協会が主催するこどもの日の恒例行事。 午前10時の開始とともに大 勢の家族連れでにぎわっ た。木のくいにロープを張って作られた迷路では、多くの子どもたちが出口めが けて駆け回っていた。ふわふわドーム、モルックなど のミニゲームや、スイーツなど飲食物の出店も盛況だった。 いずれも町内の阿部板金 工業とサトウ塗装店による 高所作業車の乗車体験には 行列ができ、多くの家族連れが上から眺めるこいのぼ りの景色を楽しんだ。広尾 町の祖父母宅に帰省した札 幌市の佐藤愛華さん (1) は「高所作業車に乗って、 大きなこいのぼりを間近で見たのが楽しかっ た」と笑顔だった。 (吉原慧) |
師匠!こどもの日と言えば鯉のぼりとともに金太郎ですね。
私は「金太郎」を描きます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
師匠が所属する短歌誌「樹樹」が発行されました。
師匠の短歌と師匠の批評を載せておきます。
したっけ。
今回は、「蝦夷山桜」を描きました。
23日に桜が開花しました。
開花したと言っても、染井吉野ではありません。
こちらでは、染井吉野はありません。今なら、温暖化で、植えたら咲くかもしれません。
北海道のエゾヤマザクラは色が濃くて鮮やか。葉も赤っぽい。
エゾヤマザクラは寒さに強く、ソメイヨシノよりも早く咲き、寿命が長い桜です。北海道の山地など、どの地域でも見られるため、桜の開花宣言の標本木に採用されている地点もあります。 高さは15~20m、太さは80cmと大きく成長するので、公園に植えられる以外に、街路樹としても利用されています。花のサイズは2~3cm。もともとの花の色がソメイヨシノよりも濃い紅色をしています。 薄いピンク一色のソメイヨシノと違い、エゾヤマザクラは花が咲くと同時に、赤っぽい葉の芽が開くので、花と葉で木全体がよけいに赤く見えます。葉は花が散りはじめると茶色っぽいまま残るので、一見するとサクラの木のように見えないかもしれません。
北海道は寒いからこそ色鮮やかに。野性味あふれる咲き具合。 北海道の野山で普通に見られるエゾヤマザクラですが、日本で十数種類ある野生のサクラの中でも、花の色がもっとも濃くて赤いので、全国の桜好きにも愛されています。 同じエゾヤマザクラでも、本州に咲くものよりも北海道のほうが色が鮮やかです。桜の開花や花の色には気温が関係していますが、北海道は気温が低いため、咲く時期は遅いのですが、色は本州のものより鮮やかになるといいます。そのため、同じ北海道の中でも、道南のものよりも、道東や道北のサクラのほうが、より鮮やかに咲くというわけです。 さらに、接ぎ木で増やしたクローンであるソメイヨシノと違い、野生種のエゾヤマザクラは一つ一つが異なる個性を持ったサクラなので、咲く時期も色もまちまちです。そして、その野性味あふれる咲きっぷりがまた、魅力の一つでもあります。 |
したっけ。
師匠は「いかしゅうまい」を描いてきました。
師匠は奥さんの書道展示会の搬出のお手伝いで「鉄火巻」「しゅうまい」「まんじゅう」を買ってもらったそうです。
師匠! 私は「餃子」を描きます。
お昼に一人の時は簡単にませます。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
したっけ。
今回は、「水芭蕉」を描きました。
自宅前の小川に、今年も咲きました。
「夏の思い出」 1949年(昭和24年) 作詞者 江間章子 作曲者 中田喜直
夏がくれば 思い出す はるかな尾瀬 遠い空 霧のなかに うかびくる やさしい影 野の小径(こみち) 水芭蕉の花が 咲いている 夢見て咲いている 水のほとり 石楠花(しゃくなげ)色に たそがれる はるかな尾瀬 遠い空 |
北海道では4月に咲く花が、何故夏なのか?
とても不思議です。
なので、調べました。
江間はその理由を『(夏の思い出)その想いのゆくえ』にて以下のように述べている。
「尾瀬においてミズバショウが最も見事な5、6月を私は夏とよぶ、それは歳時記の影響だと思う」
歳時記には俳句の季語が掲載されており、ミズバショウは夏の季語である。文学上の季節と実際の季節には、少しずれがある。また二十四節気においても夏にあたる。
作曲者の中田喜直は、本曲の作曲を依頼された時点で、作詞者の江間との面識がなく、また尾瀬にも行ったことがなかった。中田が初めて尾瀬を訪れたのは、作曲から約40年後の1990年のことだった。
したっけ。
※リコメ、ご訪問はできません、ご了承ください。
師匠は「羊」を描いてきました。
師匠は春は羊の赤ちゃんがぞくぞく産まれていると言っています。
師匠! 羊だけじゃありませんよ。牛も馬も産まれています。
師匠は庭の土おこしをしたそうです。
去年は大変でしたが、今年は腰は何とか持ったそうです。
奥さんは書道の展示会の搬入をしたそうです。
羊の赤ちゃん続々誕生 2024.03.24 十勝毎日新聞 【新得】宿泊や食事ができる新得町内の羊牧場「ヨ一クシャーファーム」が、羊の出産ラッシュを迎えている。子羊たちは牧舎内を元気に駆け回り、愛くるしい鳴き声を響かせている。 新得ヨークシャーファームで計100頭 今春は2月23日から出産 が始まり、これまで母羊60 頭から計100頭ほどの子 羊が誕生した。子羊は黄色 い耳タグを付け、飼育員が 近づくと、一斉に駆け寄り 人懐っこい姿を見せてい る。 同ファームは羊肉の質と 量のバランスに優れたサウ スダウン種の交雑種を中心 に肥育。雪解け後は約10診 の放牧地で昼夜を問わず放牧し、冬期間は干し草を主体に育てている。 場長の大井晃希さん(28) は「5月のゴールデンウイークには放牧地で草をはむ羊たちの姿を見ることができます」と話している。 (須貝拓也)。 |
師匠! わたしは「白鳥」を描きます。
叔母さんの火葬が終わった帰り道、数羽の白鳥が農業高校の畑で何かを食べていました。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
※まだ、リコメ、ご訪問はできません。申し訳ございません。
したっけ。
今回は、「クロッカス」を描きました。
隣りの庭に黄色いクロッカスが咲いていました。
はじめは福寿草かと思っていましたが、よく見るとクロッカスでした。
私の庭のクロッカスは芽が出てきたばかりです。
クロッカス (ハルサフラン)
クロッカスはギリシャ語のkrokos(糸)に由来するといわれ、花柱が長く糸状に のび事による。 花言葉は切望 原産地は地中海から小アジア アヤメ科の球根 クロッカスはある程度球根が大きくなるとそれ以上は大きくならず必ず細かく分球してしまう性質を持っています。
花壇用の中くらいの大きさの球根であれば次の年も球根が大きくなりますが、この場合もクロッカスは小さい割に肥料食いなので花後のお礼肥をしっかりと施しておくことが花をたくさん咲かせるこつ。
ギリシャ神話ではゼウス(最高神)とその妻ヘラが寝そべってるときにそのぬくもりで芽が吹き花が咲いたといわれてる。 また、古代ギリシャでは結婚式の花として用いられた。クロッカスは愛を秘めた花。 |
※リコメ、ご訪問は来ませんのでご容赦ください。
したっけ。
師匠は「人形焼き」を描いてきました。
師匠のおやつだそうです。
師匠! 人形焼きはどなたかからいただいたんですか?
それとも、自分で買ったんですか?
師匠は甘いものに目がありません。
師匠に家のクリスマスローズも咲きだしたそうです。
私の庭は、福寿草しかありませんよ。
師匠のお母さんは、医療療養病床がある病院に移られたそうです。
人形焼 出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
浅草にある常盤堂雷おこし本舗の人形焼 人形焼(にんぎょうやき)は、カステラにあんこなどを入れて焼いた和菓子である。人形焼のあんこはこしあんが多いが、中には小倉あんが入っているものや、餡なしやカステラ焼きと呼ばれる餡のないものもある。変わり種としては、抹茶あん、さくらあんやカスタードクリームなどを入れたものもある。 東京都中央区日本橋人形町が発祥地とされ、東京土産として有名である。 |
師匠! わたしは「柏餅」を描きます。もう、店頭に並んでいました。
↑師匠が私にくれた絵手紙
私が師匠に送った絵手紙↓
絵手紙だけ更新しておきます。
リコメも訪問もできないので、ご了承ください。
したっけ。
今回は、「アスパラ収穫」を描きました。
ビニールハウスのアスパラガス収穫が始まりました。
これから5月までが収穫のピークになります。
太くて柔らかいアスパラガスは、美味しいですね。
スーパーでは、アスパラガスの地方発送の受付が始まりました。
ハウスに春 アスパラぐんぐん 82歳音更の鷲北さん、最後のアスパラ収穫に汗 高齢理由に今季で引退 2024/03/29 8:00 【音更】春の味覚アスパラガスの収穫が、音更町然別北4線の鷲北正一郎さん(82)のビニールハウスで行われている。ハウス内では薄緑色の茎が元気に伸び、一足早く春の訪れを告げている。(内形勝也)
鷲北さんはハウス6棟で約30アールを栽培。今年も太さや生育状況は良好という。収穫は15日から始まり、連日早朝から鷲北さんと妻の玲子さん(79)、パート作業員が、収穫・選果作業に汗を流している。
2重に覆われたハウス内には、1棟につき四つの畝が設けてあり、それぞれビニールをかぶせて温度を管理している。朝方はジェットヒーターを使って室温を10度ほどに上げ、畝にかぶせてあるビニールシートを外してからアスパラの収穫作業に入る。
飲食店で使わなくなった古い腰掛けを活用した自作の収穫用三輪車で、畝と畝の間を転がしながら、25センチ以上に成長し、食べ頃になったものから1本ずつはさみで収穫していく。収穫したアスパラは23センチに切りそろえて、太さによってSから3Lまで6種類のサイズに選果し、出荷する。鷲北さん夫妻は「今シーズンも太くて、甘くて、抜群においしい」と笑顔で太鼓判を押す。
現在の収量は1日50キロほどだが、4月中旬のピークには約80キロ近くになるという。収穫、選果作業は6月ごろまで実施予定。すでにJA木野(黒田浩光組合長)の子会社が運営するスーパー「ハピオ」などに出荷している。
ただ、鷲北さんにとってこの収穫作業は今年が最後になる。高齢を理由に、今季でアスパラ栽培をやめると決めたからだ。鷲北さんは「二人とも80代になるので。来年からは新しい人に引き継いでもらう」と話している。
町内のアスパラの作付けは、JA木野管内では、ハウス栽培が3戸約80アール、露地栽培が1戸約5アール。JAおとふけ(土田純雄組合長)管内では、ハウス栽培が4戸約27アール、露地栽培が10戸約360アールとなっている。 |
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